[09-06] レイヤー

 マナムさんに差し出された物の匂いを嗅いで卒倒するかと思った。


 VRだから強い刺激が遮断されるはずなのに、わたしの脳に焼きついた『最も生理的嫌悪を感じた匂い』の記憶が呼び覚まされたことで鮮明な匂いを疑似的に感じ取ってしまったのだ。




 ……時間を遡って話そう。


 サンドイーターのステーキには残念ながらありつけなかった。肉は日持ちできるように干し肉に加工されるためだ。


 代わりに骨から削ぎ落とされた木っ端肉と血と薄い脂肪の皮膜でソーセージのような物が振る舞われた。食あたりとか寄生虫とか色々と心配になってしまうけれど、郷に入らば郷に従えだ。


「……あっ、これおいしい!?」


 市販のサラミをもっと血生臭くした味だけれど、野性味を感じられて、わたしには十分なご馳走となった。


 日が落ちるにつれ気温が下がっていく中、わたしたちは毛布に包まって体を休めていた。そこに、使いの人が族長のテントに来るよう伝えてくれたのである。


 意気揚々と垂れ幕をくぐろうとした瞬間、


《タレントスキル〈獣人の超感覚センス・オブ・セリアノ〉が発動しました》


「う……」


 思わず呻いてしまう。嗅覚が刺激されたのだ。


 わたしの異変に怪訝そうな顔をしたラカもテントに入った途端に、すっ、と無表情。一方、アルナイルは涼しい顔だ。


 テントの中心には日本の古民家で言うところの囲炉裏があり、薪の代わりに獣の油を燃料にしていた。周りには大人数で囲めるようになめし革の座布団が敷いてある。


 上座となる一番奥に座っていたル・ガルさんが、対面に座るよう手で促した。


 お言葉に甘えたわたしにマナムさんが近づいてきて、骨のお皿を差し出す。


 それこそが異臭の発生源だった。


 ログに流れるバッドステータスについては見ないふりをしつつ、わたしはおずおずとお皿を受け取った。中身は得体の知れない、赤黒いどろどろだ。


「ええっと、何、これ」


「霊薬だ」


 マナムさんはル・ガルさんそっくりの口調ながらも凛とした声で答えた。


「お前、解体加工を手伝ったのだろう? そのときに取り出した内臓をすり潰し、そこに我らが栽培している霊草を調合した。感謝するのだな。完成に必要不可欠なムカデは私が捕まえてきてやったぞ」


「む、ムカデ……」


 わたしはお皿を地獄の窯のように見つめながら、ル・ガルさんに尋ねた。


「この霊薬をどうするの?」


「決まっている。飲め」


「の……!?」


 わたし、霊薬を二度見。このひどい匂いがする――中身については何も考えないようにする――粘液を口に入れろと仰いましたか!?


「の、飲むとどうなっちゃうの、わたし?」


 マナムさんがル・ガルさんの横に座って説明する。


「お前の魂は肉体から引き剥がされ、霊界へと送られる」


「それって死ぬってこと?」


 隣でわたしがとんでもないことをさせられるのをちょっと楽しみにしてそうなラカが「少し違うわ」と補足してくれた。


「前にこの世界の地下には霊脈エーテルラインが流れてるって話をしたと思うけど、要は『そこ』よ。ノームみたいな万物に宿ってる精霊じゃなくて、イオシュネみたいな特別な精霊だったり霊獣だったりは、『そこ』に行って話をつけないといけないの」


「なるほど?」


「そのためには幽体離脱する必要があるワケだけど――ゲーム的にはこの状態を『トランス』と呼ぶわ」


 確か、意識状態の変化を意味する言葉だったと思う。


 VRシミュレーターについてのニュース特集で、仮想世界に接続し続けることで人間の認識や意識が云々うんぬん――って文脈で聞いた覚えがあった。


「エルフの契約の儀式と一緒なら、トランス状態のネネだけが霊界のフィールドに転送されるはず。そこで霊獣と会って、覚醒クエスト完了ってことになるわ」


 ル・ガルさんがわたしたちの会話を自然な形で理解して、エルフのラカを挑発的に笑った。


「我らが祖霊、アマルガルムを前に『会う』だけで済めばいいがな」


 ラカはおどけた様子で肩を竦める。


「その辺は……まあ、ネネが頑張るトコだから」


 それはそう。つまり、ここからはひとりで難題に挑まなければならないのだ。

 今こそプレイヤースキルが人並程度には成長したことを証明するとき!


 と、意気込んでいたところに水を差す展開。


「族長」


 出入口の垂れ幕がゆらりと動くと、アマルガルム族の人が覗き込んできた。確か日中、ル・ガルさんに指示されて見回りに出た人だ。


 それがこうして戻ってきたということは――


「屍人の群れがこっちに近づいている。ここもじきに見つかるだろう」


 こんなにもすぐに追いつかれてしまうなんて。これでは契約の儀式どころではない。


 そのとき、ラカすくっと立ち上がった。初めから、こうなったらそうするつもりだったかのように。


「あたしが対処するわ」


 わたしも霊薬を置いて立ち上がろうとしたけれど、それより早くラカが肩を押さえつけてきた。


「ストップ。ネネはこっちをやり遂げるのよ」


「でも……」


「トランスは集中コンセの上位互換と考えて。大まかに通常状態、コンセ、トランスの三段階があるとして、逆ピラミッドを想像してほしいの」


『コンセ』はコンセントレーションの略だ。


 突然何を言い出したのかはわからないけれど、わたしは言われるがままに思い描いた。上層が通常状態で、下層がトランス。うんうん。


「プレイヤーがコンセするとき、通常状態からコンセの『レイヤー』に意識をシフトさせるワケ。コンセ中は周りの動きがゆっくりになるけれど、同時にコンセしてる誰かが近くにいたら、その誰かは通常状態と同じ速度の動きに見える。何度も経験してるわね」


 わたしは頷いた。


荒野の魔王領ウェイストランド・パンデモニウム〉の戦闘は、なんとなくだけど、『どれだけ水中で息を我慢していられるか』が肝要な気がしていた。集中力CPを先に切らしたほうが相手の動きに圧倒されて負けるのである。


 この『水中』というイメージ、あながち間違っていなかったのかもしれない。


 つまり、トランスのレイヤーは限られた者、限られた条件でしか入れない深海ということか。


「トランスはコンセよりもさらに周りの動きがゆっくりになるわ。それこそ、みたいに」


 逆に言えば、リアルのわたしの頭はいつもの数倍の速さでフル回転することになる。疲れもするだろう。


 だが、しかし、だ。

 ラカはわたしを安心させようと、にこりとほほ笑んだ。


「ネネが霊界でひどい目に遭ってる間、こっちではひとあくびする程度の時間しか流れてないってこと。じっくりアマルガルムに会ってきなさいな」


「……うん!」


「まあ、そもそも?」


 優しいラカの表情が、ロールプレイの不敵な笑みに変わる。


「あたしらがそこいらのイモータルどもに苦戦するワケないんだけどさ」


 多勢に無勢の絶望的な状況にも思えるけれど、ラカはずっとソロプレイヤーとしてこの世界を生き抜いてきた猛者だ。


 ……ものすごく心配だけど、それでも信じよう。


 わたしが手っ取り早くアマルガルムと契約できたら、ラカの応援に駆けつけることもできる。自分のことに集中するしかない。


「じゃ、始めるよ。儀式」


 みんなに見守られる中、わたしは霊薬の入ったお皿にためらいなく口をつけ、ぐいっと喉の奥へと流し込んだ。


 匂いがひどければ味もひどい。舌がびりびりと痺れるこれは、もはやダメージを受けているようなものだった。


 霊薬がわたしの体に流し込まれるにつれ、


《軽度のステータス異常〈酩酊〉に陥りました》

《重度のステータス異常〈幻惑〉に陥りました》


 視界がぐにゃりと歪み、耳に飛び込んでくる音までもがふわふわになる。


 多分、泥酔状態ってこういうのを言うのだろう。わたしは空になったお皿を床に置こうとして、勢い余ってがしゃんと叩きつけてしまった。平衡感覚も怪しくなっているのだ。


「あっ、ごめんなしゃい……って、あれえ?」


 うまく変換するものだ。当然、わたしの頭の中はすっきりくっきりしているのに、ゲーム内で発した言語は呂律が回っていない。バッドステータスが下方修正しているらしい。


 お皿が割れていないか見ようとしたわたしは、自然と自分の右手首が目に入った。


「え」


 驚いたのは、お皿の底にびっしりヒビが入ってしまっていたからではない。

 わたしの手首にある魔王の力を継いだタトゥーが青く輝いていたからだ。


「なん光って――」


 頭の中で聞き慣れた声が響く。


《レリックスキル〈螺旋の支配ドミネーション・オブ・ヘリックス〉が発動しました》


 次の瞬間、重力がわたしの体の内側に働くような錯覚とともに、意識だけが体の奥の奥へと沈んでいくのだった――

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