[08-05] 戦争の英雄

「パパは絶対悪い人じゃない! いい人だもん!」


 ラカは自分の言葉がトリガーになってしまったと考え、マリーちゃんにほほ笑む。


「ごめん、勘違いさせたわね。別にマリーのパパが物を盗んだってことじゃなくて、誰経由でもらったんだろうって。どうしても知りたいのはワケがあって、このアルナイル、実は魔王と戦ったクレアスタの御使いなの。ね、アルナイル?」


「ええ、私は――」


 と、アルナイルの自己紹介を遮るほど、マリーちゃんの拒絶は強まる。


「嘘つき! 御使い様なんているワケない! パパとママは毎日神様にお祈りしてたのに、助けてくれなかったじゃない! 神様だっていないんだ!」


 叫んだのが修道女さんの寮というのがまずかった。


 わたしたちを監視していた修道女さんがものすごい顔で飛び出しかける。わたしはさっとその前に立ちはだかり、『まあまあ』と押しとどめる。


 マリーちゃんの怒りに一瞬怯んだアルナイルだったけど、それに対する答えをゆっくりと紡いだ。


「神はいますよ、マリー・ハーバード。ただし、神はあなたが思うようなお方ではありません。女神クレアスタは人族を等しく照らす太陽であって、誰かひとりを特別に癒す木漏れ日ではないのです」


 子供相手、それもこんな状況に置かれた子に説くには、厳しすぎる内容ではなかろうか。


 マリーちゃんを叱ろうとする修道女さんを止めたわたし、ますますマリーちゃんが心を閉ざしてしまうのではないかと不安になる。


 でも、アルナイルはマリーちゃんから視線を外さず、真摯に語り続けた。


「あなたがひどいと思うのも当然です。神はひとりひとりの声に応えてはくれません。全ての声に応えていたら、人が己の力で生き抜くことを忘れてしまうからです。神は我々を試しているのです」


 アルナイルはマリーちゃんの手を取り、その手のひらに指で文字を書いた。

 指の辿った後がうっすらと輝く。マリーちゃんは目を丸くして自分の手に見入った。


「この文字に覚えは?」


「……教会や聖書で見たことある」


「よく見ていますね。これは神から人に伝えられたルーンという文字です。何を意味するかは――」


 アルナイルが微笑を浮かべた。


「お勉強すること。自分で意味を理解するのです。よいですね?」


 マリーちゃんがこくりと頷く。


「強く生きなさい、マリー・ハーバード。今は憎しみに支配されているでしょう。でも、その気持ちはひとまず私たちに預けてください。そしてあなたは、あなたに向けられた親切へと心を向けるのです。……どうかしましたか?」


 と、アルナイルが小首をかしげたのは、急にマリーちゃんがぼうっとしたからだ。


 しばらくして、


「憎しみ……」


 マリーちゃんがぽつりと呟いた。


「あのドラウも、憎んでたのかな」


「蒼い炎を使うドラウですか? 一体、誰を?」


「パパ。戦争のとき、魔族にひどいことをしたんだって」


 わたしたち三人は思わず顔を見合わせた。ウェインズ・ハーバードさんが〈人魔大戦ジ・インカージョン〉に参加していただなんて話、セティさんの調査ファイルには載っていない。


 アルナイルがマリーちゃんに顔を近づけて、さらに質問する。


「あなたの父君は〈人魔大戦ジ・インカージョン〉に出兵していたのですか?」


「聞いたことない。学校で習ったことを聞いても、ずっと隠れてたからわからないって。でも、ドラウはパパが魔族にひどいことしたって言ってた。それに、パパはウェインズって名前じゃなくて、本当はドイルズって人なんだって」


 アルナイルの表情が強張る。……多分、あまり喜ばしい反応ではない。


「ドイルズ……ドイルズ・ギャバックですか?」


「お姉ちゃん、パパのこと知ってるの!?」


「ええ。友人というほどではありませんが、確かに知っています。……あの顔、道理で見覚えがあるワケですね」


 マリーちゃんはアルナイルに縋りつくような目を向けた。

 つまり、これが今まで父親を探る者を警戒していた理由だったのだ。


「パパが隠してた水晶も人から奪った物って……パパはそんなことする悪い人じゃないよね!?」


 ほんのわずかな逡巡。アルナイルは笑顔で答える。


「ええ。ドイルズ・ギャバックは戦争の英雄です。彼の協力があったからこそ、私は魔王を討伐することができたのです。彼が誰にも知られないように名を変え、このことを秘密にしていたのは――」


 アルナイルはにっこりとした。


「きっと、今回のような魔族の復讐を避けるためです」


 ……普段、作り慣れない表情ってぎこちなくなるよね。わたしとラカにはそれがわかってしまう。


「彼自身が脅かされる危険もそうですが、それ以上にあなたや母君を守るためだったに違いありません。襲われたときも、彼はあなたと母君を逃がそうとしたではありませんか。そのような方が、悪人であるはずないでしょう?」


 アルナイルの言葉を聞いているうちに、マリーちゃんの表情はくしゃっと歪み、目からぽろぽろ涙の大粒を溢れさせた。


「そうなんだ……よかった……」


 泣き崩れるマリーちゃんに、修道女さんがさっきまでお怒りだったのに今ではもらい泣きして、ハンカチを差し出すのである。


 これで、ウェインズ・ハーバードさんが何者かはわかった。

 ラカはマリーちゃんの頭を優しく撫でる。


「話してくれてありがとね、マリー」


「うん。わたしも……ありがとう、お姉ちゃんたち」


 謎を解き明かす以上に、マリーちゃんと面会できてよかったと思う。


 ひとつだけ、不安要素はあるけど、ここでは表に出さない。


 わたしたちは笑顔でお別れを言って――ちなみに気になっている様子だったので尻尾を触らせてあげた――修道女さんの寮から外に出た。

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