[01-06] 仮想世界の生命

 林道にはまだ新しいわだちひづめの跡が残っていた。恐らく、わたしがお世話になった荷馬車のものだろう。


「ギャングの死体、もう残ってないんだね」


「保安官が片づけさせたんじゃない? すぐ消えるのはイモータルだけだし」


 こんなところに放置していたら、通行人がびっくりするもんね。


 それにしても、ラカの言葉が気になった。


 イモータルの死体――矛盾しているようだけどそうとしか表現できない――はどう消えるのだろう。『塵から蘇った』のなら、また『塵にす』のか。考えると背筋がぞくっとする。


「さ、道から外れるわよ」


 獲物を発見したらすぐ銃で狙えるように、わたしたちはスモーキーから降りることにした。


 日中でも薄暗い森へ入るのには、少し勇気が必要だ。元来た道がどっちだったか、すぐにわからなくなってしまうだろう。


 と、ラカがわたしの一挙手一投足を見守っている。


「……どうしたの?」


「ネネのクエでしょ。あたしはついてくだけ」


「えーっ!?」


「ほらほら。大声出すと、獲物が逃げてくぞ~」


 わたしは口をがばっと押さえる。


 甲高い獣の鳴き声がどこからともなく返ってきた。仲間たちに注意を促しているのかもしれない。


 わたしが音の方向を漠然と特定できていることに、ラカは「ねっ?」と片目を瞑った。


「言ったでしょ、このクエはセリアノ向きだって。自信持ちな。ネネならできるっ。今夜の宿代を稼ぐのよっ」


「……わかった。やってみるよ」


 初心者の町の、大抵のイモータルがひとりで挑むクエスト。

 リアルのわたしには無理なことでも、ゲームでなら簡単なことなのだ。


 鳴き声がしたのは――あっちかな。五感を高める〈獣人の超感覚センス・オブ・セリアノ〉をかせ、森の中を忍び足で進んでいく。


 この一帯には広葉樹が生えている。陽光が葉っぱの隙間を縫い、あちこちに薄い光の帯を作っていた。


 地面が湿っている。足を滑らせて転んだら、ラカにも獲物にも笑われてしまう。足元に注意を向けると、視界左隅にイベントログの文字が流れた。


《スキル〈追跡 Lv2〉が発動しました》


 ネオンのような青白い光が浮かび上がり、獣の痕跡を露わにする。


 足跡、木の根についた爪痕、それに糞尿――きちゃない。けど、狩人にとってはこれも重要な情報だ。


 足跡を辿っていくうちに、樹木や土の香りに混ざる獣の匂いも感じ取れるようになってきた。ペットショップの匂いをもっと凝縮した臭さである。


 古い痕跡ほど光は薄く、新しい痕跡ほど濃く表示されるらしい。


 なるほど、専門家のように分析する必要はないのだ。これに従えば獲物にどんどん近づいていって――


 いた。ルオノランド・ディアー。文字どおり、鹿だ。


 離れてついてきているラカに身振り手振りで『見つけたよ』と報告する。


 ん? 何か口パクで言ってる。『レッツゴー』か。なんだか授業参観日みたい。いいところを見せたい。


 わたしは〈ケルニス67〉を構えるより先に、木陰から鹿を観察することにした。


『獲物を知らない狩人は三流。一流なら、獲物が何を考えているのかも手に取るようにわかる』


 ファンタジー小説のワンシーンから、凄腕弓使いのセリフを引用。


《ルオノランド・ディアー》

《ビースト》

《Lv:5》


 ……悲しいかな。わたしよりも野生の鹿のほうが高レベルなんて。


 角がついているのでオスだろう。想像していたよりも体が大きい。

 猟銃ならともかく、わたしが使うのはリボルバーだ。38口径の弾丸で倒せるのか、不安になってきた。


 鹿は土をもしゃもしゃとんでいる。


 他に食べる物がないのか、それとも意外においしいのか。『うーん、今年の土は非常に芳醇でフルーティ、百年に一度の発酵具合だね』とか考えているのかもしれない。


 今ならリボルバーでも狙えそうだけど――もし外したら?


 逃げてくれればいいが、最悪、こちらに突撃してくるかもしれない。あの立派な角で串刺しにされても平気だろうか。いや、ただでは済まないに決まっている。


 確実に仕留めよう。

 わたしはさらに距離を詰めることにした。


 鹿も違和感に気づいたか、たまに頭をぶるると振る。一撃必殺を狙うのなら、タイミングを見極めないと。


 わたしは木陰に片膝をつき、〈ケルニス67〉を両手で構えた。


 照準を獲物の頭に合わせ、集中するために息を止める。すると、集中力CPゲージがどんどん消耗されていく。この視覚化がかえってわたしを焦らせる。


 緊張で腕が震える。時間をかけられない。迷うな。迅速に。


「……――」


 トリガーを引く。ハンマーが弾薬を叩く。閃光と轟音が木々を駆け抜ける。

〈ラーヴェン855〉ほどではないが、それでも反動で腕が跳ね上がる。


 同時に、鹿の悲鳴も上がった。追跡している間、ずっと耳にしていた鳴き声をぎゅっと押し潰したような音だった。


「やった!」


 迂闊にもわたしは立ち上がる。


 しかし弾丸は、頭ではなく首に命中していた。


 即死を免れた鹿は頭を下げたまま逃げ出す。首の筋肉を引き千切られ、血をだらだらと垂れ流し、それでもなお。


 なんて生命力だろう。とどめを刺さないと。


 再びリボルバーを構えたが、先ほどのような狙撃は不可能だった。


 リアルでイスに座っているわたしは『やれる!』と思考しているのに、『ネネ』は集中力CPを欠いていた。荒い息と頬を伝う汗が気になって、照準のぶれがひどい。


 走って追いかけよう。反撃の危険性を忘れ、木陰から飛び出す。


 結果から言えば、その必要はなかった。

 鹿は急に立ち止まり、力を振り絞って天を仰いだ。かと思うと、糸が切れたようにどたっと倒れるのだった。


 わたしはリボルバーを下ろし、ふらふらと鹿のもとへと向かう。

 見て、触って、確認。獲物は目を見開いたまま絶命していた。


 胸にじんわりと広がる達成感。

 と同時に、ちくりと刺さる恐怖を自覚する。


 量子サーバーに展開された仮想世界。その中で活動している並列AI群。この鹿はプログラムの産物で、虚構の存在だ。


 なのに、死を迎える瞬間の様子が頭から離れない。

 最後まで足掻こうとしていた。光を追い求めようとしていた。


 ちょっと、よく出来過ぎじゃない?


 鹿もそうだし、チュートリアルで現れたギャングたちもそうだ。

 わたしが命を奪った。そんな実感が心に沈み込んでいく。

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