第24話 限界
闘技場から出てすぐにミーナと別れた。対戦相手の女たちとマジで飲みにいくらしい。どういう神経をしているのか。さっきまで、殺しあっていた相手と、酒の席でイチャつくなんて。
いっぽうの俺は雑居ビルの階段を上がっていった。二階の踊り場には、ドラッグをきめたガキが倒れていた。こいつはいつもここで、ジッポライターの火をぼーっと眺めている。いったい、火のなかに何がいるってんだ? 通り過ぎようとする俺の足に、ガキがしがみついてきた。腹を蹴ったくると、ガキの手がはなれた。
「神さま」と、ガキは歯の足りない口をひらいた。
階段をあがっていく途中で、ジッポをひらく音が聞こえたような気がした。
「おかえり。今日も勝ったんだ」
リビングには兄さんがいた。テーブルには、分解途中の銃が置いてある。
「ちょっと待っていろ。すぐに片づけるから」
「あたりまえだろ。兄さんが作ってくれた銃を持っているんだから。負けるはずがないよ」
俺はソファに寝ころんで、サイドテーブルの煙草に手をのばした。
「それにしても金銭感覚が狂うよな。せこせこと銃を直していたのがバカらしいよ」
火をつけようとしたのだが、ライターが見当たらない。しかたなくキッチンに行って、ガスコンロに顔を近づけた。煙草の半分と前髪とが燃え尽きた。
「景気がいいね。今度おごってくれよ」
兄さんがキッチンにやってきた。
「いや、ごめん。深い意味はない」
俺は換気扇のひもを引いた。かたかたと貧弱な音をたてて、黄ばんだファンが回りはじめた。
「そろそろこいつも直してやんなきゃなあ」
「わかっているけど、なかなか手がまわらなくてね。それに俺はこれでいいんだ。俺のつくった銃をフーマが使ってくれるのが、なんか嬉しいんだよ」
兄さんは食器棚から、茶葉のはいった缶をとりだした。
「ミーナとはうまくやっているか?」
「うーん、ぼちぼちだね」
「そうか。よかったよ」
兄さんはマグカップが乗ったトレイをもって、テーブルにもどってきた。
俺は煙草をシンクに捨てて、いつものソファに座った。
「あいかわらず、
湯気のたっていない茶をすする。
「うん。俺の過去は見つからないけど、他の人の人生を見るのは楽しいからね。あ、このことは、じいちゃんには内緒だぜ」
兄さんの言いように、なぜだか腹がたった。俺はマグカップをおいて、「もうすぐ移住権が買えるよ」といった。
「そうしたら、じいちゃんにも会えるぜ。まだ生きているかな?」
「どうだろう? 結構な年だから、ボケて俺たちのこと忘れてるかも」
兄さんがほほ笑んだ。
「ところでフーマ。上にいったら何がしたい?」
「
「聞いたよ。いい話だから、くりかえし聞いておかなくちゃ。俺にも手伝わせてくれよ」
「頼まれなくたって、そうしてもらうつもりだよ。まあ、ミーナには言えないけど」
「どうしてだ?」
兄さんは、怪訝な顔をした。
「あいつもきっと応援してくれるぞ」
「そういう面は見せてないんだ。絶対に笑われるよ」
サイドテーブルにあったチョコをつまんだ。今日だけで一キロ近く食べている。砂糖が歯に染みて痛んだ。来週こそは歯医者に行こう。
「そうかなあ。応援してくれると思うけど」
兄さんはそういって目をつむった。物思いにふけっているのだろうが、俺にはそれが、会話の途中にすべきことだとは思えない。
小さいときから理解できない部分はあったが、大人になるにつれてそれが増えてきた。
「なあ、フーマ」
兄さんが目をあけた。俺と同じ、赤い眼だ。
「このあたりで仕事をしていると、闘技場で死んだやつの
「そいつがどうしたの?」
俺はくわえかけたタバコを箱にもどした。
「ヤバいやつだから気をつけろ。Aランク以上の闘技者が、おおぜい殺されている」
「大丈夫だろ」
俺はふたたび煙草を取りだした。
「だってさ、そいつはそれだけ勝っているなら、
「そうだといいな。ただ、もしもこいつに会ったら、降参することを考えてくれ」
兄さんの提案に、俺は心底呆れた。
「降参? ありえないね。そんなことをすれば、町のやつらから袋だたきにされて殺される。かりに生きのびたとしても、二度と闘技場に参加できない」
「わかっている。それでも俺は、わかっていて言っている」
「そうか。それなら兄さんは、何もわかってねえよ」
俺はそう言い捨てて、部屋を後にした。ひどく苛立っていた。タバコに火をつけようにもライターが見つからない。しかたなく、階段にいるジャンキーに火を借りた。〝自分の神さま〟が汚されたことも知らず、ガキは笑っていた。歯ぬけの口をにっこりとひらいて、「神さま、ありがとう」と、確かにいった。
通りにもどった俺は、ネオンライトを避けるために裏路地を歩いた。光は嫌いだ。
道をふさいでいたポリバケツを蹴っ飛ばす。丸い蓋が外れて、生ゴミが道にぶちまけられた。絞め殺された鶏の首がごろごろと転がった。そういえばここは肉屋の裏手だ。
血のにおいは気にならなかった。この町はふだんから腐臭に満ちているから、その程度のにおいはかき消されてしまう。鶏たちは苦痛にゆがんだ表情のまま、クチバシを大きく開けている。あまりにも生々しい。断末魔が聞こえてきても、まったく不思議ではない。
俺は足を止めて、クチバシの内側をのぞきこんだ。赤黒い舌の先端は二股になって尖っており、ヘビのそれに似ている。喉の奥にできた黒い陰は、どこまでも続いている深い巣穴に見えた。
俺は兄さんとの会話を思い返して、自分のついた嘘を恥じた。実はすでに上方衛星にいくための金は貯まっているのだ。ギャング時代までに稼いだ金を合わせれば、ミーナを交えて上に行くことさえできる。なぜ、つまらない虚言を吐いたのだろう。この舌は、人を騙すためについているのか。
次々に疑念が湧いてくる。どうして俺は、逃げ場のない袋小路に向かいたがるのか。これ以上は命を賭して戦う必要もないのに、なぜ死地に身を置こうとするのか。
俺はその問いに決着をつけないまま、ガールフレンドのアパートに滑りこんだ。ウェイトレスのシャロン、ふとももに蛇のタトゥーを飼っている女だ。一週間のうち五日、俺はシャロンのベッドで過ごしている。ふとももの蛇とも仲良くやれている。兄さんは、俺がミーナのところに泊まっていると勘違いしているが、わざわざ訂正する必要もない。
「なんだ。まだクタばってなかったんだ?」
シャロンは悪態をつくと、俺の耳にキスをくれた。その舌先が、吐息が、耳の穴をくすぐる。彼女を抱き上げて、スチールパイプを組んだベッドまで運んだ。
半刻もすると、俺の下半身は脈打った。シャロンからあふれた体液が、彼女のふとももにいる蛇を溺れさせた。青いセロファンを貼ったダウンライトがまぶしい。指で液体をぬぐってやると、蛇の巣穴がヒクついた。
その日の夜中、俺は飛び起きた。火のついたベッドに寝ている夢を見たせいだ。首から下が燃え尽きても、夢のなかの俺は生きていた。目を覚ましてしばらくたっても、焦げ臭さと熱さとが、居残り続けた。ぐっしょりと濡れたシーツが気色悪い。いったい俺は、どうしちまったんだ?
気持ちを落ち着かせようと、手になじんだハンドガンを握った。だが、銃の記憶は流れこんでこない。脂汗が一気にひいた。なけなしの才能が、とうとう錆びついてしまったのだと悟った。
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