第25話 喪失
他人の記憶をのぞいていると、気分が落ち着く。そのときだけは自分という束縛から逃れて、別の誰かの人生を送れるからだ。俺は
この日の記憶も、やはり銃士のものだった。彼は大工の家に生まれながら、十歳にして家を飛びだした。もともと銃使いとしての才覚を持っていて、近所のチンピラにそれを指摘されたのだ。ひとりで生きていくことへの不安はない。彼は金銭的な成功を求めて、闘技場への道筋を模索する。
彼は小さな町の自警団に入団して、銃を撃ち続けた。自分の暴力性を認めてもらいたくて、できるだけ派手な殺し方を選んだ。相手が重犯罪者の場合には、その体を細かく切り刻んで、町の広場に飾ったりもした。そのやり口に惚れこんだ誰かから、俺の相棒にならないかと誘ってもらうためだ。
同僚には嫌われた。いや、恐れられたというほうが適当だろう。彼は日ごとに荒んでいった。その凶行はとどまることを知らず、しだいに酒に溺れるようにもなった。
殺戮はやがて、自己を慰めるための行為に意味を変えた。当初の目的はすでに存在しない。彼の叫びは誰にも届かなくなった。それにも関わらず彼は、誰かを待ち侘びているようだった。
ある日彼は、無実の人間を手にかけた。妻だった女性だ。わざと殺したのではない。泥酔から覚めたときには、バラバラになった妻が転がっていたのだ。狂い切っていなかったことが、彼にとっての不幸だったのかは分からない。
彼はそれ以来、銃を持たなくなった。忘れ形見の娘を連れて、小さな村へと移り住んだ。酒に溺れる生活、ほとんど死んでいるようなものだった。それから数年の後、彼はあばら屋のなかで、本当に死んだ。
殺ったのは、山高帽をかぶった幼い少年だった。彼は、俺と同じ赤い眼をしていた。
男にとっての待ち人とは、その少年だったのだろうか。生に寄り添う死に救いを求める人間もいるのだと思った。
部屋の掃除をするついでに、換気扇を直した。ゆるんでいたネジを締め直しただけだが、動作は良好だ。
キッチンにはお茶の用意をしてある。片方のカップには、二日酔いにならない香草をいれておいた。帰りが遅い日には、フーマは酒を飲んでくることが多い。体に悪いから量を控えろと言ってあるんだけど、これっぽっちも響いてはいないようだ。
あいつも一人前になったのだから、心配されてもいい迷惑だろう。そのことをわかっていながら、やはり気にして世話を焼いてしまう。たぶん俺はダメな兄貴だ。弟が危険なことをするのを許しているくせに、いらない世話だけは焼きたがる。もしかしたら嫌われているのかもしれない。最近あいつが無口なのも、たぶんそういうことなのだろう。
すべての仕事を終えてしまった。いじくる武器が残っていない。適当な銃を解体して、内部の掃除でもしてようか。かけ時計の針が刻む音がわずらわしい。時間を長く感じる。
外はすっかり夜だった。大気が黒くぬりつぶされる、長い夜だ。
工房の扉がひらかれた。途端に安堵を覚えた。
「おかえり。今日も勝ったんだな」
俺は平静をよそおって顔をあげた。
「あ、いや」
玄関にはミーナがいた。泥だらけの服を着ていた。
「ひさしぶりだね。お茶をいれるから座ってよ」
明るく聞こえるように返したつもりだが、俺の声は震えていたかもしれない。キッチンに向かうとき、フーマが置いていった酒瓶が目についた。俺は見なかったことにして、いつもどおりに茶をくんだ。
ふたつのマグカップをテーブルに並べた。はじめての売上で買ったブリキのカップだ。俺はステンレスがいいって言ったのに、あいつはブリキにこだわった。『じいちゃんのニオイがするから』だってさ。金属のニオイがする人なんているわけがないのにね。
ミーナは何も言わずに突っ立っていた。顔全体が青白い。俺もそこまでマヌケではないから、何が起きたのかはわかっている。そしてミーナのほうでも、俺が気づいていることを察しているのだろう。
「ほら、すわってよ」
俺は先に腰をおろして、お茶に口をつけた。水面に浮いた香草が唇をなぞった。カップが手から滑り落ちそうになった。
「ごめん」
ミーナの体がとすんと落ちた。ソフトキャンディみたいなソファが、空気を吐いて沈んだ。
「ごめん。負けちゃった」
「フーマは死んだのか?」
口をついたのがそれだった。俺は、自分の愚鈍さを恥じた。
「おまえのせいじゃない。フーマはそういう道を選んだんだから」
そういってから思いついた。ここでいう『おまえ』には、俺自身も含まれているのだと。考えたくもない。弟が死んだのに、自己保身しかできないなんて。想像したくもない。フーマが二度と帰ってこないなんて。
「ありがとう」
ミーナはマグカップをつかんだ。「いただきます」と言ったが、口はつけない。彼女の手先は、こきざみに震えていた。
俺は初めて、彼女の手を注視した。どこもかしこも傷だらけで、戦いの軌跡がありありと見えた。分かりきっていたことなのに、どうして今まで気にかけてやれなかったのだろう。俺は自分の薄情さを恨んだ。死んだ誰かの記憶とではなく、今生きている人たちにこそ目を向けるべきだったのだ。
こんなはずじゃなかったのに。住み慣れたゴミ山を出てから、俺は後悔ばかりしている。じいちゃんの顔を思いだそうとしたが、ぼんやりとした輪郭が視界に浮かぶだけで、鼻の形すら思いだせなかった。
ミーナが口をひらく。
「相手はシェリング。たぶん私のアニキだ」
「たぶんって、どういうことだ?」
俺の口は、的外れな質問をしていた。
「私はアニキの顔を覚えていない。でも、あの山高帽には見覚えがある。それに、私だけが殺されなかった。だから……」
「だから、そいつを殺さないでくれって? 関係ないね」
口走ってしまってから後悔した。
ミーナはこくりとうなずいて、「私の目的はこの銃に残る記憶を、兄の体に戻すことだ」といった。
「どうだろうな。人間に
「でも兄は、あの体に別の記憶をもって生きている。兄の体をあのままにしておくのは耐えられない」
「不可能だ」
考えるまでもなく断言した。
「そんな技術は存在しない」
「スクラップマウンテンにいる記憶の商人なら、それができるらしい。だから私はユーマたちの住む街に行って、彼の情報を集めたんだ。老人ってことまではわかったんだけど、結局は見つからなかった」
ミーナは顔をあげて、ジャケットの内ポケットに手をつっこんだ。出てきたのは封筒だった。テーブルのこちら側に滑らせる。
「あんたの物だ」
促されるままに封を切った。
「フーマのか?」
俺がたずねると、ミーナはああといった。
沈黙が煩わしかった。俺は手にした物を封筒にもどして、茶を口にふくんだ。だいぶ冷めていた。ちょうど、フーマが好むぐらいの温度だ。
「フーマから聞いたけど、あんたは記憶がないらしいな」
俺は黙ってうなずいた。
「どうして自分を探さない。まだ、ここに閉じこもりつづけるのか?」
「探しているよ」
俺は返した。
「でも、見つからない」
「いいや。探してすらいない。あんたの能力があれば、今までに自分の過去と出会わなかったはずがない。本当に過去を探しているのなら、その片鱗に気づいてなきゃ、おかしいんだよ」
ミーナはテーブルの上に身を乗りだして、「本当は怖いんだろ? 自分が何者かを知ることが」と言った。
「おまえがそれを言うのか?」
俺の言葉に、ミーナは怪訝な表情をした。
「おまえだって、兄貴を探しているフリをしているだけだろ。俺の技術力を知っているなら、今までにそれを頼んだはずだ。あんたは誰も探していない。闘技場に出ていたのも、無目的な自分から逃げるためじゃないか」
「そうだよ」
ミーナは間髪入れずに応じた。
「でも、これからは違う。私は兄を探す」
力強い口調だった。
「それがどんな結果であれ、向き合うべきなんだよ」
彼女は俺の手を取って、「ユーマはどうする?」ときいた。
他人の体温を感じるのは久しぶりだ。故郷からの旅立ちのさいに見た、フーマのあどけない横顔を思いだした。
「目的がないのなら、私につきあえ」
ミーナがいった。
「兄を取りもどす方法を、一緒に探してくれ」
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