第29話 偽善

 闘技場のある町にもどって、一人で質屋にいった。窓口は鉄製の網で覆われており、小さな窓がついている。卓上ベルを鳴らしてしばらくすると、小窓が内側から開かれた。荒い網目越しに、禿頭の店員がいぶかしげな目をくれる。


「査定してもらいたいものがある」


 私はカウンターに銀色のリングを置いた。


「へい。鑑定しますので、少々お待ちを」


 白い手袋が小窓から出てきて、リングを掴んだ。店員はルーペを使って、細部まで注視する。


 ややあって、リングがこちらに返された。


「間違いなく、A1ランクの参加証です」


 店員ははじいたそろばんをこちらに滑らせた。


「これだけだしますよ」

「現金買い取り《キャッシュ》か?」

「もちろんです。下取りか信用にしますか? 多少は乗せられます」

「いや、現金で頼む。端数を繰り上げてくれれば、この場で売る」

「了解しやした。すぐに用意しますので、そのままお待ちください」


 私はうなずいて、部屋の隅にある椅子に腰かけた。網の奥からダイヤルを回す音が聞こえてきて、金庫を解錠しているのが知れた。


「お客さん、お待たせしました。代金の確認をお願いします」


 一度だけ指で紙幣を数えた。計数器のカウントと相違ない。ジャケットの内ポケットに紙幣をつっこんで、表に出た。


 店内が薄暗かったせいで、建物のガラスに反射した日光がまぶしい。ここら界隈は歓楽街となっているために景観が悪い。決別のもたらす喪失感は、その猥雑な町並みさえも明るく彩ってくれた。光の消えたネオンライトが美しいものだなんて、これまで一度も思ったことはなかった。


 売りに出したのは、兄の形見である参加証だ。彼の幻影と離別した私は、その実像と対峙することになるだろう。あんなに遠かった兄にもうすぐ追いつける。懐の重みに反して、体は軽い。


 その足で、闘技場の事務所にいった。窓口係に金を握らせると、すぐに応接室に通された。応対にきた道化師に事情を伝えると、「興味深い話ではありますね」と返される。


 こちらの出方を探っているようだが、この手の駆け引きは嫌いだ。


 私はそれ以上の説明をせず、テーブルに金を積んだ。道化師はにんまりと笑って、対戦表の調整を約束してくれた。見送りのためにと着いてきたが、応接室を出たところで同伴を断った。変に注目を集める訳にはいかない。ひとりで事務所を出た。


 用意した金が余ってしまったので、懐は重いままだ。ブランド品を売る店が並んでいたけど、はいる気も起きずに通り過ぎた。ショウウィンドウにあるきらびやかなドレスに袖を通してみたいとは思いつつも、店にはいる勇気は起きない。


 代わりと言っちゃあなんだが、行きつけの店でホットドックとジュースとを買った。ホットドックはマスタードが効きすぎていて飲みこむのにも苦労したし、オレンジジュースは水っぽくて全然おいしくなかった。今まで食べ物の味を気にしたことなどなかったのに、おかしな話だ。


 きっと私はビビッている。一週間後にひかえる決戦を、生き残る自信がないのだ。目前に待ち構える死を意識すればこそ、生に付随する諸々を鮮やかに感じられるのだろう。


 散漫とした意識のまま進んでいくと、天井に十字架をたてた孤児院を見つけた。以前、酔っぱらったフーマから、『孤児院をつくりたい』と言われたのを思いだした。


 門の外から庭をのぞく。手づくりらしいチャチな遊具があって、子供たちが遊んでいた。この町には長期滞在したこともあるけど、まじまじと見るのは初めてだ。こちらと目が合うと、子供らは気恥ずかしそうにうつむいた。立ち去ろうかとも思ったが、経験したことがない類のひっかかりを感じて、私は柵まで近づいた。


「大人のひとはいる?」


 子どもたちは、あっちといって、奥にある平屋を指さす。


 私は礼をいって、背の低い門を飛び越えた。


 屋内にはいるとすぐに広間があって、外にいる子たちよりも小さな子供たちが集っていた。部屋中を見渡したが、大人と呼べる人間はいない。エプロンをつけた女の子たちが絵本を読んだりして、幼児らをあやしている。


「どうされましたか?」


 女の子のひとりがいった。最年長であろう彼女でさえ、私よりもだいぶ年下に見える。


「責任者は?」

「今、外しています……どういったご用件でしょう?」


 女の子の顏が曇った。もしかして、私は人相が悪いのかもしれない。せめて小綺麗な格好をしてくるべきだった。ショーウィンドウに飾られたドレスが、まぶたの裏に浮かんだ。


 無言で懐の金を差しだした。何か言い添えたほうが良いのだろうけど、気恥しさがジャマをする。


「ご寄付いただけるのですか?」


 女の子の問いかけに、私は目をそらして頷いた。


「ありがとうございます」


 女の子の声が震えた。


「手続きがありますので、どうぞ掛けてお待ちください」


 待っているあいだじゅう、私は落ち着けずに体を揺すりつづけた。小さな子供に羨望のまなざしを向けられるのも、いいことをするのにも慣れていないためだ。渡された書類を記入をするときも、書いた文字がのたうった。寄付者の欄には、フーマの名前を書いた。それに意味があるとも思えないが、自分の名前を書くよりはマシだと思えた。


 手続きを終えると、こじんまりとした聖堂に通されて、子どもたちの合唱を聞かされた。たいして上手くはないが、いい歌だった。彼らの声には、私が捨て去ってしまった、肯定的な情念がこめられている。そういう子供たちの役に立てるのは、素直に嬉しい。私を救いだしてくれたときの兄も、同じような感想をもったのだろうか。


 フーマの願いを叶えたいと思うのは事実だ。しかし、私がここにきた本当の動機は、兄に追いつきたかったからかもしれない。銃士としての強さとは別に、人間としての大きさでも並びたかったのだろうか。しかしそうなると、利他的にも見える私の行為は、虚栄心を満たすための自慰でしかなくなる。


 どうして、自分のことしか考えていない私が生かされているのか。聖母の像に問いかけた。石の聖母は答えず、薄ら白い微笑を維持するだけだ。


 答えはわかっている。だからこそ私は生き残っているのだと。後ろ髪を引かれはしたが、施設を後にした。犠牲羊スケープゴートになるのは御免だ。私にはまだ、他者を踏みにじるだけの目的がある。

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