第28話 荒野

「いいか。一発で決めろ」


 ユーマはそういって、リボルバーをちらつかせた。


「弾丸を相手の脳で止めれば、記憶がもどるかもしれない」


 私は銃を受け取った。


「遮蔽物を何枚か通して、減速させた弾を相手の脳天にぶちこむ。弾丸が相手を突き抜けちまったら、失敗ってことだよな?」

「そうだ。そして、弾は一発しか出ないってことを忘れるな。俺が敵をひきつけるから、おまえはその機会だけを狙え」


 ユーマは自分の銃に手をかけた。ボスからもらったリボルバー、その銃身には赤いまだら模様が浮きでている。フーマの瞳によく似た、ぎらついたら赤色だ。


「俺がぶっ倒れる前に決めてくれよ。部屋にこもってばかりいたから、あんまり体力もないし」

「任せてよ。じゃあ明日の朝に、この場所で」


 私はホルスターに銃をしまって、工房の扉を開けた。敷居をまたいでから思い直し、ありがとうと振り返らずにいった。


 ユーマが私の銃にどのような改造をほどこしたのか、技術的なことはわからない。『記憶の出力口を弾倉に集中させた』とか、『記憶片セルによる過干渉を逆に利用して、弾丸に……』とかいっていたが、どういう意味だろう。しきりに説明をしてくれたが、頭が痛くなるだけで、てんで理解できなかった。それでも、あいつが道筋を作ってくれたのは確かだ。


 小売店で適当なウイスキーを買って、町の外に出た。


 荒野につくと、手ごろな岩に腰かける。ジャックダニエルのふたを開けて、のどの奥に流しこんだ。みぞおちのあたりが、かっかと燃えた。鼻のほうに抜ける息に、アルコールのニオイが混じっていた。なまぬるい風が、肩にかけたジャケットの隙間から忍びこんだ。慰撫いぶされているような心地だった。大気は、冷たいニオイをしている。


 重要な勝負の前には、こうして人気ひとけのない場所で飲むことにしている。部屋にいても眠れないし、バーに行く気力も湧かないからだ。たぶん、私は戦いに向いていない。人前に出るだけで緊張して手先が震えてしまうほどの小心者なのだ。度の強い酒を好むのも、臆病心をだまくらかすためだった。


 アルコールは胸のなかにあるわだかまりを焼いてくれるが、やはり弊害もある。たとえばこの声、喉がやられて、しゃがれてしまった。私は自分の声が嫌いだ。ビンの口に息を吹きこんだ音に似てざらついた、女らしくない、耳ざわりな声だと思う。そんなだから、初対面の人と話すことに気後れする。


 おつまみもなしに飲んでいると、すぐにジャックダニエルが尽きた。逆さにして振っても、一滴も出てこない。ビンを放り投げるが、割れはしない。ろくに音もたてず、粉っぽい大地をえぐって跳ねた。どうせなら派手に割れてほしかった。砂粒に半分ほど沈んだビンが、無機質な底面に月光を反射している。


 月の反対側には、薄い水色をした惑星――上方衛星ブレーンが浮かんでいる。飽和をむかえた人類が到達した、良き人々の暮らしている星だ。その発見は新しく、曽祖父たちの代だと聞いている。生物の住める惑星を探した開拓時代があり、その成果として見つかったものらしい。


 むこうには、汚染されていない大地があるのだ。誰もが、あちらへの移住を望んだ。でも、みんなで暮らすにはその星は小さすぎて、少数の選ばれた人達だけで開拓を進めることになった。まず、科学者や技術者が移住した。彼らによって安全が確保されると、次に富裕層が移り住んだ。順番を待っているあいだに、ほとんどの人が死んだ。今なお、開拓が進んだという報せはない。


 ややこしいことを考えたせいなのか、喉が渇いてきた。安物でかまわないから酒が飲みたい。視界が捻転し、星空が幾重にもなって見えた。


 飲み過ぎたのだろうか。そんな訳はない。だってまだ一本だもん。もしかしたら、二本飲んだかもしれないけど。まあ、どうだっていいや。


 身も蓋もないことを考えているうちに、少しのあいだ気絶してしまった。


 目を覚まして、すぐに吐いた。いや、吐いたから目が覚めた、というほうが正確だ。口をゆすぐ水がないので、しきりに唾吐した。ずるむけた喉に、砂ぼこりが沁みて痛い。いつまでたっても、口の中が甘酸っぱかった。


「助けてよ、お兄ちゃん」


 無意識にいっていた。そして次には、叫びたくなった。頭痛や吐き気からではない。ひとりで荒野にいるみじめさを、つかのまでも忘れたいと願ったのだ。


「もう疲れちゃったよ」


 本音についで、嗚咽が漏れた。鼻水に混じった吐瀉物の臭気を、甘く優しいものと錯覚した。兄がいなくなってからというもの、私は安らげる時間を過ごせていない。あの日、いつもどおり闘技場に行った兄が行方をくらませて以来、私は何かに怯えている。


「終わりにしよう」


 以前、ユーマに、『あんたは誰も探していない』と指摘されたことがある。認めたくはないが、的を射ている。兄が私を捨てたという事実を帳消しにするためには、彼のほうから迎えにきてもらう他ない。そうでなければ、兄に必要とされているという実感は湧かず、私が思い描いてきた兄妹関係は瓦解してしまう。


「痛みも希望もない悪夢を」


 ハンドリボルバーを引き抜く。グリップが指に吸いついた。撃鉄を上げて、銃口をこめかみに押し当てる。


 引き金をしぼる。かちんと虚しい音がした。やはり弾は出なかった。兄はまだ、私が死ぬのを許してくれない。

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