第27話 偏愛

 カウンターではボスとローリンズとが談笑していた。ボスの後ろ髪を見た瞬間、俺は生唾を飲んだ。彼女は、ミーナやフーマのよりも明度の高い金髪をもっている。俺のイメージにある完全な金色は、まさにそれだった。


「おおユーマ。どこをほっつき歩いてたんだ?」


 ローリンズがいった。あごひげに白髪が目立つようになっていた。


「しかしよく帰ってこれたな。ほんとおめえは図太いぜ」

「すみません。色々あって、もどってくることになりました」


 俺の視線はボスに惹きつけられたままだった。


「ところでローリンズさん。例の詩集は完成しましたか?」

「おお。ひとつ読んでやろう。レモンティーなんて飲むヤツはくたばれ。どうだ、染みるだろ?」


 ローリンズは腹をかかえて笑った。俺には、笑いどころがわからない。


「おお、ボス。ユーマが帰ってきたんだぞ。なにか言ってやれよ」


 ボスは俺のほうに寄ってきた。背すじが伸びた凛とした歩き方は変わっていない。


「おかえり、兄弟」


 彼女はそういって、手にしていたカップの中身を俺にぶちまけた。熱くはなかったが、たじろいだ。顔と服とはコーヒーでべちゃべちゃだ。


「持っていろ」


 ボスに言われるまま、俺はコーヒーカップを受け取った。


 パチンと乾いた音がした。遅れて、ほほに痛みを感じる。


「一滴もこぼすなよ」


 ボスはささやいて、もう一度、俺のほほを張った。


 『こぼすな』とは、カップの底に残ったコーヒーをさしてだろうか。俺が考えているあいだも、ボスは手を止めなかった。ビンタは一撃ごとに重くなっていく。


 手首のつけねにある骨を顎先に食らって、数瞬、意識が飛んだ。ひざが床にあたる感触がした。それでも俺はカップを落とさなかった。ボスはこのカップを気に入っている。割れてしまったら、彼女はひどく悲しむだろう。鉛玉で四肢を撃ち抜かれようと、俺はカップを離したくなかった。


「わかるか、嬢ちゃん。これこそが愛さ」


 ローリンズはそういって、仲裁しようとするミーナをなだめた。


 ミーナはげんなりとした顔で、「バカじゃないの」と返した。


 ボスは何も言わない。わずかに顎をあげて、ひざまずいた俺を見下ろしているだけだ。


 俺は、彼女に出会ったときのことを思いだした。その手に銃がないだけで、今と同じような状況だった。彼女は、俺のことをどう思っているのだろうか。家族ファミリーを捨てて逃げた裏切り者、世間知らずのメカニック、それとも取るに足らない構成員のひとりだろうか。


 ボスの感情がまったく読めない。生きている人間との対話は、なぜもこうまで難しいのだろう。彼女の記憶片セルを取りだして、拳銃に閉じこめてしまいたいとさえ思った。ひとつだけ問題があるとするなら、彼女の美しさに見合う銃器が存在しないということだろう。


 ボスの考えがわからない。いっそ、あの時のように銃口を向けて欲しい。銃を介してしか、俺は他者と関わることができないのだ。もはや、相手を直視することもままならない。顔を伏せて、事態が通り過ぎてくれるのを待とう。困難と向き合ったとき、いつもそうしてきたように。


 ややあって、首に腕を回されるのを感じた。白いカッターシャツが視界をおおう。煙草のにおいに混じって、爽やかな洗剤の香りがする。


「ケガしなかったか?」


 ボスはいつになく優しい口調だった。


 俺を濡らしたコーヒーが、彼女のシャツに染みていった。薄手の生地がボスの腹に貼りついて、呼吸に同調して上下した。


「一滴もこぼすなよ」


 ボスの唇が、俺のものに重なった。舌で唇をこじ開けられて、口の中に唾液を流しこまれる。そのまま床に組み敷かれたが、カップは決して離さなかった。


「な、愛だろ」


 ローリンズが、したり顔をした。


 ミーナは軽蔑の目をむけて、「あんた、バカだろ」といった。


「おまえたちの活躍は聞いている。そいつがもっとも輝ける場所にいれば、それでいい。オレの場合はぼろいギャングが性に合っていた」


 ボスは俺の髪に指をとおした。


「あいかわらず綺麗な髪だな、切り落としたくなる。……ところでフーマはどうした?」

「死にました」


 俺は答えた。耳の後ろがこそばゆい。


「闘技場でのことです。相手の名前はシェリング。山高帽をかぶった男にやられました」

「知らねえな、そんなヤツは」


 ボスが目を細めた。


「山高帽の男っていえば、オレの相棒だったけど、そんなダサい名前じゃない」


 ボスに抱きすくめられた俺は、ミーナに顔だけをむける。


「らしいぞ。シェリングなんてヤツは知らないって」

「ん、誰だ、このかわい子ちゃんは?」


 いぶかるボスに、ミーナは返す。


「ミーナです。フーマと組んで闘技場にでていました」


「そうか。で、そのミーナがオレになんの用だ?」


 ボスとの会話は間合いが独特だ。とまどうミーナに代わり、俺が答える。


「この子は兄貴を探していて、そのシェリングってヤツが候補なんですよ。でもね、小さいころの記憶があやふやで、『山高帽をかぶっていた』ってことしか覚えていない。ボスの相棒だった男が、兄貴ってこともあり得るでしょ? それもあって立ち寄ったんです」

「ありえない。あいつに妹はいなかったし、髪だって黒かった」


 ボスはそういって、俺の襟足をもてあそんだ。


「なあユーマ。襟足だけ切り落としていいか?」

「ダメです。そう言って丸坊主にするでしょ」

「すぐに伸びるんだから、いいじゃねえか。……ところでミーナ。どっちの女だ?」


 あいかわらず、話題の切り替えが急だ。ミーナは反応できない。


「フーマのほうか?」


 ボスはつづける。


「そうか、あいつは猫目が好きだからな。……良かったな、オレの物に手を出してたら死んでたぞ」


 ひとり合点して、さらに話を変える。


「しかしユーマ。闘技場にでているってことは、フーマは上方衛星ブレーンでも目指していたのか?」

「そうですよ。ボスだって昔は目指していたんでしょう?」

「そうだよ。というか、オレは上方衛星への移住権をもっている。たしか十二才のときだ。最年少記録だぜ。どいつもこいつも弱すぎるのがいけねえな。……本当なら、今頃は相棒と上でイチャついているはずだったんだけどよ。直前になって、あの野郎がとち狂いやがった。『上には行くな、あっちには何もない』ってな」

「初耳ですね。その後、相棒とは?」

「『スクラップ・マウンテンに行く』とか言って、姿をくらましちまったな。一緒に上に行くって約束していたから、そうとう揉めたよ」

「それで、この町に住んでいたんですか。なんていうかボスらしいですね」


 ボスは俺の顔をこね回した。


「ここがあのゴミ山にいちばん近いからな。帰ってくるのを待っていたんだ。ただ、どう考えてもあそこに何かがあるとは思えない。あそこには誰も住んでいないし、登山するにも臭すぎる」

「ひどいなあ。俺はあそこに住んでいたんですよ」

「バカ言え。あそこに人なんか住んでねえよ」


 ボスは怪訝な顔をする。


「オレがただ待っていたと思うか? そんなわけはない。何度となく人をやって相棒をさがしたけど、野良犬一匹でてきやしねえ。なんもねえんだよ、あの場所には」


 俺はミーナの様子をうかがった。口惜しそうに表情をゆがめている。


「フーマの仇を討ちにいくのか?」


 ボスの質問に、俺は首肯した。


「そうか。おまえが戦うんなら、オレも見てえな。なんなら一緒に出てもいいけど、そういう訳にもいかないんだろ。ケジメってもんがあるわな」


 ボスはミーナを一瞥してから、腰につけたホルスターごと銃を外した。


「現役のとき、オレが使っていたものだ。持っていけ」

「知っているでしょ? 俺は銃を使えません」

「おもしろいジョークだな。おまえに使えなきゃ、世界中の誰も銃士を名乗れねえよ」


 ボスはくつくつと笑った。口をすぼめる仕草が子どもっぽい。


「ユーマ、忘れるな。銃ってやつは握りしめているだけじゃあ、なんの役にも立たないんだ」


 なかば押し付けられるようなかたちで、俺はそのリボルバーを受け取った。初めて見たときから惚れこんでいた銃だが、今となっては重たいだけだ。


「見ての通り、記憶片セルは抜いてある。フーマの居場所をつくってやれ」


 ボスは、俺の首にかけた腕をほどいた。


「駄目だと思ったら帰ってこい。ガキの二人ぐらい、面倒みてやるよ」


 俺はその言葉を聞いて、ようやくフーマの記憶と対峙することを決めた。たとえばそれが銃器の中でも、帰る場所があることは救済になり得ると思えたからだ。


記憶片セルに封入されたまま、どこにも向かえない魂は不幸だ』と、いつかじいちゃんに教えてもらったことがある。あいつの記憶を掘り起こすのはつらいが、最も避けたい相手と向き合う過程にこそ、人は自分自身を見つけられるのだろう。


 表にでた後で気になった。裏口の扉は、もう直っているのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る