第21話 道化

 格子戸をくぐると、すぐに闘技場があった。舞台は円形をした砂地だった。周囲を高い壁にかこまれており、その外側に階段状になった客席が並んでいる。場内には、ちらほらと空席がある。


 天幕を支える金属の桟から、空中ブランコがぶら下がっていた。そこに座っていた道化師は二人の姿を認めると、立ち上がってアナウンスを始める。


「みなさま、長らくお待たせいたしました。対戦相手の変更があり、調整に時間がかかってしまいました。この場を借りてお詫びいたします」


 道化師は手のひらを上にした片腕を腹につけて頭をさげた後、口調を明るくしてつづける。


「ですが、今回新たに組まれたカードは面白いですよ。ご存知のお客様も多いでしょうが、このミーナ選手、驚くべきことに前回の戦いでチームメイトを殺しかけています」


 道化師は、大げさに首を傾げて、「闘技場始まって以来の珍事件です」とおどけた。


 珍妙な仕草もあいまって観客が笑う。


 道化師は両手を高く上げてこれに応える。


「つまり、この試合は三対一のイレギュラーマッチともいえるんですね。チームメイトであるフーマ選手の動きから目が離せません。誰にとどめを刺されるのかが見物です」


 道化師は自分のこめかみを撃ち抜くマネをした後、さらに口上をつづける。


「それからフーマ選手についてですが、B3ランクにも関わらず、情報がありません。ぱっと見、そこらへんの悪ガキにしか見えませんし、間違えてきたのかもしれませんね。あまり期待はできませんが、一秒でも長く逃げまどって楽しませて欲しいものです。……それでは、賭けを開始してください」


 観客席のあいだを係員が練り歩いた。彼らは首にぶらさげたカゴに紙幣を集め、引き換えにチケットを配っていく。カーボンコピーの複写を集める担当の者が、忙しそうに場内を駆け回っていた。正確な配当計算をこれから行うのだろう。


 大型ボードにある配当表の数字が、そのつど概算にもとづいて入れ替えられていく。フーマたちの倍率は、加速度的に増していった。


「これでは賭けになりませんねえ」


 道化師が頭をかかえた。


「私が戦ったほうが良かったかなあ」


「なんだよあいつ、ムカつくな。撃ち落としてやろうか?」


 フーマがぼやいた。


「悪いな。私なんかと組んだから」


 ミーナはバツが悪そうに呟いた。


 フーマはちらっとミーナの横顔をのぞいてから、舞台の反対側にいる対戦相手の様子をうかがう。身長が二メートルもあろう大男と、小柄な女性とのペアだった。彼らはフーマの視線に気がついたようで、含み笑いをして首を切り落とす仕草をした。


 大男は上半身裸で、膝丈のミリタリーパンツを履いている。砂漠仕様のカモフラージュ柄は、返り血で黒く汚れていた。いっぽうの女は光沢のあるボンテージスーツを着ていた。ハイレグからあぶれた腰の肉に、バラのタトゥーが咲いている。武器はどちらも、ロングバレルのライフルを所持している。


「おいおいサーカスじゃねえんだぞ」


 フーマはひとりごちた。


「俺はあいつらよりも弱そうなのか」

「ファンの多さが出世の条件だ」


 ミーナがいった。


「金に困っていない客も多いから。わかるだろ、そういう連中は総じて悪趣味なの」

「なるほどね」


 フーマは何度かうなずくと、ミーナの正面に移動して、「俺を撃て」といった。


「なにを言ってるんだ?」


 困惑するミーナに、フーマは繰り返す。


「いいから撃て」

「撃つわけがないだろ」

「勝ちたいなら、迷わず撃て」


 フーマは、ミーナに銃を握らせた。


「俺の師匠はこう言った。『チームの力を出し切るには、おたがいへの信頼が不可欠だ』と。おまえは兄さんに殺されかけただろ。でも、俺は兄さんに殺されずに生き残ってきた。俺はしぶといんだ。おまえの銃弾で死なないってことを、今ここで教えてやるよ」

「馬鹿か、おまえ」


 ミーナが声を荒げた。


「無駄なことに頭を使わず、勝負に集中しろ」


 この様子をみとめた道化師が、ここぞとばかりにはやしたてる。


「もめてますねえ。おおいに結構ですよ。若いってのはいいですね」


 中年の客が指笛を鳴らして、卑猥なセリフを発した。周りの客がどっと笑い、会場全体が妙な一体感をもった。


 周囲の状況を知ってか、フーマはさらにつめ寄る。


「俺たちには金が必要だ。ここでは客からの注目が金に変わるんだろ? だったら見せつけてやろうぜ。俺たちのチームの性能を。俺たちに失うものなんてないんだ。何を迷う必要がある?」

「下手な気づかいだな」


 ミーナはくつくつと笑って銃をかまえた。


「今回だけは付き合ってやるよ」

「全弾だぞ。空になるまで出しきれ」


 フーマは、ミーナから三歩の距離まで離れた。


 道化師が騒ぎたてる。


「おおっと、試合前だというのに早くも決着がつきそうです。賭けが済んでないお客様はお急ぎください」


 賭け終えていない観客が、投票券を配る係員にむらがった。勝ち馬に乗らない者はいない。係員が人の山に埋もれた。


 すぐさま六発、銃声が起こった。どよめきが会場をつつんだ。興奮した道化師が意味の通じない言葉を叫んだ。


 フーマは吹き飛ばされるようにして後方に倒れた。体が、ボールのように地面をはずんだ。手甲の鉄板がちぎれ、回転しながら宙を舞う。


 道化師がブランコから飛び降りた。ミーナはリボルバーをホルスターにしまって、悲しげな眼差しを天幕にむけた。


 道化師はフーマの脇にひざまずくと、ピンマイクを手で覆って、「生きてっか?」と声を殺してきいた。


「死んでいるように見えるか?」


 フーマは身を起こして、ボロボロになった手甲を脱いだ。道化師のピンマイクをひったくり、「殺してみろよ、ジジイども」とささやいた。


 闘技場全体が水を打ったように静まり返った。が、すぐに歓声が蘇り、あちこちで観客が立ちあがった。いつのまにか、狂騒の渦が生まれていた。無謀な人間ほど、この舞台では愛されるのだ。


 ボードに並んだ配当が、五分に近づいてゆく。道化師は本業のおふざけも忘れて、移りゆく数字に目を輝かせていた。


「ありがとう、フーマ。今日はもう休んでいいぞ」


 ミーナはホルスターの位置を調整した。


「今なら誰にも負けない。風景が、空を駆け抜ける弾丸すらも止まって見えるんだ」

「まかせたぜ。しくじって指の骨を折っちまった」


 フーマはポケットに手をつっこんだまま、観客席との境界にあたる壁際にあぐらをかいた。


 戦闘開始の銅鑼が鳴らされた。ミーナは臆することなく敵につっこんだ。


 弾幕が彼女を襲った。しかし、ひとつとして命中しない。


 弾数はどんどん増えていった。跳弾が、観客席にも飛んでいった。


 それでもミーナは銃を抜こうとすらしない。ただ踊るような動きで、やってくる銃弾を避けつづけた。前後左右にステップを踏んだ。弾丸にはじかれた足もとの砂が、煙のように舞う。彼女の動きを追って、金髪が柔らかく揺れた。弾は、たなびく髪の一本すらもおびやかさない。


 ホルスターにしまわれたリボルバーが青く輝く。兄の意思に守られているような安心感に、ミーナはまどろんでいた。スポットライトに照らされた手首が、きらきらと輝く。


 じょじょに弾速が遅くなっていった。使い手の精神的な疲弊が、敵の銃の性能を鈍らせていた。


 やがて銃撃がやんだ。リボルバーを抜くまでもない。試合終了の銅鑼が鳴った。

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