第22話 明暗

 控え室をぬけて、白塗りの廊下をつきすすんでいく。床や壁を化粧する赤黒いシミは、だれかの流した血の名残だろう。それらは水銀灯に照らされても色調を変えずにいる。美意識もなにもあったもんじゃない。


「いけるな、フーマ」


 半歩前をゆくミーナが、首だけをぐるりと回す。


「まさか日和ってないよな?」

「いけるさ。俺とおまえで勝てなかった相手が、今までにひとりでもいたか?」

「いないね」


 ミーナははにかんで、水銀灯の並ぶ天井をあおいだ。


 ぼんやりと明暗する電灯に、彼女の顔が照らされた。ふっくらとした頬が白さを増し、小ぶりな鼻に陰ができた。


「でもさ、それはこれまでの話だろ? 今日からはAランク戦。相手も強くなっている」


 ミーナはそういうと立ち止まり、上にむけたままの顔をダラリと横にかしがせた。レザージャケットの肩をすべった金髪が、腰の位置にて毛先をゆらした。はじめて会ったときよりも、ずいぶん髪が伸びている。


 俺は視線を足下に落として、「早く行けよ」といった。


 ミーナが歩みを再開した。エンジニアブーツがカツカツと、がらんとした廊下に進軍の靴音をひびかせた。


 彼女の反応を楽しみたいところだが、現時点でその余裕はない。緊張感を失えば生き残れない。俺たちはギリギリの線を歩いている。今日まで生きのびてきたのも、自分の力を過信しなかったからだ。


 たったひとつの銃弾が心臓にはいっただけで人は死ぬ。この原則を忘れずに、すべての弾丸をかわしてきたからこそ、今もこうして生きていられる。


 闘技場の外周にそって、ゆるやかなカーブをえがく廊下が伸びている。奥にいくほど細まって見え、身動きのとれない場所へ行くのだという実感が高まる。引き返すことはできない。観客への裏切りは、社会的な死を意味する。


 最後の分岐路があらわれた。左側に折れる通路から騒音が聞こえてきた。俺たちの死をのぞむ、傍観者たちの呼び声だ。


 声のするほうの道に、ミーナは体ごと向き直った。その動きを追って、後ろ髪がおどった。厚みのない左耳がのぞいた。コバルトブルーの眼が、瞳孔をひらかせてあった。


「キッキン、キッキン……」


 耳ざわりな雑音にのって、なじみのあるメロディが聞こえてきた。ミーナの口元から漏れてきたものだ。再三にわたって聞いているうちに、俺も旋律を覚えた。曲名は知らない。生きて帰れたら、今日こそは彼女にきいてみようか。


「キッキン、キッキン……」


 ミーナの頬はかすかに紅潮している。吐きだされる息にも、熱がこもっているようだ。


「そろそろだな。ちゃんと銃を持ってきたか?」


 俺の問いに、ミーナが微笑む。


「あたりまえだろ。もちろん遺書も書いてある」


 通路を奥までゆくと鋼鉄製の扉がある。わきに立っている係員が、深々とおじぎをした。蝶番が、断末魔のような悲鳴をあげた。なまあたたかい風が吹きこんだ。まっすぐに切りそろえられたミーナの前髪が、さらさらと平和そうに揺れた。


 すでに鼻歌はやんでいる。彼女の眼はまっすぐに、対角にある扉を見すえていた。


 色とりどりの歓声がわきおこった。ミーナは愛嬌をふりまきながら入場する。


 うるせえな。俺はいつもどおりの感想をいだいた。歓声のことではない。やたらとまぶしい照明が煩わしいのだ。俺のように根暗な人間は、光への耐性が死ぬほど低い。照明を避けるついでに、ちらりと背後を振り返った。先ほどくぐってきた扉は、すでに閉じられていた。


 次にあの扉を通るのは、このままの俺か、それとも死体になった俺なのか。


 実りのない問答だ。感傷なんてクソの役にも立たないのに。


 視線を前方にもどした。不快感がいくらか和らいできた。ミーナは手をふって観衆どもの声援に応じていた。与えられた仕事をこなせと、俺は自分に繰り返し言い聞かせる。


「いけるな、フーマ」


 ミーナが目配せをくれた。ただし、よそゆき用の笑顔はくずしていない。


「あたりまえだろ。俺とおまえでできないことが、これまで何個あった?」

「ひとつもないね」

「そのとおりだ。そしてそれは、これからも変わらない」


 ミーナはそうだねとつぶやいて、ブーツの爪先で地面に円を描きはじめた。足場を確認しているのだろうか。いや、たいした意味はないと思おう。近頃の俺は、らしくない。目の前の勝負に集中できないでいる。


 明るさに目がなじんだ。会場の全景を確認する。


 円形をした砂地の舞台に、いくらかの障害物が置かれていた。ところどころに塹壕が彫られている。午前中に見たときと配置がちがう。事前対策は通用しない。いつものことだ。なるようになるさ。


 横目にて、ミーナの様子をうかがった。彼女は腰にぶらさげたホルスターを、お好みの位置に調整していた。リボルバーの銃身に光が反射した。黄昏どきの水面のように、金色の光が揺らいだ。おもわず見惚れた。相棒は今も銃に愛されている。


 道化師の格好をした司会者が、対戦相手を呼んだ。二人の女が入場してきた。どちらも露出度が高い。観客席がいっそうざわついた。


 対戦相手のひとりが俺のほうに近づいてきた。目尻にある涙ぼくろが印象的な、ひっつめ髪をした女だ。


「あんたがフーマか。なまで見るのは初めてだけど、なんていうか冴えないね」

「そうだよ。がっかりしたか?」


 俺はナメられないように胸をはって返した。相手の武器を観察する。無駄にでかいだけだ。たいした性能は秘めていないだろう。


「いや、そうでもないよ」


 ひっつめ髪がいった。目尻にできたシワに涙ボクロが埋もれた。


「特にその銃はセンスがいいよね。パッと見ただけでも、記憶片セルのつなぎがたが異常だ。いったい、どこのメカニックに頼んでいる?」

「死んだよ。他のやつに知られるとやっかいだから、金を払うついでに殺しておいた」

「はは。うわさどおりのイカレ野郎だ」


 ひっつめ髪は言い足りなそうにこちらを注視していたが、俺のほうで視線をはずした。


 かりにここが飲み屋だったら、俺だって名前ぐらいは聞いていただろう。しかし、これから始まるのは殺しあいだ。自分が銃口をむける相手の素性を知りたがるのは、異常な性癖をもった殺人鬼か、生まれながらの戦闘狂バトルジャンキーだけだ。


 ミーナはもうひとりの対戦相手と握手をしていた。にこやかに挨拶を終えると俺のほうにもどってきて、「あいつ、イイやつだよ。リカっていうんだ。試合が終わったら一杯飲むことになった。だから、殺さないようにしような」と言った。


「そうか。救えねえな」


 俺はパーカーのポケットからチョコをとりだした。


「食うか?」

「いらねえ」


 いつもどおりのイカレタ返答だった。戦闘前に菓子を食わないヤツはだいたい頭がイカれている。糖分を必要としないんだから、知性と無縁に生きているのだろう。


 会場の明かりが消えて、四隅に置かれたスポットライトが点灯した。ミーナはピンとのばした人差し指を唇にあてた。脳内麻薬におねだりして、戦闘用の回路に切り替えているのだ。


「やれー。やらせろー」


 指笛などにまじって、卑猥な叫びがあった。おおかたどっかの議員だろう。あいつらは短絡的な欲望だけで生きている。衆目に恥をさらすことなど、意にも介さない。


「ぶっ殺せ」「ぶっ壊せ」「ぶっ潰せ」


 知性あふれる声援がやってくる。やつらが必死になるのも無理はない。観客席にいるクズどもは、退屈しのぎに大金を賭けているのだ。ちなみにオッズはこちらのほうが低い。あたりまえだ。俺たちのコンビは、一度の敗北も経験していないのだから。


「レディィィィィ……」


 司会者が舌を巻くと、場内が静まった。上半身裸の男がバチをふりかぶる。

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