第15話 来客
表にでると、ちらほらと人の姿があった。エンリケ食堂の入口にある小さな階段には、ランニングシャツを着た女の子が座っていた。脂ぎった髪にハエがとまっている。くたびれた短パンから生え出した足は、肉づきが悪く骨ばっていた。
ユーマはポケットをまさぐって小銭をとりだした。少女の前にある空き缶にそれらを投げ入れようとしたところ、缶の底にある高額な紙幣に気がついた。
ボスの顔が思い浮かんだ。朝めしの礼さえ言ってなかったなと、あっさりとした後悔をもった。
南にむかい、雀荘として使っている長屋の前をとおりすぎる。町の北端にある市場へとゆく人たちは、眠たげに目をこすっている。人波に逆らっていく途中、見知った顔をとらえた。
布売りのサーシャ、町にきた当初、世話になっていた未亡人だ。
ユーマは立ち止まって、彼女を注視した。数か月前に見かけた時よりも、さらに老けこんでいた。
サーシャは足もとに視線を落としながら、市場のほうへとむかっていく。若さをなくして丸まった背中が過ぎ去っていくのを、目をそむけずに見送った。
彼女の背負う木のカゴが、雑踏のなかで小さくなっていった。カゴのいちばん上に乗った青い織り布がよく目立ったが、やがて見えなくなった。
サーシャのうしろすがたを見送ったユーマは、ぽつぽつとした足どりで南にむかう。時たま、挨拶をしてくる町民がいた。もしかしたらギャングの末端構成員かもしれない。気づかないフリをして通過した。
『
金属の煙突がある家屋に辿り着いた。ユーマ達の工房だ。
「おかえり、兄さん」
フーマが出迎える。
「どうだった。ボスは勘づいてた?」
「いいや、何も言ってなかったよ」
ユーマは返した。
「いつもどおりだった」
「だよな。三年間も耐えたんだから、ばれる訳にはいかねえよ。ヘマもぶってないし、俺たちの自由は約束されたようなもんだぜ」
ユーマはテーブルを見やった。食いかけの卵サンドとコーヒーとが置いてあった。砂糖壺は見当たらない。
ジャケットを脱いでソファに倒れこむ。
「留守のあいだ、客はきたか?」
対面のソファにフーマが座る。
「来てないよ。おもての看板は閉店にしてるし、今日が受け渡しの銃もない。いつ逃げだそうか。今日か、明日の深夜か。ボスが帰ってきたら驚くぜ」
「そうだな。ただ……」
ユーマは口をつぐんだ。入り口の扉につるした呼び鈴が、突然鳴ったせいだ。
二人はぎょっとしてふりむいた。
全開になった扉のむこうに、少女が立っていた。
「銃のメンテナンスをしてほしい。ここがいいって聞いて」
見覚えのない顔だった。この街には似つかわしくない、小ぎれいな身なりをしている。
フーマは動こうともしない。
「ダメだ、今日は店じまい。おもてにかかっている看板が見えなかったのか?」
「看板は見たよ。でも急ぎなんだ」
「ダメだ。俺たちには関係ない」
強い拒絶にも関わらず、少女はずかずかと侵入してくる。
「この銃なんだけど」
ホルスターからリボルバーをはずす。
「型が古いからパーツが揃わないらしいんだ。ここなら、なんとかなるかもって聞いて」
少女は後ろ手にドアを閉めた。長い金髪が、風に押されてゆらめいた。
「言っただろ。今日は……」
フーマが言いかけたのを、ユーマがさえぎる。
「見せてみろ」
「うん、頼むよ」
「直すわけじゃない」
ユーマは立ちあがってリボルバーを受け取った。すこしのあいだ外観をながめると、さっさと解体をはじめる。慣れた手つきだった。内部にある
フーマが身をのりだす。
「こりゃあダメだ。接続が完全に切れている。どんな使い方をしたら、こうなるんだよ?」
「普通に使っていたよ」
少女は間髪入れずに返した。
「違法な改造もしていない」
「ウソつけ。
フーマが責めたてる。
「経験を拒絶されることを、
少女は肩をすくめた。身に覚えがあるらしい。
フーマはきつい口調で続ける。
「銃に
「耳が痛いね。でもさ、こっちにも事情がある」
少女は反論する。
「そいつに任せると身がもたないんだよ。私が撃とうとしなくても勝手に敵を殺しちゃうし……好き勝手させると、私の体が動かなくなる」
「
フーマは後頭部にむけて髪をなでつけた。
「危なっかしいな。そういう手にあまる代物は交換しちまいな。銃に体を乗っとられるぞ」
「イヤだよ。その
「すぐに交換しろ、死にたくないならな」
フーマは釘をさす。
「今だって弾が出ないことがあるんじゃないか? 撃ちたいときに撃てない銃にどんな価値がある? 実力がついてから、あらためてこいつを使えばいい。数年も我慢すれば、そういう機会もやってくるんだぜ」
少女は何も言わずにフーマをにらんだ。
「なんだよ? 思い入れだけで生き残れねえって教えてやってるんだぞ。なあ、兄さんもそう思うだろ……って、兄さん、なにやってるんだよ?」
「なにって、直すんだよ」
ユーマは当然のように言った。いつのまにかパーツがテーブルに整列している。フーマが目をはなしている隙に、銃の解体を進めていた。
「いい銃だな。俺が見てきたなかで、二番目にきれいな銃だ」
「おい、兄さん」
フーマは机をたたいた。
「修理なんかしてる場合じゃないだろ」
ユーマは手を止めようとしない。からっぽのコンテナにパーツを集め、作業台に運んだ。それから方眼のマス目にしたがい、百四十四の部品を整列させた。
「ダメだ、いれこんじまってる」
フーマはおおげさに肩を落とした。
「ありがとう。大切な銃なんだ」
少女は破顔した。
「手入れは入念にしているみたいだな。掃除の必要はない」
ユーマはひとりごとのようにつぶやいて、
「かなり入り組んだ記憶だな。フーマ、俺が読むから繋いでくれ。こいつは面白い仕事になるぞ」
指先と
「マジで。兄さんがそういうのも珍しいね」
フーマは興味津々といった様子で駆け寄り、机にならんだパーツをながめた。
「どうしてもっていうなら、手伝わないこともないけど」
思いだしたように少女のほうを指さす。
「すぐに直してやるから、そこの椅子に座ってろ。いいな、絶対ジャマするなよ」
「わかった。助かるよ」
少女は入り口近くにある木椅子に腰掛けた。
「はじめるぞ」
ユーマは
フーマは、少女の脇にあるキャビネットから必要な工具をかき集める。
「だいぶ錆びついてるな。記憶の欠損がおこっている」
フーマは少女のほうを振り向いて声をかける。
「安心しろ。俺と兄さんが組めば、修復できない記憶はない」
「ありがとう」
少女がはにかんだ。
「それがなきゃ仕事にならないんだ」
「オッケー、兄さん」
フーマが言った。
「こっちは準備万端だ。チャッチャとつないで、茶でも飲もうぜ」
「よし、始めるぞ」
ユーマが目を閉じた。
「山高帽の男」
最初の単語が読まれた。
フーマはそれを迅速につかんだ。
「くりかえされる呪詛……」
つづいて別の部分から線がのびた。先ほどの物よりも小さいピンセットで捕獲する。
「まだあるぞ」
「マジかよ」
フーマは線をつかんでいるピンセットを片手に集めた。
「余裕だけどね」
「ぬけがらの男、対峙する死体……」
線がつぎつぎに生えていった。フーマは的確に捕らえていく。
「その四本が始点。『男』と『呪詛』が十八番で落ちあう。『男』は六番に終着。『呪詛』はそこから四番までおりていき、『ぬけがら』と『死体』にからむ。『死体』は十八番をめざす。『ぬけがら』と『呪詛』は、まだキープしろ」
ユーマの指示にしたがって、ピンセットがめまぐるしく動いた。細い線がからみあい、
ユーマが薄目をあける。
「次はさっきよりも多い。俺のぶんの工具も用意してくれ」
「こりゃあ手が足りねえわ」
フーマの声がはずむ。
「おい、お客さま。手伝え。キッチンからタオルを持ってきて、それから棚にある黄色い箱もだ」
少女はびくりとするも、言われたとおりに動いた。指示された物を持って、フーマの隣に立つ。
「さっきは、じっとしていろって言ったのに」
「さっきはさっきだろ。思った以上に重症ってことだ。誰のせいだと思ってんだ」
フーマは目の動きで、工具箱を置く場所をしめした。
「記憶が死にかけているせいで余分な作業までしなきゃいけねえ。
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