第14話 天秤

 麻雀卓を囲んで四人のギャングがいた。室内はタバコの煙でスモッグがかかっている。牌のぶつかりあう軽い音が響いた。天井にすえつけられた白いファンが回転し、明暗を移ろわす半透明の円をつくっていた。


「それだ。兄弟」


 ボスはユーマの捨てたはいを顎でしめした。


「わりいな、今日もオレの勝ちだ」

「またイーピンかよ。いつもそれで待つよな。いい加減、だれも振ってくれなくなるぜ」


 フーマはボヤいて、手牌の隅にあったイーピンを指先で倒した。


「問題ないね」


 ボスはほくそ笑んだ。


「ユーマはオレの好みを知っているからな」

「正確にはボス好みの部下でいる方法さ。まったくよお、いい迷惑だぜ」

「やけにからむな。フーマ、さてはおまえでかい手を張っていたな」


 ボスは茶化すと、フーマの手牌をのぞきこんだ。


「国士無双、五シャンテン。こりゃあ、なんもしてねえのと同じだな」


 笑った拍子にくわえ煙草が落ちた。


 フーマは機敏な動きでこれをつかんだ。


「わかってねえな、ボス。必要な準備をして待つってことが、ツキを呼び込む唯一の賢いやり方なんだぜ。それよりも」


 煙草をふかしながら続ける。


「明日から出はらうんだよな。留守のあいだに問題がおきたら、どうすればいい?」

「カトーにって言ったろ」


 ボスは新しい煙草に火をつけた。


「おまえの言いたいことはわからんでもないが、あいつは最年長だ。顔を立ててやってくれ」

「すみません。そんなつもりで言ったんじゃないです」


 フーマは小さく頭をさげた。


「気にすんな。おまえの素直なところを、オレは気にいってるんだぜ。しかしなあ、おまえら兄弟がいれば、たいていのモメごとは問題にすらならねえだろ。オレがじきじきに仕込んだんだ。せいぜい言えるのは、殺さないように気をつけて殴れ、てことだ」

「オウケイ、ボス」


 フーマは笑みを作る。


「俺のなかの、とびっきり繊細な部分を見せとくよ」

「わかってんじゃねえか。じゃあそろそろ行くわ。清算は帰ってからな」


 ボスは席をたち、ユーマに目配せをした。部屋を後にする。


 ユーマは手配を伏せてから、閉じかかった扉をくぐった。


 屋外に出たユーマは胸で息を吸った。昇りはじめたばかりの太陽が、人通りの少ない道に長屋の影をつくっている。


「あいかわらず苦手なんだな。煙草」


 ボスは相手を見ずにいった。


「うーん」


 ユーマは、どうとでもとれる相槌をうった。眠たげな目は焦点が合っていない。


 二人は長屋の列にそって進んだ。しばらく歩くと、営業中の看板が出ている店に到着した。エンリケ食堂――引退したギャングが切り盛りしている店だ。


 ドアをひらくと上部についた風鈴が、きらきらと鳴った。カウンターにつっぷしていた店主――ローリンズが顔をあげる。


「いらっしゃいませ、お客様がた。何にするかね?」

「いちいち聞くなよ」


 ボスはカウンターに掛ける。


「どうせコーヒーとハムサンドしかねえんだろ」

「わかってねえな。それを客の口から聞くから意味があるんだろ。卵サンドとレモンティーなんて言われた日にゃあ、俺はそいつを殴っちまうぜ。こっちにだって客をえらぶ権利はあるんだからな」


 ローリンズは独自の御託をならべると、くわえ煙草のまま厨房へと引っこんでいった。


 ボスはフィルターだけになった煙草を灰皿に捨てると、すぐさま新しい煙草を取りだす。


「ところで兄弟。いくつになった?」

「さあ。俺は自分の年齢を知りません」

「そうだったな。たぶん、オレと同じくらいだよな。フーマは十五才ってとこか」

「そんなもんですね」


 ユーマはうなずいた。


「ここにきてから三年たつから、たぶんそんなもんです。俺は十八才ぐらいなのかな。わからないけど、たぶんそんなもんです」

「そうか」


 ボスは煙草を灰皿に置いて、スーツの内ポケットをまさぐった。


「やるよ」


 手には札束がにぎられていた。


「間に合っています」


 ユーマは手のひらを見せて断った。


 ボスは不服そうに首をかしげ、カウンターに置いてあった天秤てんびんをたぐりよせる。真鍮製の皿は磨きこまれており、部屋の照明をよく集めていた。


「知っているか、ユーマ。神のつかさどる天秤はどちらにも傾かない。絶対者のまえでは、すべてのものは平等だからだ」


 ボスははかりの片方に札束をのせる。当然のように天秤がかたむいた。


「いっぽう人間のつくりだした天秤は、ふたつの事物の重きを教えてくれる。どちらの天秤がいいって? そりゃあ後者に決まっている。天秤ってのは、平等を担保するための理念じゃねえんだから」

「どうしてそんな話を?」

「そうだな」


 ボスは厨房の様子をうかがってから続ける。


「おまえは欲望がなさすぎる。そういうヤツはいざってときに死を選んじまうだろ。執着は人を苦しめるが、ここぞってときには必要な代物だ。つまりさ……」

「心配してくれるんですか?」


 ユーマが口をはさんだ。


「まあ、そうだな」


 ボスはユーマの背中をはたいた。そうとうな力をこめたのだろう。ユーマの顔がひきつった。


「わりいな。加減が苦手なんだ」


 ユーマの背中をさすりながら続ける。


「おまえ言ってたよな。生まれてからしばらくの記憶がないって」

「はい。気づいたときにはゴミ山にいました」

「だよな。そのときに、目が覚めたとき、どんな気分だった?」

「茶の香りがして、湯気があって、すごくいい気分でした。あるべきはずの記憶がないことは怖かったけど、すがすがしいなって」

「そうか。今は、この町での暮らしはどうだ?」

「楽しいですよ。毎日銃をいじっていられるし、家族もたくさんできた。フーマだって喜んでます。ボスに戦い方を教えてもらって。あいつはそういうことが好きだから」


 ボスはまどっろこしそうに肩をゆらした。なにかを言いかけたのだが、厨房との境にある暖簾が動いたのを認めて口をつぐむ。


 ローリンズが厨房からでてきた。両手に白いプレートを乗せている。


「はいよ。ハムサンドとコーヒー」

「いつもありがとうございます」


 ユーマが目礼をした。


「いただきます」

「そんなありがたいもんじゃねえよ」


 ローリンズは耳にひっかけておいた巻きタバコに手をのばした。照れ笑いを浮かべながら念を押す。


「残したら殴るぞ」


 サンドイッチを食べ終えるころに、数人のギャングが店にはいってきた。ボスはカウンターに紙幣を置いて席をたった。敵対組織との抗争のため、これから遠征にむかうのだ。


 ギャングの戦闘員たちがいなくなると、ローリンズがカウンターからでてきた。スコッチの瓶を手にしている。先ほどまでボスが座っていた場所に陣取り、嘆息する。


「やってらんねえよなあ」

「なにがですか?」


 ユーマは目を合わさずにいった。


「とぼけんなよ」


 ローリンズはスコッチを流しこんだ。


「おまえら、何かたくらんでるだろ」

「どういう意味ですか?」

「おまえは顔に出にくいけどさ、フーマの野郎はすぐにわかる。あいつが悪だくみしてるときは、コーヒーに砂糖をいれないんだ。あの甘党がだぜ」

「ふーん、知らなかったなあ」

 ユーマはとぼけた表情をする。

「あれかな? 明日は俺の誕生日だから、サプライズパーティーでもひらいてくれるのかな?」

「おもしれえなあ。おまえもジョークをいうんだな」


 ローリンズは腹をかかえるマネをした。スコッチを一口ふくんで続ける。


「で、いつ町を出るんだ? ボスが留守のあいだなら、三日以内ってところだよな」

「ありえないね」


 ユーマは残っていたコーヒーを一口で飲みほした。出口へむかっていく途中、ローリンズを振り向いてつぶやく。


「裏切りはご法度はっとだ」

「かてえこと言うなよ」


 ローリンズは軽薄な笑みをうかべる。


「ちゃんと挨拶してから出ていけよな。ボスだって、それを期待して朝メシに誘ったんだぜ」

「あんたはいい人だけど、おせっかいだ」


 ユーマは背をむけたまま手を振った。

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