第11話 監禁
いつもの夢を見た。暗い檻に閉じこめられている夢だ。
その檻は固く閉ざされていて、外界への通路をもたない。
あたりを覆っている闇はうごめいて、俺を内側から食い殺そうとしてくる。
胎児のように丸まった俺を、頑丈なベルトが緊縛している。
もうあきらめちゃえよと、誰かがささやく。
寝たら死ぬと、ちがう誰かがつぶやく。
「どうせなら、叫びつかれて死のうぜ」と、この俺がいう。
したがうべき声は、俺のもの以外にありえない。
だから俺は叫んだ。
この声が世界を呪い、俺を捨てた世界を滅ぼしてくれることを願って。
俺は憎しみを歌った。なけなしの命と、ありったけの勇気をこめて。
意識が薄れていく。視界に、光の帯が広がる。
白く透き通った手が伸びてくる。神さまが迎えにきてくれたんだ。
俺は、あらがうのをやめた。
目を覚ますと、夢に似た薄暗い空間のなかにいた。廃屋のようだ。手足は椅子にきつく縛りつけられている。
壁ぎわには、黒シャツの女がすわっていた。
「おはよう。いい朝だな」
一気に記憶がよみがえる。大半は、怒りをともなう出来事だ。女につかみかかろうとしたが、手足の拘束がジャマをする。内腿に強い痛みを感じた。銃弾がかすめたところだ。傷口は白い軟膏でおおわれており、すでに血は止まっている。
「おい、ボスがあいさつしてるんだ。なんとか言えよ」
後ろから椅子を蹴られた。聞き覚えのある声だった。たしか、カトーという男。小物に用はない。ほうっておいて兄さんをさがす。
「おまえ、聞いてんのか?」
もう一度、椅子を蹴られた。先ほどよりも強いが、相手にするだけ無駄だ。よかった、兄さんはここにいない。
腕時計を見る。昼過ぎだった。店での一件から、あまり時間はたっていない。
「落ちつけ、カトー」
黒シャツがこちらにやってくる。
「おまえ、名前は?」
「フーマ。あんたは?」
「ボスと呼ばれている。それ以外の名前は使っていない」
「そうかい、ボス。まずは、この縄をほどいて欲しいところだけど、無理なんだろ?」
「わかっているじゃないか。他には?」
「兄さんを見逃してくれて、ありがとう」
「そんなことか。他には?」
「それだけ」
「『それだけ』、ねえ」
ボスは顔をふせて、山高帽を深くかぶり直した。
カトーががなりたてる。
「おまえなあ、ヒロサキさんのことはどうでもいいのか!?」
「カトー、ちょっと黙っていろ」
ボスがドスをきかせた。
「それにしてもフーマ、いやに冷静だな。わかっているのか、この状況を?」
言われて気がついた。俺は、この窮地を切りぬけられると確信している。
「兄貴がどうにかしてくれると思ってんのか……」
ボスが俺の耳元でささやいた。図星だった。
「……まだ来てねえけどな」
同情に満ちた目をくれる。
「くるよ」
「根拠は?」
ボスは両手を広げてみせる。
「それなら賭けようか? オレは、おまえの兄貴が来ないほうに賭ける」
「そんな必要はない。だって、兄さんはくるんだからね」
「じゃあ賭けようか」
ボスがくくっと鼻を笑わす。
「オレは大穴が好きなんだ」
「上等だよ、クソアマが」
中指をたてようとした。だが、縛られているせいで上手くいかない。
「ルールは?」
「五分ごとに指を折っていく。
「ボス、何を言ってるんですか」
カトーが慌てふためく。
「こいつはヒロサキさんを殺したんですぜ」
「いいじゃねえか。ヒロサキだって、腹は決めてたんだ」
カトーは不服そうに唇を結んだ。
ボスは淡々とつづける。
「それにだ。こういうヤツと組んでたら、ヒロサキは死ななかったかもしれない。ガキから逃げるギャングってのもどうかと思うぜ?」
「すいやせん」
カトーがいすくんだ。
「俺は……」
「もういいよ。終わったことだ。それにおまえには、おまえだけの美点がある」
言葉を濁すカトーに、ボスは笑顔をむけた。
「ただなカトウ。おまえは忘れっぽいのが欠点ではあるな」
そう付け足して、カトーに目配せをする。
「承知しました」
カトーは首にかけていた懐中時計をボスに投げてよこした。その表情に、さきほどまでの弱弱しさはない。
「俺は、俺の仕事をします」
それを最後に会話が途絶えた。秒針のすすむ音と、タバコの煙とが広がった。
ボスの手には、使い古したペンチがある。金属の歯が、俺の指を上下からはさんだ。
「五分」
ボスはそういって力をこめた。骨の折れる音がした。大きな痛みはない。慈悲を与えたつもりだろうか。かりにそうだったら、許すわけにはいかない。
「五分」
俺の薬指が、あらぬ方向に曲がった。感じるな。観察しろ。俺は痛みに対処する方法を知っていた。
「五分」
中指が、関節と逆方向に屈曲した。小指が赤く腫れあがっている。もうしばらくしたら、青黒く変色するはずだ。
「五分」
骨をつたう振動だけを感じた。苦痛はない。兄さんに拾われる前、俺はクソみたい環境で育てられていた。毎日背中を鞭で打たれて、ときにはこうやって骨を折られた。だからこそ、今おかれている状況になんら問題はない。
「五分」
しかし、俺が以前いた環境だって、まだマシなほうだ。他の多くのガキは飯にありつくこともできずにのたれ死んでいく。大人になることが奇跡的なこの星で生きているのだから、俺はものすごい幸運の持ち主だ。
信じろ。それだけが、この場を切り抜ける力になりえる。
「五分」
反対の手にペンチがのびた。俺は、他事を考えるようにつとめる。動物用のケージにいれられてゴミ山に捨てられたことを思いだそう。俺の人生における最大の幸運、じいちゃんと兄ちゃんと過ごせることになった、幸福への引き金だ。
「五分」
もしかしたら、今ある不遇も、新たな幸せへのきっかけかもしれない。カトーが背負っているあの扉をあけて、兄さんが飛び込んでくるのが合図だ。兄さんに気をとられている隙に、俺は目の前の女を噛み殺す。この群れの統率は弱い。頭をとれば、手足は崩壊する。あごは動くんだ。こいつの喉笛を食いちぎってやる。
「五分」
問題は、俺がいる場所を兄さんにどうやって報せるかだ。すぐに追いかけてこないのだから、兄さんは動けない状態にあると考えるべきだ。怪我をしてないといいけど。いや、兄さんは頭がいいから、そんなヘマはぶたない。
「五分」
それならどうしてこないんだ? 兄さんが俺を見捨てるわけがないのに。野犬の群れにかこまれたときも、兄さんは身をていして俺を守ってくれた。だから、今回も助けにこないはずがない。そうか。こいつらを全滅させられるだけの武器を集めているんだ。それなら俺は、ここで時間を稼ぐべきだ。
「五分」
ボスがペンチを放り捨てた。
「やっぱこなかったな。もう折る指がない。帰ってもいいぞ」
ぬけぬけと言いやがる。クールなつもりか? この縄を解いた途端、俺にぶっ殺されることをわかっていない。でも、それはあとだ。今は他にやることがある。
「待てよ。まだ残ってるだろ。足の指でも、腕でも好きなとこを折れよ」
「逃げていいって言っているだろ」
ボスは鼻をならした。
「どうしてそんなにこだわる?」
「兄さんのことを信じているからだ。それ以外の理由がほしいってんなら、てめえはバカだぜ」
「腹のすわったガキだな」
ボスの眼に冷徹さがやどる。
「カトー、おまえは部屋から出ていろ。やることはわかっているな?」
「了解です。今度はしくじりません」
扉のむこうにカトーが消えた。
「なあ、おまえの兄貴、なんて名前だ?」
ボスは問うて、フィルターだけになった煙草を踏みつぶした。
「それとも、あっちのほうが年下か?」
「兄貴だ。ユーマ」
「ユーマか、いい男だな」
ボスは、つづけざまに新しい煙草をくゆらす。
「この町にくるまでは、どこに住んでいた?」
「スクラップマウンテン」
「はあ? 冗談ぬかすな。あそこに、生き物は住んでねえよ」
「でも、俺たちは住んでいた。それとも俺が死んでいるように見えるか?」
「おまえ、おもしろいな。特にそのつまんねえジョーク、笑っちまう」
ボスの顔がほころんだ。が、すぐに真剣な顏つきにもどる。
「まさかマジで言ってんのか? その、スクラップマウンテンのことだ」
「ウソなんてつくかよ。てめえみたいな小悪党に」
ボスは考えるような素振りを見せる。
「あそこに行ったオレの部下が、何人か帰ってきてないんだが、なにか知っているか?」
「知らねえ。あそこで兄貴以外の人間に会ったことはない」
身に覚えがあった。だが、正直に答える義理はない。
「犬に食われて死んだか、深いところまで行って帰れなくなったんじゃねえの?」
「そうか、ありがとう。少し休んだら再開しよう。次は足の指だ」
ボスはそう言って、適当な椅子に腰をおろした。山高帽のひさしからのぞく細面の顔は若い。たぶん兄さんと同じくらいの年齢だ。片手にくゆらせた煙草が、口にはこばれることもなく燃え尽きていく。
賭けが再開されたときには、ゆうに三十分がたっていた。両足の指をさしだせば、さらに一時間は稼げる。事前の想定よりも状況はいい。問題は兄さんがなかなか現れないことだ。
ボスは事務的に俺の指を砕いていく。交渉の余地はなさそうだ。
途中でメシにするといって、ボスは酒とパンを分け与えてくれた。いらないと断ったのだが、無理やり口につめこまれた。食欲はなかったが、腹は減っていたのだろう。ワインで飲みこむようにして、パンを平らげた。その様子を見ていたボスは、自分の食いかけのパンも俺によこした。しみったれたことに酒のほうはくれなかった。
最後の指が折れた。
ボスが口をひらく。
「なあ、どうするんだ。オレはもう飽きたぜ。次は首の骨でも折るか?」
「好きにしろよ。ただ、それをやったら俺の勝ちだぜ。俺は音をあげていないんだから。てめえは一生、俺に勝てないんだ。ざまあみろ……」
ボスは何も返してこない。
どんなツラをしてるのか、最後に拝んでやりたかった。だが、視界が効かなかった。意識を保つために、自分の指をかじったのが失敗だった。血を失いすぎたのだ。物の輪郭が見えない。食ったものを吐かないのが不思議だった。おそらく、体がまだ生きようとしているのだろう。でも、俺のほうは死にたい。なぜって、すげえ眠いからだ。
「まったく、アホなガキだな。それもド級のアホ」
ボスは気がふれたように笑いはじめた。
悪態をつこうとしたが、扉がいきおいよく開かれて、機を逃した。
「ボスー。つれてきましたよ」
カトーが帰ってきた。息を切らせている。
「むかえにいってやったのに、この野郎、銃をむけてきやがった。兄弟そろって、ふてえ野郎ですわ」
カトーは、どこかうれしそうだった。
「そうか。苦労かけたな」
ボスがねぎらえば、カトーはへへっと照れ笑いをする。
まぶたが勝手に落ちていって、俺は声をあげることもできなかった。姿を見ていないが、兄さんがいることは明らかだ。
ひどく眠い。ひさしぶりにゆっくりと、一年ぐらいは眠れそうだ。
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