第10話 撃鉄

「一緒に逃げてください」


 目を覚ましたサーシャに、ユーマはそう切り出した。


 サーシャは虚ろな目であたりを見まわす。ヒロサキの遺体をとらえ、目を白黒させた。状況を理解できていない。


「僕らが逃げたら、あなたに迷惑がかかるかもしれない」


 ユーマは強い調子で言う。


「だから、一緒に逃げてください」

「逃げるってどこに?」

「わからないけど、急がないと」


 ユーマは苛立ちを抑えて言う。


「お金だけ持って逃げましょう。家具なんかは、よそで買えばいい」

「イヤよ」


 サーシャが金切声をあげた。


「ここは私の家なのよ。私はどこにも行かない」

「そうですか。じゃあ、その家に帰ってください」


 ユーマはぶっきらぼうに言った。


 その態度が気にくわなかったのか、サーシャはヒステリックに怒鳴る。


「私に命令しないで。私は帰りたいときに、帰りたい場所に帰るのよ! 誰に私のことを決める権利があるの? ギャング、あんた? いいえ、神さまにだってないわ」

「じゃあ帰らなくていいです。そのかわり、何があっても知りません」


 ユーマは言い捨てると、ヒロサキの死体に近づき所持品を漁り始めた。身分や所属を表すものが見つかれば、いくらかでも有利に動けるだろう。


 サーシャは罵詈荘厳を吐きながら店を後にした。


「兄さん、ごめん。なんとかするよ」


 フーマが奥から現れた。顔を洗っていたのだろう。顎先から水滴が垂れている。


「俺がいけば、それで話がつく。やったのは俺なんだし、あの小男だって見ていたんだ」

「そういう問題じゃない」


 ユーマがぴしゃりと言った。


 二人は無言で睨みあう。セミの声がジージーとうるさい。


「ああ、そうだ。いっそ皆殺しにしちまうか?」


 ユーマのつぶやきに、フーマは暴力的な笑みを浮かべる。


「そうだね。慣れたやり方でやるのが近道だって、じいちゃんも言ってたし」

「街のやり方に合わせてやったのにな。どうして大人ってのは、相手を見て調子に乗るんだろうな。……まずは頭を潰そう。それでも向かってくるようなら」

「手足まで細切れ。動けなくしてやろう」


 

 まもなくしてギャングが徒党を組んでやってきた。暖簾をくぐってきたのは五人。服装はまばらだが、全員が武装している。また、戸外にはその倍以上の数がいて、店を包囲している。


「おい、カトー」


 先頭の黒シャツが、ユーマを顎でしめした。


「本当にコイツらがやったのか?」

「はい。まちがいありやせん。金髪のほうのガキが、アニキをやっちまいやがって」


 カトーの腰には、長いナイフがぶらさがっている。


「そうか」


 黒シャツは、カトーの肩に手を置く。


「それでおまえは、おめおめと逃げてきたのか?」

「え……。いや、その」


 カトーは、しどろもどろになる。


「一刻も早くボスに知らせるべきだと考えまして……」

「そのあいだにヒロサキが死んでもか」


 黒シャツがとがめる。


「ありえねえだろ。相手はガキだぜ。おまえが銃を使えない人種だってのは知ってるが、それでもやれることがあったんじゃねえのか?」


 カトーは助けを求めるように視線を泳がせた。だが、他のギャングは反応しない。


「なれあうのは帰ってからにしろよ」


 フーマのげんに皆の注目が集まる。幾人かは殺意を向けてきた。カトーは人知れず、胸をなでおろす。


「俺がひとりでやった。よければ、やりかたを教えてやろうか」


 後ろ手に組んで堂々としている。


「ひとりでか? そいつはスゲエな」


 黒シャツは口元だけで笑みをつくる。


「おまえがすげえのはわかったから、その手にある銃をしまいな。そいつはガキのオモチャじゃねえ」


 相手がそれを言い終える前に、フーマは動いていた。背後に隠していた拳銃は二丁、それぞれの銃口が黒シャツのほうにむく。


 火薬の爆ぜる音が、一発だけ響いた。


 フーマが膝をついた。


「おまえもだ、ボウズ」


 そういった黒シャツの手には、硝煙をあげるリボルバーがあった。それ以外のギャングは、ユーマに銃口を向けている。鮮やかな手並みだった。


 ユーマは全員の配置を確認してから、ゆっくりと膝をついた。反撃するのは今じゃない。銃を床に置き、両手をあげる。


「さて、どうしようかな」


 黒シャツはユーマに近づく。山高帽のひさしをあげて、睨みを効かす。


「あえて聞くが、どうしてほしい?」

「キレイな銃だな」


 ユーマは明後日の回答をした。


「ありがとよ」


 黒シャツは誰にも聞こえないようにささやくと、ユーマのあごを蹴りあげた。一撃で意識が飛んだ。予備動作のない、軽やかな動きだった。


「行くぞ。金髪のほうだけ連れてこい」


 長い後ろ髪が、暖簾のむこうに消えた。


 ギャングたちが去ってほどなくすると、サーシャがもどってきた。彼女は、侮蔑と同情との混じった表情でユーマを見下ろした後、近くにあった拳銃をひろいあげた。銃口をユーマにむけて、引き金に指をかける。


 カチンと撃鉄が落ちた。弾は出なかった。

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