第9話 凶行

 その晩も遅くまで、二人は武器の修繕をした。彼らの店は相場よりも安いので、仕事は溜まっていくばかりだった。最後の仕事が終わったときには、下りていく月が山陰にせまっていた。


 帳簿をつけていたユーマが、あっと声をあげた。室内灯がとつぜん消えたのだ。


「球が切れたのかな。このあいだ変えたばっかりなのに」


 暗がりを手さぐりで行って、ランタンに火を灯す。電球をはずしてみたが濁っておらず、フィラメントも切れていなかった。主電源を確認したが、そちらにも異常は見られない。


 小屋の裏手にまわってみた。送電線を辿ってみると途中でぶつりと切れていた。人の気配はない。


「自然に切れるのかな?」

「さあ。近所のガキのイタズラじゃねえの」


 二人は連日連夜の仕事で疲れきっていた。たいして気にもせず、つぎはぎだらけの布団にもぐりこんだ。


 朝になると、サーシャが手荷物を片手に店にやってきた。朝食を共にするのは日課になっている。


「そういえばさ、電線が切れていたんだよ」


 フーマが何気なしにこぼした。


 サーシャは、持ちあげたパンを皿にもどして憤慨する。


「あんたたちがうまくやってるからって、同業者のだれかがやったんだよ。気をつけなよ。この町には、他人の成功を喜べるヤツなんていないんだ」

「用心棒を雇ったほうがいいのかな?」


 そっけなくいったユーマの肩を、フーマがこづく。


「そうだね。昨日のおっさんに話してみようか。えらそうにしてたんだし、何とかしてくれるかもよ」


 しゃべった拍子に、噛んでいた食べ物が口からこぼれる。


「こら、フーマ。食べながらしゃべるな。行儀が悪い」


 サーシャはそう言いながらも、台ふきを投げてよこす。


「昨日のって? くわしく聞かせてくれよ」


 フーマは布巾をキャッチして、食べこぼしを掃除した。


 ユーマは、大男のことを淡々と告げる。


 事の次第を聞き終えたサーシャは、苦々しげに唇をむいた。今にも癇癪を起こしそうな顔つきだ。


「あんたたち、そりゃあギャングだ。電線を切ったのも、たぶんやつらだ。次にそいつらがきたら、すぐに私を呼びな。とっちめてやるから」


 それからは毎日のようにいやがらせがつづいた。石を投げこまれたり、留守のあいだに店を荒らされたり、イタズラにしては悪質だった。犯行は人気ひとけのない夜におこなわれることが多く、昼夜逆転の生活を強いられた。工具が盗まれるたびに新調せざるをえず、貯蓄もはかどらない。


 数週間後、例の大男がたずねてきた。先回と違い、わし鼻の小男が同行している。


 ユーマは彼らを歓迎した。面倒な客であることは否めないのだが、身の休まらない生活に嫌気がさしていたのだ。


 ギャングは、慣れない様子で冷えた茶をすすった。猛暑にふさわしく、セミたちが合唱している。


 男の汗が引いたのを見計らって、ユーマは口火をきる。


「この一ヶ月、毎日のようにイヤガラセを受けています。あなたの言ったとおりでした。僕たちだけじゃあ、この町で暮らしていくのは大変だ」

「そうか。おまえらの店は繁盛しているからな。よく思わないヤツも多いだろう」


 大柄のギャングが無表情で言ってのける。


 フーマが目の色を変えた。


「まあ、落ち着けよ」


 ユーマは弟が文句を言おうとするのを制して、へりくだった声色をつかう。


「そこで用心棒を頼みたいんですが、やはり十万は高すぎます。いくらかまけてくれると助かるのですが。なんとかなりませんか?」

「ああ、いいよ」


 大男はすぐに返した。


 ツレの男があとをつぐ。


「おまえら感謝しろよ。ヒロサキさんがボスにかけあってくれたんだぜ。ボスも人がいいもんだから、『ガキから金はとらねえ』って言いやがる。でも、それじゃあよお、他の客にしめしがつかねえだろ。ボウズ、おまえにわかるか、俺の苦労が?」

「カトー、よせ」


 大男――ヒロサキがさえぎった。


「でもよ、ヒロサキのだんな」


 小男――カトーは、なおもまくしたてる。


「俺は、ボスやヒロサキさんが甘すぎるって、つねづね思っていて……」

「よせや、カトー。俺やボスは親がいなかったからわかるんだよ。とにかく、無粋なことはやめろ。義理がすたれば道理がとおらん」


 ヒロサキの内諭に、カトーは小さく頷くも、ぶつくさとこぼしていた。


 フーマとユーマは顔を見合わせた。この茶番を受け、ギャングとサーシャ、どちらの言い分を信じるべきかが分からなくなっていた。


 つきあいの長いサーシャのほうを信じるべきなのだろうが、目の前の男が嘘をついているとは思えない。


 ユーマは恐縮しつつも、ヒロサキに話しかける。


「あの、すみません」

「なんだ?」

「えっと、電線を切ったりしたのは、あなたたちじゃないんですか?」


 ユーマはあわててつけたす。


「疑うわけじゃないんですけど、この街に住んでいる以上、普通はそう考えるものでしょう?」

「おいコラ、ボウズ。口に気をつけろ! 俺たちはそんな安っぽいことはしねえ」


 答えたのはカトーだった。


「ボスの信条は、『ビジネスは信頼』だ。これから取引しようって相手に不信感を抱かせるようなことはしねえ。どこのバカに吹きこまれたんだか知らねえけどよ。やったのは、このへんの同業者だぜ。おまえら安値でいい仕事しすぎなんだよ。そういう意味じゃあ、おまえらにも原因があるから、自業自得ってとこか」


 ユーマは目を見ひらいた。深く頭をさげて詫びる。


「まあ、気にするな。商売柄、疑われるのには慣れている。なかには、そういうことをする同僚もいるだろうし、完全にシロってわけじゃねえ」


 ヒロサキは席をたつ。


「茶、うまかったぜ。仕事のジャマになるで帰るわ」

「ごちそうさん。次は酒を用意してほしいけどな」


 カトーはおどけると、ヒロサキの背中を追った。だが、ヒロサキが急に立ち止まったので、その背にぶつかって転倒してしまう。


 ヒロサキが立ちどまった原因は、入り口にいた女だ。サーシャだった。彼女は腰に両手をあてて、足を肩幅にひらいて立っている。


「あんたたち、こんな子どもにたかるなんて、恥ずかしくないのかい」

「なんだ、おまえ」


 ヒロサキはあごをあげて、見下ろすような格好をとる。


「ああ、猫背ねこぜのとこの売女バイタか。うちの若い衆が、世話になってるらしいな」


 ヒロサキの苦言に、サーシャの顔が引きつった。だが、すぐに立ち直り、ヒロサキに詰め寄る。


「そんなことどうでもいいだろ。私は、恥ずかしくないのか? って聞いたんだ」

「生きているってことが恥をかくことだろ」


 ヒロサキは知ったような口をきいた。サーシャが迫ってくるせいで後退せざるを得ず、すっかり店内にもどっている。


「サーシャさん。もういいんだ」


 フーマが、あいだに割ってはいる。


「イヤガラセをしていたのは、この人たちじゃないし。これからはうまくいくんだよ。頼むから話をややこしくしないでよ」


 サーシャは小鼻をふくらませて、興奮をあらわにする。


「そういう問題じゃないんだ。だれかが言わないといけないことなんだ」


 フーマを脇に押しのけて、彼女はつづける。


「あんたたちのボスは臆病ものさ。子どもからお金をまきあげて、自分じゃ何もしないんだからね」


 この言葉に、ヒロサキの表情が変わった。


 カトーはおどおどして、ヒロサキのそばから離れた。


「あんたのボスはいい女だからね。楽してかせぐ方法を知っているのさ。相手が決まってるだけで、やっていることは私らと変わらない。所詮は……」


 畳みかけようとするサーシャの鼻面を、ヒロサキが手の甲でひっぱたいた。サーシャはよろよろと後ずさってゆき、壁ぎわの棚にぶつかった。けたたましい音とともに、積まれていた工具が落ちてくる。ユーマは素早く飛びだして、彼女におおいかぶさった。


 カトーがすっとんきょうな悲鳴をあげた。


 ヒロサキは仏頂面で静観している。


「どういうつもりですか?」


 ユーマが立ちあがった。ひたいから一筋の血が流れている。


「悪いのは、この女だ」


 ヒロサキががなった。


「ボスは俺の恩人だ。馬鹿にするやつは、ただじゃおかねえ」

「そうじゃない。口で言えば、わかることでしょ」


 ユーマはそういうと、倒れているサーシャに近づいてゆき、ほほにそっと手をかけた。


 気絶していた。口のはしを切っているほかに、目立ったケガはない。


「それは相手による。そして、殴ることも会話のひとつだ」


 ヒロサキは泰然として言った。が、どこかバツが悪そうではある。


「今日は帰ってください。お金は明日払います」


 ユーマが切れ切れにいったとき、がつっと鈍い音がした。


 ヒロサキの巨体がくずおれる。顔面から床にぶつかると、ひざと頭を支点にして尻をつきだした、不細工な姿勢で安定した。


 ヒロサキの背後にフーマがいた。巨大なレンチを握りしめている。


 微動だにしないヒロサキの後頭部に、モンキーレンチが何度も振り下ろされる。部屋にいた者は呆然として、ただただ立ち尽くした。


 時間が止まったみたいだった。薄い床板がたわんで、部屋全体がわずかに揺れている。


「フーマ、やめろ」


 ユーマはその場に立ったまま叫んだ。


「てめえ、何しやがる」


 カトーもハッとなって啖呵をきった。体をはろうとはしない。


 フーマのこめかみには静脈が浮きたち、白目には血の玉があらわれている。が、目つきは冷静そのものだった。ヒロサキの傷口をしっかりと見据えている。


 病的なまでの単調さで、フーマは特大のレンチをふりおろしつづけた。髪の毛がくっついたままの頭皮が、そこいらに散らばっていく。


「おい、やめろ、っつてんだろ……」


 カトーが尻込みしているあいだにも、ヒロサキの頭部は陥没していった。


 パキャッといって骨が砕けた。追撃はやまない。


「やめろ、フーマ」


 ユーマの怒声に、フーマがたじろいだ。


 高々とふりあげられたレンチが、後方にすっぽぬけた。ユーマの耳をかすめたそれは、ベニヤの壁を貫いて屋外に飛んでいった。木片が、穴の周囲に飛散した。セミの鳴き声が倍増して聞こえた。


 カトーは、うずくまって嘔吐している。


 あごの先まで達した流血をぬぐいもせず、ユーマは無表情をつらぬく。


「やめろ、フーマ」


 フーマはからになった両手を見つめた。ややあって、ヒロサキの頭蓋に片手をつっこんだ。その手の動きに連動して、ヒロサキの丸太のような四肢が痙攣をおこした。倒れたねじまき人形が手足をバタつかせているようで、場違いに平和だった。


 ユーマはゆっくりと歩を進めると、フーマの肩にそっと手をかける。


「もう大丈夫だ。それは、ただのぬけがらなんだから」


 フーマはうつろな眼をあげた。焦点は定まっていない。手はあいかわらず、ヒロサキの中に埋もれたままだ。


「さあ、それを渡して。兄さんがすぐに直してやるから」


 ユーマはそういって片手を差しだす。


 フーマは口をすぼめると、男だった物から手を引き抜いた。指を開くと、ヒロサキの記憶片セルが握られていた。


「どうしよう。壊れちゃったよ」


 フーマがぼそりといった。白昼夢でも見ているような、弱弱しい面がまえをしている。


「壊れちゃったよ、どうしよう」


 ユーマは体液にまみれた記憶片セルを受け取って、明るい声色を使う。


「大丈夫。兄ちゃんがすぐに直してやるから」


 フーマは店の奥へと引っこんでいった。


 ユーマは額をぬぐい、袖についた血をながめた。


 床には吐しゃ物が残されていた。カトーの姿は消えていた。

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