第5話 火花

 静かに目をとじる。ユーマの呼吸が徐々に深くなっていく。


 記憶片セルが青い火花を散らした。蓄積された情報が、ユーマの内部に流れこんでいる証拠だ。


 老人は扉近くの木椅子にすわって静観していた。まぶたはほとんど閉じられていて、うたた寝をしているみたいだ。そして、時々イヤな咳をした。気管支を患っている者に顕著な鈍い咳である。


 ユーマの髪が静電気に引っぱられたように逆立つ。天井の裸電球がパチパチと音をたてて点滅した。記憶片セルから生じる火花が明度を強めていく。


 老人は目尻をしわくちゃにして、満足そうにほほえんだ。落ち窪んだ眼窩にどす黒いくまが目立つ。


「兄ちゃん、大丈夫」


 フーマはおそるおそるといった様子で半歩近づく。


「深くもぐりすぎちゃダメだよ。息ができなくなっちゃうから」


 ユーマは目をつむったまま、一度だけ首を縦にふった。手短な返事を選んだのは、外部情報の流入を嫌ったためである。集中力を欠けば、記憶片セルのもつ情報を誤読しかねない。記憶片セルとの対話に集中する。


「自覚、祈願、行為……」


 ユーマの口から細切れの単語がこぼれた。記憶片セルに書きこまれた言葉を道しるべにして、内部世界に入るための暗号コードを探していた。


「ほほを打たれる痛み、ぬけがらの男……」


 その言葉を発した瞬間、記憶片セルの散らす火花がはじけた。閉鎖された回廊に入るための重要なコードだったらしい。


 ユーマは記憶片セルの内部に意識を滑り込ませる。内部には満天の星空に似た、点々と光が輝く空間が広がっていた。人体に接続されていない記憶片セルの中には、時間軸をもたない三次元空間が存在している。その膠着こうちゃくした世界に流れを与えるには、外部から干渉するしかない。深い海に潜るように、ユーマは意識を潜行ダイブさせる。


「割れた酒瓶、冷たい両腕……」


 停止した世界を意識が泳いでいく。高速走行をする意識によって、世界のほうにも相対的な動きが生まれる。


「待ち人、オムライス……」


 光の粒子が後方に流れていく。それらはすれ違う時、悲鳴のような音を発した。停止した世界は変化を嫌う。異物を取り込もうとする同質化の力が蠢いていた。他者の記憶に呑まれないために、ユーマは意志を強く持った。目指すのは深層に隠された、記憶の核心部分である。


「……青い傷口」


 その単語を口にしたとき、ユーマの手が動いた。見れば、記憶片セルの一点から、かぼそい線がとびだしている。植物の細根に似ている。みるみるうちに萎れていくその線を、フーマがピンセットに似た道具でつまんだ。現象世界からの固定する力によって、線はたちどころに枯れていくのをやめた。


「十二番に接合」


 ユーマが早口で指示をだした。


 フーマは作業台の十二のマス目に置かれたパーツを見やる。


 ピンセットを持ちあげると、チップからでていた線がするすると伸びていった。目当てのパーツの内側にある小さな突起に、その先端を器用に結びつける。


「オッケー。次」

「カビのはえたパン。十五番をとおして、三番に接合」


 ユーマの指示に、フーマは即応した。二人が作業するのを横目に、老人は小屋から出ていった。晴々とした横顔ではあったが、いくらかのせつなさも垣間見えた。


 すべての線をつなぎ終え、銃を組み立てた。各パーツと記憶片セルとをつないでいる線はゴムひものように伸縮し、銃身の内側におさまっている。完成した銃を前に、兄弟は顔を見合わせた。緻密な作業による疲弊は、それに倍する達成感にかき消されていた。


「いい仕事だ。これならどこに行ってもやっていけるよ」


 老人が称賛した。盆にのせたマグカップを作業台に並べると、完成したばかりの銃を持ちあげる。


「静脈の走りが美しい。記憶の主は、知性あふれる女性だったんだな」


 銃身に青い網目模様が浮かびあがっていた。うっすらと輝くそれは、老人の言うとおり、人間の静脈のような走り方をしていた。棚に置かれていた時には、模様などなかった。記憶片セルを移植されからこそ、銃は外見的特徴という個性を獲得したのだ。


「つないだのは俺だよ」


 フーマはこぶしの側面で自分の胸をたたいた。


「いい仕事だ。さすがはわしの弟子だな」


 老人はフーマの頭をくしゃくしゃと撫でまわした。


「ところでユーマ。ちゃんと浅瀬だけを泳いだか?」

「もちろんだよ。いいつけは守る」


 ユーマは老人から目をそらした。


「何ヵ所か深いところがあったけど、そこは避けてもぐった」

「いい子だ」


 老人は銃を置いて、ユーマの額に手をあてた。


「誰かの死を体験するのは危険だし、とても傲慢なことだ。記憶をあつかうものは、故人の尊厳を守らねばならない。ユーマは他人ひとよりも深くもぐれるからこそ、そのことを決して忘れてはいけないよ」


 ユーマは無言でうなずいた。


「さあ、ティーが冷めてしまう」


 老人が手を叩いた。


「後かたづけをして、話のつづきはそのあとだ」

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