第33話 根底

 まどろみから覚めると、見知った場所にいた。粉塵と羽虫の大群に覆われた、故郷のゴミ山だ。


「よお、みんな。記憶の商人って知ってるか?」


 俺の口が勝手に言葉を発した。長い距離を歩いてきたのか、体は疲れ切っている。足の感覚が消えかけており、腰に下げたリボルバーが重い。


「返事ぐらいしろよ」


 せおった月が赤銅色に焼けていた。背中が燃えているのを疑えるほどに、月が俺を見下してあるのを強く感じた。


「つれねえな」


 ひとりごちて、足もとにあった石ころを放り投げた。山肌にひっかかったのか、石は落ちてこない。眼前にそびえたつゴミ山が、俺を押し潰さんばかりにせりだして見えた。俺は何かを恐れているようだが、その正体は分からない。いったい何に怯えているのだろう。


「返事ぐらいしろよ!」


 何がそんなに気にいらないのか、俺の口が甲高い声で叫んだ。


「くそったれが」


 体がいうことを聞かない。すべての言動が自動的におこなわれている。


 一匹の羽虫が目の前をよこぎった。スクラップマウンテンを埋めつくす、名も知らぬ虫だ。行き先を目で追う。ゴミ山の奥へと消えていった。「待ってくれよ」と言って、俺の体はそのあとを追う。


 道程は困難だった。無作為に積み重ねられたゴミ山に、人間の通り道は用意されていない。数歩のぼるたびに足場が崩れて、ゴミの中に埋もれかけた。


 なんとかして、俺は山の頂上に登った。うっそうとただよう霧のむこうに、ぼんやりと稜線が見える。ゴミの山脈は昔よりも成長しているようだった。鼻をつまむほどの臭気はない。町よりもかえって清潔な印象さえ受けた。


「俺をひとりにしないでくれ」


 無意識につぶやいた。大切なものを失ったような、惨めな気持ちだった。


「なんのために、ここまできたんだよ……!」


 そう叫んだ直後、俺の膝はがくりと折れた。ぐらぐらと音がして足場がゆらぐ。足もとのゴミ山が雪崩を起こしていた。抵抗できない流れにのって、体が下方へと運ばれていく。


 下敷きになってたまるかと、俺はゴミの流れを泳いだ。上流からきた金属が顔や手を傷つけて、ブランド物のコートを切り裂いた。大きな存在にもてあそばれるのは虚しい。自らの抱える怯えの正体が、わずかにだが掴めた気がした。


 無我夢中でもがいているうちに、流れがおさまった。起きあがって方向を確かめようとするが、周囲に目印になるものはない。月の位置をたしかめると、天頂近くにあった。行くあても分からぬまま、俺は歩みを再開する。


 羽虫に巻かれながら、長い距離を歩きつづけた。いつからか何者かに包囲されている気配を感じるようになった。おそらくは野犬だろう。俺がくたびれるまでついてきて、弱ったところを急襲するつもりだ。奥に進むにつれて、気配の数は増えていく。


「キッキン、キッキン……」


 どうしようもなく心細くなり、メロディを口ずさんだ。前ぶれもなく、ボスの顔が脳裏に浮かぶ。彼女のきれいな髪が懐かしい。あの完璧な金色を、どうして俺は置いていけたのだろうか。


「キッキン、キッキン……」


 犬たちが包囲を狭めてくるのが分かった。俺はホルスターに下げた銃を握りしめる。周囲のゴミ山に向け、たてづつけに発砲した。なじみのない感触が腕に伝う。俺が手にしていたのは、ミーナが持っていた、あいつの兄貴の形見のリボルバーだった。


 足の感覚が完全になくなった頃、生まれ育ったテントに到着した。粉塵がつもったせいでテントは骨組みごと潰れている。併設された修理小屋だけは無事だった。


「何をしているんだ」


 背後から声がした。振り返ると、じいちゃんがいた。


「あんたが記憶の商人か?」


 俺はきいた。


「はて、どこかで会ったかね?」


 じいちゃんはきょとんとした。


「記憶を消してほしい。上方衛星ブレーンへの移住権と交換だ」


 俺の手には、『to Blane』と刻印された金属のカードが乗っていた。磨かれた表面に、小さいころの俺の顏が写りこんだ。年は十二才くらいだろうか。じいちゃんと暮らし始めたころの姿だ。



 記憶の回廊を抜けると、大小の線が縦横無尽にはりめぐらされた空間にたどり着いた。線のあいだには、霞がかった白い球体が無数にただよっている。いくつかの球体がホタルみたいに点滅した。お互いにメッセージを送っているみたいだった。球体のひとつひとつは、カプセルで眠っている他の人たちだろうか。


 自分の体を確認しようとするが、方法がわからなかった。推測の域を出ないが、俺の肉体はすでに存在していない。蓋然的にいって、まわりを飛んでいる白い球体と同じありかたをしているはずだ。他己との明確な境界をみいだせないが、なぜか一個としての自覚は残っている。不思議な感覚だった。ここでは誰もが他者をこばむ理由をもたない。


――おかえり、ユーマ


 遠くにある白い球体が、こちらにむけて瞬いた。


「ただいま、じいちゃん」


 俺も点滅した。どうしてか相手の正体を確信できた。


「ずいぶん大きな家だね。となりの家も見えない」


 対話相手との距離を問題にしない点は、なかなかに便利だ。


――そうだろう


 じいちゃんは消灯し、またすぐにあらわれた。


――よくここまでたどりついたね。長く孤独な旅だったろう?


 相手との位置関係はわからないが、さきほどよりも近くに感じる。


「つらくはあった。でも、とても短い道のりだった」


――それは良質な経験をしたからだろうね。すばらしい時間こそ、すぐに過ぎてしまうものだから


「途中でフーマが死んじゃったんだ」


――知っているよ


 じいちゃんがうつむいた気がした。


――おまえがここにくる前に、フーマと会ったからね


「本当に? あいつはどこにいるの?」


――心配しなくてもいい。この空間のどこかを飛びまわっているだけだよ


「そっか。あいつらしいね」


 俺は明光した。フーマに会いに行くのは後だ。今は聞くべきことがある。


「この空間はどういう場所なの?」


――ブレーン・システムと呼ばれる記憶の集積場だ。そうだな……順番に説明したほうがいいだろうね


 じいちゃんの話によれば、大昔には全人類が上方衛星ブレーンに住んでいたらしい。その中から下方衛星コアへの調査団として派遣されたのが、俺たちの先祖だという。もともとは人間にも、他の動物のように〝脳〟や〝肉の体〟があった。だが、下方衛生コアの環境に、肉の体では適応できなかったのだ。それを解決するために開発されたのが記憶片セルに個々人の意識を記録する技術だった。


――記憶の商人には特別な使命が与えられた。記憶片セルに蓄積された情報を上方衛星ブレーンに持ち帰ることだよ。……といっても、ブレーン・システムに繋がられた記憶片セルの情報が送られるだけだ。本当に行くわけではないがね


 俺とフーマを育てた理由についても教えてくれた。記憶の商人の絶対数を増やすためらしい。カプセルの中で眠らされた人間から記憶片セルを取りだし、ブレーン・システムへ繋ぐことが記憶の商人の本分だという。俺の体もまた、スクラップマウンテンの地下にある施設で保管されているらしい。


 世界の仕組みについてはおおかたわかった。次は、俺の頭にある記憶片セルは誰のものなのかをハッキリさせる必要がある。


「じいちゃん、俺はいったい誰なの?」


――それは私が聞きたい。ユーマ、おまえはどうして自我を持っているんだ?


 じいちゃん曰く、俺の頭にある記憶片セルは複数の人格情報をまとめて保存するための器に過ぎないらしい。それを技術者らしい酔狂で人間の身体に移植してみたところ、いつのまにか自我が芽生えたという。


――おまえが子供だったフーマをとつぜん拾ってきてね。そのときからだな、おまえが個体としての自己を認識し始めたのは


 遠くにある球体が楽しそうにまたたいた。最果ての座標で、知らない誰かが消えるを感じた。おそらくそれは、俺の待ち人だったと思う。


――わしは一度、下方衛星コアに帰ろうと思うが、おまえはどうする?


「帰ったら長生きできないんじゃなかった?」


――そうだね。たしかにナダは無限だが、故に不自由だよ。一番良くないのはティーが楽しめないことだ


「そっか。俺もボスやミーナに会いたいな。あ、ボスとミーナってのはね……」


 俺が説明しようとすると、じいちゃんがピカピカと笑った。


「何かおかしかった?」


――いいや。おまえにも友だちができたんだと思って。……そうか、己とは関係性の中にいて認識されるものだったな。おまえが自分を見つけられて何よりだ


「じいちゃんの話はあいかわらず難しいや。それよりもひとつ頼みがあるんだけど……」

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