第31話 肉薄

「ユーマ、何が言いたいんだ?」


 ミーナがいった。


 俺は対岸のゲートに立つシェリングを指さした。


 シェリングは、両手にそれぞれ大口径のハンドガンを握っていた。この舞台に立って初めて、肌がひりつくような緊張を感じる。銃を交えるまでもない。相手は強者だ。俺を殺すだけの暴力を所有している。


 シェリングは微動だにしない。ダラリと腕を下げ、ただこちらを眺めている。とっとと撃ってこればいいのに、律儀な野郎だ。開幕のゴングを鳴らす者はいない。俺はミーナから遠ざかりながらトリガーをひいた。


 殺してやる――


 静寂を銃声が切り裂いた。フーマの殺意がどす黒い弾丸になって、敵の喉元に飛びかかる。シェリングは上体を横に傾けてかわし、右手にある銃で撃ち返してきた。


 軌道はわかっている。側方にころがって回避した。ななめ前方にある樽が、木くずを吐きだしてはじけ飛んだ。想定よりも弾速が速い。


 こちらが体勢を立て直すよりも早く、シェリングは狙いを修正してきた。二丁拳銃が目まぐるしく火を吹いて、周囲の障害物を蹴散らす。


 ほうほうの体で、鉄板の裏に逃げこんだ。しかし、すぐに移動を余儀なくされる。ぶあつい鉄板をつらぬいて、相手の弾が飛んできたのだ。ほほの肉をえぐられて、強い痛みを感じた。どれだけの怨念をこめれば、一発の弾丸がこれほどの威力をもつのだろうか。そもそも同時にふたつの銃を扱う人間なんて、フーマ以外に出会ったことがない。シェリングという銃士は、間違いなく銃に愛されている。


 萎縮しそうな筋肉を叩き起こして、闘技場の外周を駆けていく。まずは銃撃をこちらに集中させねば。足を止めずにリボルバーを連射する。


 助けてよ――


 フーマの抱えていた恐怖が、実弾となって相手にむかう。


 シェリングは、右手にある白い銃を顔の前で寝かせた。先端にむかって太くなっていくバレルが、青白い火花をいくつも散らせる。弾道をそらされた。俺だけの専売特許だと思っていたのに。やっかいな相手だ。


 俺が壁ぎわまで到達すると、シェリングは撃ち返してきた。手数を重視した面での攻撃。逃げ場はない。俺は呼吸を深くして記憶片セルへの感応を高めた。手の中の銃が、赤い火花を散らす。


 助けてくれてありがとう――


 フーマの戦闘経験が俺の体内に流れこんできて、相手の弾道を正確に教えてくれた。リボルバーがひとりでに動いて発砲する。上下左右に散らされた敵の弾幕をことごとく相殺する。


 ズキっと頭が痛んだ。深く潜りすぎて、記憶片セルから記憶が逆流してくる。意識は、長く深い闇の中に落ちていた。それが、気づいた時にはまっ白な光に包まれて、なまっちょろい少年の腕に抱かれていた。その腕は、大昔にケージに閉じ込められて捨てられたフーマを取りだした、俺自身のものだった。


 助けてくれてありがとう――


「それは俺のセリフだよ」


 救われたのは俺のほうだ。抜け殻のような人生に、あいつは意味を与えてくれた。守り育むべき弟は、やがて肩を並べて助け合う同志になった。俺ひとりでは、ここまで歩いてこれなかった。


「助けてくれてありがとう」


 ひとりごちて、無作為に敵を撃った。シェリングの前にあった木箱が破裂した。舞いあがる木片を無視して、相手は二丁拳銃を乱射する。


 やられる前にぶっつぶす――


「賛成だな」


 フーマは迎え撃つことを望んだ。両足をふんばって、片手で撃鉄をはじきつづける。リボルバーが高速回転し、百の弾丸がはなたれる。空中で交錯した弾丸が、縦横無尽に暴れまわった。四方から襲ってくる悪意の群れを、一匹残らず撃沈する。


 かつて野犬の群れに囲まれた時も、こうして二人で戦った。あの時は、俺たちを隔てる壁などなかったのに。一緒に闘技場に参加していれば、昔のままの関係を守れたのだろうか。いや、たぶん違う。もっと根本的な部分で、俺たちは遠ざかってしまったのだ。


 おまえとは以前にも戦ったことがある。なんで今は二人なんだ――


 空間をへだてて、シェリングの声が届いた。こんなことは初めてだが、ありえない現象ではない。銃を通じて相手の動きを予測できるのは、同一空間内にある記憶片セル同士の共鳴によるところが大きい。これからどう動くかという情報を、記憶片セルが交換し合うのだ。今回の場合は、俺とシェリングの頭の中にある記憶片セルが、直接共鳴を起こしたのだろう。たぶん相手にも、俺の声が届いているはずだ。


 おまえは誰だ。いったいどれだけの人間を連れている――


 シェリングの混乱が、銃丸となってむかってくる。さきほどよりも弾速が遅い。使い手の動揺が武器に逆流して、本来の性能にブレーキをかけているのだ。とは言っても数が多すぎる。俺ひとりでは対処しきれない。


 俺にやらせてよ――


 フーマがいった。乱れあう弾雨が空中で静止した。思考が加速している。銃との共振シンクロが極限まで高まっているらしい。流星群のなかにいれられて、まわりの星たちと同じスピードで降っていくような心境だった。眼前には、こちらに弾頭をむけた三つの弾が浮かんでいた。このまま動かないでいれば、俺は死ねていただろう。


 いい技術者は客を待たせないんだぜ――


 しかし、まだ早い。やるべき仕事が残っている。いつまでもミーナを待たせる訳にはいかない。リンゴほどの大きさに見える山高帽を照尺の中心にすえて、引き金をしぼる。


 任せて、食い殺してやるから――


 浮遊した弾がジャイロ回転を始めて、本来ある世界の速度を取り戻してゆく。やってくる弾を避けようと、首をすくめて身をこごめた。が、完全には避けきれない。


 左耳に一発、被弾した。衝撃で体勢を崩し、側頭部を地面に打ちつけた。視界に星が飛ぶ。


 銃が、手からすべり落ちていった。


 どうしよう、壊れちゃった――


 過去の映像が頭の中に流れこんだ。幼かったフーマが、じいちゃんの工房にある武器を壊して泣きじゃくっている映像だ。その修繕をおこなうのが、俺の日課だった。そのための才能など持ち合わせていなかったが、俺はすべての銃を直してきた。それこそが自分の役割だと信じて、必死で学んだのだ。もとから銃に興味があった訳ではない。ただ、弟のよろこぶ顔が見たくて、その拙いがゆえに心をゆさぶる称賛がほしくて、彼の目をあざむきつづけたのだ。


 兄さん、これも直してよ――


 フーマはときに、ゴミ山に迷いこんできた大人を殺した。あの頃のあいつは大人という存在を憎んでいて、なかば反射的な殺戮を繰り返していた。しかしだからこそ、あいつは二丁の拳銃を扱えたのだろう。銃への感応はうちに秘める暴力性に比例する。それは長いあいだ記憶片セルに潜り続けてきた、俺だけが知る秘密だった。


 ねえ、これも直して――


 残念ながら、俺には死んだ人間を直せなかった。接続が切れた記憶片セルを肉体に再接続する技術さえ身につければ、不可能ではないのに。じいちゃんなら、あるいはそれができたのかもしれない。しかし俺は、相談しなかった。自分の無能さをフーマに知られたくなくて、大人たちの死体を野犬に食わせたのだ。


 兄さんは、何もわかってねえよ――


 そうだ、何もわかっていなかった。安っぽいプライドなど捨てて、真正面から向き合うべきだったのだ。そうすれば、俺たちは離れずにいられた。いつかの約束が思いだされた。たしか荒野だった。小さな手を引いた俺は、なんて答えたんだっけな。


 兄さんは俺を捨てないよね?――


 銃が地面をはずんだ。全身の血が沸騰し、薄れかけた意識が一気に鮮明になる。左耳をさわると、耳たぶがそっくり無くなっていた。砂ぼこりのむこうにある、金属の光沢に手を伸ばす。


「あたりまえだろ。俺たちはこれからも一緒だ」


 トリガーガードに指をひっかけて、ずるずると引き寄せる。


「まだやれるよな?」


 銃身がかすかに輝いた。


「まだ、間に合うよな?」


 グリップがわずかに熱を帯びた。


「俺たちのやり方を見せてやろうぜ」


 おかえり、兄さん――


 撃鉄がひとりでに起き上がった。心臓がどくどくと脈打ち、冷たくなった右手に力がよみがえる。

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