第19話 篝火

 闘技場のある町は大陸の南西部にある。これに対して、フーマたちが暮らしていた町は南東に位置する。彼らはまず、人口の少ない漁村まで歩いていった。ギャングの遠征ルートを避けつつ、車を借りるためだ。


 前々日の夜に出発して、到着したのは夜遅くだった。海岸べりには、杭につながれた小舟がいくつか停泊していた。まっ黒な海面は、月影すら写していない。寄せては返す波の動きに、腐りかけた木の桟橋がきしんだ。


 村にあるモーテルで一泊した後、乗用車を借りた。オフロード用の太いタイヤを履いた、四輪駆動のやつだ。海沿いの荒地をフルスロットルで走ってゆくと、一週間ほどで目的の街を見下ろせる高台に着いた。休憩をほとんど挟まなかったせいか、ボンネットから金属と油が焦げたような異臭がした。


「すげえな。夜でもこんなに明るいのか」


 眼下に広がる光景に、フーマは感嘆した。


 夜の底にぽっかりと、人家の光が群れをなして輝いてる。その町は不夜城だった。北側にいくほど、人工照明ネオンライトが密集している。


「飛んで火にいるなんとやらだよ」


 ミーナが返した。


「金持ちが多く集まってくるから、甘い汁をすすりたいヤツもたかってくるんだ」


 町は、闘技場、カジノなどの娯楽産業を中心に発展していた。むろん、それらに付随するサービス業も軒並み育っている。これらを経営しているのは、上方衛星ブレーンの住人か、ギャングである場合が多い。言わずもがな、実際に現場で働いているのは下層階級の人間である。


「とりあえず今日はゆっくりして、明日にでも闘技場へ向かおう」


 ミーナの指示にしたがって、バギーは町の南部にむかった。吹いてくる風に細かい砂が混じっている。


「砂浜に下りて、林にむかってくれ。あの明るくなっているほうに宿がある」


 ミーナがしめしたほうには、ひときわ高い松があり、煌々こうこうと燃える空があった。枝葉は上方に影をもっており、低い空が特に明るい。


 バギーは砂浜につっこんだ。光度の高いヘッドライトが赤松の幹を照らした。木々のあいだを蛇行していくと、小僧が進路に飛びだしてきた。ユーマは、はっとしてブレーキを踏みこんだ。すんでのところで車体が止まる。


 小僧に焦った様子はない。年不相応の筋肉が発達した腕には、篝松かがりまつの束が抱えられている。どうやら宿の店員らしい。


 ユーマは車のエンジンを切った。小僧は運転席の脇にまわって、早口でまくしたててくる。なまりがきつくて、何を言っているのか聞き取れない。


「一泊していく」と、ミーナがいった。


 バギーは自分が停車場に返してくるからという旨のことを言って、小僧ははにかんだ。ミーナは先に降りてチップを握らせた。小僧は腕まくりしていた袖をもどして、折り返しの内側にその金をしまった。


 小僧の話だと、宿に併設されたバーでなら、この時間でも食事ができるらしい。道中まともな食事にありつけていなかったため、三人はいちように喜んだ。


 長い伝統を持つだろう木造の旅館は、かがり火で囲まれていた。ごうごうと燃える炎は、木の外壁と土塀とを、深みをもった朱色に染め上げている。宿舎らしい本館には目もくれず、三人は併設されたバーへとはいった。なお、荷物は身につけたままである。


 食事を平らげると、ミーナは酒を頼んだ。残る二人もこれに付きあい、それぞれに飲み物を選んだ。とうに日付は変わっていた。それでもバーは、けっこうな客で賑わっていた。解放された南の窓からくる潮風が匂う。


「ルールは単純だ。二人一組で戦って、どちらかのペアが動けなくなるまでつづける。そうして、勝ったほうが賞金を得る」


 ミーナはグラスをかたむけた。頬がほんのりと赤い。


「勝ち進んでいけばランキングがあがっていき、同ランクの選手とやりあうことになる。とうぜん賞金額はあがる。もちろん死ぬ確率もあがるんだけど」


 ウェイトレスがやってきた。ミストウイスキーを二杯テーブルに置いて、あいたグラスをトレイに乗せた。


「なるほど。要はぶっ飛ばせばいいんだな」


 フーマは、ウイスキーにガムシロップをいれた。


「ところで、前にいた相棒はどうしたんだ? ツーマンセルなら、誰かいたんだろ?」

「聞くか普通?」


 ミーナは頬を引きつらせた。


「金をもって逃げられた。どこにいったのか知らないけど、たぶんどこかでのたれ死んでいるんじゃない」

「へえ。おまえも大変だなあ。それで、なんで逃げられたの?」

「金が必要だったんだろ」


 ミーナはあさっての方向を見た。大きなため息をついて続ける。


「わかったよ、ほんとに嫌な男だな。……私の銃が暴走して、相棒を殺しかけたんだ。フーマたちに会うひと月ぐらい前かな。闘技場でのことだったから、みんなが知っている。だから私と組もうとするヤツはどこにもいない。これで満足か?」


 フーマは目を細めてグラスを持ちあげた。氷が泡をふいていた。


 カウンターのむこうで、口髭をたくわえたバーテンがシェイカーを振っていた。背後にある棚には、アルコールのボトルがラベルを正面にむけて並んでいる。ネームプレートを結び付けられたビンもままあった。この店は外部にむけて解放されており、宿泊者以外の常連客も多い。


 店の奥にこさえられたステージでは、カルテットのバンドが楽器を弾いていた。編成にボーカルはいない。アップテンポの曲がたんたんと演奏されている。


「兄さんは今でも、上方衛星ブレーンなんてのを信じているのかな?」


 フーマがぽつりといった。


「俺たちの体は上方衛星ブレーンにあって、そこで夢を見ているんだって。で、意識だけが抜けだして下方衛生コアで遊んでいる。たださ、あまり長い時間体を離れすぎると魂が消えちゃうんだとさ。どう思うよ?」

「とうとつだな。酔っぱらったのか?」


 鼻で笑ったミーナに、フーマは低い声で返す。


「思いだしただけだよ。昔、じいちゃんが言っていたことを」


 ピアノの音が止んだ。


 アドリブパートにさしかかると、アルトサックスが音量をあげた。パターンのひきだしが少ない、退屈なソロだった。バーテンは、生ハムの原木にナイフを入れながら、サックス奏者を睨んだ。


「お姉さん、ちょっといい?」


 ミーナが、茶髪のウェイトレスに声をかけた。


「同じものを、ダブルで」


 ウェイトレスは尻をむけたまま、上体をねじった。スリットからのぞいた太ももに、タトゥーの蛇が巻きついている。ウェイトレスは愛想よくほほ笑んでから、「十二番、ジェイディ、ダブル」と甲高い声をあげた。


「それで、試合にはどっちが出るんだ。私ともうひとりとして、やっぱりアニキのほうか?」


 ミーナは一気にグラスをあけて、それを叩きつけるように置いた。溶け切らない氷が少しはずんだ。


「闘技場には俺がでる。兄さんは武器をいじってるほうが好きだから」


 フーマは答えると、ユーマのほうを見た。


 当人はテーブルにつっぷして眠っている。頭の横には、氷の溶けきったウイスキーがあった。


「なんでだよ? あんなに強いのに」


 ミーナの問いかけに、フーマは片方の口角をつりあげる。


「簡単だ。向いてないんだよ」

「強いってことが、そのまま向いてるってことだろ」


 ミーナがいった。


「私は間違っているか?」


 フーマは答えず、目頭をおさえてうつむいた。


「こいつはナイフの専門家か? ちがうだろ。銃を下げているんだからな」


 ミーナは、ユーマの腰にさがった銃をあごでしめした。


「ただ、なんでその銃はからっぽなんだ? 記憶片チップを握らせなきゃ、本人の経験だけで戦うことになるんだぞ」


 記憶片セルが埋めこまれた銃は、独特の模様をもつ。たとえば、フーマの銃には赤い斑点ドットが、ミーナのそれには青い網目チェックがはいっている。いっぽう、ユーマの銃にはなんの模様も浮き出ていない。それはつまり、「この銃はかざりです」と白日しているようなものだ。そもそも記憶片セルを装着していない銃は、弾すら出ない。銃弾の生成もまた、記憶片セルに依存している。


「兄さんはちょっと変わっていてさ。銃をいじっているのが好きなんだ」


 フーマが気まずそうに言った。


 ミーナは更につめる。


記憶片セルから、〝余分な情報〟を読み取れることが関係しているのか? 仲間になったんだから話せよ。事情がわかっていれば、それだけ安全に生きられる」


 フーマは顔をあげて、ミーナの眼の奥をのぞきこんだ。どちらも視線を外さない。


 バンドの演奏が音量を上げた。それにかき消されないようにと、隣のカップルが大声で話し始めた。まるで盛大に痴話喧嘩をしているようだ。


 フーマたちは無言だった。ややあって、注文の品がはこばれてきた。


「彼女に」


 フーマは顔をあげた。


「こう見えて俺よりも飲むんだよ」


 ウェイトレスは、グラスを置いてはにかんだ。暖色のチークが塗られた頬骨の下に、深いえくぼが現れた。


 彼女が別のテーブルに呼ばれたのを見送ってから、フーマは口をひらく。


「兄さんは、記憶片セルからもとの持ち主の人生を読み取れるんだよ」

「持ち主って、記憶片セルを脳に埋めこんでいた所有者のこと?」


 ミーナの問いに、フーマは目の動きでうなずいた。


「バカにするなよ。そんな話は聞いたことがない」


 ミーナは舌を鳴らした。


「だいいち、あれは戦闘経験を蓄積するための媒体で、それ以外の思い出は肉体に記憶されるはずだろ」

「一般論ではね」


 フーマはいった。


「本当はちがう。記憶片セルは、それ以上のことを記録している。その人間が生まれてから死ぬまでの、すべてを記録している」

「信じられないね。それじゃあまるで、私たちの体がオマケみたいじゃん」

「あんがい、そうなのかもな」


 フーマは四本の指を丸めた状態で、立てた親指をこめかみに押しつける。


「人間の頭のなかを見たことがあるか? 液体の中に記憶片セルが浮かんでいて、それが肉体に線でつながれているんだ。人間の肉体なんてのは銃と大差ない。ほかの動物、たとえば犬なんかはちがう。灰色の肉っぽい塊があって、そこに情報を記録している。この塊は肉体と直接的なつながりを持っているんだ」


 フーマは親指をたたんで続ける。


「人間の存在だけがいびつなんだよな。他の生き物は肉と記憶に一体感があるのに。たぶんだけど、俺たちの肉体は個々人を形成する記憶と乖離した別個の存在なんだよ。肉体という皿があり、そこに満ちた血に記憶が浮かんでいるだけ。精神ってのは、さしずめスープの上に浮いたクルトンってとこだ」


 ミーナは眉間にしわを寄せて、「もっとわかりやすく説明してくれ」と頼んだ。


「説明なんて無理だな。これはどこかのおえらいさんが唱えた高尚な理論じゃない。俺の思想の破片なんだから」


 フーマはそういって、自分の首筋をもんだ。


「つまりさ、あんたたちが思っている以上に、肉体ってやつは代えが効くんだよ。記憶片セルさえ無事なら、俺たちは不老不死を達成できる。……なあ、いったい誰がこんなシステムを構築したと思う? 神だと思うか? 違うね。俺が思うに……」


 フーマは発しかけた言葉をのみこんだ。ウェイトレスが近寄ってきたためだ。


「ごめんね、もうすぐ閉店なの。ラストオーダーなら聞くけど?」


 ウェイトレスは告げた。あいかわらず、愛想よい笑顔がはりついている。


「必要ない。これを飲んだら帰るよ」


 ウェイトレスは他のテーブルに向かった。


 ミーナはたずねる。


「フーマ、おまえも見えるのか? その、他人ひとの一生が」

「いいや。俺は見えないよ。それを聞いて知っているだけの凡人だ」


 フーマは答えて、皿に残っていた生ハムを一口で平らげた。


「そのこととユーマが銃を使わないことと、どういう関係がある?」

「通常の場合だと、記憶片セルに記憶された戦闘経験が、それを移植した武器の使用者に、どう動くべきなのかを教えてくれるだろ。いいかえれば、部分的に機能を補完するということなんだけど」


 フーマはつづける。


「兄さんは、もっと全体的に感受できる。動きは当然として、考え方も。というか、そこに書きこまれた人生を追体験しちゃうんだろうな」

「つまり、過干渉を受けやすいってことか?」


 ミーナが首をひねる。過干渉とは、銃に身体の操作権を奪われる現象で、使用者に危険がともなう。


「似てるけど、だいぶちがう。過干渉の場合は使用者の意識はどっかにイッてる。兄さんの場合は意識を保ったまま、銃に宿った記憶を受けとめることになる。それだけでも相当な負荷なのに、死の瞬間までを体験しちゃうんだから色々とヤバいんだよ」


 フーマは言い終えると、半分以上残っていたグラスをあけて伝票をつかんだ。


 ミーナは座ったまま、ぼそっとつぶやく。


「正直、言っていることの意味が理解できない。何より、なんでそれを私に教えたのかもわからない」

「それが、あんたに必要な能力だって気づいてるからさ」

「よくわからないな」


 ミーナは立ちあがった。


「それで、フーマは私に何をしてほしいの?」

「特にないよ。兄さんのかわりに、俺と闘技場にでてくれれば、それでいい」


 隣のテーブルを片づけていたウェイトレスが、皿に残してあったチーズをつまんだ。

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