第18話 圧倒
網膜に焼きついて離れない映像がある。血まみれになった父がこちらに這いずってくる光景だ。
せまいアパートの一室。私と父のほかに、山高帽をかぶった男がいた。男の手には、硝煙をあげるリボルバーがふりこのように揺れていた。点滅する裸電球が、男の赤い目を怪しく照らしていた。
山高帽の男は突然やってきて、応対にでた私の父親に四十五口径を食らわした。床に転がっていた酒瓶がはじけとんだ。破片がスローモーションでむかってきて、私の手首に突き刺さった。今でもそのときのガラス片は残っている。太陽に透かしてみると、私の手首はキラキラとかがやく。
私にとっての救いは、父に対する愛情が希薄だったことだろう。骨と皮しかないその腕は、酒瓶を抱くか、私を殴るために用いられた。あのあばら家に、私のための温もりはなかった。温かいスープはもちろん、すきま風を防ぐ毛布もない。私は毎夜、背すじを丸めて自分の体を抱きしめた。
そんな父でも、最期のときにあっては娘である私を抱こうとした。私の名前を呪詛のように繰り返し、その痩せこけた腕を伸ばしてきた。
死にゆく父に、地獄へ引きずりこまれるようで怖かった。私は悲鳴をあげることもできず、恐怖に抱き殺されるのを待った。生のもたらす悪夢が終わるならと、進んで死を受けいれようと考えたのかもしれない。
しかし、望んでいた結末は訪れなかった。つんざく銃声が悪夢を
父の手がダラリと落ちた。山高帽の男は銃をおさめ、私に近寄ってきた。
「名前、なんていうんだ?」
「ミーナ」
「そうか、ミーナ。腹へってないか?」
「おなかすいた」
男は嬉しそうに笑いながら、私を抱きあげた。
「俺もだ。メシを食いにいこう。オムライスは好きか?」
「好き。食べたことないけど、すごく好き」
「そうか。これからは毎日食わしてやるよ」
その日から兄ができた。同時に、虐待されないで済む生活がおとずれた。
兄の腕に抱かれてようやく、私の人生は始まったのだ。
白昼夢を見ていた。意識を取りもどしたときには大広間にいた。血の匂いが濃く漂っている。あたりには大量の死体が転がっていた。またもや無意識に殺してしまったようだ。
戦いが長びくと、たまにこうやって記憶が飛ぶ。
それにしても、こちら側の被害も甚大だ。後から敵方に加わったあごヒゲの男が、思いのほか手練れだったせいだ。闘技場の参加者と比べても遜色はない。仲間のほとんどはあいつにやられた。しかしまあ、たいした問題ではないのだが。私は用心棒として雇われただけだから、依頼主さえ無事ならかまわない。
幅の広い階段をあがっていく途中、敵方のギャングをさらに五人殺した。非戦闘員ばかりなのか、歯応えがない。いくらか退屈でさえある。
ところで私は何をしにきたのか? たしか、誰かを探しにきたはずなんだけど……。
少し考えて思いだす。ギャングのボスを殺しにきたのだ。雇い主の情報によると、相手の親玉は三階の自室にいるらしい。そいつさえさっさと出てきてくれれば、こんなに殺さなくて済んだのに。私は殺人鬼ではなく銃士なのだ。悪人が相手とはいえ、無駄な殺しをしたくはない。
影響力のある人間は身勝手だと思う。存在そのものに害悪をはらんでいる。そうとうな手練れだと聞いているが、これっぽちも負ける気がしない。ひさかたぶりに銃の調子がいい。
昨日の技術者はひさびさの大当たりだった。大陸中を探しても、あれほどのメカニックはまず見つからないだろう。いずれにせよ、顔を繋いでおいて損はない。兄の名前を知っていたし、何かしらの情報を隠している可能性もある。仕事を終えたら会いにいってみよう。この町に来てから、何もかもが怖いほどに順調だ。
三階の通路は美術品で飾られていた。田園風景が描かれた絵、古いだけの壺など、役に立たないものばかりだった。どれもべらぼうな値段がついているのだろうが、私にその価値はわからない。
つきあたりに大げさな扉があった。赤茶けた木でできたもので、かたむいた天秤が彫りこまれている。皿には何も乗っていないのに、天秤は傾いている。おかしな構図だ。
扉の前に立った。
目的の人物はすでに逃げたのか、それとも他の場所にいるのか。見当もつかない。
まあいい。適当なギャングから聞きだすことにしよう。屋敷内に生き残りはいないだろうが、街中をしらみつぶしに探せばいい。残党の一人ぐらいは見つかるだろう。
廊下に出た。都合よくというべきか、ギャングらしき人間がやってきた。刃渡りの長いナイフをさげている。仲間を識別するための目印、赤いバンダナはつけていない。敵方のギャングの構成員で、まず間違いないだろう。渡りに船とはこのことだ。ボスの居所を聞きだせたなら、ひと思いに殺ってやろう。ホルスターの位置を微調整する。
相手はそのままの速度で近づいてきた。状況にふさわしくない、鷹揚な足運びだった。銃は見当たらないが、隠しているのかもしれない。私はリボルバーを構えた。照尺を通して、照星のてっぺんを相手のあご先に合わせる。
顔が見える距離になった。刃物の間合にはほど遠い。相手が声をかけてくる。
「また会ったな」
黒髪の少年だった。たしか、銃を直してくれた兄弟のどちらかだ。
「ああ、昨日は世話になったな。取り付け忘れたパーツでも持ってきてくれたのか?」
照準を定めたままいった。
「ここは修理屋のくる場所じゃない。危ないから帰ったほうがいいぞ」
銃に埋めこんだ
ゆったりとした挙動で近づいてくる相手に警告する。
「たしかユーマだったか? それ以上近づかれると、おまえを撃たなくちゃいけない。私が望まなくても銃が許してくれないんだ」
十歩の距離にはいった。牽制の一発を撃つ。つきあたりにあるステンドグラスが砕けて、陽光が差しこんだ。
相手は歩調を変えない。
ふと、ユーマのシャツにある赤黒い模様に目がいった。見慣れた色合いだ。画材はおびただしい量の血だった。
コイツはヤバい人種だ。
「ちょっと散歩に来たってわけでもないのか。……おまえが死んだら、弟が悲しむぞ」
ぎりぎりの場所を狙い撃つ。通路にあった花瓶がはじけとんだ。
ユーマはまっすぐむかってくる。表情に変化はない。
「これ以上撃たせるな」
今度は二発撃った。壁についた照明がふっとんだ。相手はひるまない。
「次はない」
さらにもう一発。足を撃ち抜くはずの弾だった。ユーマは一瞬止まってから歩みを再開する。勘のいいやつだ。そのまま踏みこんでいれば命中していた。
残り五歩を切った。リボルバーが警報を強めた。
「あんたみたいなヤツは嫌いだ」
無性に腹がたった。
「残された者の苦しみを想像できない、死にたがりの兄貴はね」
言っても聞かないやつはバカだ。リボルバーを連射する。
相手は一気につめよってきた。一瞬で最高速度に達する。獣のような素早さだ。動きを見てから射撃しては、いっこうに当てられる気がしない。
後ろに下がりながら、動きのクセを観察する。サイドステップを踏もうとする方向の肩が、わずかにだが下がることがわかった。
目の動きでフェイントをいれてやる。相手の右肩がさがった。
ここだ。
一瞬先の映像に銃弾を撃ちこんだ。が、よけられた。かわす動作すらない。相手はまっすぐむかってきた。
チクショウ、偽物の情報をつかまされた。癖を捏造してみせるなど、不意打ちの常套手段だ。無理に発砲したために反動を殺しきれていない。私が銃を構え直すよりも早く、相手はククリナイフを上段から振るった。
冷たい感触が鼻先をかすめた。刃の軌道はまったく見えなかった。殺意のかけらもない、ありえないほどの無表情がこちらを見ている。払拭しがたい悪寒を覚える。
返す動きで刃先がのぼってきた。リボルバーを盾にして、どうにか受け流す。意図してやったことではない。銃に埋め込まれた
ユーマは体勢を崩していた。反撃に転じるのは今しかない。天を向いた銃口を下げながら、最短の動きで背後に回りこむ。
「クソが」
たまらず暴言が漏れた。先手をとれるはずだったのに、相手の立ち直りが早過ぎる。人間の動きではない。この反応速度は、獣以上だ。
側方に転がりながら、適当に発砲して距離をとる。違和感を覚えて自分の腹部に目をやると、知らぬ間にジャケットを切り裂かれていた。むきだしになった脇腹に、鳥肌が立った。
その、目を離した一瞬を、後悔する暇さえなかった。青光りする刀身がすさまじい勢いで振るわれる。耳もとで空気のぶったぎれる音がした。反射的に側頭部へ手がのびる。耳はそっくり残っていたが、凍っているのを疑えるほど、耳たぶが冷たい。
戦意を失いかけていた。意志とは無関係にリボルバーが回転する。こういう窮地においては優秀な相棒だ。二発の銃弾が相手にむかう。相手はククリナイフを横にして、顔前にかまえた。
刀身が二度、火花を散らした。ありえない。ナイフで弾丸の軌道をそらしやがった。
「銃が泣いてるぞ」
ユーマがいった。恐ろしいことに、息ひとつ切らしていない。
「泣かせてるのはおまえだろ」
膝が笑っていた。こいつには関わるなと、リボルバーが緊急事態を報せる。めずらしく意見が合った。今の私では、全霊をかけても勝てる相手ではない。いや、そもそも、この男に勝てる人間など存在するのだろうか。背をむけて、一目散に走りだす。
廊下の手すりを足蹴にして、ふきぬけに吊りさがったシャンデリアに飛びついた。下にある広間の床までは、十メートルないぐらいだ。シャンデリアのフレームに片手でぶらさがって、地面までの距離をできるだけ短くする。
手を放した。吹きあがってくる風に、キュロットスカートがめくれあがった。着地するタイミングにあわせ、前方に転がって受け身をとる。
落ちていた死体に前転をさえぎられた。衝撃が骨までひびいた。息ができない。肺を強打していた。
大きな音がした。床にくっついた頬に振動を感じた。寝返りを打ってあごをもたげる。ユーマが走ってくるのが見えた。
昨日、銃を直したことを、死ぬほど後悔した。
「降参だ。好きにしろ」
目をつむり力を抜いた。圧倒的な力の差に、笑いがこみあげてくる。
返事はこない。肩にふれられる。
そのまま動かないでいた。相手は何もしてこない。いたぶっているつもりか。悪趣味な男だ。おそるおそる目をあける。
「よお、生きてるか?」
新手が増えていた。金髪の少年だ。たしか、このイカレ野郎の弟、名前はフーマだったはず。
「これから
フーマの問いかけに、私はうなずいた。この状況で断れるはずがない。
ユーマはナイフを捨てて、私を抱き起こした。
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