第4話

 地下一階にある武器庫で装備を整えた崇子と三鷹は目的地に行く唯一の手段である専用のエレベーターを使って地下三階に向かっていた。このエレベーターだけは指紋照合を行わないと使う事ができない。崇子は自らの手で照合を行ってから防護服に全身を包んでいた。ノートパソコンの位置情報を確認すると圭介がずっと同じ位置にいる事を示していた。宇宙服のような防護服に身を固めている三鷹が横で銃の作動を確認している。エレベーターが止まると三鷹が素早く銃口をエレベーターの扉に向けた。

「もしも、あれが起きていたら、撃って時間を稼げ。私がやる」

 三鷹が何も言わずに頷く。扉が開くと三鷹が先に外に出た。一見なんの変哲もない廊下。正面に向かって左の壁の中央にドアが一つ。突き当たりには銀色に光る金属製の壁。だが、それは単なる壁ではなく幾重にも施錠された防護壁兼扉でその中には液体窒素によってマイナス二百五度の温度で凍らされているB01がいる。崇子はすぐに圭介がその壁の下で座っている姿を見付けた。エレベーターの音に反応したのか圭介がゆっくりと垂れていた頭を上げた。

「圭介君」

 三鷹が安堵を含んだ声を上げた。防護服の中の声は近くにいる崇子には聞こえていたが、圭介には届いていないだろう。圭介は顔に怯えの表情を見せ、動けずにいるのかこちらをじっと見詰めていた。走り出そうとした三鷹を右手を上げて制すると崇子は口を動かした。

「三鷹。先に制御室へ行け。圭介の状態はこのパソコンで分かるが、B01の状態は把握できない。あれがちゃんと眠っているか確認を急げ」

 はい、と返事を残して三鷹が左の壁にあるドアの中に入って行く。崇子はパソコンで圭介に埋め込んである制御装置から送られて来る圭介の状態を確認するとパソコンを脇に抱た。BC弾を装填した銃を腰のフォルスターから抜くと引き金に指を掛け、下に向けたまま圭介に近付いて行った。パソコンで確認した圭介の状態は全く問題のない物だった。そもそも圭介の体に異常があればアラームが鳴る仕掛けになっている。それが鳴っていないのに警戒するのは、ひとえにブロワーに対する警戒心からだった。崇子は一歩一歩慎重に圭介に近付きながら我ながら本当に残酷な母親だと考えていた。声の届く距離まで行くと崇子は足を止めた。すっと右手を上げ銃口を圭介の後ろ、銀色の壁に向ける。圭介が頭を抱えるような格好で蹲った。

「問題なしです。B01は完全な状態で保存されてます」

 三鷹の声が聞えて来た。今の三鷹との距離では、肉声は届かない。防護服に備えられている無線機からの声だった。崇子は小さく息をつくと、了解と告げ、銃をフォルスターに戻し防護服を脱いだ。圭介は蹲るような姿勢のままなので崇子の姿に気が付いていないようだった。崇子は声を出した。

「圭介」

 圭介が崇子の声に反応して頭を抱えるようにしていた腕を外して顔を上げた。

「お母さん」

 圭介が立ち上がる。歩き出そうとした圭介に向かって崇子は静かに言った。

「圭介。止まりなさい。そう。こっちに来る前にどうしてここに来たのか話して」

 崇子はすぐにそんな風に言ってしまった事を後悔した。圭介が頷く。

「ごめんなさい。あんまり退屈だったから。三鷹さん達を驚かそうと思って。それであの部屋を抜け出したんだ」

 崇子は二回頷くと再び聞いた。

「それだけ?」

 圭介が戸惑うような顔を見せる。崇子は嫌な予感を感じていた。

「女の人の声が聞えた。その人がここまでの道を教えてくれたんだ」

 崇子は背筋に冷たい物を感じながら大きな声を出した。

「三鷹。B01監視のログをチェックしろ。温度も脳波もある物は全てだ」

 は、はい、と返って来た三鷹の声を聞いてから崇子は圭介に近付いた。有無を言わさずに圭介を抱き締めると圭介の体温がゆっくりと伝わって来た。身を委ねて来た圭介を更に強く抱き締めると崇子は口を開いた。

「心配ないわ。お母さんがついてる。今は、その声は聞えてる?」

 圭介が崇子の胸の中で首を左右に振った。

「聞えない。でも、悪い人じゃないと思う。優しい声だった」

 崇子は束の間、逡巡したが言葉を口にのせた。

「どんな風にその人は話したの?」

 抱いていた腕を緩めると圭介が見上げて来る。真剣な顔で圭介が話し出した。

「僕に会いたいって。ここに来て欲しいって。僕がここに来てあの壁を触ったら何も聞えなくなったんだ」

 そこまで言うと急に圭介が泣きそうな顔になった。

「お母さん。僕、変なのかな? 皆もこんな事あるのかな?」

 崇子は自分の中に湧き上がる圭介に対する感情を感じて安堵した。

「大丈夫。あなたは今日目が覚めたばかりだもん。記憶喪失っていうのは大変なの。気にする事はないわ」

 圭介が笑顔を見せる。崇子は圭介の頭を優しく撫でた。

「でも、悪戯はだめ。いい子にしないとだめよ」

 圭介が頷く。崇子は圭介からそっと離れると圭介の傍らに置いていたパソコンを拾い上げた。すぐに開いてパソコンの画面をチェックする。圭介に異常はない。崇子はパソコンを閉じると圭介に向かって言った。

「戻ろう。上に行って温かい物でも飲もっか。それで落ち着いたら、もう少しだけ検査の続き。退屈だとは思うけど大切な事なの。頑張れる?」

 圭介が勢いよく頷いた。崇子はころころと表情の変わる我子をぐっと引き寄せると少し乱暴に頭を撫でた。

「隊長。大変です。十五分前に脳波が出てます。どうしますか?」

 崇子は溜息混じりに言った。

「今は平気なのか?」

 三鷹が十五分前に一分間だけ脳波に動きあった事が記録されていてそれっきり何もありません、と答えた。崇子は銀色の壁を睨み付けた。

「やってくれたな。三鷹。戻るぞ。後は山戸谷達にやらせよう。すぐにでもここから出て行きたい。検査を早く終わらせろ」

 はい、と三鷹が答えたのを聞いて崇子はぶっきら棒に言った。

「先に上に戻る」

 えっ、はい、という三鷹の声に苦笑を浮かべてから崇子は圭介に顔を向けた。

「圭介。もしも、またこんな事があったら、お母さんにすぐに話して。それと。ごめんね。お母さんが不注意だった。これからはちゃんと見てるからね」

 圭介が照れているのか少し間をあけてからうん、と頷いた。崇子は圭介と一緒にエレベーターに乗ると地下一階のボタンを押した。扉が閉まると圭介が言う。

「お母さん」

「どうしたの?」

 崇子の言葉に躊躇いながら圭介が言葉を継いだ。

「さっき、お母さんが僕に向けたのって拳銃だよね?」

 崇子はその言葉を聞いても案外落ち着いている自分に少し驚いた。

「これは絶対に内緒よ。ここには、ね。この地下三階には、人に取り憑く怪物が保管されてるの。だから」

 崇子の言葉を圭介が途中で遮った。

「じゃあ、さっきの声ってもしかして!?」

 崇子はわざと大げさに頷いた。

「その可能性大。気を付けなきゃだめ。そうね。今度こんな事があったらお母さんの事を考えるの。一生懸命によ。そうして、心の中を一杯にしとけば怪物も取り憑く事はできないわ」

 圭介がうんうんと二回頷いた。崇子はまた、素直に自分の言う事を信じているであろう圭介の頭を撫でてしまうのだった。研究施設のある部屋に戻ると圭介をともなったまま応接室に入った。圭介をソファに座っていた山戸谷に預けると崇子は研究施設内にある給湯所でインスタントコーヒーを入れた。圭介の分だけは砂糖とミルクを多めに入れ、応接室に戻ると山戸谷と圭介にカップを渡す。

「下の様子はどうだったんだ?」

 山戸谷が勢い込んで聞いて来る。崇子は自分の分のコーヒーを一口飲むと言葉を出した。

「圭介の検査が始まったらその辺を話そう。今は、休ませてくれ」

 山戸谷が圭介の顔を一瞥してから言う。

「おっと、そうだな。圭介君、大丈夫か?」

 圭介がふーふーとカップの中の液体にかけていた息を止めた。

「はい。大丈夫です」

 圭介が何か言葉を継ごうとしたが、ドアの向こう側から聞こえて来た三鷹の声が遮った。

「崇子さん。検査の続きですけど、もういいですか?」

 崇子が中に入れと言うと三鷹が中に入って来る。

「お前も少し休め。その後でいい」

 三鷹がはい、と言ってから部屋の中を見回した。

「あれ。私の分のコーヒーはないんですか?」

 崇子はにこっと笑って見せた。

「ちゃんとあるさ。向こうにお湯を注ぐだけにしてある。インスタントとはいえ、入れたての方がいいだろう?」

 三鷹が嬉しそうに微笑んでから踵を返した。

「なるほど。いや、さっすが崇子さん」

 三鷹が一旦部屋から出てコーヒーの入ったカップを持って戻って来ると、山戸谷の服の下から携帯電話の着信音であろう音が鳴った。なんの味気もない単調な電子音が五回ほど繰り返された時、山戸谷が胸のポケットから携帯電話を取り出し通話を始めた。

「私だ」

 山戸谷がすぐに椅子から立ち上がった。崇子が見上げると山戸谷が視線を絡ませて来る。山戸谷はそれからすぐに難しい顔になった。崇子は圭介に視線を向けると口を動かした。

「圭介。コーヒー美味しい?」

 圭介が微笑みながら頷く。

「うん。コーヒー美味しい」

 崇子はにこりと微笑んだ。

「よかった。お砂糖とミルクの量に気を使ったのよ。あなたは甘いの好きだから」

 圭介は崇子の言葉に応えるかのようにそれから一気にコーヒーを飲み干した。圭介がカップをテーブルの上に置くのを見てから崇子は三鷹に言った。

「三鷹。悪いが、圭介の事を頼む事になりそうだ。私が側にいたいのだが、今回は無理だろう」

 山戸谷が通話を終えると溜息をついた。

「すまないな。崇子さんには残ってもらわないとならない。圭介君は今のうちに帰った方がいい。あれがこれから来るそうだ」

 山戸谷がそれだけを言うと、ゆっくりとソファに腰を下ろした。崇子は圭介の側に行くと圭介の手を握った。

「ごめんね。お母さんこれから人に会わないといけないんだ。ちゃんと見てるなんて言った先からこれだもんね。お母さんだめだね」

 圭介が首を小さく左右に振った。

「お母さん……。気にしないで。僕は大丈夫。何かあったら、お母さんの事、一生懸命考える。だから安心して」

 崇子は圭介を抱き締めると耳元で小さな声を出した。

「ほんと、ごめんね」

 圭介がえ? と小さな声を出して顔を動かした。崇子は圭介から離れると三鷹に向かった。

「三鷹。そっちには何もないと思うが、警戒を怠るな」

 三鷹がはい、と凛々しい声で答える。

「では、今すぐに行け。状況が終了したら私もすぐに帰る」

 はい、と三鷹が再度返事をしてから圭介君と声を掛けた。圭介が立ち上がると山戸谷にぺこりと頭を下げてお辞儀をする。

「じゃあ、お母さん先に帰るね」

 崇子は頷いた。

「うん。帰りにケーキ買って帰るわ。うんと大きい奴ね。楽しみにしておきなさい」

 圭介がケーキ? と小首を傾げる。

「甘くて美味しい物だよ。きっと圭介君なら大喜びすると思うな」

 三鷹が言いながら圭介に笑顔を向ける。

「うわっ。ほんと?」

 圭介が満面の笑みで言う。三鷹が本当だよ、と応じ、ゆっくりと歩き出した。圭介も後を追うように歩き出し、やがて、二人は部屋の外に出て行った。二人の姿と声が完全に消えると山戸谷が口を開いた。

「本当に、人間らしい」

 崇子は深い溜息をついた。

「圭介の目覚めからまだ数時間だ。今日は厄日なのかも知れん。どうしてこう物事が重なるのだろうな」

 山戸谷が煙草を口に咥えた。

「重なる時は重なる物だろう。それに悪い事ばかりとは限らんよ。全てが解決するかも、だ」

 崇子はふっと意地悪い笑みを浮かべた。

「さっきな。圭介はB01と話したと言っていたよ。正確には声を聞いたというだけだが。圭介を地下に呼んだらしい。ログも残ってる。B01はどうやってか、圭介の事を感知して目を覚ましていた。あれは一体何をするつもりなのかな……。B02は何時ここに来るんだ?」

 山戸谷が深い溜息とともに紫煙を吐き出した。

「取り敢えず被害はないのだろう? 今はそれでいい。地下の様子と圭介君がどうやって地下三階まで行ったのかは後で調べさせておく。B02だが、さっき、電話が掛かって来た時点で、横浜横須賀道路を車で走行中だった。そう長くは掛からない」

 崇子は視線をドアの方に向けた。

「そうか。山戸谷。お前も早く行け」

 山戸谷が力なく笑った。

「気が変わった。君と圭介君を見てたらこれからどうなるのかを見たくなった」

 崇子は苦笑した。

「とんだ勘違いだ。精々死なないようにする事だな」

 崇子が言い終わってからすぐに応接室の外から足音が響いて来た。

「来たかね」

「そのようだな」

 山戸谷がソファから立ち上がったのに合わせて崇子はカップの中に残っていた琥珀色の液体を最後の一滴まで飲み干した。

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