第3話

 横須賀という場所には、米軍の基地があり、そのすぐ側には自衛隊の基地もある。数年前まで、外交が上手く行っていて、日米安保条約が効力を持っていた頃なら、特に緊張を持って目をやる景色ではなかった。だが、沖縄基地問題から端を発し、日米安保条約の締結を時の内閣が拒否し、条約が破棄された現在では、戦時中ではもちろんないのだが、不可思議な緊張感が漂う景色になっていた。崇子はそんな両基地の前を迎えの車で通ってから、やはり海辺に隣接する研究所の中に入った。コンクリートの高い壁で守られるように囲まれた白色五階建ての建物。監視小屋のある門の向かって右側の壁面には、横須賀装備実験隊の文字。崇子達が門を潜るとすぐに鉄製の無骨な門が閉じられる。圭介は崇子の横で目隠しと消音用のイヤープロテクターをされた姿で大人しく座っている。左側に座っている崇子の右手を左手でしっかりと握っているのは崇子にとっては嬉しくもあり悲しくもある物だった。車は、建物の地下駐車場に入ると建物の中に直接繋がっているエレベーターの前で停車した。

「圭介。降りるわよ。気を付けて」

 今は聞こえないと気付き、体を揺すると圭介がこくりと頷いた。圭介を支えながら車から降りるとすぐに迎えに来ていた三人ほどの軍服姿の自衛隊員が周りを守るように囲んで来た。顔も名も知らない隊員の一人に崇子は声を掛けた。

「随分と物々しいな。何かあったか?」

 陸士長と思しき人物が口を開いた。

「詳しくは聞かされてません。ですが、昨晩から警備レベルが引き上げられました」

 崇子はありがとうと礼を言って黙った。隊員達はイヤープロテクターに目隠しという異様な姿の圭介を見ても表情一つ変えていなかった。崇子は隊員達の顔を全て見てから、首を回して骨を鳴らした。エレベーターは部屋の中に直接乗り入れているので目的の五階につくと降りたのは圭介と孝子だけだった。柱のない一つの大きな部屋だが、間仕切りが幾つかあって応接室や標本室などのプレートがその入り口に掛けられている。先に戻っていた三鷹が応接室とプレートの掛かったドアの中から姿を現した。

「中で、山戸谷陸候補がお待ちです。粗相のないように」

 言って三鷹が軽薄な笑みを浮かべる。崇子は厳しい声で応じた。

「説明はしてあるな?」

 三鷹が頷く。崇子は二回頷いて返事とすると三鷹に続いて中に入った。

「これはどうも。こちらがご子息の」

 安価だが見た目だけは立派なソファに座っていた五十代前半くらいに見える人物が立ち上がって声を掛けて来た。崇子は、ゆっくりとした動きで圭介のイヤープロテクターと目隠しを外すと口を開いた。

「圭介です。圭介、こちらは、山戸谷陸候補よ。私の職場のお偉いさん」

 圭介が困惑顔で見詰めて来る。山戸谷が言葉を継いだ。

「圭介君。今日はすまなかったね。君が目を覚ましたとの事だったので、お祝いをと思ってね。体調の方はどうかな?」

 圭介がおどおどとしながら口を開いた。

「は、い。体調はいいと思います。ごめんなさい。こうなってから、母以外の人と会うのは二人目で。どうしていいのか、分からなくて」

 山戸谷は鬼瓦のような顔ににこりと微笑を浮かべた。

「気にしないでいい。体調がいいなら何よりだ」

 崇子の顔を山戸谷が見詰めて来る。崇子は視線を外すと圭介に向かって言った。

「圭介。検査があるから三鷹と一緒に行ってて。私は山戸谷さんと話があるの。終わったらすぐに行くから」

 ドアの側に立っていた三鷹が圭介の側に来る。

「では圭介君。一緒に行こう。お母さんがいなくても平気かな?」

 崇子は三鷹を睨んだ。

「平気ですよ。僕だってもう十三歳です。一人だって平気です」

 三鷹が大げさに驚いた顔をみせる。

「ほう。それは立派だね。崇子さん、どうします?」

 崇子は深い溜息をついた。

「三鷹。あんまりくだらない事を圭介に教えるな。お前と二人にするのが心配になる」

 三鷹が真面目な顔になる。

「ご心配無用です。しっかりと圭介君の面倒をみます」

 崇子は苦笑してから、圭介の不安そうな顔を見た。

「大丈夫よ。三鷹はこんなだけど信用できるわ。行ってらっしゃい」

 圭介がうん、と返事をすると三鷹が圭介の肩に手を置いた。

「それじゃ、圭介君行こうか」

 はい、と圭介が返事をし、二人は部屋の外に出て行った。山戸谷と二人になった崇子は手に持っていた目隠しとイヤープロテクターをガラス製の彫刻の施された丸い灰皿と無駄に大きいライターの横に置いた。

「随分短時間の謁見で」

 崇子が皮肉たっぷりに言うとソファに肉付きのいい体を沈めながら山戸谷が応じた。

「緊張していたんだよ。君の実の息子さんとはいえな。自分の身がかわいいのは皆同じだ。単刀直入に言う。大丈夫なのか?」

 崇子はぶっきら棒に言った。

「何がだ?」

 山戸谷が目が細める。

「全く君は。圭介君だよ。危険性はないのかと聞いている」

 崇子は物憂げな表情を作って見せた。

「私の自慢の息子に酷い事を。問題はない。あれ自体の記憶は消去してある。それにあれの中には、制御装置が組んである。自爆させる事もできるさ。我ながら悲しくなるがね」

 山戸谷が満足そうに頷いた。

「君という人間は……。だが、その非情さが大切だ。圭介君は、日常生活及び情報収集活動の実地試験用だったな。そんな怖い顔をしないでくれ。今日だけだよ。君の意向は分かってる。私達の生活に口を出すな、だろ? それが君が脳死状態だったとはいえ、自分の息子さんを実験対象として差し出した見返りだ。私が今の地位にいる限り約束は守る」

 崇子はふんっと鼻を鳴らした。

「何か……、そうか。B02の事か? こっちに来たがってるそうだが」

 山戸谷が、失礼する、と言ってスーツの胸ポケットから煙草を取り出した。無駄に大きいライターを手に取ると素早く火を付けて深く息を吸い込んだ。紫煙が口と鼻から吐き出される。

「禁煙ばかりだからな。こうして灰皿がある場所の方が珍しい。B02。常葉青と名乗っているらしい。あの当時のままなのか?」

 崇子は赤く燃えながら短くなる煙草の先を見詰めた。

「私が知る訳がないだろ。山戸谷さんの方が詳しいんじゃないのか?」

 山戸谷が苦笑した。

「すまんすまん。私の周りにいる人間はどいつもこいつも裏がある奴ばかりでね。こういう話し方が癖になっている。だが、君は、大上と繋がりがあるはずだ。ブロワーの事は彼らの方が知っているのではないのか?」

 崇子は小さく溜息をついた。

「確かにそうは考えるか。あれは元々大上が保管していた物だ。辞める時に私が盗んで来たのだからな。だが……。奴らが気付いていたかどうか。あれが実は知能を持っていて、人間と会話ができる物だって事に。私がたまたまそういう能力を持っていた、いや、あれと出会ってそうなったのかも知れないな。とにかく、大上が何かを知っていたとしても今の私とは関係ないさ。大上とは今の所接触はない」

 今の所? と山戸谷が言う。

「ああ。そのうち向こうから来ると思うがね。何せ、あそこの娘、大上一蔵の孫の一人だが、こいつがかなりの切れ者でね。下手をしたら一蔵の跡を継いでいるかも知れないほどの子なのだが、その子が圭介の同級生だったんだ。そこは私の自慢の息子だ。大上の孫は圭介にべた惚れだよ。必ずどこにいるか連絡をして下さいなんぞと言っていたが、無論連絡はしてないがね」

 山戸谷が厭きれた顔を見せる。

「圭介君と同級生という事は十三才なのだろう? それが大上の後継者とは。それはあり得ないだろう」

 崇子は首を小さく左右に振った。

「分かってないな。大上が前大戦後から今まであの地位と財力を維持し続け今尚成長している理由だよ。あそこは凄まじいまでの実力主義だ。十三だろうが、女だろうが関係ないさ。まあ、あの子、大上響子が後継者になっているだろうというのはあくまでも推測だがな」

 山戸谷が長くなった煙草の灰を灰皿に落とした。

「話がずれたな。B02だが早ければ今日明日にもここに来るはずだ」

 崇子は山戸谷を睨み付けた。

「はずだ? どうして把握していない?」

 山戸谷が苦虫を噛み潰したような顔をした。

「米国だ。彼らは大使館の庇護下にある。あまり強くは出れん。だが、大使館を出て、こっちに向かっていれば分かる。それに好都合じゃないか。研究所に来て、検査を受けてもらおう。その検査中に何か問題が発見され、それが原因で死んでもらえばいい。こちらが先を行っている技術だ。あちらさんも文句の付けようがないだろう。あっさり亡命なんて事をされるよりはかなりましだ」

 崇子が声を発して笑った。

「あれをここで始末するのか? 圭介に会うだけで緊張していたあんたが?」

 山戸谷が屈託のない笑みをみせた。

「いや。私は帰る。後はここの連中に任せるよ。ブロワーの恐ろしさは身を持って知っている。B01ほどではないにしろ、かなりの物なのだろう?」

 崇子は露骨に厭きれたという顔をしてみせた。

「そうだな。懐かしいというにはまだ早い。あれは、ここの地下三階に今も冷凍保存されているしな。殺す事もできないんだからな。帰れるなら帰った方がいいさ」

 山戸谷が苦笑した。

「半分は冗談だったのだがね」

 崇子は真面目な顔をした。

「いやそれでいい。今後の事もある。こんな所で命を落として欲しくない。無論、私と圭介の為だが」

 山戸谷が何かを思い付いたような顔になった。

「さっきの話だが」

「どのさっきの話だ?」

 崇子の問いに煙草を灰皿に押し付けて揉み消した山戸谷が言う。

「自爆装置だ。B02には?」

 崇子は小さく頷いた。

「ないよ。B02の教訓から学んだ事だ。まさか脱走するとは思わなかった」

 山戸谷が頷く。

「そうか……。B02は、成虫にはならんのか?」

 崇子は即答した。

「因子は持っているが、基本的に宿主からは出たがらない。仮に自分の意志で出て来たとしても、外に出てから一時間くらいか。その時間さえ与えなければ成虫にはならん。なんでもいいんだよ。あれが宿れる物の中に入れてしまえば成虫になる事はない。例え成長が始まってしまっていてもだ。金属質の殻を持っていても、大きな体を持っていても、宿主の中の方がいい。馬鹿な生き物じゃないって事だ」

 山戸谷が溜息をついた。

「自分達でやっておいて今更なのだがね。ブロワーとは何者なのだろう」

 崇子はドアの方に視線を向けた。

「分からんね。それに知ってもしょうがない。もう始めてしまったんだよ、我々は。どうやって付き合って行くかを、どうやって利用するかを、それを考えるのが先決だろう?」

 山戸谷が重々しい声でそうだな、と言った。会話が途切れ、二人の間に沈黙が落ちる。山戸谷が二本目の煙草を口に咥えた時、ドアがノックされた。崇子がなんだ? と声を掛ける前にドアが開かれ血相を変えた三鷹が中に入って来た。三鷹という男が慌てるのだから余程の事態か? と崇子は考えた。

「B02が来たか?」

 崇子の言葉に三鷹は反応せず、頭を下げて別の言葉を口にした。

「すいません。圭介君が」

「圭介がどうした?」

 思わず声を荒げていた。山戸谷が言った。

「二人ともそう焦るな」

 崇子は山戸谷を一睨みすると静かな口調で聞き直した。

「圭介がどうしたんだ?」

 三鷹が深く下げていた頭を上げた。

「圭介君がいなくなりました。レントゲンを撮っていたのですが係りの者が現像をしている間に部屋の中からいなくなってしまって」

 崇子は低く感情を抑えた声を出した。

「そうか。大丈夫だ。私のノートパソコンを頼む。あれで居場所は分かる」

 はい、と大きな声で返事を一つしてから三鷹が応接室の外、この部屋の間仕切りのない研究施設部分にある崇子の机からノートパソコンを持って来た。崇子は受け取るとテーブルの上に置きノートパソコンを起動した。フルオーダーで部品を組み上げているノートパソコンは数秒で起動を完了しOS画面を立ち上げる。崇子はマウスカーソールを操作して圭介と書かれたアイコンをダブルクリックした。画面に新しいウィンドウが開き、その中に項目事に分かれた文字の羅列が表示される。崇子が位置情報と書かれた文字をダブルクリックすると立体画像で建物の図が浮かび上がる。

「この建物ですね」

 三鷹がすぐに気付いて口を開いた。

「そうだ。この国にある既存の建物のデータはほとんど入っている。建物の中にいれば、建物の中のどこにいるかまで分かるようにしてある」

 オレンジ色の三角形のマークが立体図の地下三階の部分で点滅をしていた。崇子は舌打ちをしてしまった。背後から画面を覗き込んでいた山戸谷が言う。

「地下三階だな」

 崇子は素早く振り返ると声を上げた。

「私と三鷹で向かう。他の者は近付けるな。万が一の時には、連絡する」

 山戸谷が両の目を閉じて、黙考する。束の間の沈黙の後、ゆっくりと目を開けた。

「分かった。君を信じよう。君からの連絡があるまで私はここで大人しくしている」

 崇子は呟くように言った。

「借りが一つか」

 山戸谷が鬼瓦のような顔に似合わない笑みをしてみせた。

「大上第一私兵隊の元隊長だ。ブランクがあっても今ここにいる誰よりも戦力になる。借りだなどと言うな。私は自分と自分の部下達がかわいいだけだよ」

 崇子はちらりと目線を合わせて返事とすると三鷹に向かって言った。

「三鷹。お前は対成虫用のマクミラン改を。弾丸は無論フルメタルジャケットだ。私はBC弾用のハンドガンを使う」

 崇子の言葉を聞いて三鷹が聞き返して来た。

「隊長、本気ですか?」

「本気、とは?」

 崇子の声は低く沈んだ物になっていた。三鷹が真剣な顔を更に引き締めた。

「いえ。なんでもありません。BC弾を使うとなると密閉装備が必要になります。準備をして来ます」

 崇子が頷くと三鷹が再び部屋から駆けて行った。崇子はノートパソコン開いたまま持って応接室から外に出た。だが、不意に立ち止ると背中越しに山戸谷向かって声を掛けた。

「山戸谷、気付いたか?」

「何がだ?」

 崇子は振り返って山戸谷の顔を見た。山戸谷は鬼瓦のような顔にしては表情が豊かに顔に出る男だった。

「本当に気付いてないのだな。私の事だよ。今、私の手は震えているんだ。何も言うな。これはただの愚痴だ。聞いていればいい。怖いんだよ。自分の息子を……。自ら蘇らせただけでは飽き足らず、自らの手で処分しようとしてるんだ。つくづく馬鹿な女だと自分ながらに思う」

 崇子は山戸谷の反応を待たずに踵を返した。

「落ち着く事だ。まだ最悪な事態になっているとは断定できん」

 山戸谷の声が聞こえて来る。崇子は冷めて乾いた笑い声をあげた。

「あなたの出世には、私がまだまだ必要なようだ。山戸谷。私もそうだがあなたも甘い」

 崇子は足早にエレベーターに向かった。

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