第51話

 無粋にもしゃしゃり出てきたのは、いつの間にか端役へと追いやられてしまっていた新魔王ガベルファウストだ。アイドルのステージに、黒炎を揺らめかせた怪馬で乗りこんでくる。


「立ち去れ、ガベルよ。この神聖なステージは、貴様ごときが上がっていい場所ではない」


 かつての側近が、闘技場戦争の意義を介さないことはわかりきっていた。血塗られた闘争にしか意義を見出せない暗黒騎士がここに立てば、また死が振りまかれるのは明らかだから。


「かつての長よ。この場にて姫と勇者の決着が付こうが付くまいが、それがしにとって瑣末で他愛もないこと。されど、新たなる魔王を受け継いだそれがしの決着だけは、この場で付けねば去れぬのです」


「それでも去れと言ったのがわからんのか。よもや、新魔王としてこのおれを乗り越えたいとでも言いたいのか? だとしたら、それほど無意味なことはなかろう。おれはもう、とっくに敗れた王なのだからな……」


 あくまでガベルファウストに退けと要求するナラクだったが、そのような理屈が通用する相手ではないことも織り込み済みだ。頼みの綱は、調停者たる〈使徒〉の介入だけだが――


【――よかろう。また試合をあらためるのもしち面倒臭いのじゃ。ほれ、このステージはもう少しだけ残しておいてやる。歌おうが、殺しあおうが、脳筋バカどもが好きに使うがよい】


「なっ――貴様! 勝手に我が力を奪い取っておきながら、ここでガベル相手に何をどうやって決着しろというのだ! 調停者としてあれだけ振る舞ってみせたそのクソ生意気くさったツラで、それらしい体面すら保てんのか!」


 ナラクとしてもみっともない真似ではあったが、〈使徒〉に猛抗議していた。

 なのにブランコに胡座を掻いて頬杖を付いたまま、〈使徒〉はこれ以上の干渉はしないという態度を決め込んでしまう。魔界のものどもの小競り合いなど下らなさすぎて、イデアリスの介入に値しないという回答だった。


「――――あい、承知いたした〈使徒〉殿。では、あらためて〈剣闘技〉にて決闘を執り行われたし。いざ神妙に勝負を願おう、かつての我が長よ――」


 ふしゅるるる。骸骨兜から黒々と吐き出される魔界の炎。ナラクの身の丈の優に二倍近くはある、そびえ立つ鉄塊めいた甲冑姿のガベルファウスト。

 鉄塊めいたと言えば、正真正銘の鉄塊を、さながら鉄槌のように掲げたガベルがナラクに迫り来ていた。

 六脚の禍々しい怪馬を駆る新魔王。振り上げた鉄塊から溶け落ちるように、打ちたての剣や槍が取り出される。それらがステージに散らばり、刃の鋭さのあまり次々に突き立っていく。


「くぁっかっかっかぁ! さあさ、お好きな刃をその手にお取りなされい! 剣技ひとつでそれがしの首をはねてみせましたらば、あなたの勝利と認めこの場は退きましょうぞ――――!」


 そんな決闘を要求されても、ナラクはもう魔王ではなくなっていたのに一体どうしろと。不死の力のみをその身に残した、ただ悪魔めいた角を生やしただけの、人間そっくりの何か。

 そのナラクには、どう足掻こうともこの怪物に太刀打ちなど――

 なのに、そんなナラクへと駆け寄るものがいた。

 茫然と立ち尽くすしかなかった敗北者の、その肩を必死で掴んで。


「――ナラク、いいからこっちを向いて」


 ユーフレティカだ。戦い終えたはずの人間が、何故〈剣闘技〉の舞台に飛び込んできたのか。

 よっぽど唖然とした顔を見せてしまったのだろうか。ユーが、少しだけ困惑顔を見せる。不気味な笑い声を高鳴らせて迫り来るガベルを背に、今さら何を話すことがあるというのか。


「黙って言うとおりにして。目を閉じて……ぼくを受け入れて――」


 ナラクになら、一瞬で悟れてしまう。この手の儀式は、たとえば童話などの物語の定石だ。種明かしがすぐにわかってしまったのに、ユーフレティカから迫真のまなざしを向けられれば、何か強くて避けがたい情動が、ヒトを知ってしまったナラクを釘付けにしてしまう。

 最初に彼女からまぶたを閉じて。ゆっくりと迫る唇が、躊躇いがちにナラクに触れる。

 途端、たぎるほどの熱が鼓動を返して。よりその唇を貪りたい衝動を覚えた自分に恐怖して、ナラクはユーフレティカの肩を突き放そうとして。

 なのに、それでも彼女が頬を捕らえて放さない。最初は啄むようだった接吻が、一旦引き離されると再び求めて彼女から覆い被さってくる。

 途方もない時間が過ぎ去ったかのような、一瞬の口づけが永遠の終わりを遂げた時。


「……ねえ、ナラク。ぼくは、あの祭壇の後ね。〈使徒〉から、ある〝鍵〟を受け取ってたんだ。きっと、ぼくにはこんな真似できやしないって、あいつも侮ってたんだろうけどね」


 そう、耳元で囁いてきたユーフレティカ。そんな自分の心臓が、熱く燃えたぎっているのを胸元越しに感じて。ぎゅっと押しつけられた彼女の鼓動が、次第に同期していく。


「ふふっ……とくと見たか魔王よ、これこそがヒトの持つ〝愛〟の力だ。さあ、愛に目覚めよ、ナラクデウス。おまえに、ちょっとだけ、かつての力を――――――」


 〈聖者の紋章〉が、互いの鼓動に呼応して光を放つ。

 おぞましい哄笑を上げ続けていたガベルファウストが、まだ刃を取らぬのかと、ぐるぐるとステージを駆け回るのを止め、その場で怪馬を落ち着かせとどまる。


「――どうなされた、我が長よ! それがしに恐れをなす長でもないと踏んでおりましたが、よもやその勇者と二人がかりで決闘する算段かと、わずかに失望しかけておりましたぞ!」


 だが、今さら異変に気付いても、もう手遅れになっていた。


「…………へえ、そういうことだったのか、イデアリスの〈使徒〉よ。まったく、心底くだらねえ呪いをこの魔王にかけてくれたもんだ」


 途端に力尽き、崩れ落ちるユーフレティカを抱き支えてやると、すぐさま駆け寄ってきたミュゼに託す。そしてまだ傍観を決め込んでいた〈使徒〉を睨み返してやるも、まだ傍観者を止める気がなさそうな仏頂面が返ってきた。


「ふん、まあ過去を恨むのは俗のやること。そんなもの今さらこの我には瑣末事」


 代わりに、臓腑の内から溢れそうな、たぎる魔力の奔流をナラクはこうして噛みしめている。

 眼前に突き立っていたガベルの錬成剣――それを抜き放つと、ナラクデウスは魔力を込め、ガベルと同質の、黒き炎を纏わせる。


「……して、我が六魔将が一柱、〈黒炎帝〉ガベルファウストよ。我もまことに不本意ながら、このようなふざけた展開になったようだ。恨むなら――ふむ、やはりイデアリスの〈使徒〉に苦情でも寄せるのがよかろう」


 この力もどうせ一時だけのものだと、そんな諦めはあった。ただ、溢れんばかりの力を取り戻していたナラクデウスは、この瞬間だけでも、かつての魔王たろうとすることを選んだのだ。


「おお、その魔力の輝きよ! あなたはやはり、魔王ナラクデウスそのものであるな! それがしと再びこうして相まみえた光栄! 感激至極に打ち震えまするぞ――――――!!」


 魔王ナラクデウスは、邪悪な笑みを浮かべて応じる。

 怪馬を駆り、迫り来る髑髏の暗黒騎士ガベル。

 ユーフレティカが、ミューゼタニアが、そしてイデアリスの〈使徒〉が。

 多くの観客たちが静観するもうひとつの舞台で、両者が激突した瞬間。

 ステージは漆黒めいた地獄の業火で焼き尽くされ、

 見届けたものたちを戦慄の底へと叩き落とすほど熾烈な戦いとなったのだった。

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