第45話

 瞬く間にヴェナントを掌握してみせたリュクテア軍。聖堂騎士団と名づけられた、女神教聖堂院直属の白騎士たちを主体にした兵士――南側城壁にて侵略者を迎え撃つべく展開した、およそ七千騎の軍勢。

 かたや、ヴェナント南方国境線側まで兵を進軍させ、ヴェナント側の回答を待ちわびていた新魔王軍。多種族編成の魔物たちの軍勢――およそ一万騎。

 約束された両軍勢の衝突は正午過ぎ、遂に勃発する。

 どちらが開戦の火蓋を切ったのか、もはやわかるはずもないほどの混戦模様となった。

 鈍重なはずの戦闘馬にて、縦横無尽に戦場を駆ける聖堂騎士たち。神秘の加護を受け、装備した甲冑や騎槍が薄衣のごとく軽くなっていたからだ。

 三千騎をヴェナント防衛に割く戦略をとったリュクテア側は頭数で不利となったが、それでも群がり来る悪鬼たちを、羽虫を潰す勢いで屠っていく。

 野蛮な戦争の時代が遂に終わったのだと、かつてヴェナントでは文明的な闘技場戦争の到来を歓迎したはずだった。

 それが、どうしてこのような凄惨な光景を、再び目の当たりにすることになったのか。

 この戦の傍観者となるしかなかったナラクは、まだ見張り台にとどまり、あらゆる死を見つめ続けていた。

 方々に散らばる悪鬼たちの死体に混じって、まばらだが人間たちの死体もその上に折り重なっていく。迂闊だったものから先に命を落とし、次に弱いものがその後を追っていく。

 ナラクには何も思うことはない。いつか見たものと同じ光景が、こうして再演されているにすぎないからだ。踏み潰されていく魔物たちに同情するわけでもなく、見知らぬ人間どもの非業の死に感情移入することもない。


「――敵のストーンドラゴンに接近してはなりません! やつらの大砲は厚い城壁をも貫きます! 射線上を避け、迂回して背の櫓を落としなさい!」


 馬上から配下たちに指示するトロネ代行の姿が見えた。

 新魔王軍の鎧竜――ストーンドラゴンとも呼ばれる巨大な地竜は、翼を持たない代わりに、魔工兵器の砲台を背負っている。神秘の加護ごときでは防ぎきれない、ガベルファウスト虎の子の都市破壊兵器だ。

 砲手が勢い余ったのか、一基の魔工砲台より、狙いもろくに定めずに魔工砲が発射される。放物線状に光筋を描く魔力の凝縮弾。だがこの射角では射線上で交戦していた騎士たちには届かず、完全な誤爆となる。先行する鎧龍二体を巻き添えに大地をえぐり取り、土砂と肉塊と血を巻き上げ、草原に巨大なクレーターを穿った。


 ――兵の統率がまったく取れてねえ。ガベルのやつめ、相変わらず戦の勝ち負けなんてどうだってよくて、好き勝手暴れ回ってブチ殺せりゃそれで満足ってことか。


 戦場を駆け、己が軍勢を鼓舞してまわるトロネ。かたや敵軍の将――新魔王ガベルファウストは、自陣側の中心にとどまり微動だにしない。端から新魔王側勢力は軍のていをなしておらず、烏合の衆が勝手気ままに暴れまわっているかのようにも見えたほどだ。


「――この戦、リュクテアの兵力にて敵を退けることにこそ大義がありましょう! 狙いは新魔王にあらず! 雑兵どもを一匹残らず駆逐せよ! 聖なるリュクテアに牙を剥く行為がいかに愚かであるか、それを忘れはじめたこの世界に再び知らしめるのです!!」


 リュクテア側の思惑とは、あくまで本国の威権を示すことあるのは明白だった。そのためには、ヴェナントの犠牲もシナリオのうちなのだと。

 ここで、戦場の流れが急変することになる。

 地平の先――新魔王軍が出現した〈未踏領地〉より、おびただしいまでの光の矢が打ち上がったのだ。

 なんだ、あれは。こちらに来るぞ。勘のいい騎士たちは退避すべく馬を走らせたが、降り注ぐ雹のごとき光の矢が、まるで紙のように鋼を貫いてゆく。


 ――ガベルめ、また奇妙な発明品を実戦投入しやがったか。


 ナラクも知らない技術だが、ガベルファウストは武器開発に長けた将だった。何らかの術で、超長距離を射る弓を生み出したに違いなかった。


「そんな、まさか……あれほどの遠方から届く矢なんて、たとえ神秘や魔術の類でもあり得ません……」


 途端に形勢が変わり、死にゆく仲間たちに絶望したのはトロネも同じことだったろう。

 女神の名の下に主人を庇おうと飛びだした白騎士が、降り注ぐ矢に打たれ、傍らに倒れ伏す。

 そしてトロネ自身の死も、平等に到来することになる。

 一射目が肩に突き立つ。悲鳴を上げたトロネが肩を押さえるも、流血の熱を感じた直後には頭蓋を砕かれ――途端に十を超える光の矢で串刺しになり、白装束を血で赤く染め上げていた。


「――――――あれ………………れ…………?」


 痛苦に肩を押さえていた手を目の前で広げると、トロネが無垢な声を漏らした。

 ぬるりと熱い血は、まるでタチの悪い夢だったかのように掻き消えてしまっている。胸元を押さえても、緊張に汗ばんだ皮膚の感触だけ。流した血ではなく、冷たい汗だけが胸の谷間を伝っていく。死んだはずの自分に、傷ひとつないのは何故だ。

 けれども、あたり一面に仲間たちの死体が転がってるのは変わりない現実だ。ただ、この心が軽くなった感覚はなんだ。自分ひとりだけ、まるで悪い夢から解き放たれたかのような。


「うそ………………この力って…………まさか、あいつの!?」


 トロネが無意識に口ずさんだ〝あいつ〟が、いま目の前に立っている。

 白銀の長い髪を草原の風になびかせ、光で編まれた聖剣を掲げれば、向かい来る光の矢など次々に霧散していく。もはやどんな攻撃も、自分たちの周囲には届かない。あれこそは魔術により引き起こされた効果を、すべて己が糧に変える奇跡の剣なのだから。

 その力を持つこの世界で唯一の存在――その名は、


「エクス――――何よそのかっこ……本当に、本当にあんた……なの…………?」


 だが、トロネが知る〝あいつ〟の背中にしては、あまりに大きすぎた。長い髪も、あるはずのない乳房の豊かな膨らみも、そして美しく可憐な顔だちも。


「ごめんね、トロネ。ずっと会えなくてごめん。今ごろに助けに来て、ごめん。全部、ごめん」


 何をそんなに贖罪する必要があるのか、そう吐露したのは白銀の髪の剣士――ユーフレティカだ。


「嘘よ、こんなことって信じられないわ。でも、さっきのあの感覚……確かに、聖者テュテスの奇跡――〈因果手繰りレドゥ〉だった。ああして死ぬ因果からあたしを救ってくれたってことは、やっぱあんたは本物のエクス……?」


 〈因果手繰りレドゥ〉――特定の他者一人の時間を巻き戻すこの軌跡は、唯一エクスだけが持つ能力だったはず。

 確かに、いま目の前にいる少女の額に輝くのは、見まごうことのない〈聖者の紋章〉だ。

 対して、もはや〝彼〟とも〝勇者〟とも呼ぶことを躊躇う、華やかで愛らしい衣装。死体が折り重なる戦場にはあまりにも不似合いなドレス姿に、髪の上で大きな花弁を真っ赤に花開かせているのは飾り帽子だ。

 そんな変化を遂げたエクスを目の当たりにしては、冷静沈着なトロネをしても流石に認識を戸惑わせるしかない。


「聖者の奇跡ですら、一度に救える命はたったひとりだけだなんて、なんてぼくは無力なんだろうって、三年前からずっと後悔の繰り返しだった。でも、今こうしてキミを助けられてよかったって思ってるよ、トロネ」


「あは……嘘よ、こんなのぜったい嘘じゃん。なんであんた、そんな〝女の子〟してるのよ。確かに男の子にしちゃ可愛すぎたけどさ。だからあたしは、そんなあんたが……ああっ、もお! いま話したいのはそんなことじゃなくって」


 すでに多くの仲間を失ったのが明らかな光景。こんなの、戦場のど真ん中でしていい話ではなかったはずだ。けれども、事態を挽回させるために必要だと信じて。


「ふふ……やっぱり〝あの〟トロネだ。テュテスのおかげで、ようやくキミの目を覚まさせることができた」


 ようやくかつての友だちに笑顔を見せることができたと、ユーフレティカの胸から後悔が一つ解き放たれる。最後の戦いへと、これで心置きなく赴くことができる。


「トロネがこんな馬鹿げた戦争を始めるだなんて、絶対に何か裏があるって思ってたんだ。キミが〝大神官の操り人形〟って言ったとき、まさかほんとに大神官に操られてるなんてぼくでも気づけなかった。あーあ、ナラクにまたができちゃったな」


 リュクテア聖堂院における代行大神官とは、文字通り大神官が世界各地で活動するための〝端末〟の役割を与えられた人間たちに過ぎない。だから操られているトロネに意思はなく、今の彼女の人格は大神官そのものだ――そう教えたのは、何を隠そうナラクだったのだ。


「とにかく説明はあと。トロネ、ぼくたちの作戦に協力してもらうよ。もう取り返しがつかないのはわかってる。それでもみんなを救うんだ」


 光の矢の第一波が、ようやく途絶えても油断することはできない。続く第二波が放たれるよりも早く、この戦を中断させる策を実行に移さねばならなかった。

 だが、この情勢を覆すことなどどだい叶わないのだと、因果はユーの目に現実を突きつける。

 地鳴と、轟音。ずん、と鳴動する大地。

 魔工砲台の発射音だ。辛うじて自制を保っていたらしいガベルファウストがしびれを切らしたのか。あるいは統率の取れていない配下たちの暴走か。新魔王軍で一番巨大な鎧竜から、最大級の魔工砲台――虎の子の都市破壊兵器が遂に放たれてしまったのだ。


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