第46話
見張り台でナラクが見たものは、魔力で練り上げられたもの特有の赤熱光――それも、頭上の太陽すら越えるほどの直径をした高威力のものが、恐るべき速度で迫り来ている。
――なっ……魔工砲を、ヴェナントに直接向けやがっただと!?
閃光に包まれるこの光景の中で、無力なナラクはただの一歩すらも動くことができない。
直後――――――
ヴェナントに直撃した魔工砲の光が、城壁を半円状に打ち砕いていた。
見張り台もろともに吹き飛ばされたナラクは、宙から絶望的な光景を見下ろすことになる。
魔術を封じられ浮くこともできなくなったナラクにとって、それも瞬く間の出来事だ。
市街を一直線に貫く光筋。そして、とどめのように横薙ぎに切り払われる。魔力が生み出した高熱で、扇状に融解する都市。舞い上がった煉瓦を、熱風が吹き飛ばしていく。高層から崩落していく建築群と、戦火の中を逃げ惑う生存者らの影。
ヴェナントを薙ぎ払っていく魔工砲――出力源の魔工石が間もなく尽きるのか、その緋の光は次第に衰えていく。だが、光は〈白竜眠りしヴェナール城〉をかすめ、屋根の小尖塔を削り取り、その終着点は突き出した塔の一つとなった。
魔工の光は、残酷にもその壁を溶かし、遂には熱を遮れなくなって貫き通る。
――あそこは、まさか………………シャ…………ル……の……。
不思議と脳裏に浮かび上がってきたその顔は、悪戯好きな人間の子どものものだ。その奇妙な喪失感だけを胸に、自由落下していくナラクが見た最後の光景。
より輝かしき閃光が、視界でもうひとつ瞬いていた。
その閃光が一瞬のうちに、ナラクの世界を白一色で埋め尽くしてしまう。途端に現実感が消し飛んで、このまま地面に叩きつけられる結末が一向に訪れることもなくて。
――なんだ、こいつは…………鳥の、羽根…………?
視界一面に降り注いできたそれは、灰色をした羽根だ。真っ白な光景でもはっきりと視認できる、灰の妖精めいた何かが無数に舞い踊っている。
今、ナラクを宙で抱き留めているものがいた。
【――かような結末など来てほしくなかったが。さあ、わらわが裁きを下す時間じゃ】
そしてナラクのすぐ耳元で、怒りとも悦びとも悲しみともつかない声色でそう囁いたのだ。
◇ ◇ ◆ ◇
ヴェナント目がけて都市破壊兵器を放った鎧竜は、直後のあり得ない反撃で宙に浮き上がると、あの巨躯が瞬時にぐにゃりと捻れて砕け散ってしまった。何かに襲われたわけでもないのに、である。
空中で真っ白な粉となり果てた鎧竜。降り注ぐそれらが大地に積もり、鋭利な結晶と化していく――まさに塩の塔だ。
同じ現象が次々に起こる。残る鎧竜たちが、背に乗っていた騎乗兵もろとも塩の塔と化した。地上にいたものたちも影響を免れない。聖堂騎士や悪鬼たちの剣が、槍が、弓が、そして戦闘馬のあぶみまでもが、白い結晶になって土に降り積もっていった。
【――わらわは破壊と創造の神イデアリスの使徒である。なんじらよ、大地にその愚かしい頭を垂れよ】
戦場の遙か高みより、そんな声が轟きわたった。
それはヒトの、それも女の子どもの声に似かよっていた。
だが、戦場に現したその姿は、女の子どもの姿には似かよっていたものの、大きく異なる部分があった。
琥珀の光をともす瞳。生命が通わぬかのように真っ白な肌と、同じ真っ白な髪。子どもの背丈よりも長い髪が風に揺られ、争いあうものどものの頭上にはためいている。
そんな幼女の似姿は、巨大な遊具――ブランコに腰かけていた。ブランコといっても、純白の光で編まれた実体も不確かなもので。おまけに横木を支える二本の鎖は、なんと支えも何もない遥か天上から吊り下がっているではないか。
幼女を支える鎖に掴まっているのは、灰色の翼を生やした何人もの天使たちだ。薄衣を纏うだけの幼女と、まったく同じ顔立ちをした天使たち。彼女らが一斉に地上を睥睨すると、
――おお、あれが〈使徒〉なのか。神の御使いが降臨なされたのか……。
――馬鹿を言うな、あんなもの我が女神ではない。邪悪な暗黒神の使いになどひれ伏すな!
――どのみち我らは終わりだ……。本当にあの〈使徒〉が実在したのなら、アレは善でも悪でもない。聖なる我らが剣をも不浄に変えた。誰の味方もしない神など、神なものか。
――女神エフメローゼよ、欲深い暗黒神の暴虐を、どうか罰したまえ!
リュクテアのものたちが、口々に呪う言葉を漏らし、ひとりまたひとりと希望を絶たれ大地に膝を着いていく。
「うぬぬぅ…………これは敗因か、あるいは奇しくも舞い込んだ勝機か! やあやあ、聞くがよい〈使徒〉なるものよ、それがしの名はガベルファウスト、魔界を統べし新たなる王なり!」
誰もが心を折られたこの状況で、我先にと動きを見せたのは新魔王ガベルファウストだ。
「おぬしが正真正銘、イデアリスとやらの〈使徒〉であるならば! それがしと人間どもの決闘、その調停者となることを所望する!」
だだっ広い戦場の果てまで届きそうな、雷鳴のごときガベルファウストの宣言。
それから、しばしの沈黙が訪れた。
ガベルファウストの要求にいかなる答えを用意しているのか、〈使徒〉は堅く口を噤んだまま、足を止めた二大軍勢に、凍えるようなまなざしを送り続けている。顔立ちからして子どものものであるからして、ただの不機嫌そうなへの字口だったが、同じ表情をした天使たちが寄り添っているこの様は異様で、下々を畏怖させるものがある。
【さて、さて……この戦の行方、どうしてやろうものかのう……】
沈黙を断ち切る声が響き渡ったのは、その時だ。
「――この決闘、アイドリア・クラウンで受けて立つ! ヴェナント代表として、このエクスが――――――ユーフレティカ・リュクテア・エクストラが決着のステージに立つ!」
続いて名乗り出た銀色の髪の少女――それはユーフレティカだ。真の名を自ら明かしたユーフレティカが、真紅の花を咲かせたドレスで戦場に立ち、ガベルファウストに対峙してみせる。
「くぁっかっか! かような荒くれ者どもの戦場に立っておきながら、剣すら帯びずに何をふざけたことを抜かすか、柔っこい人間の女ふぜいが! そのような軟弱な面構えでかの勇者の名を騙るとは、さすがのそれがしも大失笑を抑えきれぬわッ!」
ユーは答える代わりに、その額を飾るティアラを外して見せた。堂々と聖なる光を放つ〈聖者の紋章〉。ガベルファウストの高笑いをも、途端に押しとどまらせるほどの威光だ。
「……おお、その証しの輝きよ。おぬし……やはり、魔界の姫の言葉は、まことであったか」
退屈そうに頬杖をついて胡座をかいていた〈使徒〉も、思わぬ乱入者には目を見開く。
【――まあ、血なまぐさい大乱闘など、わらわも誰も、今さら見とうないものなあ】
さもうんざりとしたように吐き出すと、ブランコで姿勢をあらためた〈使徒〉が、指先をパチンと鳴らす。それに従った天使の一人が掻き消えると、戦場に急激な変化が訪れた。
【よかろう、愉快痛快で全世界が沸き立つ宴になりそうではないか、アイドリア・クラウン!】
〈使徒〉の指先ひとつで、戦場の真ん中に、突如として築き上げられるステージ。さながら巨大魔法円を思わせる光の舞台が浮かび上がり、ユーフレティカの足もとを照らし出す。
【勇者殿の熱意に答え、アイドリア・クラウンの開催じゃ。さて、魔界のは、どいつがステージに立つのじゃ? 新魔王とやら、そなたがその薄らデカい図体で歌い踊ってみせるか?】
幼女の嫌みったらしいワル顔を〈使徒〉が送り付ければ、あのガベルファウストすら応じる言葉に詰まるしかなく。
が、決闘とは約束された舞台であることが、物語には常に求められている。
それがアイドルであっても同様に――否、アイドルであるからこそに。
「――勇者エクス。あなたの決闘、このミューゼタニア・ブルタラクが受けて立ちましょう」
ガベルファウストの傍らより名乗り出たその人影は、もはや見まごうことなどない――漆黒のドレスを身に纏った、あのミューゼタニアだった。
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