第44話

 ――同時刻、ヴェナント都市内。

 南側城壁に設置された見張り台にて、新魔王軍の軍勢を視認。急遽鳴らされた警報の鐘により、長らく平穏を保ってきたヴェナントが、予告なしに緊張を高めることになった。

 陽が天頂を目指し、次第ににぎわい始めていた都市部では、行き交う多くの人々が足を止め、あるいは建物から飛びだしてきた。


 ――魔王が町に攻めてくるぞ! 大軍を率いて向かってくるぞ!


 だが、長らく平穏を享受してきたヴェナントの民衆にとって、いかなる災厄がこの町へ迫り来ているのか、理解が及ぶのはもう少し先のこと。

 それ故に、突如現れた英雄が民を導くのは容易いことだったろう。


 ――我らはリュクテア聖王国が聖堂騎士なり! 憎き魔界の軍勢より諸君らヴェナントの民を救出すべく、遥か彼方より最強の一万騎を引き連れ、ここに馳せ参じたり!


 トロネ代行大神官が遣わした早馬の騎士が、中央噴水広場にてそう名乗りを上げる。それは民衆にとって、迫り来たる敵が本物の魔王である証明となり。同時に、その脅威を打ち払う勇者の参上に他ならなかったのである。


 ――我らが芸術王は民を守る気がないのか! 魔王と決闘する勇者はいないのか!


 この時ばかりは領主が威光を示せなかったことも、あるいは災いしたのかもしれなかった。

 こうなれば、あとは堰を切ったがごとく。

 混迷のヴェナントに堂々とリュクテア勢力が踏み入るのは、もはや時間の問題だった。



 ◇ ◆ ◇ 



 南側城壁の見張り台へと辿り着いたトロネ代行は、魔工双眼鏡越しに、新魔王軍の動向を伺っていた。


「――――ふむ、ふむ。小官も大変驚いておりまして、魔族も近ごろは案外お行儀がよろしいようですね」


 傍らに立つ憲兵へと双眼鏡を返すと、トロネは錫杖を取り上げ、杖先を背後の男へと突きつける。


「それもこれも、あなた様の〝苦渋の決断〟があったからに他ならない――と、小官は賞賛を惜しまないこともないのですけれど。まあ、魔族どもをおだてるのも罪ですか。おお、万民に女神の幸運を分け与えたもう。あなた様にも、ついでに慈悲を――元・魔王」


 トロネが錫杖越しに、祈りの文句を捧げる。

 見張り台の柱にもたれ腕組みしていたその男とは、ナラクデウスだ。元より白騎士から抜き身の剣を向けられており、ナラクが自由に動くことは一切認めないというリュクテア側の方針がありありとわかる。


「なんともはや、今はあなた様もヴェナントの民――などと、あの芸術王は放言しておられまして。民ならば、このままリュクテアに従うのは道理。さすれば、あなた様もこれからは女神の幸運にあずかれましょう。まあ、ヒトではないものどもにも、それなりに?」


「へえ、〝家族〟を敵に売らせるのが女神の教えってやつだと、おれさまも身に染みて理解できたぜ。それでこそだ、この魔王が魔王たり得る根源となる」


 小手調べの皮肉をぶつけてやれば、白騎士の剣先が堪えきれずに動いた。


「みなの〝家族〟を殺戮し尽くした魔王が、どの口でそれを言うか――――!!」


「――いけませんよ。魔族からの侮辱こそ、女神への最高の供物となりましょう」


 白騎士を制止したトロネの声に、表情に、冷淡さの陰が覗く。やはり、この人間もかつての勇者エクスと同様、弱い自分を生き長らえさせるために、己が役割を演じ続けねばならない生き物なのだろうか。


「兎にも角にも、ここで言い争っている状況ではありませんよ。それに、ミューゼタニアを手放したのはあなた様の決断でしょう。彼女の身柄をこちらではなくに引き渡してくれたのは決断ですが、どちらにせよリュクテアの剣にのみ正義があることは事実。あとは女神のお導きにより、我らが聖なる騎士の軍勢にて、かの新魔王を討ち滅ぼすのみ!」


 己が信仰心に酔いしれたかのように両手を広げ、おびただしいまでの敵影がひしめく地平へと、トロネが微笑みかける。

 白騎士の切っ先が遠ざかるのと引き換えに、ナラクはこう吐き捨ててやる。


「いいか、これは最後の警告だ。リュクテアは余計な真似をするな。あのガベルの野郎が〈剣闘技〉での決着を求めてんなら、そいつにおとなしく応じろ。貴様らのくだらねえだのでイデアリスの〈摂理〉に逆らうんじゃねえ。それが、全員が生き延びる最低条件だ」


 ところが、トロネ・フラウプリットなるこの聖女とは、永遠にわかり合えないようだった。


「――リュクテアは、闘技場戦争にはいっさい関わりません。邪悪な暗黒神が我らの聖戦を妨げようなどと、それこそエフメローゼという〝まことの摂理〟への冒涜でしょうに?」


 そう一笑に付す彼女の迷いなきまなこを、ナラクはただ見届けるしかなかった。

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