第43話
夜明けとともにヴェナント南方国境付近に現れた、未知の軍勢。あたり一帯を埋め尽くす原生の樹海――いわゆる〈未踏領地〉と呼ばれた地より一斉に進軍を始めたその軍勢は、多くがヒトの姿をとらない異形の魔物たちだった。
鋭い角に爪と牙を生やした悪鬼の眷属たち。地響きを上げ、草原を踏みならしながら前進する巨大な鎧竜たち。岩山めいたその背には櫓や砲台が括りつけられ、首なし甲冑の弓兵たちが周囲を警戒している。
正午前には国境線まで辿り着いた彼ら軍勢は、魔工石による投影映像を上空に展開させる。そしてヴェナントに向けこう名乗り上げた。
「――聞けいっ、人界の糞怠け腐った雑兵ども! それがしこそは、魔界を統べる新魔王ガベルファウストなり!」
国境線上に一時とどまった軍勢――数はおよそ一万騎。その先頭に躍り出てきたものこそが、新魔王ガベルファウストだ。漆黒に燃えさかる炎をまとう、大甲冑の暗黒騎士。髑髏を模した兜に燐光の瞳を踊らせ、六脚の怪馬に跨がってさらに吠え立てる。
「このガベルファウストには、人間どもの領土を踏みつける大義がある! おぬしら雑兵ごときが、愚かしくも魔界の姫をさらいおった! 麗しき吸血姫ミューゼタニアである! 聞こえておろう、この名に覚えがないとは言わせぬぞ!」
髑髏に穿たれた眼孔から、瘴気めいた炎が黒々と立ちのぼる。まるで甲冑姿の暖炉のごとき、奇怪な形相。
「それがしの軍勢に恐れをなしたならば、おとなしく魔界の姫を引き渡すがよい。さすれば、かようにちっぽけな国など、それがしは寛大なる慈悲をもって赦すであろう! 斬奸征伐の刃を収め、代わりにこの地を仇敵リュクテア撃滅の前哨基地としてやらぬこともなし!」
ミュゼを引き渡しても引き渡さなくても、どのみちヴェナントを踏みにじるつもりだと宣告するガベルファウスト。大義名分などあったものではなかった。
「おぬしら弱者にはまこと僥倖なことに、世の万物は、今や〈摂理〉なるけったいな理に縛られておる! 姫の引き渡しにまだ異論があるならば、それも一興。いざ闘技場戦争にて決着をつけようぞ!」
背負っていた鉄板を片腕で担ぎ上げると、ずんと地に突き立てる。それは人の身の丈すら超えた大剣のようでもあり、鍛冶士が打ちたたく前の鉄塊にも見えた。
「それがしはここに、〈剣闘技〉による一騎打ちの決闘を要求する! なあに、かの〈使徒〉とやらがしゃしゃり出てこようと来まいと、それがしはどうでもよいわ。さあさあ、それがしと正々堂々勝負しようという豪傑は、この町にただの一人もおらぬのか――――――ッ!!」
くぁっかっか――と、薄気味悪いばかりに狡猾な笑い声を、大草原の果てまで高鳴らせた。
鉄塊を突き立てたおかげで舞い上がっていた砂塵――それが風を受け次第に晴れていくと、ガベルファウストの前方に、思わぬ人影が浮かび上がっていた。とどまることがないかに思えた哄笑が、呆気のままに飲み込まれる。
「んー? な、なんじゃい、おぬしは……」
素っ頓狂な声を上げたガベルファウストに、何の狼狽えもなく立ち向かうもの。
「――――久方ぶりだな、ガベルよ。よもや、この我の顔を忘れたわけではあるまい」
新魔王軍、一万騎の前に立ち塞がったのは――魔王ナラクデウスだ。かつて愛用していたものと同じ漆黒のマントをはためかせ、ガベルファウストに対峙する。
「お…………おおう……これはこれは偉大なる我らが長、ナラクデウスよ! ヒトの手に堕ちたと聞き及んでおりましたが、それがし同様に封印を打ち破り、再びこの軍場にて相まみえることができようとは! おお、おおう、感激至極のあまり我が炎がはぜまするぞ――」
とどまることのない、人外の王の狂乱めいた声。それと呼応するかのように、奴の体躯から漏れ出し続けていた黒炎がさらに強く火勢を増し、時折バチバチと火花まで散らした。
「ふん、相変わらず闇に燃え盛っておるようだな、我が六魔将が一柱――〈黒炎帝〉ガベルファウストよ。その六魔将においてもっとも愚かだった貴様を封じたこのナラクデウス、貴様が目覚めたと聞いて再び舞い戻ってきてやったぞ」
かつての臣下に向け、一切の躊躇なしに愚かだと断ずるナラク。
「同じく! かのナラク王が力を失ったと知り、それがしは臓腑の奥底より歓喜しましたり!」
が、馬上からナラクを睥睨するガベルが、くぁっかっかと、再びあの薄気味悪い笑い声を高鳴らせた。
「――此度の邂逅、弱体化し地に這うものとなり果てた我らがナラク王を! それがしの鉄槌によってお救い申し上げたいッ!!」
自ら鉄槌などと形容したあの鉄塊を担ぎ上げると、ナラクに向けそう言い切ってみせる。
――駄目だ。やはり、こいつはあのうすらでかい鉄塊と同じ、際限のない鉄クズ頭だ。ああして制裁を加えてやったおれさまに叛旗をひるがえそうって知性すらねえ。それどころか、おれが進軍を止めろと命じたところで、わけのわからん理屈で自己正当化しヴェナントに攻め込みかねん。
やはり、この怪物を止められないのか。
「聞け、ガベルよ。我は、このような場所に立ち話をしに来たわけではない。だが、これは貴様にとっては朗報だ。新たな魔王を名乗る貴様が渇望していた力を、ここにこうして導いてやったのだからな――」
ナラクがマントを広げる。その傍らにある、一人の少女の影。
身を寄せていたナラクから一歩あゆみ出ると、少女は遥か頭上にあるガベルファウストを見上げ、そしてゆっくりと跪いた。
「……新たなる魔界の王ガベルファウスト様。わたくしは〈異境〉より馳せ参じた王級吸血鬼が末女、ミューゼタニア・ブルタラクにございます。これより〝現・魔王様〟の御膝下にて、このわたくしめの力を存分にお振るいくださいまし――」
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