第四楽章 ――いっしょに、歌ってくれませんか
第27話
――ピ・ウル・エイデ/アシュタル・メイゼ/ミクタル・ノイエン・ミシュマルタム――
真っ黒で、真っ暗で、最悪に呪われた悪夢の水底で聞こえてくる――あの〝歌〟だ。
無彩色にまどろんでいた空気が俄然、色づいていく。
この夢を見る度に聞こえてくる、知らない女性の歌声。そうしたらすぐに自分を蝕んでいた恐怖から解放される。まあ、いつものことだ。
誰でもない誰かが歌い聴かせる、不思議な言葉、不思議で胸を突き動かすあの調べ。
――ピ・シャステ・エイデ/マイノ・フォット・エミネ? /ナアス・マイナ・ラプタリーチェ・スネム・エン? ――フィーン・リィー――――――
この詞の続きがうまく聴き取れなくなると、そこで夢はおしまいだ。
ただ、今回はどうやらそうでもないらしい――――――。
「――聖剣エクス・ヴァルカー!」
必殺の掛け声とともに振り下ろされた聖剣が、魔王ナラクデウスの尻に突き刺さった。
「ぬぉ――――――――ッッッ!?」
唐突なる正義の鉄槌に、ナラクは思わず目を見開い呻いていた。最初に映ったものといえば、石壁に穿たれた窓から射し込む光。中途半端に身を預けていたベッドの柔らかな感触。
つい先ほどまで、自分のアイドルプロデュース業においてとても重要な夢を見ていた気がした。だとすれば、きっと〝あの歌〟の夢に違いない。
――やばっ、すぐに楽譜に起こしとかねえと、せっかく閃いたあの旋律をまた忘れちまう!
慌てて枕元に手を伸ばしてみれば、いつもなら楽譜が散らばっているはずのそこにあったのは巨大な縫いぐるみだった。そもそもここが自分のベッドですらない記憶がようやくよみがえってくる。
「おのれ、この勇者をさしおいてベッドでぐっすりねるとは魔王のくせになまいきだぞ!」
思わず上体を起こすと、視界のど真ん中で滅茶苦茶おてんばな何かが吠え立ててくるではないか。そんなナラクはというと、とうてい大人サイズとは思えないベッドに、半身がはみ出るような体勢で横たわっていたようで。
――思い出した。いつの間にか眠っちまってたのか。
「グ……グアアァァァッ! さ、さすがは〈聖者の紋章〉の力。やるな、勇者エクスよ……この魔王ナラクデウス、おとなしく敗北を認めようぞ」
魔王ナラクデウスは思い出したように苦しみ悶えてみせると、そのままもう一度ふかふかのベッドに倒れ伏した。
ぼよんと弾んで、ベッドに整列していた縫いぐるみたちが巻き添えに転がっていく。その中から一つ二つと床に落ちてしまうが、着地先に敷きつめられているのも高価な絨毯で、掃除も完璧に行き届いていた。おかげで、可愛らしい造形の溶岩トカゲやアークデーモンが汚れてしまうことはない。
ナラクとしては場違いなことこの上ないが、どう見てもここは子ども部屋だ。ただ、子ども部屋にしてはあまりに広大で、部屋のあらゆるものが完膚なきまでに着飾られていた。
「ああっ! ちらかしちゃだめじゃないのナラクぅ! おのれ、わがしんみんたちをきずつけたなぁ!」
そんな甲高い声を上げたのは、今年で九歳になるらしい人間の女の子だ。尻に必殺のもう一撃が食らわされる。木剣ながら痛い。痛いが、まあ手加減はされているのだろう。ならば諦めるしかないナラクであり。
「待て勇者エクスよ、相手の頭ではなく尻を攻撃する技術を身につけたとは、さすがは思いやりのある勇者だ。感服いたしたので、本日の一騎打ちの決闘はこれにて閉幕としようか」
「え~、かあさまがかえってくるまで、時計がもう一回りしないとだわよ。つまんない」
口を尖らせて不平を訴えてくる。
親と同じ金色の、愛らしい巻き髪の持ち主だが、あのいかれた暴君とは似ても似つかない真っ直ぐな娘。この子はラパロの実娘で、ナラクも時おり彼女の好奇心の的となる。
「そこは聞き分けてもらいたいところだが、勇者エクスよ。我もこの城にて果たさねばならぬ使命を残しているのでな、それほど長く遊んでやるわけにはいかぬのだ」
「ぶー! 遊んだげてるのはうちのほうだし! それに、うちはエクスじゃないもん、シャルルマキナ・ニナ・ヴェナントだもん!」
機嫌を損ねたのか、腕組みしたままそっぽを向かれてしまった。どうやら勇者ごっこは唐突な閉幕を迎えたらしい。シャルというこの娘は、どうやらそのあたりの辻褄合わせは気にしない性分のようで。
「ところでさナラクゥ。今日つれてきた女のひとってだ~れ? アイジン? おメカケ? ナラクゥあなたね、ミュゼというだいじなムスメがいながら、よそのオンナにてをだしちゃ〝めっ〟だヨ?」
人間の子どもとは、なんと無防備な生き物なのだろうか。ベッドに腰を下ろした魔王の膝に、何の警戒心もなく飛び乗ってきたりする。
「ああ、お前、さては窓から覗いてやがったな。あいつはな、うちの新人アイドルで、まあ要するにミュゼの新しい仲間だ」
「わあ、あれがウワサのあたらしいアイドルなのね! ふたりもアイドルいくせーしてるとか、ナラクゥすっげ~プロデューサーっぽいじゃん! はやくうちにも紹介しなさいよ、ほら、ナラクゥはやくここにつれてきて、はやくはやく!」
図々しくも魔王に乗っかり、胸ぐらを引っ掴んで揺さぶってくる。流石は暴虐無知なるの王の一人娘である。
「待て待て、新人の紹介くらいはしてやるが、おれさまの名はナラクゥじゃねえ、〝ナラク〟だ。お前、親父としゃべりかたがだんだん似てきたぞ」
「エ~、とおさまキモイからヤダぁ」
口ではそう嫌がってみせるが、顔に浮かべたのはあまりに無邪気すぎる笑顔だ。この娘は父親から溺愛されていることをちゃんと理解している。
ナラクからしてみれば残虐にして猟奇趣味の狂人だが、父親としてのラパロはそうでもないらしい。この部屋の派手派手しさからして明らかだし、シャルは父をいたずらに忌避してみせてはさらなる寵愛を引き出して、そんな関係性を存分に嬉しがっているのだ。
――こいつはあのゲス領主とは別の方向性で、将来大物になりそうな予感がするぜ。
そんな遠い先の話に感心している場合ではないが。
間もなくして、部屋の扉がノックされる。シャルが許可の声を返すと、使用人の女たちに連れられてユーフレティカが入ってきた。
「おお、ようやく戻ってきやがったか。待ちくたびれたぜ、〝ユー〟よ」
「………………その呼び方にはまだ抵抗があると言ったはずだよ、ナラク」
頭痛にでも悩まされているみたいな苦い顔をして、ユーフレティカが入り口付近で立ち止まった。それも単純な理由で、さっきまでわがまま放題だったシャルが、面識のない女を警戒して、こちらにしがみついてきたせいだろう。まだ十四かそこらのくせにユーフレティカはやたら背が高いおかげで、子どもの目からはしかめっ面を向ける大人にしか見えないのもある。
「ほら、約束どおり紹介してやるぞシャルよ。そのおねーさんがおれさまのギルドに所属することになった新人アイドルで、ユーフレティカっていうんだ。まだデビュー前だが、将来はきっと大物になる。根は悪いやつじゃねえから、そんな警戒してやんなって」
「うそっ、アレで、アイドルなの? うち、てっきりよその国のお姫さまがおしのびであそびにきてくれたのかと、はやとちっちゃったわぁ……」
不穏な発言が飛び出したかと思えば、締めであっさり覆されてヒヤヒヤさせられる。肝心の〝お姫様〟はというと「にゃ、にゃにぃっ――?!」みたいな呂律になって、そこで顔を火照らせているわけで。
「ほら、村から出てきた田舎娘みたいな真似してねえで、ユーも挨拶くらいしろ。こいつはラパロのガキで、シャルお嬢様だ」
「そうそう、うちゎラパロのガキで、シャルちゃんだあ~!」
ベッドで立ち上がると、フリフリのドレスを揺らし、精いっぱいに大平原めいた胸を張り偉ぶってみせるシャル。
「――って、ナラクゥいまうちのこと、めちゃんこバカにしたっしょ! くらえい、聖剣エクス・ヴァルカー!」
が、思い出したように手刀をこちらの尻へと叩き込んだ。これも痛い。角度的に、尾てい骨へとクリティカルヒットしたから。
そんな寸劇めいたナラクたちの距離感を、もっとも理解しがたいのが元・勇者なわけで。
「正直、今のおまえの姿を見る度に、
かく言うユーフレティカがあの勇者エクスと同一人物なのか、毎回自信がなくなるのはナラクの方だ。外見のあまりの成長ぶりと中身のあまりの無成長ぶりに、という意味で。
「へいへい、人間ごときの安い自信なんざ、勝手になくしてろっての。今のお前のその姿こそが、そいつをまざまざと証明してくれてるぜ?」
「なっ――――なにをわけの、わからないことを……だいたいな、ぼくにこんなはずかしすぎる服なんか着せて……それに、化粧なんて……したこと……だし。おまえ、ぼくを弄んで愉しんでるだろう………………くしょぅ……」
それをどういう意味で受け取ったのやら、途端に大きく開いた胸元を押さえ、内股になってもじもじとし出すユーフレティカ。花も恥じらう乙女――と形容するには色々と立派すぎる育ちっぷりではあるが。
――容姿に自信を持てとおだてたつもりだったが、はて、魔界流の皮肉は通じなかったか?
「ま、おれは人間じゃないからな。男だとか女だとか、人間のお前が何ものとしてどう生きようと口を挟むつもりはねえが。今のその格好が、お前自身の一面ってワケだ。経験値として得るものはあるだろう、駆けだしアイドルとしてな」
「かっ、駆けだしアイドルとか勝手なこと決められてもっ! ……その、こま、困るというか」
本日はこのナントカ城を訪問するにあたって、彼女――ユーフレティカを存分にめかし込ませたつもりだ。
まず髪型を変えさせた。白銀の煌びやかな髪はそのままに、手入れせずに伸びすさんでいた長さを逆手にとって、派手めに結ってみた。大きく開いた額は、きっと彼女のチャームポイントとなるだろうと踏んだ。だから本来なら見られてはならない〈聖者の紋章〉は、あえて小道具のティアラで覆って演出してやるのが最適解だ。
手痛いのは、ミュゼの手持ちの衣装では何もかも収まらなかったせいで、ここにきて大出費が発生した点だ。普段着に一張羅にステージ衣装。いま着せているワンピースドレスだけでも、ミュゼのステージ一回分がすっ飛ぶ金額だから。
――何もかもこいつが勇者エクスであることを隠すために割いた労力なわけか。だから関わり合いたくなかったのによ。
「ああ、ごめんよ、挨拶が遅れてしまった。はじめましてシャル、ぼくはユーフレティカだよ。呼び方はユーでいい」
そんな両者の会話を興味深そうに人間観察していたシャルを、きっとのけものにしてしまったとでも勘違いしたのだろう。ただこれは意外なことに、ユーフレティカはあまり子ども慣れしていないような素振りだった。
「それでシャルは、そいつが……怖くない、の?」
恐る恐る――腫れ物に触れるような口調で、ナラクにしがみつくシャルへと問いかけるユーだ。仁王立ちのまま上から見下ろす視線、その圧がまず怖い。ベッドに立って身長差を縮めてみせたシャルも、やや顔が引きつってしまっている。
「こ、こわく……ない、けど…………?」
小さな口から出てきた、さも当然みたいな返事。ふかふかのベッドではうまく立ち上がれないのか、人間にはないナラクの角にぎゅっとしがみついている。
「それに〝そいつ〟じゃないもん、ナラクゥだもん! ナラクゥ、うちがうまれるまえはめちゃくちゃワルイいやつだったみたいだけど、いまはね、シャルのとおさまの〝てした〟だもん」
さすがの勇者様も、おてんば幼女の暴政にはすぐにたじたじになってしまったようだ。
――はあ。この町のこれくらいの娘なら、しゃがんで子どもに目線くらいあわせてやるものだがな。勇者め、アイドルよりもまずそんなところから教育しなおさなきゃなんねえのか……。
ナラクはそんな失望感などおくびにも出さず、必死でユーを睨みつけてみせるシャルを抱き上げてベッドから下ろしてやる。
「わりいなシャル、そろそろユーと町に戻る時間だ。母君が戻られたら、よろしく伝えておいてくれ」
本心から残念そうな目を向けてくる人間の子ども。最初は不慣れな存在だったはずが、こうした関係に至ったことは知見であり価値であり財産だ。
今も見てくれだけは変わらない、この変わり果てた世界で、魔王ナラクデウスは無力なひとりとして生きざるを得ない呪いを負っていた。ここには人界も魔界も交わる道しか残されていない。
それならば。
「そうだ、シャル。近いうちに、またアイドリア・クラウンのステージをやる。今度のやつは、城のそばの歌劇場だ。機会がありゃ、母君といっしょに応援しに来てくれ」
勿論、カードで応援してくれる人数が多いほどありがたいアイドリア・クラウンだから、これは営業戦略的な誘いかけでもあって。
「えっ、ほんとに? きのうのパーティーで、アリアのみんなと歌ったみたいなの?」
「ハハ…………そいつはどうかな。〈銀妖精のアリア〉はトップアイドルで、おれたちと違って人気者だからな。だが、いつかミュゼとユーとで、ぜってえにいい勝負をしてやる。だからシャルも、父君ばっか贔屓しないで公平公正なカード投票をお願いするぜ?」
すると、「や~だヨ」と悪戯っぽく舌を見せながら、照れ隠しついでなのかストーンドラゴンの縫いぐるみを押しつけてくるシャルだった。
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