第26話

 胸元のユーフレティカが藻掻くのを止めたのを見計らって、ナラクは大げさな溜息をついた。


「――ひゅぅ。ほら、もう賊どもは去ったぞ。安心しろ、そこのおっさんは領主殿だ。ヴェナントの芸術王。お前も名前くらいは知ってるだろ?」


 そう言って、ユーフレティカの肩をぽんと叩く。


「だ、だ、だ、だ……誰がおっさんであるか! あたくしはまだ二七だべっちゃ!! このゥ!!」


 言葉づかいが乱れるほどの動揺を見せたラパロ。まあ、顔つきだけなら美男子の範疇だろうが、傲岸不遜にして悪趣味なところが全てをぶち壊しにしているわけで。

 かたや周囲の憲兵たちは、忍び込んだ賊の姿が見当たらないと思い込み、こちらに突きつけていた剣を下げた。


「……で? あたくしの重要な商談を邪魔しやがった闖入者はどちらへ? どうやら、魔王の首を狙ってステージに飛び入りしたように見えたのですが? ええい、入口で立ち止まるな、どきなさいよ愚図!」


 そう言いながら、行く手をふさぐ憲兵たちを押しのけて近付いてきたラパロ。そして、ふむ、などと頷きつつ、見覚えがないであろうユーフレティカの存在が気になると目で訴えてくる。


「はて、我が居城に出入りする女性にしては、随分とみすぼらしい身なりですねえ。どうしてナラクゥがそんなハグしてけつかるんですぅ? あたくしの城で堂々と密会ですかぁ?」


 ねちっこい視線を向けながら、こちらの周囲をぐるぐる回り始める。ユーフレティカの方も、この男の危険性に感付いたのだろう、ピクンと身をすくませてこちらにしがみついてきた。


「……おい、一国のあるじが民衆をみすぼらしい呼ばわりするたあ、さすがに聞き捨てならねえな。それにこいつは被害者側だ。ほら、賊に襲われたさっきの今で怯えちまってるだろうが」


 そう、これは咄嗟に打った一芝居だった。


 ――こいつを庇う理由は……おれにはあるな。ただでさえこいつの扱いは面倒なのに、ここでクソ領主にまで首を突っ込まれちゃ、最悪中の最悪の展開になっちまう。


 あのころの勇者エクスとは直接面識がないだろうラパロは、おそらく今の彼女を見ても同一人物だと気付きはしないはずだ。ただ、額の〈聖者の紋章〉ばかりは誤魔化しようがない。かと言って、また仮面の幻術を使えば刺客に逆戻りだから、切り抜けるにはこうするしかない。


「あららぁ、うちの臣民のみなさんでしたかぁ。しかし、〈銀妖精のアリア〉の関係者……にしては見覚えがないですし、ええと、どちらさんだったかしらぁ? 近ごろは出入りのアイドル関係者が増えすぎて覚えきれなくて、まったくもって困ったものだねぇ……」


「関係者も何も、こいつはうちの新入りアイドルだ。まだ正式加入じゃねえから、あんたには後日報告しに顔を出すつもりだったんだが……」


「えっ、ちょっ――ぼくはそんなことひと言も…………」


 また暴れだしそうな気配を察し、ぎゅっと抱きすくめる。かつての勇者相手に恋人まがいの所行ではあるが、人間の意識など脆弱なもので、そう誤解させておいた方が扱いやすい。

 ただ、ナラクの知る三年前の彼女から二回り近くも身長が伸びただけにとどまらず、なんだか抱きしめた感触が想定を超えて気がして、芝居を打ちながらも内心混乱してしまうナラクだったが。


「ゆくゆくはミュゼといいコンビになる逸材だって昨日も話したろ? 今はまだ衣装に金もかけてやれねえが、このおれがきっとお前をトップアイドルに育て上げてみせるって」


「ほほう……そういえばあなた、所属アイドルをもっと増やしたいとか、そんな戯言を以前にものたまっていましたねえ。しかし、まさかこの魔王ナラクデウスに二人目のアイドルがつくとは、酔狂としか思えません。まあ、募集の掲示を許可したのはこのあたくしでしたか……」


 咄嗟の妄言ではあったが、ここは運が味方してくれたようだ。アイドルの話題に転じたばかりにラパロは上の空になってしまい、すでに仮面の剣士のことなど意識からこぼれ落ちていた。


「となると、ふむ……本日のステージでの獲得カード数、そしてあの客受けを見た感じ、アリアと合流させて五人組のアイドルレギオンにする戦略も案外イケるのか……いや、別のレギオンに分けて互いに競わせた方が客も盛り上がるわけですし、我々プロデューサーにはアイドル文化の土壌を育てる義務がある……ううむ悩ましや」


 勝手に勘違いを暴走させるラパロを尻目に、ナラクはハンカチを取り出すと、一瞬の隙に自分の傷口を拭った。


「領主よ、それよりも、ステージを襲った賊だ。あれはどう見ても聖王国の差し金だ。早く追わねえと、商談決裂どころか、証拠隠滅に動くかもしれないぜ」


 そして血が付着したそれをユーフレティカの額に押し当ててやると、


「おれはこいつの傷の手当てをしてやりたいからもう行くぞ。……ほら、ちゃんと自分で押さえてろ。傷はまだ痛むか? これからアイドルになろうとしてるやつがこの魔王を庇って自分を傷物にするとか、ほんとに無茶しやがって」


「えっ、あっ、あのっ…………??」


 混乱して言葉が出てこなくなったユーフレティカに、わざとらしいくらい思いやりの言葉をかけてやる。


「すぐ憲兵に城中を探させなさい。あと賊が町に逃げた可能性もあるので閉門させ、警戒を」


 毅然とラパロが指示を出すと、憲兵の二人が一目散に駆け出した。


「……そうそう、聖王国からのお客人たちには、しばらく城に滞在していただきなさぁい。国としての礼儀を弁えなかったことが明らかになれば、これは愉快な国際問題に発展しますよぉ」


 大国側に陥れられたこの状況の何がそんなに嬉しいのか、にたりと気色の悪い笑みを浮かべた芸術王。もうこの男の関心はそちらに移ったのだろう。残る憲兵を伴い、何やらぶつぶつと聖王国側に仕返しする妙案を呟きながら立ち去っていくのを、ナラクはいまだ胸元で縮こまるユーフレティカと静かに見送るしかなかった。


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