第25話
「もう思い出したくもなかったが、確か、こんな響きだったな――ユーフレティカ・リュクテア・エクストラ。リュクテア王家の、表舞台に立てなかった末娘の名だ」
「お……まえ……きゅ、急に、なにを、言って…………」
おののく喉が、続きの言葉を躊躇わせる。
「そして、そいつはひとりで勝手に城を飛びだして、剣に生きる道を選び、戦火が過ぎ去ったあともまだ世界中をさまよい続けている――魔王ナラクデウスという敵を求め、今もこうして」
「や……めろ……」
もはや、この剣を振り下ろすことすらできなくて。何かを恐れ足掻こうとしても、ここまで知られてはもう取り返しがつかないのをわかっていたのだ。
「そこまでしておれという呪いを断ち切りたいんなら、いいだろう、おとなしく貴様の言いなりになってやる。代わりに、顔くらいは見せてもらうぞ――」
戯れのつもりで、彼女の仮面に触れる。
「――三年ぶりの対決なんだ、それくらい必要だろ?」
きっと抵抗されるだろうと踏んでいたので、無言で応じた彼女にナラクも面喰らって。ただ、仮面を外そうにも、いかなる仕組みで顔に固着しているのやら、一向に外れてくれない。
そんな無様さに呆れたのだろうか、彼女の指先がナラクに手にそっと添えられる。
おっ、と素っ頓狂な声を上げてしまったナラクの前で、剣士の仮面が外れた。外れた――というよりは、掻き消えてしまったと表現できようか。
それどころか、さっきまで漆黒の艶を返していたはずの髪の毛が、いま目の前で白銀の煌めきを放っている。あの仮面には、装備者の姿を偽るための幻術が仕組まれていたのだろう。
ユーフレティカ――ナラクがそう呼んだ背の高い娘は、仮面で素顔を覆い隠していた時よりもずっと幼い顔立ちをしていた。
特に、活発な少年のそれを思わせる大粒の瞳だ。今は涙に濡れそぼった瞳。その葡萄酒色すらどんな魔工石よりも鮮やかで、とにかく美しく凛々しい娘であることなど、ナラクも元より知っていた。
そして、彼女が一番ひた隠しにしたかった秘密――大きく開かれたその額に刻まれた、神話に生きる古竜を思わせる紋章。それも今さらナラクが驚かされる類の真実でもないが。
「今さらこの名で呼ぶべきかためらうがな――勇者、エクスよ。人間という種族にとって、時の流れとはかくも残酷なものなのだな」
言葉にいかなる感情を込めればいいのか、ナラク自身にもよくわからなかった。だが、こうして自分を追い求めてきたかつての勇者が、面影をこうまで成長させていたとは。
「……どうして、正体がぼくだとわかった。なにもかも、ずっと秘密にして独りで戦ってきたんだ。なのにおまえは、最初からぼくのすべてを見抜いていたみたいな言い方だったじゃないか……」
彼女はまるで糸が途切れてしまったかのように、こちらから体を離すと、目を背ける。
「愚か者め、知恵のないものに魔王が務まると侮っていたか。ああ、見抜いていたとも。酒場に現れた仮面の剣士が成長した貴様だと、一目してわかったさ」
彼女の戦意はとうに失せていた。テーブルから剣を引き抜くも、茫然として力が入らないのか、手を滑らせ床に転がってしまう。
「だが、我はもう貴様に関わるべきではないと決めていたのでな。ゆえに貴様には、これからも――否、未来永劫に〝ただの仮面の剣士〟のままでいてもらうつもりだったのだ」
そう、ナラクは全てを見抜き、全てを見通していたのだ。その上で、自ら選択した道が結局この結末に行き当たるとは、何たる因果だろうか。
「かかわるべきじゃない!? じゃあ、おまえはぼくから逃げたのか。あのとき倒したぼくにとどめを刺さないでおいて、なのにこのぼくから目を逸らしてきたのか。魔王を名乗って君臨してきたおまえが、この期に及んで何様のつもりだっ――――!」
刃から解放したその代わりなのか、こちらの胸ぐらを掴むと、力任せに立ち上がらせられてしまった。
「……フ、人間ごときには理解できまい。我は奈落の淵に生まれしもの。呪いの因果というなら、呪いこそが我そのもの」
「だからこそ、ぼくは今度こそお前を断ち切ろうと――」
「そして魔王とは――魔界を統べるものとは、あらゆる全てを欺き、あらゆる全てを利用するからこその魔王よ。今のこのナラクデウスも、必要だからこのように演じているに過ぎぬ。それすらも理解できぬ愚か者なら、我がこれ以上なにを人間に語れるという?」
「……ふざけないでくれ。そんな煙に巻くような話なんてどうだっていい。ぼくは、おまえの本心を話せと聞いている! ぼくの正体を知りながら、これまでなんのつもりで勇者エクスと対峙してきた! おまえは……おまえは、このぼくの何を知ってるっていうんだ……」
唐突に何を言い出すのだろう、この人間は。まるで親の胸にでもすがるように、かつて勇者だった少女がナラクを揺さぶってくる。
「――すべてて。そう……貴様のすべてだ、まだ幼く、そして愚かな勇者よ」
この人間に真実を突きつける行為に、さほど意味が見出せないことをナラクも理解していた。だが、それでも今はこうすべきなのだろう。だから、彼女の望むがままに。
「怠惰にして傲慢なる己が兄たちに代わり、貴様が少年として――選ばれし勇者として生きる道を選んだことであれば、二度目に剣を交えたときに知った」
先の大戦時、〈聖者の紋章〉をまんまと手中に収めたのがリュクテア聖王国だ。だが、勇者候補を名乗った王家の男子たちはみな俗物ばかりだったため、誰ひとりとして〈聖者の紋章〉に見そめられなかったのだ。その真実をひた隠しにしてきたのは、王家に代わってリュクテアを実効支配してきた女神教団だった。
そして勇者としての証――選ばれた男子に、聖剣を始めとする聖者の力を与えてきたのが〈聖者の紋章〉に宿る聖者テュテスだ。
「気まぐれな紋章の聖者に愛されるために、貴様は勇敢な男を演じなければならなかったという悲劇も知っていたぞ。貴様の出自など、とうにこの魔王みずから調べつくしていたわ」
ナラクの知る限り、テュテスとは神話世界の存在だ。ひとりの男に取り憑き、寵愛の見返りに己が力を授けるとされる、聖なる乙女の名。その乙女に不運にも見そめられた悲劇こそが、ユーフレティカ・リュクテア・エクストラがこれまで男として生きざるを得なかった呪いの正体だった。
「すべては、我が仇敵エクスを手のひらの上で踊らせるためだ――これで納得がいったか?」
すべて、包み隠すことない真実だった。
「は、はは……はは。そこまで知っていて、どうしておまえは何も言わなかったんだ。うまく利用すれば、リュクテア王家を陥れてぼくと仲違いさせることだってできたはずだ。聖者の紋章の力を奪うことだって……」
いつまでこのような問答を続けるつもりなのだろう、この人間は。ナラクとしてもいい加減、馬鹿らしくなってきて。かつての魔王を演じるのにも飽き飽きしてしまって。
「……ああ、そうかよ。じゃあ言ってやろうか? 少なくとも三年前の貴様はな、ただ力と正義感だけが取り柄の単細胞――人間どもの言葉で言えば〝ただのガキ〟だったんだよ。だがな、魔王って役割は、魔界の利益を追求するためのもんだ。おれさまみたいな〝オトナ〟にゃ、いちいちまともにガキの相手ばっかしてるヒマはねえんだよ。わかったかよ、ションべんったれのクソガキが」
「なっ――――――!?」
決して皮肉だけではなく、ただ相手を挑発するためだけではない声色で。
それが不思議とミュゼに対してのものと同じになってしまったのに遅れて気付いて。我ながら馬鹿をやったことがおかしくて、自然と笑えてきたのが顔にも出た。
勇者は途端に意欲が失せたように、掴んでいたナラクを突き放した。再び椅子に腰を落としたこちらに向けた背中は、もはや戦意を取り戻せないことを物語っている。
――おっと、そろそろ術が切れる頃合いか。まったく、こいつはこういうとき抜けてやがる。
もう説明するのも面倒になって、ナラクは背を向けていた勇者エクス――今はユーフレティカという剣士の少女を無理やり胸元へと抱き寄せた。
「――――え、ちょっ……――――――わわっ、急になんのつもり?!」
自分の胸元から聞こえた、上ずった悲鳴。あれから見違えるほど大人びてきた体に反して、それがあまりにも女らしくなかったのが愉快で。
「――おお、ようやく助っ人のお出ましか。いい加減、おれも待ちくたびれちまったぜ」
ナラクの声が自分に向けたものでないと察して、扉側を振り向こうとするユーフレティカ。ナラクは強引に抱きしめて、彼女の顔を胸に埋めたままにする。
――いいから察しとけよ、このクソガキが。
さすがにもう彼女の耳にも届いているだろう、迫り来る複数の足音が。
「……あーれれ、はてはて、これはこれは。あぁたくしには、まあったく状況が読めないのですけど、あなた一人なのですか、ナラクぅ?」
領主ラパロ直々のお出ましだ。四人の近衛憲兵を引き連れ、ずかずかと武器倉庫まで入ってきた。
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