第24話

 ――囮になるくらいが関の山だが、こればかりは死ねない肉体がありがてえぜ!!


 内心そうぼやきながら、オペラカーテンの向こうへとナラクは駆け出す。仮面の剣士は、見込みどおり挑発に乗り、こちらを追ってきてくれた。


 ――よし、あっさり喰らい付いてきやがった。おれだけが目当てってことなら話が単純だ。


 相手が鎧などの重量物を身につけていないおかげで、驚くべき俊敏さなのは想定外だったが。

 狭く迷宮のように入り組んだステージ裏の通路を、ナラクは夜目が利くことを武器に、敵を巧みに誘導する。通路の行き止まりへと誘い、分かれ道へと導き、いくつもの扉を開け放って。

 今のこの体がかつてほど思いどおりにならず、息が上がるのもあっという間だ。それも織り込み済みで、現状で考え得るもっともマシな目的地点まで敵を誘導していく。

 相手が城にどうやって忍び込んだのかは知るよしもない。剣士自身が使節団の誰かとすり替わっていたのか、それとも聖王国側の手引きだったのかも。相手が城にダガー一本しか持ち込めなかったのは幸運と言えようが、そんなものだけでミュゼの防御魔術障壁を打ち破ってみせたということは、つまりは――


 ――万が一あのダガーがとんでもねえ魔術武具か宝器の類だとしたら、この不死の肉体もさすがにやべえかもな……フフ……。


 幸運の女神とされるエフメローゼの庇護下にある聖王国であれば、その手の不死属性無効化の加護が付与されたダガーを保持していたとして不思議ではないのだ。

 辿り着いた目的地点――城の武器倉庫の扉を開け放ち、その中へと飛び込む。予想はしていたが、武器倉庫を見張る番兵どころか、扉の鍵さえ外されていた。

 たとえ辺境地とはいえ、ここは一領主の居城だ。武器倉庫であれば、さすがに誰かしら武装した人間がいると踏んでいたのだが。なのに番兵をけしかけて敵を押し止めるという頼みの綱が、こうして脆くも断ち切られたわけで。


「……はー、こいつはまいったな、うまく引き付けてやったつもりが、こっちが袋ん中に飛び込んだネズミになっちまった。ここまで用意周到に罠を張りめぐらしていやがったとは、相手を甘く見すぎたか」


 無我夢中で飛び込んだ武器倉庫には、四方の壁際に、剣や槍などの武具を立てかけるための棚がずらりと並んでいる。それらを使う憲兵たちのための控室も兼ねているようで、脇には六人がけのテーブルが三つ。やはり、どう見ても無人だ。

 ナラクは手ごろな長剣を鞘から引き抜くと、それを手に、どっかと椅子に腰かけて敵を待ち受ける。開け放ったままの入り口の向こう側から、生ぬるくかび臭い風とともに、威圧的な足音が近づいてきていた。


「――それは心外だな、罠をしかけたのはわたしじゃない。これは人払いの術の類だな。リュクテアのひとたちが余計なことをしてくれたんだろう」


 こちらが逃走を諦めたと悟ったのか、現れた仮面の剣士が落ち着いた足取りで、この部屋のランプ灯りに照らし出される。


「へえ、まるでてめえが女神教団とは別の思惑で動いてるみたいな言い草じゃねえか」


 長い黒髪を揺らせて、唇を不敵につり上げてみせる仮面の剣士。そして扉付近の壁に手を這わせる。すぐに浮かび上がってきたのは、青白い光で編まれた印――つまり、この武器倉庫に最初から仕組まれていた、人払いの術を発動するための魔法印だろう。

 探り当てたそれを彼女は解除せず、まだ話を続ける。一対一で決着を付けるつもりらしい。


「悪いけど、彼女らの立場を利用させてもらったんだ。魔王を暗殺する役目は、リュクテアの清き聖女たちが負うには汚すぎる仕事だからね」


「……で、差し詰めその聖女サマが、てめえの代わりに手を汚す役をカネで雇った、って仕組みか。どのみち汚えことに変わりねえじゃねえか」


 くくっ――と思わず喉を鳴らせてしまう。ラパロ以外では久しぶりだったのだ。人間なる種族がときおり見せる、こうした薄汚さを。


「ああ、わたしもそう思ってたよ――殺す相手が、あの魔王ナラクデウスでなければ、ね」


 そう言うと、仮面の剣士がダガーを抜き――


「もう先月のことさ。ヴェナントの領主が魔王を復活させたって報せが届いたとき、最初は怒りで全身が震えたよ。魔王が生きてる限り、人界と魔界の憎しみあいは永遠に終わらない。魔王のいる世界が存続する限り、〈聖者の紋章〉も〝新たな勇者〟を見そめ続ける。でも、そんな気持ちは最初だけだった――」


 ――それを何故か、座したナラクのすぐ背後の壁へと投擲した。頬を肉薄する距離を突き抜けたダガーが、木組みの壁面に突き立つ。


「――魔王が……おまえが今も健在だと知って、本音を言えばすごく嬉しいと感じてる自分に気付いたんだ。小躍りしちゃうくらいに」


 宙を舞うこの黒髪は、ナラク自身のものだ。


「自分の方がどうかしてるって思った。でも、考えてみれば何もおかしくなんてなかったんだよ。……だって、おまえを倒すためだけに、小さいころから剣を磨いてきたんだよ? そうやって、これまでがむしゃらに生きてきた自分に、今さら嘘なんてついてもしょうがないさ」


 そう言うと、仮面の剣士は、手近に置かれていた剣を引き抜いて向ける。


「知らねえし、おれさまたちの仕事の邪魔なんだよ。なにがしてえんだ、貴様は。その剣で対等に決闘ごっこしろってか? 貴様、ここ三年で職にあぶれて没落した騎士かなんかか」


 それもよくある話だと、ありきたりだが皮肉らずにはいられない。自分が魔王として君臨していた時代の方が、不思議と輝けていたものたちがいたのも事実なのだから。


「はは……なんだそれ。そこにある鏡で自分の顔をよく見てみなよ。今の世界を見渡しても、おまえほど〝没落した〟って言葉が似合うやつもいないよね」


 仮面越しに浮かべたそのあざ笑いが、まるで自嘲めいて聞こえて。


「まったく、ほんとうに冗談じゃない。アイドリア・クラウン? なんなんだよそのザマは? なんなんだ、その格好は? 一体何がどうなったら、あのおまえがそんなワケのわからない喋り方になるんだ? それで人間にでもなったつもりか? 魔王、ナラクデウスよ――!!」


 一瞬――――そう、瞬く猶予も許さないほどの一瞬だった。

 次にナラクが仮面の剣士の姿を認識できたのは、至近の間合い。振り乱された彼女の黒髪が鼻先をくすぐってきたのを感じたときには、座したこちらの股ぐらがブーツで抑え付けられていた。相手の剣背が、既に肩口を裂いていることを痛みが遅れて知らせてくれる。


「人間にここまでの恨みを買った覚えは――いや、さすがにありすぎて、どいつの件だったかもう思い出せねえな」


 ぴちょん、ぴちょん。床へとしたたり落ちる真っ赤な血液。背後のテーブルに突き立った切っ先。傷そのものはまだ浅い。だが、彼女が少しでも剣に力を込めれば、こちらの動脈をいつでも断てる体勢で。


「残念だが、おれさまはどうやって殺そうとも死なねえぜ? 恨むんならアイツを恨みな、みんなイデアリスの〈使徒〉のやつのせいだ。まあ、アイツをよみがえらせた責任まで問われちまったら、おれの言い分なんて微塵にもねえが……」


 だがナラクに後悔の念などない。そのようにしか生きられない存在だから。

 黙りこくり、彼女はこちらの言葉など耳に入らないかのよう。その仮面の奥にある瞳で、ナラクに何を見出しているのだろう。この期におよんで、ここで何を得ようとしているのだろう。


「殺せなくたってかまわない。死ななくたってかまわない。ただ、おまえを――――たおす。魔王を、この手で倒さなきゃいけないんだ」


 その言葉も、途中からは震える喉から絞り出すほどになっていた。何故とどめを刺そうとしないのか、それにも彼女なりの理由があるのだろうか。


「……くそっ……おまえがどんなに弱くなったとしても、人間の振りをしていたとしても……倒さなきゃ……終わらせなきゃ……呪われた因果を断ち切らなきゃ――――このが」


 まるで涙を堪えているようにさえ見えたのが、錯覚なんかではないのだとしたら。それは悲しみのようなわかりやすいな感情ではなく、それこそ彼女が口にした呪いにも似た何かで。


 ――呪い、か。


 呪いなんて言えば、このナラクデウスもそんな悪夢に追い続けられる生き様だ。

 どうしてだろうか。〈使徒〉の手で創り変えられたこの世界はもう、勇者も魔王もなしに歩むことができた。そして、死ぬことができない呪いから救ってくれる歌こそが、ナラクの暗闇に射し込む光だった。だから、自分はずっと今の〝ナラク〟を演じ続けるつもりでいたはずなのに。

 なのに、この時ナラクの中で、ふとした気まぐれ起きてしまったのだ。


「――――ユー……フレティカ」


 そう、ある種の呪文めいて呟くと、ひっ――と、彼女の喉が悲鳴にも似た音を鳴らした。


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