第23話
――なっ………………まだそいつは無理だ、気持ちが先走っちまったのか、ミュゼよ……。
魔界のもの固有の、茜染めの赤で描かれた魔法円――それを巨大な雨傘状に展開してみせたミュゼは、それですっぽりと円形ステージを覆ってしまったのだ。
美しく煌めく雨傘に心奪われた観客らが、おぉ……と一斉に感嘆の声を上げる。
だが、そもそも全ての思惑が噛み合っていなかったことを、ナラクは直後に思い知る。
ミュゼの描いた雨傘が瞬間、脆きガラスのごとく砕け散った。魔力の加減を誤ったわけでも、アイドリア・エフェクトを制御しきれなかったわけでもない――彼女らアイドルだけが支配してきたこのステージに、視認しきれないほどの速度で襲いかかった影がいたのだ。
真っ先に意識が向いた、リュクテア聖王国の使節団――あの白装束たちのうちのひとりが、いつの間にか席から姿を消していた。それに気付いたナラクが今、ステージ上で乱入者と鍔迫り合いするミュゼの背中を目のあたりにしている。
「――ミュゼッ!? チッ、やられた――――――――!!」
既に伴奏も途絶えていた。聞こえてくるこの悲鳴は招待客たちのものか、それともアリアのメンバーの誰かなのか。客席監視用の魔工石を投げ捨て、ナラクはステージ側へと飛びだす。
カーテン裏の暗がりから眩いばかりの照明下へと躍り出たときには、ここに飛び入った輩がただの乱入者ではなく、正真正銘の刺客だとナラクは確信していた。
ようやく全ての辻褄が合ったのだ。ミュゼが歌った〈意志をこの手に〉という一節は、魔術発動を促す呪文の詠唱だったのだ。そして雨傘状に展開した魔力の塊はアイドリア・エフェクトなどではなく、王級吸血鬼たるミュゼ固有の防御魔術障壁――〈
その〈血潮の天蓋〉すら、いともたやすく打ち破ってみせたほどの刺客。
真紅の爪を伸ばし、硬化させた前腕そのものを刃と化したミュゼが、その刺客と切り結んでいる。先鋒に立った彼女が食い止めていたそいつは、白装束の女――否、あれはいつだったか自分たちを付きまとってきた、〝はぐれ狩り〟の仮面の剣士だった。
――くそっ、よりによってあいつか! まさか、おれたちは最初からハメられてたのか!?
そもそも今回の商談自体が聖王国側の謀略――あの仮面の剣士の正体が、魔王暗殺を狙って送り込まれた刺客だとしたら。元より女神エフメローゼの名の下に、魔王討伐の先陣に立ってきた聖王国だ。いくら終戦したところで、自分を物理排除したがる理由はごまんとあろう。
――いいや、おれさまの暗殺目的ならば、このステージを選ぶ必要性がねえな。むしろ芸術王ラパロが魔王加担者だってことを大義名分にして、ヴェナントそのもののを潰すくらいの所業を聖王国ならやってのけるに違いねえ。
何より、護身用の短剣すら携帯を禁じられたナラクだ。だからこそ、裏方に控えていたはずの憲兵らが全員姿を消していたこの状況にも、陰謀の可能性を感じて。
「おのれッ、貴様何者だ、名を名乗るがよい! 我は王級吸血鬼が一柱――ミューゼタニア・ブルタラク! 我らアイドルが神聖なるステージに踏み入りながら、歌ではなく刃を抜いたことを、あらゆる聴き手たちが赦すと思ってか!」
そう凄んでみせたミューゼタニアは、すでに王級吸血鬼としての枷を完全に解き放っていた。漏れ出るような真紅に瞳を輝かせ、仮面の剣士を睨め付けてやり一歩も退かず。
だが、そんなミュゼの本性を前にしても、仮面の剣士は微塵にも怯まなかった。
「……アイドル? 悪いけどキミたち相手に名乗ってどうするの? いいからさ、はやくそこをどいてくれないかな」
涼しげな声で、ミュゼの爪をじりじりと押し戻していく。完全に力尽くで押しているのに、少しもぶれない力がそのしなやかな肩からもうかがい知れて。
必死で矢面に立ってみせたミュゼの傍らで、ソシエルが腰を抜かしたのか身動きが取れなくなっていた。他のメンバー二人も、逃げ出すどころかソシエルを見捨てられず、でもどうすることもできなくて泣き顔になっていて。
魔力の圧によって生み出された風に、仮面の剣士のフードが外れた。煽られて舞い上がった長い髪は、濡れ烏めいた黒。髪色に生白い肌の色からして、聖王国側に固有の人種であることは読み取れるが、今のナラクにとっては賊の素性などどうでもよかった。
それよりも、彼女の剣だ。いつだったか携えていたあの大剣どころか、ただのダガー一本きりでミュゼを押していた。ナラクの護衛役となり得る戦闘力のミュゼを相手に、である。
「出て行け、出て行け――でてけでてけでてけでてけでてけでてけでてけでてけでてけでてけでてけでてけでてけミュゼたちの大切なステージをぶちこわすなですこのばか――――ッ!!」
もはや泣きじゃくりの勢いで、仮面の剣士と張り合うミュゼ。その鍔迫り合いに、溢れ出ては拮抗する両者の魔力の波動。そんなミュゼをも圧倒しつつある様を見ても、やはりあれがただの旅の剣士などではなかったことは明らかだ。
「くそっ――――ミュゼ、一旦退け! そいつの目的はこの魔王だ! そいつはおれが引き付ける。だからお前は歌え、ステージに歌を絶やすな! 最後まで歌い続けるんだッ――」
思わずナラクは叫んでいた。
どうしてなのか、声を張り上げてからようやく思い知る。ステージ側から一望できる観客席の有り様――アイドルたちに分け隔てなく熱狂してみせたあの貴族たちの顔が、今は動揺と恐怖に歪んでいることが耐えがたくて。
なのに、ナラク一人がどれほど喉を張り上げようと、命がけで切り結ぶ両者に声は届かない。
「おい、貴様ッ――この魔王の命を望むなら、いつでも相手になってやる。今はその剣を収め、ステージを去れ! 魔王を倒したいというくだらぬ思惑ごときで、
と、そう張り上げたナラクの声すら上回るほどの〝音〟が、剣によって蹂躙されかけていたこのステージに再び蜂起した。
『――銀の翼 風に乗せて高く さらにとおくへ――――――』
倒れ伏したままのソシエルが、あの歌をもう一度絞り出すように喉を張り上げて。
『――ぜんぶ 詰めこんだ 旅かばんを乗せ しるべなき 大空へ――』
伴奏はもう途絶えている。それでも、静まり返った観客席の果てまで響き続けるソシエルの独唱。
それを耳にしたせいなのか。仮面から覗く剣士の口もとが、どこか不快さに歪んだような気がした。
「……こっちが用があるのは、アイツだ。こうやって女の子に戦わせるだけで自分じゃ何もしようとしない、そこにいるアイツだけなんだ。なのにまだ邪魔するなら、キミみたいなか弱い女の子相手でも容赦なんてしてあげないよ――ほら!」
そう、不敵に微笑んで、ちっぽけな短剣一つでさらにミュゼを押す仮面の剣士。
「くっ……おのれ、偉大なる我が王に指一本触れさせるものか! ――ま、まおーさま、はやく、に……にげてぇ!」
仮面の剣士に抗えず、遂には悲鳴のような声を上げるミュゼ。
だが、ミュゼの元へと一歩踏み出したナラクは、思わぬ光景を目のあたりにしていた。
『――太陽も 月明かりも 同じ――』
ソシエルだ。歌を絶やさなかったソシエル・アッチェラムが、鍔迫り合いを続けるミュゼと仮面の剣士の間に立ちふさがったのだ。
ミュゼを庇ったのだと、強靱な意志の籠もったソシエル目つきを見てわかった。
「このっ――アイツ以外の誰も怪我なんてさせたくないんだ、そこをどきなよ! あなたみたいなひとが魔物を庇ったって知られたら、もうみんなのアイドルだなんて言ってられなくなるよ!」
ソシエルは応じない。この歌が全ての答えなのだと、その瞳を、歌声を鋭い切っ先に変えて。
「お…………おんなじ……かがやく、銀色の……アリ……ア…………」
返す言葉もなく、ただ守られたミュゼの喉からこぼれ出てきたのは、歌のわずかな欠けら。それでも、ソシエルが答えた歌に繋がる詩の一篇には違いなくて。
「――だったら、なんなんだよ……どうしてぼくたちはそういうのを、三年前に、ちゃんとできなかったんだよッ!」
苦しげに歪んだ声が、何故か仮面の剣士から吐き出されてきて。
「ふぐぅ……にゅにゅっ――――――――もぅ……むり、げんかい、なのです――――」
直後、ミュゼの体が弾け飛んだ。真っ赤な血煙が舞い上がり、その中から小さなコウモリが羽ばたいて――すぐにステージ床へと墜落する。
力尽きて気絶したらしいミュゼの傍らで、その返り血を浴びたソシエルが茫然と仮面の剣士を見上げる。わななく喉。遅れてアリアのうちの誰かが、金切り声のような悲鳴を上げた。
「――魔王ナラクデウス、お前はこの舞台に立つべきじゃない」
刃の血糊を振り払った剣士が、項垂れていた顔をゆっくりと上げる。いかなる思いからそんな台詞を吐きすてたのか。こちらに向けたまなざしがそんなにも悲痛なものなら、その切っ先に今さら何の正義があるというのか。
だが、剣士の思惑がいかなるものであろうとも、ナラクはこの窮地にどうすべきかをもう決めていた。
「ああ、いいぜ、こいよ。どこの馬の骨だか知らねえが、この魔王ナラクデウス直々に相手してやる。さあ――おれさまにかかってきやがれッ!!」
安い挑発なのも織り込み済み。声を張り上げ、仮面の剣士に向けて叫んでいた。
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