第22話

「――さあて、ここでちょっとした余興を皆に愉しんでいただこうか」


 配下のものを頼らず、自ら進行役を務めてみせたのはこの城の城主――ラパロだ。


「闘技場戦争の時代が始まって、かれこれ三年か――かつて、勇者エクスたち勇敢なる冒険者パーティーを魔界の最深部へと送り出したのが、かのリュクテア聖王国だった。女神エフメローゼの恩寵を受けし勇者エクスの犠牲によって、暗黒神の完全復活は辛くも阻止されたのだ。そして邪悪なる魔王ナラクデウスは暗黒神と共倒れになり、その力を失った」


 拡声器によってホール全体に轟きわたるあの男の声など、ナラクとしても決して心地いいものではない。ただ、これから火蓋が切られようとしている物語はあまりにも劇的で、だからこそ観客らとそれを繋ぎ合わせるための役割は、あの男をおいて他にいないだろうから。


「我々は勇者エクスの敗北を悲しむ必要などなかった。彼の英雄譚を機に、我々の世界が変革期へと足を踏み入れることができたからだ。かの暗黒神にもたらされた〈摂理〉――つまり闘技場戦争こそが、我々――人間を含めた生きとし生けるものたちにとって、あらたなる恩寵となりうる契機なのだと!」


 熱弁が勢いづいたラパロの姿は、果たして招待客らにどう映っているのだろうか。魔工石越しに捉えた観客席の映像を眺めるが、人間たちの反応も様々だ。どのみち裏方役でしかないナラクは、潮目を見定めてミュゼを導いていくしかない。


「今日この場に招待した女神エフメローゼの信徒らにも、ぜひリュクテア本国に送り届けていただきたい芸術の形がある――――――さあ、さあ! まもなく開演の時間だ」


 それまでホールの片隅で繰り返されてきた管弦楽の演奏が、そこでにわかに調を変貌させる。

旋律に交わるピアノの音色と、色調を本来のものから変え演出しだすシャンデリア――あのランプ球の一粒一粒が魔工石でできているのだろう。

 趣を別世界のように変え始めたホールに、たまらず感嘆にどよめく観客ら。その宙に、蛍火のような光の奔流が舞い踊る。アイドリア・エフェクト。蒼、朱、翠――三つの色調を帯びた魔術光が重なり合い、各々が主張を激しく強めながら、次第に円を描いて収縮してゆき――最後には一点に衝突して弾け飛ぶ。

 そうして眩いばかりの銀色の花火がホール中心で散華すると、


『――銀の翼 風に乗せて高く さらにとおくへ――――――』『――とおくへ――』


 瞬く間に暗転したホールを照らし出したのは、そんな歌声。それもひとつきりではない。少女たちによって強く、熱く束ねられた歌が、調和し反復され、伴奏を凌駕する旋律となる。

 どよめく観客席側にも異変が起こった。観客らが着座していた円卓と椅子が、床面ごと持ち上がると、それぞれ宙に浮かび上がっていったのだ。これは魔工石による浮遊術だと、追って案内音声が届けられる。ただ彼らがこの壮大な現象に心を落ち着かせる暇もなく、アイドリア・エフェクトの輝きに照らされて、さながら夜景を空から眺めるかのような未知の体験を、半ば強引に味わわされるはめになっていた。


「――そう、彼女らこそが〈銀妖精のアリア〉! 我がヴェナントを照らす、輝ける三つの星々なのでえす!」


 興奮のあまり絶叫するラパロに呼応して、石床の中央が二つに割れていく。

 そうして床下からせり上がってきたそれは、アゲハチョウのごとく煌びやかなドレスを纏った三人三色の少女たち――〈銀妖精のアリア〉を乗せた、真円形のステージだ。

 自分たちを空中から見下ろす構図となった観客席に手を振ると、アリアのセンター――蒼穹のソシエルが、携えた魔杖を掲げ、先端の魔工石へと声を送り込む。


「遠路はるばるリュクテア聖王国よりお越しの皆様、お初にお目にかかりますの。わたくしたちはアイドリア・クラウンという戦舞台を駆けるアイドルの一翼――〈銀妖精のアリア〉!」


 そこで、宙でゆっくりと円軌道を描く観客席のひとつから、野太いまでの歓声が沸き立った。ラパロの縁者たちだろうか。


「聖王国の皆様にはアイドリア・クラウンがどのような文化なのかも、まだご理解をいただけないかもしれません」


 反してリュクテア使節団の白き聖女たちは、あまりの事態に正気を保てず、自分の席にしがみつくだけでやっとだった。ソシエルの演説に耳を傾ける余裕などなさそうだ。相手がこんな体たらくでは、いかに素晴らしいステージになろうとも快い返事など引き出せそうにない。

 ただ、ナラクの胸にたぎりはじめたこの感情が、無心に全てを見届けたいとだけ願っていた。これほどの規模なステージだ。ナラクの夢に居座ってきたあのどす黒い呪いを、余さずに打ち払ってくれそうな希望がここにこそ在るのだと――そう、本能がたまらず訴えてきている。


「そして、今日この大切な場で、わたくしたちはもうひとつのアイドルの形をお見せしたい! ともにアイドリア・クラウンで戦う、今はまだ孤高のアイドル――かつてわたくしたちが争いあった魔王が寵愛を受けた、とっても愛らしい女の子、それが吸血鬼ミューゼタニアッ!」


 アイドリア・エフェクトの花火が再び弾けた。満月を思わせる銀が、ステージの夜空をおぼろに照らし出す。ソシエルと背中合わせでいたミュゼが、彼女と同じ魔杖を手にして観客らの前に姿を現す。

 伴奏が、この状況に有無を言わさず高まりだす。肩を並べたソシエルとミュゼ、そしてそれを取り巻く二色のアイドルたち。ようやく出揃ったステージの演者らを祝福するかのように、それまでの演奏を繰り返していた楽師が遂に第一楽章の火蓋を切る。


『――ぜんぶ 詰めこんだ 旅かばんを乗せ しるべなき 大空へ――』


 その主旋律を歌い出したのは、センターのソシエルだ。輪をなして追随する他の二人が、各々に身体表現でソシエルの歌をなぞらえていく。

 ミュゼはソシエルの傍らで、どこか余裕の無さそうな顔をしながらも、必死にダンスに喰らい付いていく。何せこの曲こそは、そもそもアイドル愛好家から歩み始めたミューゼタニア自身が、誰よりも知り尽くしていた思い出の曲なのだから。


 ――〈銀妖精のアリア〉のデビュー曲〈旅するアリア〉を、わたくしとともに歌いませんこと?


 そんな提案を唐突に受けて、当初は戸惑うほかなかったミュゼ。だが、わずかながらの心の準備だけで、彼女は決意のまなざしをソシエルに送り、その手を握り返してみせたのだ。


『――誰が空をアオだといったの? 夜のアオが くらやみ染めて――』


 アリアの曲は、そのどれもが難解で不可思議なものばかりだ。匿名だった作詞・作曲家が何ものなのかナラクには知るよしもないが、いずれにせよプロデューサーであるラパロが探し出して雇った人物であることは確かで。

 と、そこでソシエル自身に導かれて、ミュゼが遂にステージの最前線へと躍り出た。

 スポットを浴びたミュゼが華麗にドレスを翻すと、いつの間にか宙を舞っていた魔杖が手繰り寄せられるように手元へと戻ってくる。アイドリア・エフェクトはまだ力加減できそうにないミュゼだったが、このように魔術による物体操作くらいならもうお手の物だ。


『――太陽も 月明かりも 同じ』『おんなじ かがやく 銀色のアリア――』


 そうしてふたつ重なり合う歌声、ミュゼとソシエルの喉が紡ぎ出す二重斉唱ユニゾン

 ナラク自身は客席でもステージでもない舞台の裏方で、固唾を飲んで彼女らの背中を見守るしかない。魔工石からの映像で観客席側の視点になれても、あくまでも自分は観客たりえないはずだった。

 でも何故だろう、己が立場を忘れ、つい息を飲んでしまう。ただ彼女らの歌声を聞いただけで、ここまでの情動は得られまい。ナラクの耳には、不思議とこう聞こえたのだ。アリアの歌が聞かせた〝太陽〟がヒトで、〝月〟とはきっとヒトでないものを喩えているのだと。

 ホール内の招待客らは、酒場の顔ぶれに比べればうんとおとなしく上品だった。だが、この視覚と聴覚を埋め尽くすようなアリアの圧倒的ステージに、誰もが――あの白装束の女神教徒たちですら、さっきまでの現実からアイドリア・クラウンの幻想へと引き込まれたかのような感覚に浸っていたことだろう。

 彼女らアリアを知るナラク自身ですら、心を丸裸にされた気分だった。かつて魔界を統べた己が、ここまで無邪気で無防備になれるステージがあったのかと悦び、そして口惜しくなるくらいに。


『――――――――〈意志をこの手にヴィル・ピアサー〉!』


 だから気付けなかったのだろうか、ミュゼが歌い上げたこの一節が、〈旅するアリア〉本来のものと異なっていたことに。

 挑発的なポーズを決めて観客に手を差し伸べるソシエル――その前に躍り出たミュゼが膝折ると、何のつもりなのか彼女は唐突にアイドリア・エフェクトを発動した。


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