第21話

『――客人たちよ、此度はよくぞ我が城へと参られた。ヴェナントを代表するものとして、ここに厚く御礼申し上げる』


 やけに取り繕った口調ではあるが、オペラカーテンの向こうで演説を始めたのがラパロなのは明らかだった。ホールの舞台裏で出番を控えていたミュゼも、魔工石で増幅された仇敵の声には、目をしかめ耳をふさぐしかない。


『特に、かのリュクテア聖王国よりわざわざお越しくださった使節団の方々には、深い感謝の言葉に代えて、このように盛大な宴を開かせていただいた』


 リュクテア聖王国――そういえば正式にはそんな名だったなと、ナラクは今さら思い出していた。旧王家に代わり女神教団が実効支配する、大陸東部の軍事大国だ。


「なるほどねえ。連中、ただものじゃないとは思ってたが、聖王国公式の使節団だったとはな」


 小道具入れの木箱にどっかと腰を下ろすナラク。その傍らにミュゼも寄り添うと、


「ねえ、まおーさま。ミュゼわ、あのくそ領主はしねとおもう。まじ、しね。でも、とてもえらいひとたちの前で歌が歌えるのはうれしい。とはいえラパロしね。でもでも、そのう……しせつだん――って、なにをするひとたちなのです?」


 まだ幼く人界の事情にも明るくないせいで、わからないことは何でも質問してしまう。


「聖王国がヴェナントまで派遣した、簡単に言えば王様の代理人みたいなやつだ。こいつはおれの想像だが――ラパロのやつ、このあと聖王国側と何か金品の取り引きをするつもりなんじゃねえかな。だから、こういったパーティーを開いて連中の機嫌をとることにした」


「おー、なるほどなのです。おいしいごはん作戦、なのですね」


 その解釈はミュゼらしいが、要するにこれは人間たちの政治、策略だ。この大陸においては決して国力が高くないヴェナントの領主が、利益を得たいがために超大国リュクテアの小間使い相手に宴を開き、取り引きを確実に成功させるよう包囲網を敷いたのだと。


「――魔工石ですわ」


 そこで、ナラクたちの会話に割って入ったのは、思いがけない声だ。


「ラパロ様は、聖王国と魔工石を取り引きするおつもりですの」


 舞台裏の暗がりに、ランプ灯りとは異なる純白の光が、現れた三人目の来訪者を照らし出している。煌びやかな群青のドレスを揺らし、白くしなやかに伸びた脚を交差させ佇む女性。


「だって、我がヴェナント領が抱える鉱脈からは、良質な魔工石の原石がたくさん採掘されるんですもの。それを独り占めする方が、前時代的な考え方でありましょう?」


「…………あなたわ……銀妖精……アリアの……」


 呼吸すら忘れていたようにミュゼが息を飲む。衣装の装飾よりも眩い黄金の髪が尾を引く様を目のあたりにすれば、こんな艶姿こそが人間たちの心を釘付けにするのだろうとナラクですら腑に落ちてしまうほど。

 周囲に明かりを生み出していたのは、彼女の瞳と同じ菫色の魔工石だ。ドレスの胸元で燦然と輝く魔工石から手を離すと、


「ええ、わたくしが〈銀妖精のアリア〉のセンター、ソシエル・アッチェラムですわ。お初にお目にかかりますの、魔界から来たかわいらしい駆けだしアイドルさん」


 絶句したまま硬直してしまったミュゼの手を、すっと手繰り寄せる蒼の少女――ソシエル。


「はわ……わわ………………ほ……ほん……ほんもののソシエルぅ!?」


 姫君に口づけする王子様さながらに跪いてみせたソシエルを前に、ミュゼは顔を赤熱させたまま腰砕けになってしまった。アイドルを目指すきっかけになった当人と対面できたどころか、自分に親しく語りかけてきたのだから、おっとりミュゼも挙動不審にならざるを得ない。


「おおっと、こんなアクシデントくらいで失神してもらっちゃ困るぜ、ウチのお姫サマはよ」


 何も取り繕わず、あくまで悠然とミューゼタニアの腰を支えて落ち着かせるナラク。そんなかつての魔王に何ら怯むことなく、ソシエル・アッチェラムはステージで観客に送り届けるのと同じ顔で微笑みかけてきた。


「あらあら、アクシデントではなく、サプライズと言っていただけませんの? 魔界のプロデューサーさんも、お初にお目にかかりますの。あなたのご活躍は、わたくし〝たち〟の耳にも届いておりましてよ」


 わたくしたち――と聞いて、既にヴェナント代表にもミュゼが認知されたのだと理解する。


「さすがに、〈銀妖精のアリア〉その人とステージ裏で接触することになるとは、おれとしても思ってもみなかったが。まさか、うちのミュゼ相手に宣戦布告でもしてくれるのか? その手の演出は、観客らの前でやらねえと意味がないが」


「いえ、ご冗談を。此度はプロデューサーであるあなた様にお願いがあって、こうして伺いましたの」


 どこか親しみめいた声色を聞かせてくれていたソシエルなのに、すぐさまナラクを前に膝を落としてみせる。ちょうど君主にするように。己がプロデューサーたるラパロにそう申しつけられてきたのだろうか、それとも。


「……ミュゼではなく、おれ相手にお願い、ねえ。聖王国からの使節団に、魔工石の取り引き。このパーティーで歌えって話がラパロからあった時点で、なんか妙な話だとは疑ってたんだ」


「これからきたるアイドルの時代に、聖王国の門戸を開くことは必要不可欠ですわ。ですが堅き女神の信条が支配するかの国の壁は分厚く、そして手強い。だからこそラパロ様は、魔工石の普及こそがその鍵であると考えておいでです」


 何やらもっともらしい政治の話が、それとは無縁そうなアイドルの口から聞こえてきて。さすがのナラクも苦笑せざるを得なくて。


「ふうん。確かに魔工石がありゃ、聖王国の民もアイドリア・クラウンを観戦できるようになるな。いや、それだけじゃねえな。まさか、あれから三年も引き籠もっていやがった聖王国を闘技場戦争の舞台に引きずり出してやろうって魂胆で、〝かの邪悪な魔王〟をそのダシにしようってのか、あのバカ領主は」


 バカ領主と声に出したのはわざとだ。予想に違わず、ソシエルは作り笑いで悠々と試練を乗り越えてみせる。


「いえいえ、ラパロ様はアイドリア・クラウンが当たり前の世界を目指して、魔界と人界の関係も正そうと考えておいでですの。ですので、ナラク様が女神教団にとってもはや仇敵ではないことを、これからじっくりと証明していく必要がありましょう?」


 女神教団のことは関心がないが、ミュゼや自分をあれほど隷属させてきたラパロが魔界をどうこうしようだなんて、何の冗談だろうか。


「そんな先見の明があのゲス野郎にあるとは思ってねえが、まあ確かに貴様の言ったことも事実だ――なにせ、くだんの女神教団こそが先の大戦にて、やれ正義だの愛だの口上垂れてこのナラクデウスに弓引いた人界の先鋒であるからな」


 知らずに、怒りと憎悪が表出してしまっていたようだ。熱を帯びた拳を振り上げたところで、それまで完璧なアイドルを演じきってみせたソシエルも、不穏さに顔を引きつらせてしまって。反してミュゼの方は、いつの間に我を取り戻したのか、魔王ナラクの発露に目を輝かせている。


「で、貴様の願いとは何だ? 〈銀妖精のアリア〉の代表者としての依頼か? それとも、ラパロの思惑に乗れという話か」


 あまつさえこうしてラパロに利用され、くだらない政治劇の舞台でミュゼが歌わされるはめになったのだ。それも、正式なアイドリア・クラウンの対戦ではなく、〈銀妖精のアリア〉ミニコンサートの前座という端役で。なのに、これ以上何を要求しようというのだろう。


「これは、わたくしの一存で思いついた、素敵な余興。そして、アリアの皆で決めたことですの――きっとラパロ様には快諾いただけないでしょうから、事後報告ということで……フフッ」


 跪いたままのソシエルが、王ではないナラクを前に、胸元に両手を添えその願いが大切だと訴えてきて。

 と、溜息や靴音があとに続いて、ソシエルの背後に、いつの間にか二つの人影が寄り添うように浮かび上がる。

 舞台裏に集った、魔工石のドレスを纏う三人の少女。ヴェナント代表アイドルレギオン、〈銀妖精のアリア〉が一堂に会した。


「ですから、お二方にお願いしますの」「素敵な歌姫ミューゼタニア」「そして魔界のプロデューサーさん」「…………アイドルで繋がってるあたしたち、ともに、歩めむべき……」


 蒼、朱、翠――肩を並べた三色の少女たちが、口々に――歓喜のあまり口もとを覆ってしまうミュゼへと、そしてナラクへと、そんな切なる願いを届けてきたのだ。


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