第18話

 陽が落ちた町は、夜闇に負けじとひときわ強く輝くことで、昼間とは別の顔を見せる。

 ここ〈森の木こり宿亭〉の店内でもそれは同様だ。橙色のランプ灯りがつくりあげる原初の食卓の光景。酒を酌み交わす群衆らが織りなす笑い声――その中心には、楽師の奏でる賑やかな音楽と、ひときわ強い輝きが落とされたステージがあった。


『――手紙に乗せれば 〝彼女〟になれる でも ちいさな翅じゃ ずっと届かなくて――』


 ――ミューゼタニアだ。あの漆黒の衣装ドレスを軽やかにひるがえして、陽光を燦々と浴びた花か蝶かといった絵を観客らの前に描きだしていく。


『――代筆者ゴーストライターだけが知る この偽りの恋の秘密 儚き結末を握ってる――けれども』


 歌われる曲目はあの〈声の翼〉。ランプ灯りの影に煌めく瞳は、より紅く。けれども彼女の妖艶さが毒とするなら、その毒すらも上書きしてしまうほどの光を聴き手たちの心に刻むのがミューゼタニアだ。


『――あたしは あたしなら あたしなんか こころが嘆くたび あなたが奥底に触れてくる』


 かつては人界と魔界を蹂躙したであろう、魔の最高位眷属――〈いと旧きもの〉の一柱。魔界の支配階級たる王級吸血鬼の若き姫君。


「ミュゼ!」「ミュ――ゼ――ッ!!」「魔物のくせに、なんてきれいな歌声してやがるっ!」


 なのに、これはどういうことだろう。人間たちを怯えさせるどころか、ひとり、またひとりと虜にしていく〝ミュゼ〟を前に、店内ステージではかつてない一体感が生み出されていた。

 とても喜ばしいことだと、ナラクは思わずこの光景に浸りそうになった。

 ステージ裏から密かに覗き込むこの視点は、確かに人間たちの見ているものとは異なるものなのだろう。

 ただ、それはきっとほんの少しだ。歌と言葉が、両者の間に横たわってきた溝をつないでくれていた。

 なんだろう。悪くない気分だ。――そんな感情が、ひとの姿を真似た魔界の王、ナラクの胸中に、かすかな残光のように弾けては陽炎めいて消える。


「――はぁい、本日のステージ、これにて閉幕だよっ! じゃあみんな、輝かしいアイドルの新人ちゃんたちを、お手元のカードでじゃじゃん応援してあげてねっ」


 と、そこであの司会者エルフの声が聞こえてきた。そういえば、いつの間にか歌も演奏も聞こえてこなくなっていて。


「――と言うわけで結果はっぴょ~! 本日のステージの勝者は…………なんとデビューして二回目の対戦で、いきなりあのエルミットちゃんと同率一位に並んだミューゼタニアちゃんでしたあ!」


 自分があれこれ思索に耽っていた間に、ミュゼが本日のステージを呆気なく勝ち抜いていたようだ。

 結果発表と同時に店内へと響き渡る、野郎どもの地鳴りめいた大歓声。他の対戦アイドルたちも惜しみない拍手を送り、茫然としてしまったミュゼをエルフ嬢が抱き寄せて祝った。


「さあて、当店のアイドリア・クラウンは楽しいお祭りみたいなもんだけど、本気と書いてガチの試合――毎年好例のヴェナント代表オーディションがね、もう来月に迫ってるんだ。そんなオーディションでぶつかり合うアイドルのみんなに、ここで自己紹介してもらいま~す!」


 もはや店の看板娘となったエルフ嬢の司会進行もほどほどに、出演アイドルたちの自己紹介が始まった。


「――みなさま、本日わミュゼのステージを応援いただき、ありがとうございました。あらためまして、ミュゼは――はわわ自己紹介、まだ! わたくしわ、ミューゼタニアと、いいます」


 しばらくして、ミュゼが観客に語りかける声が聞こえてきた。


「あの……ミュゼは人界の生まれではありません、すごくすっごくながい歴史のある吸血鬼の末えいです。でも、ミュゼ、ヒトを食べたりわしない、です。……ほんとうですよ?」


 そこは何故に疑問形なのか――と内心思ってしまった。

 直後に野太いどよめきの声が聞こえてきたので、カーテン越しに覗き込んでみてようやく腑に落ちる。どうやらミュゼが茶目っ気を出して観客を脅かしたようだ。この店に来た人間たちにはできない芸当――深紅の鋭い爪を伸ばして見せていた。


「あの、それでその、ミュゼわ……こんどの代表オーディション、勝ってしまいます」


 ――ちょっと待てミュゼよ、当初の筋書きにない語りが始まってやしないか?

 予定どおりに言葉は運ばなかった。客をあまり刺激しないよう、かつ親近感を少しずつ高めるべく、幕間にて一芝居打つ手はずだったのに。


「ミュゼ、プロデューサーさまに約束しました。ミュゼがヴェナントの代表になってみせる。そして、国や世界をまたいだアイドリア・クラウンの舞台に、立ってみせる。ですから――」


 何を唐突に口走っているんだこの娘は。ナラクは、いよいよ不穏な空気を感じ取ってしまう。


「――ですから、ミュゼわぜったいにアイドル業界を勝ち抜くのですっ! まずわ、憧れの〈銀妖精のアリア〉に絶対勝利ッ!! だからみなしゃまぁっ、これからもミュゼを、ミューゼタニア・ブルタラクを地獄の底まで深く燃えたぎる的なかんじで推してくらしゃいぃ――ッ!!」


 ――――――――うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉミュゼぇぇぇぇッ!!


 それは、ナラクの上げた心の悲鳴であり。同時に、ステージを途方もない熱気で覆い尽くす男たちの雄叫びでもあった。




 我に返った瞬間、ナラクの神経が限りなく研ぎ澄まされた。またもや暴走してしまったミュゼのステージから、いつの間にか意識が離れていたことに対してではなく。いまだ沸き立つ観客らの向こう側に、不自然な動きをする人影を見たからだ。


 ――む、憲兵どもか…………それに、あいつは。


 町に配備された憲兵たちが、いつの間にか店内にまで入り込んでいた。その矛先が向いたのは、異分子である自分たちにではなく、観客らの影で不自然な動きをした輩に対して。

 怪しげな仮面で素顔を隠した輩が、何人もの憲兵に取り囲まれ、行く手を阻まれていた。誰もが鎧を脱ぎすてた場所なのに、あんなにも悪目立ちする大剣を背にして。

 例の、仮面の剣士だ。


「――あそこの憲兵ども、アンタの差し金かい?」


 気付けばペルラがこちらと肩を並べ、腕組みしながらそう探りを入れてきた。


「ああ、悪かったよ。だがペルラ、あんたにあの剣士とやり合わせるなんて、おれはまっぴらご免だったんでね」


「なんだい、うちも腕っ節のいい用心棒くらい雇ってんのにさ。ナラク、アンタはそいつがやられる前提で先手まで打ってくれてたのかい? ――つまり、アタシ直々に相手してやる結果になるって」


 さも嬉しそうに言ってくれるペルラだったが、あの仮面の剣士が実力行使に出るかどうかも、ナラクには確証がなかった。せいぜい王だったものとしての〝勘〟などという、根拠のない代物が気まぐれ風を吹かせただけ。


「さあ、な。どのみち、あんたの店にまで口出しさせねえつもりだし、恨みっこなしだ」


「ったく、アンタってやつぁ。しかし仮面の剣士のやつ、あのまま引き下がるわきゃないねって覚悟はしてたけどさ、まさか今日も今日で、速断で店まで乗りこんできやがるたぁねえ。まあ、わざわざアタシが口挟むまでもなかったか」


 言っているそばから仮面の剣士は、憲兵たちによって店内からつまみ出されてしまった。剣士の方もこんな場所で剣を抜くほどの常識知らずではなかったらしく、おとなしく憲兵の指示に従ったようだ。


「さあて。かくして、騒動は未然に防がれたってわけだ。どうだ、揉め事をこうして穏便に済ませたんだから、とりあえずこれで貸し借りナシってことにしてくれねえか、ペルラよ?」


「ハハッ、わかったわかった、魔王さまが本物の策士だってわかってアタシも愉快になってきちまった! 閉店後に一杯奢るよ、それにアンタらに極上の肉も焼いてやる。リュクテア聖王国の行商人から買い取った秘蔵の肉だよ!」


「…………えっ、まさか、正気か!? うおっ――――」


 予想外の上機嫌さを覗かせたペルラにグッと肩を抱き寄せられ、脂肪なのか筋肉なのかわからない巨大な胸板に頬を押しつけられる体勢になってしまって。


「ハイハイ遠慮しなさんな、こんなの宴の口実さね。アンタんとこのかわいい娘が初舞台を勝ち抜いて、それどころかあんなにデッケエ大見得切りやがったんだ、この上ないくらい最高の日じゃないか!」


 ――その提案は、確かに魅力的ではあるが。


 思えばここに来てろくなものを食ってこなかったと、あるじに先んじて嘆くのは腹の音。それがかつての魔王の威厳を台なしにしようとも、ステージから止まない〝ミュゼ〟の大声援コールが掻き消してくれるのだった。

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