第12話

 着替え終えて自室から戻ってきたミュゼが定位置につくと、ナラクは仮設ステージから一番近いテーブルに腰を下ろした。


「ようし。じゃあ朝のレッスンを始める前に、ミュゼのこれからについてなんだが――」


 言い終える前に、ミュゼがそばに寄ってきたかと思えば、右の二の腕に抱きついてきた。しかも無言、真顔で。

 何の脈絡もなく押しつけられている二つの膨らみ。確かに柔らかで心地がよいもので、皮膚越しに伝わってくる熱を感じれば、人間の男どもが夢中になるらしいのも理解できなくはない。ただ、さすがにこの状況は意味がわからなすぎて、二の句が行方不明になった。


「あー、前から思っていたんだが。ミュゼには、どうもくっつきたがる習性があるな。吸血鬼の本能がそうさせているのなら止めろとは言わんが……人前では控えたほうがいいぞ、色々と」


 もし今後ミュゼにもファンができれば、誤解を招いたり、嫉妬のまなざしを受けることは必至だろう。アイドルに色恋沙汰や不祥事などはあってはならない、鉄の掟なのだとアイドル古文書にも記されている。


「……むふ。実わこれ、〝えなじーどれいん〟なのです。血を吸わせていただく代わりのおやつなのです。ちょっぴりだけ、ミュゼの生命力ヒットポイント魔力マジックポイントを回復するのれす……にゅふふ~」


 恍惚の溜息を吐いて表情を緩ませたミュゼに、「は?」と理解が追いつかなくなるナラク。


「ミュゼ、お前……いつの間にそんな新スキルを取得しやがったんだ……」


「らって、まおーさま、そのポーズ、すっごく〝まおーさまっぽい〟、ので…………そんなかっこされたら、ミュゼのはーとわキュンとなって、もぉ…………れへへぇ……よき」


 ミュゼはどうやらテーブルの上に腰かけて片膝をつくこの体勢を指して言ったらしい。土足でテーブルに上がるのがワルっぽく見えたからなのか? それに欲情したとでも言いたいのか。そもそも、このテーブルが廃棄品だから椅子代わりにしただけなのだが、何故。


「れへ……れへへぇへへ……たまらんなぁ。やはしミュゼ、力をご馳走になるお相手は、この世でまおーさまただお一人だけなのです。このまま永遠とわにミュゼのでいてくらさい……」


 ――おいおい、なんてふしだらな顔てしやがんだこの子は。まあおれさまは不死だし吸うのは構わんが、ここはプロデューサーとしてちゃんと躾けておいた方がいいのか。いや、吸血鬼にとっちゃ余計なお世話なのか……さて困ったな。


「でもね、まおーさま。その服も〝まおーさま〟っぽくてかっこよいけど、レッスンのときわ動きやすいかっこのほうがよいかも、です。ほら、ミュゼみたいに」


 などと、急に我に返って体を離したミュゼが、傍でふわりとターンしてみせる。

 ご指摘のとおり、今の自分はいつもの黒ずくめの服装だ。あからさまな漆黒のローブに、その下も魔術師が好むような布製の黒衣。憲兵どもの好きに監視させてやるため、あえて悪目立ちする身なりをしているだけなのだが、事情を知らない人間がこの頭の角や瞳を見れば、かつての魔王と重ねられて不思議ではない。

 対して今のミュゼは普段のレッスン着――上は薄布で胸元を覆う程度の軽装で、下は盗賊クラスの冒険者が身につけるようなぴったりとしたズボンだ。こちら、地味だが機動性重視。異様に青白い肌に真っ赤な瞳と爪、それととがった耳や牙くらいが、人間族との差異だろうか。


「……ああ、昨日のダンス指導んときの話か。そういやミュゼにローブの裾、何度も踏まれちまってたもんなあ」


 それに昨夜の初ステージだって、対戦相手だったエルミットと比べられればダンスの出来はまだまだだろう。


「まおーさま、あのいじわる使徒に力を封印されちゃったのに、あれだけぴゅんぴゅん動けてしまうのはさすがなのです。でも、やっぱりあぶないのです――おもに、ミュゼがにぶちんのどじなので…………しょんぼりんぬ」


 そうやってしょんぼりとしてしまうミュゼだったが、見込みがないわけではない。


「ハハハ、ミュゼには苦手なダンスの方を、もっともっと経験値を積んでレベルアップしてもらわないとな。だが、歌唱力じゃどの新人アイドルにも負けちゃいないっておれは思ってる」


 昨夜のステージでだって、ミュゼが歌声を発した瞬間に観客の空気が変わった。地元では知名度の高かったエルミットに向けられてきた歓声を、一時的にでもミュゼが奪い取ったのだ。

 何せ、ミューゼタニア・ブルタラクは王級吸血鬼の姫君だ。容姿も身体能力も、完璧なまでの上流血統。ナラクをしてもさすがに反則気味の出自だと認めずにいられないが、ヴェナントで活動するどのアイドルたちよりも素質に恵まれた存在なのだから、その力を人々の希望に変えないなんて嘘だ。


 ――ふむ、人々の希望、か。おれはいつからこういう風に考えるようになったんだろうな。


 ま、どうでもいいか。ナラクは勢いよくテーブルから飛び降りると、靴底を軽快に響かせ、ローブを背後へと脱ぎ捨てる。そのままステージへと軽々駆け上がり、ミュゼと肩を並べた。


「じゃあ、今日の午前中はダンスレッスンだ。このおれさまが観覧劇場から中央図書館、下町のあやしげなパブに至るまで、とにかくヴェナントを駆けずり回って調べてきた必殺のダンステクニックを伝授してやろう! ……ホンモノの魔王仕込みだ、付け焼き刃とは言わせんぞ?」


 するとミュゼは騎士養成所の鬼教官を前にしたみたいに、ぼんやりまなこを精いっぱいキリリとさせ、


「……あやしげなパブ、りょーかいっ」


 などと敬礼しナラクを苦笑させるのだった。

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