第5話


 演目となった〈声の翼〉が第一楽章を終え間奏に入った折に、再び司会者エルフの語りがステージと観客席とを繋ぐ。


「――さあて曲が盛り上がってきたところで! 今回エルミットちゃんに挑戦状を叩きつけた命知らずなアイドルは、なあんと本ステージが初デビュー戦となる新人中の新人ちゃんなのです! それにね、なあんとなんと、この新人ちゃん、わざわざ魔界からうちの店――もごっ!?」


 ベラベラと口数の多い司会者エルフの口もとを、背後からふさいだものがいた。


「待て待て、商売に欲を出してウチのアイドルに余計な色づけはしてくれんな。お前ら外野は、輝かしきアイドルたちの姿をただ肌で感じとってくれりゃいいんだっての」


 ステージ裏にいた、黒ずくめの男だった。ステージ上で起きた予想外の展開に、観客たちにもどよめきが走る。

 だが、ステージに現れたストロベリー・ブロンドの少女――新たな歌姫としてこの場に立ったミューゼタニアの姿に、このステージに立ち会った誰もが心を奪われてしまう。その美しくも可憐な容姿に、あるいはどことなく妖艶ささえのぞく衣装に。――そして、人ならざるもの特有の、心の奥底から魅入られるような神秘性に。

 もがく司会者エルフの表情が青ざめていくことなど誰も気にとめず、楽師たちが楽器で描く物語が、ついに〈声の翼〉第二楽章の火蓋を切った。

 神秘的な装飾の施された長いスカートをひるがえすと、ミューゼタニアは携えた魔杖に埋め込まれた宝石へと唇を寄せて――


『――いつか 彼女は手紙で 別れを告げる――』


 常にまどろみのさなかにいるかのような顔立ちのミューゼタニアは、反して聴くものの固定観念を打ち破るほどの歌唱力で、刹那に観客たちの心を釘付けにする。ステージの主役の座を奪い取った瞬間だ。


『――〝彼女〟を演じたあたしは もうここにいられない これは ひとに恋した妖精のおとぎ話――』


 凛と張り詰めた歌声が、それでも壊れそうなこの想いをつなげようと、観客たちが沸き立つステージの向こうへと響き渡っていく。


『――手紙に乗せれば 〝彼女〟になれて でも ちいさな翅じゃ 届かなかった――』


 織りなされる伴奏が最高潮を演出し、より高鳴るミューゼタニアの喉。まだ子どもみたいな顔だちの娘のものとは信じがたい、強く伸びやかな声で。歌声が描く旋律をなぞるようにピアノが追随すれば、音の隙間を弦奏者らが競い合って埋めていく。


『――代筆者ゴーストライターだけが知る この偽りの恋の秘密 儚き結末を握ってる――』


 どこかメルヘンチックにも見える巻き髪が尾を引いて宙を舞ったかと思えば、軽やかなタップを経てステージ中央を征する。まるでドレス自身が意思を得て少女とのダンスに酔いしれているかのよう。

 だが、ステージというやり直しのきかない戦場では、一瞬の油断が命取りとなる。ダンスの遅れを取り戻そうと焦ったのか、足を踏み外して床に手を付いてしまった。

 傍らでミューゼタニアに合わせてステップを踏んでいたエルミットも、手強いライバルの犯した痛恨のミスを、まるで自分のことのように慌てふためいてしまう。

 だが、この程度では折れない。可憐なミューゼタニアは人差し指に口づけして、ナイショの合図を観衆らへと送る。歌われた哀しい物語も、ちょっとした失敗も。すべてがあどけなさと妖艶さが渾然一体となったその微笑みに打ち消されて、観衆らをみるみる虜にしていく。


「――――――――んんっ! ――――――むぐぅ――――んん~~ッ!!」


 そんなミューゼタニアたちの情熱溢れるステージをよそに、司会者エルフは藻掻き続けていた。自分を押さえつける黒ずくめの男に必死の抵抗を試みるも、何せ相手は二回りほども大きな男である。さすがに手加減はされているようで、力ずくで乱暴をされている雰囲気ではなかったものの、抗おうと藻掻くたびにドレスに収まる乳房がふよん、ふよよんと跳ねてしまい、いつの間にやら己が羞恥心との戦いに変わっていた。

 だが、しばらくして彼女はある事実を察する。


 ――ははーん、もしかして。こいつ、あたしのおっぱいのせいで動揺してるみたいだね?


「――――――んむ~んっ! ――――――むむっ――――がぶッ!!」


 ならば好機とばかりに、司会者エルフは羽交い締めのわずかな隙をすり抜けてみせる。そして行きがけの駄賃とばかりに、男の手の甲に噛みついてやった。


「――――い………痛てッ!?」


 さすがに驚いて、彼女から手を離してしまった黒ずくめの男。犬歯を強く突き立てられた手の甲には、血が紅く滲んでいる――というか、したたり落ちてきた血が床までぽたりぽたりとこぼれ落ちるほどだった。

 仕返しされて当然だ、いや身を守るためとはいえこれはちょっとやり過ぎたかもと、司会者エルフの気が動転しはじめたと同時にそれは起こった。


「「「――――――――――――――なッ!?」」」


 司会者エルフ、黒ずくめの男、茫然と立ち尽くすエルミット、そして観客たち――彼らの唖然とした声が、この瞬間ハーモニーをなした。みな絶句し、楽師らすら伴奏を忘れて、いつの間にか店内がひっそりと静まり返っていたからだ。

 あれほど加熱していた歌声まで途絶えていた。何故ならば――


「……………………ミュゼ――――お前……」


 黒ずくめの男自身も動揺を隠せない。なんとこのステージの主役だったはずのミューゼタニアが、歌うことも忘れて、無我夢中で自分の手の甲に口づけていたではないか。

 というか、口づけなどという生やさしいものではなかった、途中からはもう無我夢中でしゃぶりついて――


 ――ハッ!? ミュゼったらいつのまに。まさか公衆の面前でまたやらかしてしまったのです?


 いつ何が間違ってこうなったのか、自分自身でも理解できないといった顔をしたミューゼタニア。彼女の口もとは男の流した血で真っ赤に染まり、ヒトのものとは思えない牙が白く剥きだしになっていた。


「はわわっ!? あにょ……こ、これわ、ミュゼそんなつもりじゃ……誤解なのなの、です」


 わななく肩を押さえながら立ち上がる。


「その、これは――そう、治療なのです。まお――わたくしの指揮者プロデューサーさまが流血なさってたので、バイ菌が入らないように、ミュゼがこーして消毒しようと、しただけなの、です……」


 その釈明はちょっと無理があるだろう、血塗れのアイドルはあまりに残虐な容貌である。戦慄した観衆らの視線に耐えきれなくなり、少しずつミューゼタニアが後ずさっていく。

 我に返ったエルミットがあまりの光景に悲鳴を高鳴らせたのと同時に、


「――見ろよ、そこのガキは吸血鬼ヴァンパイアだっ! 人間じゃねえぞっ!」


 観衆らの誰かがわめき立てた。


「魔物どもの仲間だ!」「魔王軍の残党だ!」「敵が街に入りこみやがったのか!」


 堰を切ったように口々に叫びだす店内の群衆。


「――どうりでなんかヘンだと思ってたんだ、ガキのくせに不自然にいやらしいわけだぜ!」


 さすがにそれはちょっと違うと思うが。

 だが、遂には皿やマグを投げはじめるものが現れて、


「わわ……おやめくださいお客さま、ミュゼわ……人間とか魔物とか関係なくて、まずみんなのアイドルになりたくて…………だめです……いたぃ……………………いたいょ…………」


 恐怖心に煽られがなり立てる人間たちの姿に、怯えを隠せないミューゼタニアの紅い瞳からみるみる明るい光が失われていく。

 さらに加勢するとばかりに、あの若き冒険者が剣を抜き放ったときのことだ。



「――――静まれ、下賎な人間どもが――――!」



 黒ずくめの男が放った大声が、恐慌状態に陥っていた群衆らの意識を一撃で射貫いていた。



「アイドルとは存在そのものが純粋にして無謬。アイドルとは絶対不可侵。アイドルとは民を導きし光。それを輝かせることもできぬものどもがか弱きアイドルたちを傷つけようというのなら、アイドルプロデューサーたるこの魔王ナラクデウス――何人たりとも容赦はせんぞッ!!」



 男が名乗った、〈魔王ナラクデウス〉という、聞くもおぞましきその名。

 そして男は、目深に被っていたフードを下ろしてみせる。素顔を晒した男の頭から生えた悪魔めいた角が、さらに人間たちを釘付けにする。獣の光を宿す黄金の瞳が、人間たちの恐れを一瞥だけで呼び覚ます。

 観客席に、即座にどよめきが走った。〝魔王〟の名を耳にした瞬間、自分たちの目前で歌を披露した吸血鬼のことなど吹き飛んでしまったかのようだ。


「まさか、どうせ魔王を騙る偽モンだろ」「いや間違いねえ、あの顔は魔王だ!」「そんな、魔王は勇者様と差し違えて力を失ったはずだ。それがなんでアイドルと一緒にいやがる!?」


 飛び交う観客らの憶測。

 魔王こそは、この世界を――我らの領域を侵してきた人類の敵だ。いくつもの都市を滅ぼし、森を焼き払い、数多くの冒険者を皆殺しにしてきた魔物の王。そして未熟だった勇者エクスには勝利したものの、暗黒神の力を悪用するという野望を叶えることができず、膨大な魔力と魔王の座を同時に失い魔界を去ったという、哀れな魔物のなれの果て。

 ただ奇妙なことに、観客席を占める人間たちの反応は二分されていた。ステージにものを投げ込むのを止めないものと、諦めきった表情を浮かべて立ち尽くすものと。


「――魔王、殺された家族や仲間たちの仇! お前がここで皆を傷つけようというなら、この僕が許さないぞッ!!」


 観衆らの輪の中から、先の冒険者が躍り出てきた。狭い店内で振るうには大仰な両手剣を抜き放つと、わざわざ装備しなおしたのか、鎧をガシャガシャと鳴らせてステージへと上がる。


「貴様――アイドルたちの神聖なるステージにその血なまぐさい出で立ちで上がるな、何も知らぬ衆愚が」


 魔王が冒険者に侮蔑の目を送る。ゴクリと喉を鳴らすも、負けじと冒険者も睨み返す。


「神聖? アイドル、だって? そうやって人間をたぶらかすつもりか。僕たちは魔王、お前を倒すためだけに何年も戦ってきたんだ。血なまぐさいというなら、その血の臭いこそお前が背負うべき罪じゃないのか」


 威勢はいいが、向ける剣先がわずかに震えていた。かの魔王にたった一人で対峙するのは無謀だと理解しての蛮勇だったのだろう。


「それに、この程度で血なまぐさいなどとわめくのなら、僕はカードすべてを賭けて、お前に一騎打ちの決闘を申し込む。〈剣闘技〉――つまり正式な闘技場戦争のルールでだ!」


 そう言い放った冒険者が、床にポーチを叩きつけてみせる。中に詰め込まれていたカードが散らばって、彼の剣先にも勝る光沢を返した。

 だが、若き冒険者の勇気ある宣戦布告にも、魔王は言葉もなく、ただ興が湧かなさそうに一瞥をくれるだけだった。

 息を呑んでこの一騎打ちを見守る観衆。無茶だやめておけと呟くも、誰も力尽くで止めようとはしない。ミューゼタニアも、エルミットや司会者エルフも、魔王の足もとにへたり込み茫然としている。

 緊迫は、ここで割って入った新たな声によって断ち切られる。


「――アタシの店で喧嘩はやめな。聞き分けのないやつは店からおっぽり出すよ」


 視線が一斉に、ステージ奥に下げられた臙脂のオペラカーテンへと向かう。と、カーテンの向こうから、異様に大柄で筋肉質な女性が現れたではないか。

 この大女は巨大なフライパンを、さながら大剣のごとく肩に担いでいた。怯えた表情をして覗き込んでいた控えのアイドルたちの背をポンと叩くと、戦闘によるものと思われる傷に覆われた顔で、ここは任せなと言わんばかりにニカッと笑い返した。


「アタシはこの店のオーナーシェフ、ペルラだ。お客さまは神さまじゃない、あくまでお客さまだって方針でウチは経営しててね。それに、剣闘技だかなんだか知んないけどさ、ウチはアイドリア・クラウン専門でやってんだよ、それでもやりたきゃ他をあたりな」


 ステージで魔王に並んだ大女ペルラ。剣を向けたままの冒険者とも対峙する構図になった彼女が、そんなもの眼中にないとばかりに、ざわめき立つ客たちの顔をぐるりと見渡していく。


「先週にウチの領主さまからお触れが出てたはずじゃん。かの魔王ナラクデウスは、我がヴェナントの軍門にくだった、とね。ウチの領主さまはボンボン育ちでサイテーのクズ野郎で顔を見るたんびにブン殴っちまいたくなるけど、どっちにしろここにいる魔王は、今やアタシらの身内ってわけさ。ヴェナントでまともなメシが食いたきゃ、おカミの言いつけはちゃあんと守っておくこったね」


 ペルラの一喝によって観客らのどよめきも途絶え、店内にはひそひそ声だけが残った。


「それでもまだ魔王とやりあいたいってやつがいるなら、てめえでアイドル連れてきてステージの上でこのミュゼと勝負しな! 正々堂々とね。それがアイドリア・クラウンのルールだ」


 ズン、とフライパンがステージ床へと打ち下ろされ、そのひそひそ声すら瞬時に断ち切られてしまう。


「ちなみにだがね、この魔王は勇者さまに、勝ったってわけでもないのよ。勇者さまと相打ちでくたばっちまって、それから復活しちまったからこうしてここにいんのさ。いっぺん死んで罪がチャラになったかどうかアタシにゃわからんが、あの〈暗黒神〉に魔力を吸い取られちまったこいつにはもうかつての力なんてないよ。わかったらそんな物騒なもんしまいな」


 ギッと冒険者に一瞥をくれると、巨大なペルラに圧倒された彼はステージから後ずさり、段差で足を踏み外してひっくり返ってしまった。

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