第3話
この酒場のステージ裏――下ろされたオペラカーテンの向こう側には、魔法の小さな明かりがともされたランプがひとつきり。薄暗いそこは舞台裏の楽屋というよりはただの貯蔵庫で、大人の背丈ほどもある酒樽や木箱が迷路のように入り組んでいる。
「――さて、そろそろ開演の時間だが……どうした、お前は何も恐れなくていい。思う存分、自分の力を振るってくるんだ」
若い男の声。薄暗い貯蔵庫の陰に紛れるように、いつからそこにいたのか、黒ずくめの大男がたたずんでいた。
黒ずくめの男の胸元から、もう一つの黒い影が離れる。男の闇色をしたローブに身を寄せていた、舞台裏で演目を待つ一人の演者。
「いーえ、これわ、ミュゼがぜんぶ、じぶんで決めたこと」
漆黒のドレスを身にまとう、男が抱きしめれば折れてしまいそうなほど華奢な少女だった。
陶器人形めいた生白い肌をしたこの少女は、人が生まれ持ったものとは思えない紅玉色の瞳を潤ませて、自分よりもうんと高いところにある男の顔を見つめている。
「おそれることなんて、ぜんぜんないです。こわいものなんて、ミューゼタニア・ブルタラクであるこのわたくしには、なにひとつないです」
ぼんやりとして舌っ足らずな口調、低くあどけない声色。同様に目つきもとろんと眠たげなこの少女は、けっして惚けているわけではない。男に向ける態度が意志の強さを物語っている。
「だからそんな心配そうな顔すんなって。この先に何があろうと、このおれさまがお前の居場所を守り続けてやる。だから、お前は自分の舞台で戦ってこい――最後まで足掻き、美しく可憐に戦い抜くんだ!」
彼の言葉に、少女は再びその胸に額をすがりつけて、ツーサイドアップに結ったストロベリー・ブロンドの巻き毛をふるふると揺らせる。
男からすればまだ子どもみたいに小柄な背丈だが、顔立ちに先んじて成熟を始めた肢体が――まだ慎ましやかな乳房がドレス越しにふにゅっと押しつけられる。男の方としても、彼女の無邪気さをどう扱ってよいものやらで、困惑の言葉が漏れそうになるのを飲みこむしかない。
「ふみゅぅ………………んん~っ」
そして最後に、溜まった澱みを押しやるように息を吐き出す。すぐに背を向けた少女の瞳には、先ほどまでの眠たげなものではない、確かな決意の光が宿っていた。
「でわ、このミューゼタニア・ブルタラク、わが戦場を征してまいります、まおーさま」
その意思を形に残すかのように、漆黒の少女・ミューゼタニアのヒールがカツンと石床を打ち鳴らした。
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