チャプター4:崩壊

第17話 鷹の爪

「教えてくれ、どんな気分だったんだ?」


 イナバから抜き取った血液を検査にかけながら、フランクはイナバに尋ねた。当の本人は頭を軽く掻きながら電子顕微鏡によって写し出されている拡大された細胞をボンヤリと見ていたが、躊躇うように口を開く。


「強いて言うなら、使命感? 殺したいとか暴れたいっていう欲望や衝動とは違っていたんだ。なんというか、あいつを倒さなきゃダメだって感じで体がそれに合わせて動いたっていうか…それ以外の事がどうでも良くなっていた。体が言う事を聞かなかったんだ」

「なるほど。レポートにあった説が正しいとすれば、君の持つセル粒子が命令を受け付けなかったんだろうね。肉体の疲労や外傷の回復が大幅に遅れていたのも、あの処刑人と呼ばれていたアマルガムを倒すために、そちらへ回す分のエネルギーを使い尽くしてしまったからだ」


 そうしてイナバに説明をしている間に、面白い物が見えているらしいフランクはニンマリと笑いながら顕微鏡で観察を続けていた。今の彼には自分の体調などはどうでも良く、未確認生命体研究の権威として、歴史に名を残せる可能性に胸を躍らせているのだろうとイナバは不貞腐れた。


「凄いぞイナバ。セル粒子が活発になっている…以前とは比べ物にならない。この調子でこれまで推測止まりだったクラスSの全貌を明らかに出来れば凄い事になるぞ…すくなくとも僕は学会だけじゃなく、メディアや他の企業にまで引く手数多…研究成果を利用して大儲け…ムフフ」


 汚い一面を垣間見せつつ、詳細をまとめているフランクだったが、背後に立っていたキースが呆れたように睨んでいる事に気づくと冗談だと目を泳がせながら弁解した。


「イナバ、これからしばらくの間はフランクの下で細かい身体検査や実験を行っていく事が決まった。あの変身が制御可能かどうかや、万が一の事態にあたっての対策が出来るまでは任務は控えてもらう。世間の目もある以上、不用意にアレスが出張ったりすれば批判にも繋がるからな」

「ええ、分かりました…」


 キースからの指令に異論が出来るはずもなく、萎れた様にイナバは返事をする。映像を見せてもらってからというもの、改めて自分が人間では無いという現実を思い知らされた事や自分の中に自分ではない何かが宿っているという気色悪さによってかなり気が滅入っていた。


 その頃、久々の外出という事もあってかヘンリーとレイはレギオン本部の正面ゲートを抜けると、上機嫌にバス停へと向かっていた。イナバが仕事に就けない状況という事もあってか、いつも以上の激務に追われる羽目になっていたせいで休日を返上する日々が続いていたのである。


「ごめんね、わざわざ付き合わせちゃって」


 ラフな私服姿になっていたレイは、ヘンリーに対して軽く謝った。


「どの道俺も用事があったんだ。まあ、代わりにコーヒーでも奢ってくれ…ん?」


 物的なお礼を要求していたヘンリーは、レギオン本部を柵の前から眺めている中年の男性を見つけた。安物のジャンパーを羽織っているその男性は非常に憂鬱そうな表情であり、これから首でも吊るのかという程の悲壮感が風貌から漂っていた。少なくとも入隊希望では無いのは明らかである。


「うちに興味があるのか?」


 施設を見ていた男に対してヘンリーが気さくに話しかけると、彼は少し動揺した様に体を震わせた。


「ああ、何でもないんだ。よくニュースで見かけるからどんな場所なんだろうと思ってね」

「そこら辺の軍隊や警察組織と変わらないわよ?違いがあるとすれば、政治家連中から嫌われている事」

「だが未確認生命体の対処にはここを頼るのが一番手っ取り早い…だろ?少なくとも警察なんかはあんた達の事を悪く言ってない」


 自分達を卑下するレイに対して中年の男性は悪い意味では無い方の評判を伝えた。「実際はどうだか」などと愚痴を言い続けたレイだったが微かに照れが窺える。


「政治家は仕方ないさ。昔からそうだろ?自分が偉くなったと勘違いした奴って、ちょっとでも思い通りにならないとすぐ怒り出すんだ。余裕が無いんだよ」


 ここにはいない誰かを小馬鹿にしたらしく、中年男性は笑いながら言った。それに釣られて二人も笑っていたが、中年男性は彼らへ改めて首を向けながら心に残っていた質問をぶつけてみた。


「あんた達は何でレギオンに入ろうって思ったんだ?」


 突然の質問に二人は少し黙ってしまう。正直な話、油を売っていられるほど悠長にはしてられなかったのだが、変に悪態をついても得をしないと割り切った。


「綺麗事を言うなら誰かの役に立ちたいって所だ。だが未確認生命体に対しては、政府や自治体に管理されている組織だと制限が多すぎる。その点、民間軍事会社なら結構自由に活動が出来ると知ってな」

「まあ、報酬や名誉のためだけじゃないってのには同意」


 ヘンリーがいかにも準備していたような言葉を返すと、レイは特に言う事が無くなったのか彼に同調した。質問相手への真摯さがどうあれ、少なくとも二人のその言葉に嘘は無かった。中年男性は「そうか」とだけ反応して、不必要に時間を取った事を雑談を交えて呑気に詫びた。その時、二人は中年男性が胸ポケットからこっそり何かを取り出すのを目撃する。彼は取り出した一枚の小さな紙を、周囲からは見えないように隠して二人に見せた。


『落とす物を何も言わずに持ち帰って欲しい。”処刑人”を呼び寄せた黒幕の証拠だ』


 少し目を見張るヘンリーに対して、レイは遠目から自分達を見ている気配を感じ取った様な気がした。中年男性は話が終わったようにしてその場から立ち去ろうとした瞬間に、ポケットからUSBメモリを落としてそそくさと歩いていく。咄嗟にヘンリーは近くまで行くと、靴紐を結び直したいと言って前に屈んだ。出る前に結んでおけと彼に文句を言いつつも、レイは拾う瞬間を隠すため彼の近くに立つ。ヘンリーは腕や靴でメモリを隠しながら手で掴み、ポケットに手を突っ込む振りをしてそれを仕舞った。そして何事も無かった様に二人して歩きながらバスに乗って街へと向かって行く。


「どうすべきだ?」


 ヘンリーはバスの中でなるべく悟られない聞き方をした。


「至って冷静に用事を済ませる。そして帰る、それだけ。他は後で考えれば良い」


 レイも最低限の情報だけを会話に混ぜてそれに答える。




 ――――先程の中年男性はそのまま歩き続け、やがて人気のない工事現場へと足を運んだ。誰もいないのを確認すると、中へと侵入して骨組みの見えているコンクリート造りの建物の一角、灰色に塗装されている鉄骨の山に座り込む。


「いるんだろ?」


 中年男性は大きく声を出した。いつもの派手な服装とは違う、パーカーやジーンズといった比較的動きやすそうな服を纏ったジェームズが建物の陰から姿を現す。


「随分とレギオンの連中と仲良くしてたみたいだなリチャード。何を話してたんだ?」

「敵地視察だ。文句あるか?」


 質問に答えていると、ジェームズの背後からも彼の部下と思われる者達が数名現れる。気が付けば背後にも気配があった。


「最後に聞くぞ、何をしていた?」

「何度でも言ってやるさ、敵地視察。どう答えようが始末する気だろ…つくづく変わったんだなアイツも」


 ジェームズがドスを聞かせて脅すが彼にとってはどこ吹く風であった。リチャードは重々しく鉄骨から立ち上がり、敢えて板挟みになるように建物の中央へと向かう。逃げる気が無さそうな彼の姿に戸惑う者達も少なからずいた。


「最後に俺からも一つ聞かせて欲しい。あいつといいお前といい…相手の力量も碌に見極められなくなったか?」


 そう言った瞬間、リチャードは自身の下半身を武装形成によって変形させた。彼の顔がいつもの弱腰な情けない男の姿から一転、無慈悲さに満ちているものになっている事にジェームズは気づいた。


「理想に共感して、ついて来てみたが結局は他の下衆どもと同じだったわけだ…、見下されてたんだなあ、俺」


 やさぐれながら言うリチャードの言葉には、アイザックや仲間に対する嘆きや失望が入り混じっていた。

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