第16話 ご乱心

 咆哮と共に突っ込んでくる変貌したイナバを前に、ウィリアムはどうにか防ごうと腕を構えるが、殴られた瞬間に腕に激痛が走った。そのまま吹き飛ばされて道路の先へ飛ばされると、地面に手をついて立ち上がろうとしたが腕に力が入らない。たった一撃で外殻を破壊されたばかりか腕の骨が折れていた。肉体の治癒を行いつつも、腕を使わずに立ち上がるしかないと思考していたが、状況を把握するのがあまりにも遅すぎた。


 すぐに追いついて来たイナバによって顔をそのまま砕かれそうな握力で鷲掴みにされると、ウィリアムはそのまま押し倒され、整備されたアスファルトへ何度も後頭部を叩きつけられる。片腕を巨大な刃に変形させて自身の頭を掴んでいる腕を切り落とそうするが、文字通り刃が立たない。攻撃を不快に思ったらしいイナバは、ウィリアムを付近に停車していたバスへと投げつけた。バスがへしゃげる勢いで激突した後に体勢を立て直そうとウィリアムは動くが、再びイナバが拳で追撃をしてきた。今度は腹の外殻が破壊され、衝撃が内臓にまで届く。鈍痛と吐き気が這い回るようにしてこみ上げ、思わず血を吐いた。


 その速さ故に対処が出来ず、その破壊力故に防御も意味を成さない。ただひたすらにサンドバッグとしてぶちのめされていった。


「なめるなガキがぁツ‼」


 辛うじて隙を見つけたウィリアムは顎と思われる場所に全力でパンチを撃つが、吹き飛ぶどころか怯みさえしなかった。拳が触れた顎の感触は非常にゴツゴツとしており、その重量感はまるで山だった。


 癪に障ったらしいイナバは、ウィリアムを殴り倒してからそのまま何度も踏みつけ、ハンマーの様に拳を振り下ろし続けた。衝撃が体に伝わるたびに体が地面に沈んでいくのをウィリアムは感じながら生まれて初めて蹂躙される恐怖を味わい、静かに失禁した。道理に埋まっていた下水のパイプや電線を破壊しながらウィリアムを攻撃していたイナバだったが突如動きを止めた。そして動かなくなった標的を穏やかに観察していたが、僅かに指先や首が動いた瞬間、怒り狂ったかのように再び彼に襲い掛かった。


 ウィリアムの両足をまとめて掴み、彼を引き摺りながら陥没していない場所へと向かう。今度はまるでオモチャのバットを振り回す子供の様に暴れ、無茶苦茶に地面や建物の壁に叩きつけ始めた。遠心力によって目から出血が起き、間もなく頭や体が衝撃、そして鈍痛に苛まれるという出来事を気が遠くなるまで繰り返した。


 仲間達はただひたすらにその有様を見届けるしかなかった。というよりもそれ以外に何も出来なかったというのが正解である。粗暴で暴虐な戦いぶりがイナバである事を忘れさせ、妨害をしようものなら次の標的にされかねないという恐れが、その場に居合わせた者達を拘束し続けていた。


 気が付けばズタボロになったウィリアムを踏みつけながらイナバは様子を見ていた。全身余すところなく血や打撲による変色で染まり、事情を知らない人間が見れば未確認生命体の亜種と言われても気が付かないのではと思える程度に変わり果てていた。脳波が消失した事から既に死んでいる事が分かってはいたが、問題は変貌したイナバをどうすべきかと全員が困惑していた。


 その時、怪物のような姿をしていたイナバが呻きながら跪くと、辺りに熱気や粒子を撒き散らし始める。全てが収まった後にはいつも通りの姿をしたイナバが、もう動けないとでも言うかのように体を仰向けにしながら倒れた。


『イナバさん!…良かった、ようやく繋がりました…』

「…何があった?今この間…」

「それは後で説明してやる…」


 キッドからの呼びかけにイナバが応えていると、異常が無くなった事を確認した仲間達が近づいて来ていた。サミュエルがイナバを立ち上がらせて満足に動けない彼に肩を貸し、他の二人が骸と化したウィリアムを抱えながら、ひとまずはアビゲイルたちと合流をするために全員で歩き出した。




 ――――街で繰り広げられた大型の未確認生命体と、それに乗じて現れたアマルガムとの戦闘が報じられると、様々な議論が巻き起こった。争点になったのは、アレスと名を付けられたレギオンの管理しているアマルガムの暴走であった。結果として討伐が出来たから良かったものの、民間人に被害が及んでいたらどうするつもりだったのかという問いに対して、レギオンの代表であるハンク・スペクターは「アレスの持つ機能の一つであり、配慮をしたうえで運用している」とメディアに答えたが、それを鵜呑みにする者達はいなかった。


 せめてもの救いだったのは今回始末された”処刑人”と呼ばれるアマルガムは、このスカーグレイブにおいて名の知れた個体であったため、あのような思い切った戦い方をする必要があったのではないかという勝手な憶測で擁護をしてくれる者達がいた事である。もちろん真実とは違うのだが、共通点があるとすれば悪気はなかったという点である。


 アイザックの隠し部屋に集められた者達は、そういった報道を視聴し終わった後も誰一人口を開かなかった。


「そんな…クラスSだったのか」


 恐れていたことが起きたと考えていた中年の男性はそう呟いた。


「リチャード~気持ちは分かるけど、あんまりそういう事言うと…」


 キティが不安を煽らないで欲しいと彼に苦言を呈そうとしたが、それより早くアイザックが彼を睨みつけた。


「リチャード、何か問題があるのか?他の連中を幾らでも送り込めばいい、メディアを使って奴が危険な存在だと刷り込む事だって出来る。やりようはいくらでもあるんだ、何を恐れている?力だけで何とかできるような時代では無いんだと分からせてやれば良い」

「俺達がこんなことをやっているとバレたら?そうなってしまえば今の生活を失うだけじゃ済まない、全員が殺されるぞ。見ただろ?今のレギオンはそれが出来るだけの戦力が整ってしまっている」

「出来るわけが無い。そもそも証拠がないんだ」

「だが——」

「文句があるなら出て行ってくれて構わない」


 リチャードとアイザックが言い合いを繰り広げ、周囲の者達は呆れてそれを見ていた。最終的に音を上げたリチャードが、上着を取ってから部屋をそそくさと立ち去ろうとする。


「…『アマルガムであろうと安心して暮らせるコミュニティを作る』、俺に初めて会った時にお前はそう言ってたが、今はどうだ?邪魔者を消すためにお前の駒にされている連中は…安心して暮らせていると思うか?」


 捨て台詞をと共にリチャードが部屋を去った後、気まずい空気が部屋を満たしていたが、アイザックは席を立って窓の外を眺め始めた。


「ジェームズ、奴にバレないように尾行を付けろ。最悪の場合は口を封じるんだ」

「だが——」

「さっさとやれ!」


 周りの意見を無視して命じようとするアイザックの声は、憤りに近い怒鳴りではあったが、不安が見え隠れするように微かに震えていた。

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