10.
これから話すのは、あれから四ヵ月後のことだ。
後夜祭の賑わいが窓を隔てて伝わってくる。
「つかれた……」
夏から今日まで、高テンションで仕事してきたジュリアもさすがに疲労を見せていて、社長椅子にもたれかかっている。久保会長に至っては黒ソファで爆睡中だ。
「俺も出たかったなー、後夜祭」
ゴロ付き椅子を跨ぐように座り窓の外のグラウンドを覗く川口先輩がつぶやくと、ジュリアが身体を起こした。
「行ってきなよ。あんたまた新しい彼女出来たってー?」
「どこから情報持って来るんだ、ジュリア」
「あたしは学園アイドルだから、情報網なんていくらでも持っているのよ」
得意げに言うジュリアは、梅雨の頃に比べてずいぶんと開き直り、強くなったと思う。二日間に渡って行われた文化祭はもうすぐ終わる。もう十月も半ばで、あとは日が沈むのが早くなるのを日に日に感じていくだけだ。そうは言っても生徒会の仕事はまだまだ終わらないけれど。
「学園アイドルって……、時代錯誤を感じるのは俺だけか?」
阿呆臭そうに笑う川口先輩だって、ジュリアを心配していたはずだ。きっと安心している。そしてどこか胸も痛むのだ。夏の間、ジュリアは無理したような笑顔で繕って、仕事に専念していたけれど、そこで失ったものは何だったのか。時々考える。
文化祭は特に何の問題も残さず、無事終了しそうだ。浮かれた女子高生、我を忘れた男子高生、みんな高校生活の一ページとして今日がずっと心に残るといい。
ここ数日、準備のためにほとんど寝ていなくて冴えない頭だけど、感情だけは心を支配していて、どこかで達成感を覚えていた。そんな俺も椅子にもたれて、今にも眠りそうだ。
「失礼します」
ドアが開くと同時に、頭に大きなおだんごを作っている唯先輩が入ってきた。
「お疲れ様です」
「あ、唯先輩ー。お疲れ様でーす」
「ジュリアちゃんと川口くんは元気ね。ヤマモト君は疲れきっているし、久保は熟睡しているけれど」
「二人は無理してたから」
「差し入れ、持って来たけれど、よかったら」
そう言って、唯先輩はコンビニのビニル袋ごと川口先輩に渡した。
「ありがとうございまス、唯先輩」
ビニル袋には、栄養飲料ゼリーや紙パックの紅茶、チョコレート、おにぎりなどが入っていた。俺たちの疲労をよく分かっている。さすが前生徒会長だ。
「ありがとう、唯先輩」
ジュリアが言うと、唯先輩は嬉しそうに微笑んだ。ジュリアは少しずつ唯先輩に打ち解けるようになって、最近ではだいぶ話し方が改まった。ジュリアが素を見せるたびに唯先輩はとても嬉しそうな顔をする。唯先輩もどこかで責任を感じていたのかもしれない。ジュリアのたった一人を奪ってしまったと。そんなことはないのに。歯車がかみ合わなくなるのは一瞬だから、誰だって責められるべきではなかった。
「ヤマモト君、もうすぐ花火が上がるけれど。この学校に唯一のスポットがあるのよ」
「スポットですか?」
「生徒会になる人間しか知らない、とっておきの場所。ジュリアちゃんに連れて行ってもらったら?」
「え……、でも」
イタズラっぽい笑みを浮かべる唯先輩になんだか困惑してしまい、俺は横目でちらりとジュリアを見ると、目が合った。ジュリアは疲れているだろうから、と断ろうとすると、
「ヤマモト、行ってみるー?」
先に承諾をされてしまい、少々申し訳なくなる。
「あたしも去年初めてみたけれど、すっごい綺麗なのよー。高校の文化祭であんな豪華な花火はなかなか見られないと思うけれど」
ジュリアは社長椅子から降りて、俺の手を掴んだ。彼女がすぐに手に触るのは癖なんだろうか。だと言っても、俺以外の人と手を繋いでいるところなんて見たこともないけれど。そもそも、そんな場面は見たくもない。
「川口はー?」
「俺はいい。行ってきなよ」
「うん、行ってきまーす」
生徒会室のドアを閉めて、俺はジュリアに引っ張られるようにして歩いた。いつかを思い出す。生徒会の仕事を始めたばかりの頃。いつだって俺はジュリアに導かれている気がした。
屋上に上るのは想定内だ。そう思っていたら、さらに屋上より高い場所をジュリアが指差した。
「あの上ー」
「え?」
「この梯子で登ると、花火はとても綺麗なの」
「はぁ……」
・・・唯先輩、それはとっておきの場所とかいうんじゃなくて、ただ単に誰も寄り付かない場所なだけじゃないでしょうか。俺の嘆息を聞いたのか否か、ジュリアが俺の手を掴んで、
「早く登ってよ」
梯子を登るように促す。何度でも言うが、俺は寝不足なのだ。ふらふらの頭で、何も考えずに言葉が走る。
「ジュリアさんが先に登ればいいじゃないですか」
「えー、だってあたしスカートだし。それとも見たいの?」
「先に登らせていただきます!」
何だってんだ。ずっと振り回され方も変わらない。だけど夏を乗り越えて、何か俺たちの関係も変わったのだろうか。俺はいつもジュリアと対等に向き合ってきたつもりだ。ただの先輩と後輩として。どういうものを普通と呼ぶのか分からないけれど。
足元に気を付けながら俺が梯子を登り終え、続いてジュリアが登ってきた頃、重低音が鳴った。と思ったら、暗かったはずの空が明かりに灯される。
「わぁ、始まったみたいー」
俺の隣にジュリアが座る。ここのスペースは特別広くはないが、狭くも無い。生徒会メンバーなら余裕で入る広さに、秋の匂いを運んだ風が、俺達の前髪を揺らす。
「ようやく文化祭が終わるなぁ。ものすごいストレスに感じていたけれど、終わったら終わったで寂しいなー……」
ジュリアが独り言のようにつぶやく。再び花火がなり、何色かのカラーがジュリアの横顔を照らした。
「冬になれば生徒会交代だし。一年なんてあっという間ねー」
「……引退なんか、しないで下さいよ」
ふと何も考えずに出た言葉だった。俺のセリフに、ジュリアはゆっくりと首を俺のほうにに向けた。その表情を見るのが怖くて、俺は慌てて言葉を探す。まだ次の花火は上がらない。時間遅れで遠くから火薬の匂いが風に乗ってきた。
「あ、あの……、じゅ、ジュリアさんって、何で俺に声をかけてくれたんですか」
わずか五ヶ月前のことだけど、遠い昔のように思えるその出来事を、俺はずっと疑問に思っていた。ジュリアのおかげで俺の高校生活は変わった。だけど何故俺を。いつも疑問で、どこか不安だったんだ。俺で満たされているのかと。
恐る恐る答えを待っていると、ジュリアは澄んだ声でつぶやいた。
「あたしと出会う前のあなたは、ジュリアに対して何の幻想も理想も持っていないようだったから。ジュリアを胡散臭そうにいつも見ていたでしょう。知っているのよー」
可笑しそうに笑うジュリアはこの上なく意地悪で、俺は否定の言葉を探してみるものの、彼女には敵わない。
「だからあなたになら素直になれると思ったの。それに……、あなたもどこか寂しそうな顔をしていた。大人っぽいなって思ったけれど、あたしより年下で、そんなわけない、それなのに可哀想ってどこかで思ったのかもしれない。直感であたしとおんなじって思った」
人付き合いが苦手だった頃、高校に入っても俺は人とどこか距離を置いて暮らしていた。悪友の元木が格別なだけで、あとは本心で話せる人間なんて生徒会メンバーしかいないのかもしれない。そこまで人数が増えたのもジュリアのおかげだ。人間はそんなに悪いものではないと教えてくれたのもこのメンバーで、俺は感謝しているのだ。
だから、少し難しい。対等でいるということが。
ジュリアの答えに驚いていると、三発目の花火が舞い上がる。今度は青をベースとした丸い花火。
「ヤマモト」
俺は花火に見とれていて気付かなかった。気付いたときにはジュリアは俺の背後にいて、名前を呼ばれるのと同時に温かくて柔らかい感触に抱きしめられた。
「あたしが久保のことで落ち込んでいたとき、ヤマモトはこんな風に抱きしめてくれたでしょ。あたし、すごい嬉しかった。これからも生きていけるって思えたの。ヤマモトがどういうつもりだったか分からないけれど、それでも大丈夫って思った」
体勢的にジュリアの表情は見えない。だけど今、ジュリアがどんな顔をして話しているのかととても気になった。今にも泣きそうな声だったから。なんとしても俺はジュリアを泣かせるわけにはいかないのに。
「ありがとう」
ジュリアの言葉とともに、先ほどよりもきつくぎゅっと抱きしめられ、今頃になってジュリアの言葉が俺の脳に伝わる。ジュリアが傷だらけになって俺の前で泣いたあの放課後を今まで話すことはなかった。今になってその話題が出て、胸の中がざわつく。複雑な気持ちで、また一つの疑問が浮かぶ。今でも久保さんのことを好きですか。
口にすることも出来ず、ジュリアを抱きしめ返すことも出来ず、もどかしくなって、
「俺は好きでもない女を抱きしめるほど、いい加減ではありませんよ」
思わず口に出すと、ジュリアの手の力が弱まった。俺の顔を見ようと再びジュリアが隣に座り込む。その瞳は濡れていなくて、俺はこんなときだというのに安心する。
「ヤマモト、それって……」
「――もう始まっているじゃないか」
梯子の軋む音と共に俺たちの会話を中断したのは、いつの間にか梯子を登ってきた久保会長だった。会長の後ろで、今度は赤色ベースの花火が夜空に舞い散る。
「久保さん、おはようございます。大丈夫ですか?」
俺は立ち上がって場所を空けると、久保会長は苦笑した。
「うん、僕、一時間くらい爆睡した?」
「いやいや、一時間半は寝ただろー」
久保会長の後ろから川口先輩も来る。また花火が舞う。間隔が短くなっているということは、これからが見せ場なのだろう。
「ていうかジュリア、ここに来るなら起こして下さいよ」
「嫌だよー。せっかくヤマモトとあたし、いい感じにラブラブだったのにー」
ジュリアの言葉にぎょっとしていると、川口先輩が期待以上に反応をしてくれたおかげで、俺の動揺は誰にも見破られなかったようだ。
「なんだよ、ジュリアとヤマモトってもう付き合っていたのか?」
「秘密主義の川口には秘密だよー」
上機嫌でジュリアが話す中、連続的に花火が舞い、重低音も後になって続いた。久保会長を見ると、複雑そうな顔で花火を見上げていた。ジュリアの言うことなんて真実ではありませんよと言い訳を考えるけれど、癪なのでやめておく。俺でさえ真実はよくわからないけれど、それもいいのかもしれない。
グレーゾーンの中で、俺たちはいつももがいている。相手の気持ちが分からないのを怖がる必要なんてない。色とりどりの花火を見ていると、なんだか強気にもそう思えてくる。
「見てー、次からはあたしが花火屋にお願いしたデザインよ!」
いつの間にそんな交渉を行っていたんだ、ジュリア様。生徒会の権限を使ってまで我が高校の女王様が舞い散らしたいと思ったその花火は、向日葵の形をした大きな花火だった。暗い夜空を太陽が照らしているかのように、俺たちにも光が舞い落ちる。
きっと明日からもこの学園アイドルは健在だ。そしてジュリアが今後、どのように活躍するかは。
ご想像にお任せする。
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