4.
幸か不幸か、俺は正式に生徒会書記を務めることになり、それから数日が経過した。もう五月も終わりだ。特に大きな仕事をするわけではないが、今のところ毎日生徒会室に顔を出して、俺専用の椅子に腰をかけて、インスタントコーヒーを飲んで久保会長と他愛もない話をしたりしている。ジュリアと話すことはほとんどないが、廊下で会った時には外面のジュリア様がわざわざ俺に声をかけてくれる。今となっては、そっちのほうが異常現象だ。ヤマモト君、と澄んだ声で呼ばれるときには虫唾が走る。もちろんこんなこと久保会長には言えない。
俺はジュリアのことを少し知った。独特な口調を発する声は少し甘ったるい。甘党なのかコーヒーにはいつもスプーン三杯のクリープを入れる。彼女の持つカップはそれこそエルメスが似合いそうなものだが、実は国民的キャラクターが印刷されているピンク色のマグカップで、それも妙に似合う。管弦楽部のバイオリン担当だが、合奏には参加しておらず、演奏会は全てソロで行っているようだ。事情は分からない。そして、生徒会長である久保を最高に信頼しており、久保に全てを委ねているように見えるのは俺だけだろうか。
あの二人が付き合っていたとしてもおかしくはない。でも矛盾は生じる。
「生徒会長とジュリアの噂なら、いつだって健在さ」
休憩時間、俺の席の前で元木は言った。
「え、それは本当か?」
「君は相変わらず噂には疎いんだな。まぁ、人間界に溢れた毒を持たないのが君らしいんだけどさ」
元木も意外だと言いながらも相変わらずな口調で毒づく。
「あの二人は小学校も中学校も同じだったらしいよ」
「……そうなのか」
「しかも、相当仲が良くて、その頃から二人は付き合っているという噂は絶えていないさ。しかし生徒会長のほうが強く否定していることから、僕はデマだと思いたいね」
肩をすくめる元木を視界に置きながら、俺は何度と見た二人のツーショットを思い浮かべる。悪くない。でも俺も元木に同意見だ。そもそもありえない。
放課後、何をするという予定もないのに自然に生徒会室に足が向いてしまう。行かないと後が怖い気がするのは何故なんだ。
正式に会員になったことでもらった鍵で部屋に入る。ジュリアの社長椅子に陽がまっすぐ当たっており、その光が跳ね返って眩しい。室内に入ってシンクを見ると、昨日使ったままのコーヒーカップが三つ置いてあった。俺はそれを洗い、ロッカーの上にタオルを敷いて、その上に置く。するとドアが開いた。
「あ、おはようございます……」
ちなみに今が夕方であれ、なぜか挨拶はおはようという業界用語だ。それはともかく、俺は入ってきた男に釘付けになった。久保会長でもなければジュリアでもない。軽そうな鞄を担いでいるその男は久保会長よりも長身で、短い茶髪で目つきが鋭く、会長のような爽やかさはそこには感じられない。ブレザーの襟元についているバッヂはジュリアたちと同じ二年生を示している。ということは先輩か。
「あ……、あの・……?」
「オマエ、侵入者?」
「え……」
風紀的に問題ありそうなナニガシ先輩からの突然の質問に、俺は慌てて首を振る。
「いえ、いいえ! 俺は書記のヤマモトです! あ、あの……」
「あー、いつのまに書記も決まってたんだ。悪いな。勘違いして」
あれ、見た目は怖そうだけど、そんなに悪い人間じゃないのだろうか。両耳にいくつものピアス開いていますけれど。
「俺は会計の川口だ」
短く言い放った彼は、そのまま黒板の前にあるコロ付きの職員室で教師が座っているような例の灰色の椅子に跨った。あ、あの椅子はその川口先輩とやらのものだったのか……。
「俺、先週正式に書記になったんですけれど……。お会いするの初めてですね」
「だって毎日あの二人に会う気力ねーもん。特にジュリアなんか疲れるし」
分かってくれる人がいた……! この時点で俺の川口先輩への親近感はかなり高まったと思える。
「別に俺だって好きで会計やってるわけじゃねーしな」
「え、それじゃなんで……?」
「ジュリアに無理やりここに連れてこられてさ。冬にあった生徒会交代の頃、もうジュリアと久保は役目が決まっていたらしいけれど、会計が空いてて、なぜか俺が目をつけられたんだ」
じゃあ、彼もジュリアのお気に入りなのだろうか。あの甘い声で彼に笑うのだろうか。なんだか面白くない。
「まぁ、俺は元々ジュリアなんて胡散臭いと思っていたし、化けの皮がはがれた姿を見ることが出来ただけでも面白かったし。会計やってんのはその引き換えかな。あいつらのことは嫌いじゃねーよ」
笑いながら椅子をゴロゴロと動かす川口先輩は、どこか人懐こさがあって、久保会長のように分からないわけでもなく、俺に近いものを感じた。俺は黙ったまま川口先輩の話を聞きながら、コーヒーを淹れる。
「川口先輩のカップはどれですか」
俺が聞くと、川口先輩は俺を見て、可笑しそうに噴出した。
「オマエ、久保の影響そのまま受けてんじゃねーよ」
「え……」
「面白いな、オマエ。じゃ、コーヒー頼むわ。俺のカップはトヨタの奴」
探すと、すぐそこに国産車が刷られているカップが見つかった。格好いい。俺はコーヒーを注いで、川口先輩に渡す。そうしていると、久保会長が入ってきた。
「おや、川口君。久しぶりだね」
「嫌味かよ久保。俺、サボリ屋だけど仕事はしっかりするぜ」
先輩が矛盾を偉そうに述べると、久保会長は表情を崩して笑った。
「知っているよ」
ここの人たちはどんな信頼で繋がっているのだろう。俺はこの会長にどう思われているんだろう。様々な疑問を浮かべながら、俺は会長のコーヒーも淹れる。
「ありがとう、ヤマモト君」
久保会長はカップを受け取り、ソファに深く座った。
「あー、疲れた。今日体育あってさ……」
「久保は意外にインドア派だからなぁ」
「よかったよ、ウチの学校の体育祭がそこまで大規模じゃなくて。むしろ今年は廃止したいんだけど」
「職権乱用だ久保。俺が許さねー」
「いいよね、君は。スポーツ得意だし、モテるでしょ」
「そんなこと久保に言われくねーよ」
二人の会話はどこか高校生臭さがにじみ出て面白い。ジュリアと久保会長の会話は、女王様と執事って感じが漂うけれど、この二人は対等なようだ。
「まぁ、体育祭は短期間の準備で済むけれど、文化祭はそうはいかないからね。そもそも予算、足りそう?」
久保会長が川口先輩に訊ねると、先輩は何も入っていないだろうと思われた鞄からファイルを取り出す。
「年間行事はどうなってんの?」
「ああ、それはヤマモト君がまとめてくれたよ」
何気に仕事の話を繰り広げていると、ジュリアが入ってきた。
「遅れてごめーん。今日は文化祭のスポンサーを決めちゃいたいなー。でも雨降りそうでかなりユウウツー」
機嫌がいいのか、やたらと笑顔でジュリアは社長椅子に座り、足を組む。その女王様っぷりには感服ですよ。
「久しぶりだね、川口。元気ー?」
「おかげさまで」
先輩は短く答え、再びファイルに目を落とす。ジュリアは立ち上がって先輩に近づいた。
「予算なら大丈夫よー? 冬からあたしたち、頑張った甲斐があるもの。ぱぁぁっと奮発しましょ」
「ジュリア。女の子が服を買いすぎるとか、そういう可愛らしいレベルの金額じゃないので、川口君に任せましょうよ」
久保が苦笑しながら苦言すると、ジュリアは頬を膨らませた。今日はやたら感情豊かだな。どうしたんだ。
「ヤマモトー、これから一緒にデートしない?」
「は……?」
にっこり笑ったジュリアに一瞬見惚れて、俺は返事がワンテンポ遅れる。
「どうせ暇でしょー?」
「ちょっとジュリア、今日は一応ミーティングだったんですが……」
「有限実行でいいじゃない。せっかく来てくれた川口には予算を決めてもらいたいし。そういうわけで行って来まーす」
ジュリアの手が俺の手首を掴んで、俺は強制連行されることとなった。どこに連れて行かれるんだ俺は。
ジュリアは鞄から去年の文化祭のパンフレットを取り出す。後ろのほうのページに載ったスポンサーを見て、歩き出す。
「ほとんどは去年スポンサーを引き受けてくれたところは、今年も引き受けてくれるものなのよー。そんなわけで行きましょ」
何がそんなわけか分からないけれど、俺は視線を感じる。まだ放課後になって間もない時間で、学校周辺には帰宅する生徒や部活中の生徒がまだたくさんいるんだ。再びジュリアと二人で歩いていたりしたら、明日の朝には何を言われるか分かったもんじゃない。
知ってか知らずか、ジュリアは俺から手を離さず、近くにある文具店に入る。
「こんにちは」
澄んだ声でジュリアは店員に微笑む。
「店長さんはいらっしゃいますか?」
変身シーンすら必要のないジュリア様のご光臨だ。本当に完璧ですよ、貴女は。
その後も診療所やスーパーなど数件周っていると、急に雨が降り出した。灰色のアスファルトが次第に黒くなっていく、大粒の雨。
「本格的に振り出しちゃったねー。早く帰ろー」
再びジュリアは俺の手を引いて、二人で走り出す。走るたびに足元で水がはねて、ズボンの裾が濡れる。いつの間にか空は黒く霞んでいる。こんな時期でも雲がかかれば太陽は見えず、日の入りも早い。学校に着く頃には生徒もほとんどいなくて、俺たちは二人で生徒用玄関まで駆け込んだ。
靴も履き替えないまま浅い呼吸を何度も繰り返し、俺はジュリアを見た。黒く艶やかな髪の毛は濡れて、滴を作っていた。俺は濡れて重くなったブレザーを脱ぎ、シャツの裾でジュリアの髪を拭いた。
「ヤマモト……?」
驚いたのか、ジュリアが上目遣いで俺を見た。悪気のなさは天然で、天然は罪だと俺は思う。濡れた髪の毛からシャンプーの香りが漂い、頭がくらくらした。
「風邪ひいたらいけないので……」
そう言いながらブレザーを抱えていない右手で、彼女の頭に触れる。再びジュリアが意外に小さいことに気付く。濡れた前髪は俺を惑わす。俺のシャツの裾にも水分が溜まった頃、俺は靴を履き替えて、ジュリアに背を向けて生徒会室へと歩き出した。何の言葉も浮かばない。
「ヤマモト、待って!」
ジュリアが慌てて俺を追いかける。そして細い指が俺のシャツを掴んだ。悪意のなさは罪だ。俺は一度もジュリアに目を向けることができなかった。
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