3.
翌日、生徒会での初仕事の疲れが出たのか、寝坊をしてしまい、いつもよりも若干遅めに学校に登校した途端、元木にネクタイを引っ張られた。なんだよ急に。
「ヤマモト、早速面白いことをやったんだね」
今にも爆笑しそうな顔で元木は言うが、俺には何のことか分からない。呆然としていると、周りからもなんとなく視線を向けられている気がする。そういえば、下駄箱のあたりからずっと誰かに見られていた気がするのは気のせいではなかったのか。いや、それは今があるからそれは言えるのであって、結果から因果関係を迫るのは卑怯だよな。って、何の話だ。
「何の話だよ」
「とぼけても無駄だよ、ヤマモト君。目撃者はいるんだ」
「ああ、俺、生徒会入ることにしたから。そのうち書類をきちんと出すことになると思うけれど」
「そこまで自白しておいて知らない振りをするなんて、君も案外策士だね」
元木の言いたいことがよく分からず、俺は眠い頭で一時間目の教科書を机に置いた。元木はいつまでも前を向こうとはしない。
「たった一日であのジュリアと仲良くなる方法をぜひ僕にも教えてくれよ」
にこやかに話す元木の言葉を一回素通りしそうになり、俺は眉をしかめながら元木を見た。
「……え?」
「昨日一緒に下校していたらしいじゃないか。しかも下校時間が過ぎたあと。一体この数日で何があったんだ?」
俺はやっと脳が覚醒するのを自覚する。あんな時間に目撃されるとは思わなかった。不足の事態にワンテンポ返答が遅れた。
「……何もねぇよ」
「ヤマモトは分かっていないな。ジュリアはああ見えて、ものすごく人を選ぶらしいんだ」
いつかに聞いたセリフをそのまま元木も言い出す。何なんだ、みんなして。
「だから人気者のくせに、友達はほとんどゼロ。ジュリアと親密なのはあの生徒会長くらいだけだ。厄介な女だ、今更惚れるんじゃないよ」
元木のどうでもいい忠告に、俺は眉をしかめる。そういえば久保会長はジュリアのことをとてもよく理解していたし、ジュリアが久保を信頼している感じはなんとなく分かっている。でもだからってなぜそっち方向に話が進む?
「間違っても惚れないよ」
俺が断言すると、元木は目を丸くした。
「その根拠はどこに?」
「ありえねぇって! ジュリアはあんな性格……」
「何だって?」
言いかけて俺は口をつぐむ。ジュリアがあんなに強烈な性格であることは言わないほうがいい気がした。ここで無理やり生徒会に引き込まれたことや久保会長さえもこき使う一面を言いふらしてジュリアの株を下げてもいいのに、何故か出来なかった。
みんなの知らないジュリアを何故か独り占めしたい気持ちになる。
「いや、なんでもない・・・」
俺が誤魔化したのと同時にタイミングよくチャイムが鳴る。元木は怪訝な顔をしながらも、黒板に前向いた。俺は嘆息しながら机に肩肘をつく。面倒なことになったな……。
移動教室で廊下を歩いていると、なんと話題の人間に出くわしてしまった。
「あら、ヤマモト君」
見た人間誰もを魅了するその笑顔は何ですか。
「おはよう。今日も放課後、生徒会室に来てくれるかしら?」
洋画を見ているような不自然なほどの上品な喋り方。気付けば周りに生徒が集まってきている。彼らの目は輝いている、なぜこれが偽者だと分からないんだろう。俺も分からなかったけどさ。
「ジュリアさん、彼は誰ですか?」
ジュリアに一番近い位置にいる男が胡散臭そうに俺を見た。あきらかに敵意を示されている。はっきり言って迷惑だ。俺は何もしていないぞ。
「彼はヤマモト君よ。生徒会の書記の仕事の手伝いをしてもらっているの。とても優秀で助かっているわ。今週中には正式に書記になるから、皆さんよろしくね」
百点満点の笑顔が周りの空気を和ます。愚かな生徒たちは急に俺に対しても敬意を示すそぶりを見せ、その間にジュリアはそっと俺に耳打ちした。
「放課後、絶対に来るのよー?」
相変わらず、人に断る隙を与えない女だ。
放課後、掃除当番が終わったあとで生徒会室に行く。ノックをしても返事がない。まだ誰も来ていないのだろうかとドアに手をかけると、開いていた。なんて無用心な。
部屋に足を踏み入れ、俺はあんぐりと口を開けて呆然としてしまった。
窓際にある社長椅子に横向きに座っているジュリアが、白いショールを制服の上に巻きつけ眠っていたのだ。俺は固まった身体を無理やり動かし、足音を立てないようにこれからどうしようかと迷っていた。このまま生徒会室から逃げ出すのもいいけれど、絶対に来いと言われたしな……。だけど勝手に寝ているほうが悪いだろ。そう思いながら視線を動かすと、見覚えのない椅子が目に入った。黒いソファの隣に置かれた、木製で出来た茶色の椅子には柔らかそうな白いクッションが乗っている。
「それ、ヤマモトの椅子よー。さっき届いたの」
その声にはっとしてジュリアを見ると、ジュリアは眠たそうに目をこすって俺を見ていた。
「どんなのが好きか分からなくて、木製のを頼んだけど、それでよかったー?」
「……ありがとうございます」
なぜか素直に言葉が出る。ジュリアが自分のために選んでくれたのかとか、自意識過剰かもしれないけれど、嬉しさが顔ににじみ出てしまいそうで、少し困る。
「ていうか、起こしてくれてもいいんじゃない?」
ジュリアがあくびをしながら社長椅子から降りた。俺は逃げるように椅子まで歩いた。
「疲れているんですか」
「そうでもないけど」
仏頂面のまま、ジュリアはロッカーを開ける。いくつかのファイルを取り出して、中から一枚の紙を俺に渡した。
「まだあなたは正式に生徒会員じゃないのね。名前とハンコ、出来るだけ早いうちに」
「……本当に俺でいいんですか」
一枚のプリントには名前を書く欄以外には、軽く契約書だと思える文書が連なっている。少しプレッシャーを感じて、俺はジュリアを見た。ここに久保会長がいないだけで、俺は緊張する。ジュリアの考えていることはよく分からない。
案の定、ジュリアは眉根を寄せた。
「あなたの謙遜は、あたしを馬鹿にしていることと同じ意味なのよ」
そのまま床に置いてあったバイオリンケースを手に持ち、ジュリアは生徒会室を出て行った。とたんに部屋の中の温度が下がる。俺は呆然としたまま、椅子に座り、手に持ったままの書類に視線を落とす。
私は生徒会書記を務めることをここに記します。
印刷された一文を見つめて、俺はため息をついた。彼女とはいつもコミュニケーションが成り立たない。なぜジュリアはこんな俺を呼ぶのだろうか。怒らせることしか出来ないのに。
「あれ、ヤマモト君」
ドアが開くのと同時に爽やかな声が聞こえ、手持ちぶたさにしていた俺はほっと安堵する。
「こんにちは、久保会長」
「よく入れたねぇ。あ、ジュリアに鍵借りていたの?」
「いえ……、ジュリアさんが部屋にいたんですけれど」
「え? ジュリア来てた?」
目を丸くしながら久保会長は鞄をソファに投げ出し、鞄からファイルを取り出す。
「珍しいな。ジュリアは本来ならまっすぐに管弦楽部に行っているんだけどね」
笑いながら久保会長は言い、俺を見た。
「君を待っていたんだろうね」
「そ、そんなまさか……」
俺は大袈裟に両手を翳しながら苦笑して否定する。
「ヤマモト君はジュリアが苦手?」
「え……」
思いがけない質問に俺は言葉を失う。相変わらず久保会長はつかみどころのない笑顔で俺を見つめる。
「そんなに気構えなくてもいいよ。あいつ、ああ見えてすごく単純な性格なんだ」
そう言いながら、久保会長はポットからマグカップにお湯を注いでいる。あ……しまった。先に俺がやるべきだった。
「ヤマモト君、マグカップ持ってきた?」
「……忘れていました」
俺からしてみると、ジュリアと同じくらいこの人もよく分からないけれどな。
その日は特別な仕事はなく、昨日に俺がエクセルで作成した年間行事の予算一覧表を思い切り褒められ、もう帰っていいと言われた。まだ正式な生徒会員ではない今の俺が毎日生徒会室に残るのは少々問題らしい。
代わり映えのない平凡な毎日を送るだけの日々だが、帰れと言われれば俺は帰る。コーヒーを飲み終わった後、ソファで寝転がって電卓で計算しつつ自分の世界を作る久保会長に挨拶してから、俺は生徒会室を出た。
生徒用玄関でスニーカーに履き替え、校舎を出ると、俺を呼ぶ声がした。
「ヤマモトー」
……気のせいだよな? 気のせいだと思いたい。間延びしたソプラノ調。ここは生徒会室ではないぞ。
「ヤマモトってばー」
次第に怒りっぽい口調になっていくが、語尾を延ばす癖は何とかならないのだろうか。観念して振り返ると、一階の教室の窓からジュリアがこっちを見ていた。
「やっと気付いたー。もう帰るのー?」
ジュリアの手にはバイオリン。ここは管弦楽部の練習室なのかと納得する。
「帰ります。まだ正式な生徒会員じゃないし」
「いちいち不便ねぇ。さっさと書類提出しなさいよー。そしたら合鍵も渡せるんだから」
「明日印鑑持ってきます」
俺が言うと、ジュリアは満足そうに笑った。それは公に見せる微笑ではなく、少女のような笑顔で、不意を突かれてしまった。俺としたことが。
「予算一覧表のこと、久保に何か言われた?」
「ええと……。褒めらました」
「やっぱりあたしの目に狂いはなかったんだ」
窓のサンにバイオリンを持っていない右手をついて、ジュリアは得意げに笑う。窓越しの俺たち。ちなみにジュリアのいる部室には、他には誰もいない。春の風が俺たちの間を吹き抜ける。
「ジュリアさん、練習しないといけないんじゃないですか。俺と話している場合じゃないんじゃ……」
彼女が持つバイオリンが先ほどから目に入る。俺が気を遣って言うと、ジュリアは急に笑顔をなくした。
「別にあたしがいなくたって部活は成り立っているしー」
つまらなさそうにジュリアは言う。また無表情。どうしてこの女は感情の起伏が激しいのか。全然分かりませんよ久保会長。
「ヤマモト、一緒に帰るー? コーヒー奢るよ?」
「いえ、でもさっき生徒会室で飲んできたし……。練習して下さいよ」
「ほんとにつまらないオトコー」
そのセリフを言われたのは二度目だ。だけど、今日は悪意が篭っていなかった。俺が窓から離れると、ジュリアは手を振って、また明日ねーと再び笑顔を見せた。
小悪魔なのか天然なのか、分からない。俺はこんなラブコメじみた罠にははまらないぞ。こんなシチュエーションは何度もあっていいものではないのだ。
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