第六話 ありがとうよ

 

 深夜。

 雲一つない空から月が覗いている。

 月光が地上を照らし、闇の中躍る草原の世界に立つソレも、まただった。

 童話の中で語り継がれる悪魔、竜、化け物達。

 その異形さに追随する邪悪がそこにいた。


「──────」


 酷く静かな世界。

 聞こえてくる音は全て聞き取る事が容易な程に、静寂。

 風に揺らめく草原達の合唱に、震えるシルヒの声に、テルキのギリリと噛み締める音。

 堂々と見据えるアマンダのローブが風ではためいて、その横で構える僕。


 見据える先に立つ──漆黒の首無し騎士デュラハン

 迷宮ダンジョンで姿を見せる不死系アンデット魔物モンスターの中でも、優れた耐久力と近接戦闘を得意とする下級の魔物。

 耐久力を持つとは言っても所詮はただの動く鎧。

 遠くから魔術を幾らか当てるだけで活動を停止させる事が出来るという、至って容易な攻略法を持つ魔物。


 と──その情報が間違いである事が今、証明されてしまった。

 否、この知識が間違いであると決まった訳ではない。だがしかし、今視界の先にいる首無し騎士デュラハンが下級の魔物とはとても思えない。

 多分、この場にいる全員が、そう感じていた。


「──────」


 頭部がない鎧の首の根本からは煙のような淡い青白い炎が立ち昇っている。

 その炎が揺らめいたと同時、首なしの騎士は悠然とその足を一歩踏み出した。

 大地で楽しげに歌っていた草達は、漆黒の鎧から迸る邪気に当てられ、踏み締めるたびに枯死していく。

 歩くだけで命の冒涜の限りを尽くすその横暴を、さも当たり前のように、鎧は気にもとめない。

 距離はまだ数十メートルも離れている。

 だというのに、背骨が丸ごと凍り付くような殺気は一体──!


「ありえない……! アレだけの人数をどうやって……!!」


「何の話……」


「駆け抜ける疾風! 鍛え上げられし刀の如き鋭さで、敵を斬れっっ!!」


 一番槍を務めたのはシナヒだった。

 状況を掴めない僕を置いてきぼりに、殺気に満ちた表情で、目尻から涙を零しながら叫び綴る。


「──バカやろう! アレにそれは悪手だ!!」


 テルキが静止の声を上げるがもう遅い。

 止まる理由はなく、止められる状況でもない。

 感情のまま言葉を走らせて真に力をある言葉を詠唱する。


風刃ゾル・ブレイぃっ!!」


 杖を翳し、現れるのは風の刃。

 人の丈程もある風の刃が、風を斬り、鉄の刃とたがわない殺傷力で首なし騎士デュラハンへと襲い掛かる。


 アマンダと同じ魔術。

 だがその威力は段違いだ。

 相手を簡単に殺す為の魔力消費を抑えた最低限の刃と、相手を確実に殺す為の魔力消費度外視全力の刃ならば、比べるべくもなく後者の方が強い。

 勿論、技術的に言えば前者の方が難易度が高いのだが兎も角。


 アマンダもそれを理解してか動かずにことの行く末をジッと見つめている。

 首無し騎士デュラハンがどのような行動を取るのかを。


 風の刃と侮った上での判断か、鎧は衣擦れさえ起こさない程に直立不動。

 だが鋼鉄すら断ちかねない極太の斬撃だ。

 頭蓋すら見当たらない魔物に、脳を使えと煽るのも無理な話だが、その判断の甘さは棒立ちする敵を真っ二つに斬り分ける。


 ────筈だったのだが。


「────な」


 目を疑う結果に声が漏れた。

 風の刃は確かに放たれた。

 しかし、鎧に傷一つ付けることなく、夜の闇に消えた。

 それは果たして鎧による防御力の高さ故なのか。


 ──いや違う。


 風の刃は鎧に当たった瞬間、そんなものはなかったと存在を否定するようにして霧散した。

 余波すら消えて、そよ風にすらならず、夜の闇に溶けてしまったのだ。

 そしてその事態を理解していないのは、僕だけのようだった。


「鎧すらもオリハルコン製……。馬鹿な。一体どこでそんな量を」


 アマンダが驚くのも無理はない。

 オリハルコンが三大希少鉱物に指定され、何千万ギルと高価に取引される理由は二つあった。

 それは非常に入手が困難であり、その魔力伝導体としての性能が高過ぎる点にあった。


「硬そうだな」


「ばか! アレは硬いんじゃない。吸収しているんだ!」


 元来、魔術道具マジックアイテムに使用される鉱物は水晶が最も適当とされている。

 それは水晶の魔力伝導の効率が高く、最も容易に採れる鉱物だからだ。

 魔力伝導率が高ければ高い程、使用者の魔力を十全に、そして速く通す事ができるからだ。


 その水晶を遥かに凌駕するのがオリハルコンだった。

 黒い鉱石で光に当たると淡い虹色の光を放つ。

 オリハルコンの魔力伝導体は99%強と言われている。

 受けた魔術を、そのまま魔力に変換して空中に流してしまう程の伝導率だった。

 だがまさかそれが吸収という結果に変わるとは、思いもしないことだろう。


「つまり……、アイツの鎧には魔術が当たった瞬間無効化される、と?」


「いや、魔術自体が無効化されているわけじゃあないが……まぁ、当たった魔術が無効化・・・・・・・・・・されるだけ──なら、対抗手段も容易に考えつくというものさ」


 そう、驚いたのは鎧の材質。

 ふんだんに使われた希少素材の量に驚いただけだ。

 魔術が効かない、という魔術師にとって致命的な弱点も、英雄ブレイブの前では大した問題ではないということなのか。


「くっ……、手当たり次第に魔術を撃つなって、何度も教えたはずだ……!」


「ご、ごめん」


 叱咤するテルキに対し、シナヒは気まずそうに頭を下げた。

 敵が魔物である以上、多少気が動転していたとはいえ、先制攻撃を放ったシナヒを叱る理由は見当たらない。


 だが──


「今更もう遅い……来るぞ! 回避の用意を!!」


 視界の端に映る、黒く禍々しい魔力の光が訴えかけるようにして、威光を放っていた。


 首無し騎士デュラハンが持つ騎士剣は、嵐と見間違える程膨大な魔力を纏っており、そして溜めに溜められた魔力を、斬撃と共に撃ち放った。


 まさしく飛ぶ黒の斬撃。

 その凶悪さと破壊の力は風の刃とは比べる事すら出来ない。

 黒いサメの背鰭せびれのような斬撃が、地面を抉りながら迫り来る。


 元より知っていたテルキ達二人は斬撃の軌道から外れるが、僕らはもろ射程範囲。

 地面を抉り、尚衰えない速度と破壊力は瞬く内に、身体を飲み込みバラバラに吹き飛ばすだろう。

 その想像が容易に浮かぶ、斬撃だった。


 僕は、死を直面する緊張した場面に身体を硬直させ、ただただゆっくりと迫る死の刃を見つめていた。

 しかし、アマンダはどちらも焦った様子はなかった。


「────言ったろ? 吸収するんだよアイツは」


 腕を組み構えるアマンダに、それを信頼して構えのまま僕は動かない。


 まるで熟練の冒険者の如き佇まいは童話の英雄を彷彿とさせた。

 銀髪は月光を反射し、風でローブと共にはためいている。

 まだ出会って一日も経っていない僕でも信頼を預けられる、あまりに心強い立ち姿だった。


 そのアマンダが思い切り片足で地面を踏みつける。

 そこから扇型に風の刃が地面を切り取り、岩盤を風圧で押し上げた。

 飛び出した岩盤は十メートルを超える特大の壁。

 地中より現れた即席の盾は見事、黒の斬撃と相殺した。


「吸収した魔力を倍にして打ち返す。なんとも化け物じみた能力だが──果たして、私には効くかな?」


 そう、オリハルコンが三大希少鉱物に指定されているのは、その伝導率故ではない。

 伝導率が高く、鉱石の中を通った魔力を倍にする・・・・力を有している点だった。

 それを知っていたからこそ、アマンダは準備をし、焦ることが無かったのだ。


 そして、攻撃に転じる今も同じだ。


 褐色の指が天を向く。

 砕かれた岩盤の破片が、アマンダの指先に応じ竜巻に乗って、天空へと舞い上がっていく。

 踊るように回る岩はその速度を上げていき、破壊力を極限まで高めている。

 余裕で人を押し潰せる巨大な岩から小粒程度の破片まで、全てがアマンダの魔術によって深夜の舞踏会に参加する。


「詠唱……破棄! しかも、この魔術の規模! これが、英雄ブレイブ……!」


 テルキが驚くのも無理はない。

 アマンダが行っているのは冒険者が到達出来る中でも百人もいない英雄ブレイブが使う魔術。しかも詠唱破棄での行使だ。

 同じ冒険者ならば目を疑うレベルの技術だろう。

 僕からすれば全てが天変地異なので、最早驚かない。


 だが剣を振り切った後、不動の首無し騎士デュラハンを見て、アマンダは更に念を込めて、初めて力のある言葉を口にした。


「──暴風荒れる流星群ゾル・メテオル・ストルム


 短い詠唱だった。

 しかし、首無し騎士デュラハンを指差した瞬間、実現した理はそれこそ災害と呼べる代物だった。


 撃ち落とされる岩盤の破片達。

 雨のように降り注ぐ、弾丸と化した岩は一撃一撃が必殺級。

 それこそ夜空を駆け抜ける流星の如し。

 回転に回転を重ねた岩の弾速を肉眼で見切れるはずもなく、気付いた時には全ての岩の弾丸は撃ち終わり、巨大な砂塵だけが破壊の跡を隠していた。


 だが見るまでもない。

 人を軽く押しつぶせる質量を持った岩が、高速で撃ち込まれたのだ。

 どんな硬い岩とて粉々に吹き飛ぶ威力、そのまととなった者が生きていられるはずもない。

 戦闘の続行は確実に不可能。


「や、やったのか……?」


 そう、思われた時はごく僅かだった。

 テルキが口走った言葉を否定するように、砂塵から勢いよく黒い影が飛び出す。


 疾走するソレは紛れもなく、鎧。

 不死系アンデット魔物モンスターにあるまじき速度で接近し、駆け抜けるわだちは枯れた草達によって黒く染まる。


「うそ……」


 当惑に言葉が漏れ、魔術を撃った姿勢のまま呆然と接近する敵を見るアマンダ。

 敵の剣は黒く染め上げられ、夜に闇の線が迸る。

 振り上げられたその時は、アマンダの死を現していた。


「アマンダさん!!」


 咄嗟に地面を蹴り飛ばし、アマンダへと飛び掛かる。

 後先を考えない決死の飛び込みはアマンダを抱えた身体ごと、遠く彼方へと跳んでいく。

 硬い地面に擦りおろされ身体のあちこちは擦過傷で悲鳴を上げるが、痛みに構っている暇はない。


 抱き抱えるアマンダは痛そうに頭を摩っている。

 どうやら頭をぶつけてしまったようだが、怪我という怪我は無さそうだった。


「さすがに驚いた……。効かない? そんな事はない……まさかアレを避けた? いや……いや、まさか全部──」


 効かない訳ではない。

 それはアマンダの読み通りだった。

 確かめるように向けた視線の先、砂塵の中から現れた岩盤の山には斬れ込みが幾つも入っており、それは当たる寸前で全て斬り伏せた証左だ。


 ──不死系アンデット魔物モンスターは、名前の通り、頭を潰しても心臓を抉っても動き出す、その尋常ではない生き物とは別種の生命力を見せる姿から付けられた名称だ。

 だが、不死系アンデット魔物モンスターはその大半が、動きの鈍い者ばかりである。


 それは脳からの電気信号の伝達率や、魔物としての運動能力と多々理由はあるが、首無し騎士デュラハンも動きは鈍い類である。

 少なくとも、目で追えない速度で迫る岩を全て斬り伏せる事など、到底出来る芸当ではない。

 それこそ、生きた人間ですら不可能な所業だ。

 出来る者を挙げるならば、王国騎士団長クラスの剣の達人だろうか。


 それを可能にするあの首無し騎士デュラハンは一体、何者なのか。

 その疑問が、アマンダの脳内に浮かぶ。


「仕方ない! オレが時間を稼ぐ。シナヒは空間転移の魔術の用意を!」


「う、うん!」


 アマンダとの一瞬の攻防のうちに、首無し騎士デュラハンはテルキ達の元へと襲い掛かっていた。

 テルキは手に持つ白銀と紅で装飾された見事な両手剣で、首無し騎士デュラハンの漆黒の剣を受け止める。


 しかし、繰り出される剣撃は想像を遥かに超えていた。


「────くっ!?」


 ──あの鎧の中に、本当に肉の体が入っていないのか?


 そう思わせる程に流麗な剣撃に、テルキは一撃で一歩下がる。

 それを首無し騎士デュラハンが見逃す筈もなく、すぐに追撃を開始する。


 黒の刀身は夜の闇に弧を描き、己が敵の身体を二つに分ける為、猛威を奮い続ける。

 斬り下ろし、斬り上げて、薙ぎ払い、突き刺して、敵の動く先を予測し繰り出される連撃はあの黒い斬撃こそ出ないものの、充分に脅威。


「テルキ、凄い……」


 それを己が剣術のみで躱すテルキも、伊達に五階層まで到達した冒険者ではなかった。

 一手先を行かれる全ての攻撃を紙一重で弾き、躱し、相殺する。

 しかし拮抗していると思われる攻防も、僕の目から見れば一方的であった。

 テルキは気付いていない。

 自身が両腕で必死に剣を振り回しているのに対し、首無し騎士デュラハンは片手で軽く捌いていることに。


 その攻防を横目にアマンダは、庇った際、地面にぶつけた頭を振って痛みを払い、立ち上がる。


「有り得ない……! 魔術を無効化して、しかも動きは超人。今まで出会った魔物の中でもトップクラスの化けもんだ! あんなのどうやって太刀打ちを……」


 忌々しげに敵を見るその瞳は、今まで相対した事のない強敵へと嫉視のものだ。

 きっと脳内では次の策を考えているに違いない。


「うん、アレは勝てないな」


 と予想を遥かに裏切って、なぜか潔く諦める。

 その顔には先程まであった闘志は既になく、魂までも飛んでいってしまったかのような、アホ面であった。


「変な顔ですね。手元に写真機があったら思わず撮っちゃうくらい、面白い顔してますよ」


「ばか! 楽観的すぎたお前は! 見てなかったのか? 空中から迫り来る岩の雨を全部叩き斬る首無し騎士アンデットなんて私は知らない! ここは潔く引くのが吉ってもんさ。お前も知ってるだろ? 格上とは戦わないのが冒険者の鉄則だ」


「まぁ、それは承知の上ですが……」


 もし迷宮ダンジョンに入った際、強敵と接敵したならば迷わず逃げなさい、と師匠に念を押されている。

 だから、アマンダの言うことも理解している。

 でも──僕にはこの場で引けない理由があった。


「時になんですが、首無し騎士デュラハンは平気なんですね。幽霊ゴースト苦手なのにアマンダさん」


「本当に時になんだな……。私が苦手なのはヒラヒラした奴だ。ゾンビや動く鎧なんかはよく童話や絵本にも出て来たから怖くない」


「それを言ったら幽霊なんかもありがちな気が……?」


 と、が静かにツッコミを入れれば、アマンダはもはや言葉では語らず、強い眼光でキッ、と睨んできた。

 そのまま何も言わずに視線を逸らした。


「だ、大丈夫ですか?」


 僕らが緊張感に欠ける争いをしていると、シナヒが駆けつけてきた。

 服が少し汚れているのは黒い斬撃を避けようとして付いたものだろう。

 僕とは比べるべくもないが、彼は勢いが勢いだった為、汚れの度合いが違っても仕方ない。


 シナヒの手には、緑色の回復薬ポーション瓶が二つ用意されており、到着するや否やすぐに二人に振りかけた。

 振りかけるタイプのポーションは作成難易度が高い分、即効性があり、振りかけるだけで多少の傷なら治し、体力まで回復できる万能薬である。

 さすがに腕が取れた、肉が抉れたまで行くと治すではなく傷を塞ぐになってしまうが、それでも今の状況ならば充分な効能であった。


 僕の身体についた擦過傷がキレイさっぱり無くなり、アマンダも体力を回復したようだった。

 迅速な行動と判断にお礼を言おうと口を開いたが、それより先にアマンダが手を翳す。


「あ……っ、ぐ、な、なにを……」


 シナヒの身体がふわりと浮き上がり、苦しそうに首元で手がもがいている。

 どうやら風魔術で浮かせているようだった。


 先程助けてくれた相手にするとは思えない、殺気すらこもっているアマンダの炯眼がシナヒを貫く。


「お前……関係ないとは言わせないぞ。あの魔物はなんだ? あれが一階層の魔物なのか? 私が最初に殺った蜥蜴は雑魚だった。それに比べ、魔術が効かず、剣術まで優れている化けもんが、実は一階層には跋扈していますと、そう言うつもりなのか? このᛚᛁᛒᚱᚨライブラではあのレベルが普通なのか、どうなんだ言ってみろ!」


「……っぁ、ぁ」


 苦悶の声を漏らすシナヒ。

 首は次第に赤から青色へと変わっていき、口から泡を吐き始めた。

 それ以上はさすがに危険だ。


「さすがに、やりすぎです」


「……チッ」


 ゴミでも捨てるように女冒険者を投げ捨てるアマンダ。

 余程苦しかったのだろう、解放されたシナヒは強く咳き込んでとても苦しそうに喘いでいた。


「立てる?」


 シナヒは手を貸そうとした僕の手は取らず、一人で立ち上がった。

 アマンダはその様子が気に入らないのか、言葉を続けた。


「コイツの顔を立てただけだ。勘違いするなよ」


と親指で僕を指差す。

事実彼女は僕がいなければ躊躇なく殺していたかもしれない。

ここでは殺害など誰にも知られないのだから。

その言葉にシナヒは一歩引いて、深々とお辞儀をした。


「ごめんなさい。あれは私達が塔の外から出る為に入手したオリハルコンのヘルムの本体……。──五階層のボスモンスターです」


「なっに……」


「五階層で既に迷宮ダンジョンから抜け出す為金目の物を探していた私達は、あの鎧を発見しました。そのヘルムを取って鎧がオリハルコンで出来ていると分かった時、すぐさま商人に連絡を取りました、が、商人は来ず代わりに訪れたのは自分達の危機。突然動き出した鎧に襲われ、成す術なく一階層まで逃げて来た……と言うのがあらましです」


 事細かに説明されるそれは今この状況で聞くべきではなかったのかもしれない。

 今も、剣戟が辺りに鳴り響いている。

 だが、その真実は耳を傾けざるを得なかった。


「ちょっと……待て。じゃあアイツは自分の顔を取り返しに、わざわざお前らを追っかけて来たって、そういう話か?」


「そうです。私達冒険者が階層移動出来るのは知ってました……ですが、魔物まで出来るとは、想定外で……」


「ふん。なら、お前らの自業自得に付き合うつもりはないさ。行くぞ」


「え、アマンダさん?」


 激しい戦闘が繰り広げられる中、巨大リュックを風魔術で飛ばして僕に放る。

 スタスタと歩いて行くその姿は、もうあの鎧やテルキ達への関心を失った潔さが見える。


 ──それでも、僕には逃げ出せない理由がある。


 リュックを置いて、アマンダへと呼び掛けた。


「ちょっと待ってください。僕にはテルキ達を置いていくなんて事は……」


「冒険者アマンダ、待ってください……」


 しかし、本来引き止めるべき僕の役目を奪い去ったのはシナヒだった。

 心苦しそうに顔を歪めて、涙を流している。


「非常に申し上げ難い事なんですが……もう一つ、謝らないといけない事があります」


 その言葉で、アマンダは足を止めた。

 返事はせずに目線だけをシナヒへと向ける。


「あの……このᛚᛁᛒᚱᚨライブラでの階層ボスは、決まっておらず、階層にいる一番強い魔物がボスとして選ばれます。勿論、変わらず出現し続けるボスもいますけれど。その説明をミザ先生から受けたと思いますが、ボスの証明としてᛚᛁᛒᚱᚨライブラのみ、階層毎に色分けされて紋章が刻まれるという説明を覚えてますか……?」


「……お前、まさか」


 瞠目し、言葉の意味を理解したアマンダは振り返り愕然とする。

 その意味は僕にも理解できる程、簡単な内容だった。


首無し騎士デュラハンの胸元に、私達が一階層のボスを倒した時と同じ、緑の紋章が刻まれて……います」


「……くッ」


 ギュッと拳を握りしめて、唇を噛む。


 アマンダの気持ちはもっともだ。

 首無し騎士デュラハンを倒せば二階層に進めるという事実と、五階層のボスでもあったならそこまでショートカットが出来る可能性を示唆した希望は、大きい。

 塔に入って一日と経たずに次の階層へと挑めるならば、吉報どころの話ではない。

 それが──普通の魔物相手なら。


 阻むのは圧倒的な絶望だ。

 あれだけ強い魔物を倒さなければ次に進めないという、突き出された課題。

 策が思い付きもせず、圧倒的経験値に欠ける僕らには厳しすぎる課題だった。


 僕は首無し騎士デュラハンの胸元を見た。

 テルキと接近戦を繰り広げるその漆黒の胸当てには、確かに淡く緑に光るΩの下に一本線が描かれた紋章が浮かんでいる。

 刻印者マーカーの如く、存在を放って。


「なら──あいつを倒す方針で、良いですね?」


「な、お前、まさか!? ま、待て。まだ撤退という余地が」


「僕とテルキで時間を稼ぎます。その間に作戦を立ててください」


 僕は躊躇なく夜の草原を疾走した。

 近付く戦場、いるのは強敵そして尊敬する冒険者。

 僕が憧れた勇者は友を見捨てる事はしない。

 どんなに絶望的状況でも、己の命がかかっていたとしても、一縷の希望に縋り付いて必ず勝利を掴み取って来た。


 だからこそ、この場から逃げ出せない。

 たった一人でもピンチの状況にあるのなら、それを救う者こそ──勇者であると、僕は信じているのだから。


「テルキ! 手助けにきたよ」


「──な、ロミア、な、なぜ」


 迫り来る剣の乱舞を回避しながら、衝撃を受けたように目を開いている。

 だがその顔もすぐに笑みに変わり、嬉しそうに言った。


「助かる。オレもそろそろ、疲れてきたところだった」


「うん。微力だけど、二対一なら!」


 闖入したと同時、二対一となった不利的状況に危機を察知したのか、首無し騎士デュラハン二歩三歩と下がっていく。

 そして手に持つ剣の根元からは黒い魔力の奔流を放出させて、斬撃の構えに入っていた。


「ま、待て! 無刻印ノン・マーカーのお前に、何が出来ると言うんだ!」


 アマンダが叫ぶ。

 だから僕は笑みを浮かべることで返事とした。


 漆黒の剣は空間を裂き、轟音と共に黒が押し寄せる。

 それを身を屈め、横に避けようとした僕の身体は、なぜか──反対方向へと投げ出された。


「──え?」


 抗う時間はなく、理解する時間もない。

 そして眼前は黒に埋め尽くされ、背後からやけにねっとりとした嫌な言葉が鼓膜を震わした。


「──本当に助かった。お前はいつも、タイミングが良いよ」


 そして力の入らなくなった身体は、受け身も取らず地面に沈む。

 テルキの身代わりに受けた漆黒の剣によって。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る