第七話 やらせませんよ
「────え?」
理解出来るはずもない。
確かに避けたはずだった。
しかし身体は引っ張られ、気付いた時には地面の冷たさを味わっている。
寝ている場合ではない。目の前には敵がいて、その敵を現在進行形で迎撃中なのだ。
今すぐ立ち上がって、攻撃を──。
「──ぐ……か、はっ」
何年振りかに血を吐いた。
懐かしい喉に絡みつくような生命の感覚。
気持ち悪さは折り紙付きで、今すぐ喉を引っ張り出して水で洗浄したくなる程の不快感。
それだけではない。
上半身が焼ける様に熱い。
頬には夜で冷えた地面の感触を確かに感じているというのに、身体は反してマグマの様。
判断がつかない。
「オマエ──ッ!!!」
アマンダの怒号が、揺らぐ意識に割り込む。
──何に叫んでいるのだろう。
その判断がつかない。
このタイミングで怒る必要性がどうにも感じられない。
「──あ」
そこで漸く気付く。
視界に広がる草原に不釣り合いな、赤。
頬の感触に闖入する暖かな液体。
それが紛れもなく、自身の身体から溢れ出た鮮血と判断するのに要した時間は、本人が数分と感じているのに対し、実に一瞬の話だった。
—
テルキは嘲笑気味の視線をアマンダへと送ってから、下を見て笑った。
「あ……あ、あはははははっ!! まさか、この
テルキの瞳。
それはどこかでみた、いつかの──
「あぁ……喜べよ。お前はその価値のない命で、オレっていう世界の財産を救ったんだ。誇りを持って逝けるだろ。だけどまぁ……」
先程までの好意的な笑みはどこかに消えて、泥沼を思わせる粘着質な嘲笑をテルキは浮かべて言った。
「フェイザー達に、会えなくて残念だな」
テルキはそのままロミアを跨いでいった。
斬撃を放ち、隙が出来た
──あぁ、そういう事か。
身体が動かないのは、斬られたその痛みから。
右肩から腰までをバッサリと裂けた身体からは、血溜まりが出来る程の鮮血が垂れ流されている。
真っ二つに斬れていないが、コレは致死量に到達していてもおかしくない。
朦朧とした意識下の中、テルキは笑みを消し怒りの形相でシルヒを睨んだ。
「まだ空間転移は出来ないのか!」
「そ、それよりも貴方、ロミアを……!」
「あぁ?」
テルキはシルヒの胸ぐらを掴み、鬼の形相で言う。
「今そんなことどうでも良いだろうが。オレ達が生き残ることこそ重要だよな? そうだろ!?」
テルキの勢いにシルヒは目を逸らした。
「もう試したわ。でも使えなかった……」
「な、に。コレもまた、
狼狽に顔を歪めるシルヒを見て、テルキは再び目を細めた。
「全く、化け物だな」
そうして何かを覚悟したように、微笑む。
額に汗を垂らし、開かれる目には決意が宿っていた。
しかし、テルキの進む道のりはあまりに険しい。
最強の敵に加えて──
「お前まさか、五体満足でこの場から逃げれるなんて淡い妄想抱いてないだろうな──私は! 今! 人を殺せる自信がある!」
最強の味方が敵に回っていた。
テルキに向けられる殺意の視線。
アマンダは手を翳し、その前には嵐を凝縮したかなような、暴風の弾丸が出来上がっていた。
息は荒く、瞳孔が開いている。
もうアマンダには、正常な判断は出来ない。
だが、
「そうか……好きなだけ恨めよ。
獰猛な獣のように唸りを上げるアマンダ。
もういつ、撃鉄が落とされてもおかしくはない。
そのアマンダを前にして、テルキは更に激情を膨らせて言う。
「だからこそ、オレは。オレは……!
全部捨ててきたオレはぁッ……!!
こんなところで負けるわけにはいかないんだッ!!!」
テルキは両手剣を思い切り振り上げて、地面に深々と刺しながら叫ぶ。
真に力ある言葉を。
「“炎上結界”!!」
剣が突き刺さった瞬間、剣を中心にガラスが割れるように地面に赤いヒビが出現する。
徐々に割れていく大地は、まるで生き物のようにアマンダの足元に到達し、一瞬の内にアマンダを囲った。
そしてそれは、準備完了の合図。
「
テルキの叫びと共に超高熱の炎が地面から噴き出した。
炎が揺らめく事なく間欠泉でも噴き上がるように直立に燃え盛る炎の壁。
「──なッ!? あ、熱ッ!!」
だがそれは側から見た景色であり、中に直接的な被害はない。
それでも周りを超高熱の炎が囲っているのだから、皮膚に感じる熱量は絶大。
汗は身体中から一斉に噴き出し、口の中の唾は一瞬で渇いてしまった。
とても魔術を維持してられるだけの集中は保たず、暴風の弾丸は放たれる事なく解除された。
「チッ……六階位……くらいか! 一丁前に位の高い魔術だ!」
しかしながら、アマンダは
この世界で百人もいない魔術師の一人だ。
その彼女がやられっぱなしと言う事は絶対にあり得ない。
すぐさま右手を地面へと押しつけて、力を込める。
すると手のひらから放たれた風の波動が地面を這って炎壁にぶつかり、結界を揺らす。
アマンダの見た目では数回打ち込めば充分に破壊出来る強度。
「早く……早く!!」
アマンダは焦っていた。
このままでは確実にテルキに逃げられる。
それではロミアの仇すらとれはしない。
どころか、先に
そんな事は絶対に許さない。
必ず、この手で、ワタシが──
---
アマンダが閉じ込めた炎壁の出来の良さに、テルキは見惚れていた。
炎魔術に加え、少しだけ闇魔術の要素も組み込んだ強力な結界。
本来一日は閉じ込めておける結界だが、相手は
数分で破壊されてもおかしくはないが、少なくとも
テルキは手のひらを空へと向ける。
そこには黒いモヤが発生し、徐々に渦巻きながら収束していく。
黒い小さな玉となり、小石程程まで収縮した次の瞬間。淡い閃光を放ち、モヤは爆発し晴れた。
そして、テルキの手のひらには無かったはずのヘルムが出現していた。
「空間転移不可は人体にのみ作用する……か」
「テルキ!」
確認するようにひとりごちれば、背後で立ち昇る炎壁の一つから声が上がる。
シルヒの声だった。
「貴方! あんな卑怯な真似をして、どういうつもり!?」
「大丈夫」
「……何が?」
「魔術さ。万が一の時の為に、実験してたのさ。空間に魔術が作用する類なら、オリハルコンと言っても、転移が可能ではないかってな」
「そ、それが一体……何が大丈夫って……」
シルヒが感じ取った違和感は正しい物だ。
疑問に思うのは当然で、指摘するのも間違いじゃない。
──テルキはアマンダだけでなく、自身を除くその他全員を結界に閉じ込めた。
だから、突然噴き出した炎に囲まれてシルヒが狼狽するのも仕方ない話なのだ。
信じるテルキが何の理由か自分を閉じ込めた。
幾ら頭を捻ったとしても答えは出ない。
つまり何をしようとも、自身の死へのカウントダウンを遅らせるに過ぎない事を──シルヒはまだ理解していなかった。
「シルヒ……お前は、本当に純粋な性格だったね。いや、本当に」
静かに、思い返すように語るテルキの言葉はどこか、哀愁漂う優しい物だった。
しかしそれは、愚かな動物を見下す傲慢な人の態度に過ぎないものだ。
シルヒは最後まで、ソレに気付く事はなかった。
「よく言っていたじゃないか。“オレの為なら、
「ま……まさか! テルキ、そ、んな……嘘だよ、ね……?」
炎壁の奥、見えない筈のシルヒの表情が目に浮かぶようだった。
触れもしない炎の壁に向かって、叫び続ける怨嗟の訴えは──テルキの心に届く事はない。
「喜べよ。お前はオレが生きる為の、礎となったんだから」
テルキは踵を返し、両手剣を背負った。
ヘルムを脇に抱え、テルキは静かに“
背後から真実を否定するように、叫び声が夜の草原に木霊する。
「オレは、ここでお前とパーティーメンバーが解消できて、本当に良かったと思う。だって」
足裏から噴射する炎は足元の草を一瞬にして焼き払った。
炎の勢いで少し浮かび上がったテルキはそのまま身体を前方へと傾けて、一瞥も振り返らずに言う。
「もう、飽きたからさ。お前に」
足裏を爆発させての超加速。
鳥よりも速く、海を泳ぐ魚よりも俊敏。
背後で燃え盛っていた炎壁は、既に遠く彼方だ。
もう、叫び声は聞こえない。
──もう、そろそろ良いだろう。
“
テルキの背後にはもう、煌々と立ち昇っていた炎壁でさえ視認できない。
それを一瞥して確認しながら、テルキは足裏の炎を調節。
徐々に衰えさせながら、バランスを崩さないよう細心の注意を張り巡らせる。
「速すぎて、減速に失敗しやすいのが難点だな」
緩やかな減速に成功。
もし成功していなければ、自身の速度に翻弄され地面に頭から転倒し、全身打撲では済まない傷を負っていたことだろう。
自身の炎でついた灰を払う。
身体には傷一つなく、周りには誰一人いない。
背後に永遠と続く草原の黒い焼け跡が、夜の闇の中淡く燃え、一人逃げた事を責め立てる。
チリチリと、火花をあげている地面を見つめ、テルキは思い切り踏み潰した。
「問題は無ぇ。オレはいずれ、
首尾良く
テルキはすぐさま、金の小鐘を取り出して魔力を込める。
そして、振った。
「────なに」
鳴らない。
確かに魔物から逃げ果せた筈。
最早、自身の道を揺るがす障害など何一つない──はずだった。
──死神が迫っている。
背後の遥か遠くがやけに明るい。
草原に刻まれた逃亡の轍。
それを一寸の狂いなく、なぞって追いかけてくる者が見える。
青白い炎を纏う、首が無い馬だった。
鎧のみで、身体を構築するのは魂を思わせる青白い炎。
草原を駆け抜けるのが心地良さそうに跳ねながら、こちらへと向かっている。
──
「──化け、物が……!」
その姿を死神と例えず、何に例えよう。
首を返せ。
それは、オレのものだ──!
そう訴えるように、
既に右手には漆黒の剣が構えられている。
このまま接敵し、勝てる可能性はほぼ──ゼロ。
テルキ自身理解していた。
それでも──逃亡の手段も尽きたのならば。
「こんなところでオレはァァァァッッッ!!!」
夜闇に叫ぶ。
純白と紅の剣を振り上げ、全力の魔力を乗せて立ち向かう。
しかし、その勇姿を見届ける者は誰もいない。
彼の周りには誰一人、いないのだから。
---
「とりゃぁぁぁぁっっ!!!」
拳に魔力を集め産み出した、凝縮された暴風を思い切り地面へと叩きつける。
強烈な振動と共に、暴風が周囲へと拡散される。
鬩ぎ合う炎と風。
しかし遂に炎が押され始め、バァンという轟音と共に結界は破壊された。
──一分と経たずに破壊された炎壁。
アマンダは灼熱に囲まれ、結界破壊の為それなりに魔力を消費したにも関わらず、汗一つかいていない。
通常一日は保つ結界。
見立てでは五分は保つと予想された結界が、一分と経たずに、破壊された。
彼女は彼女で、化け物じみていた。
「……舐めた真似されて、しかもバッチリ逃げられるなんて。私もまだまだかな」
さすがに多少は疲れたのか、姿勢を正し首をくるくる回すアマンダ。
怒りは大分鎮静化していたようだったが、
「──ロミア!!」
目の前で倒れているロミアを見て、事の重大さを思い出した。
怒りに我を忘れかけていたアマンダだ。
仕方ないとも言えるが、アマンダ自身その不甲斐なさに心の中で罵倒する。
──ばか! なんで私はアイツを倒す事ばっか考えて、助ける事を忘れてる!
すぐに駆け寄り、俯せになっていたロミアの身体をひっくり返した。
ロミアの身体を包む程広がっていた血溜まりは、なぜか固まっていたがそこまでアマンダの気は回らない。
なぜなら、ひっくり返した先にあったのは、
「随分焦った顔、してますね」
ロミアの意外と平気そうな顔だったからだ。
「このバカ!」
「あいてっ。顔引っ叩かないでくださいよ。僕、これでも重傷ですよ?」
「重傷のヤツがニヤニヤするな! するならもっと苦しそうにしろ!」
「………………う、うぁ〜〜っ、し、死ぬぅー」
「今更遅いわ! 演技臭いし!」
腕を上げて呻き声っぽいものをあげたロミアだったが、再びアマンダのビンタが炸裂。
殴る蹴るの痛みは鍛えているので慣れているロミアだが、意外とビンタの皮膚全体に広がるじんわりとした痛みは辛かった。
しかも二回続けて同じ場所を叩かれたならば、自ずと痛みも増す。
「にしても……どうして」
「この傷ですか? これくらいは
よくあった。
慣れている。
そんな言葉で片付けられるような傷ではなかった。
肩から腰に掛けてを、剣で思い切り斬られたのだ。
血溜まりも身体全体を覆うほど広がっているのだから、致命傷だったのは間違いない。
だからこそアマンダは目を疑った。
その傷が──もう塞がっている事に。
「呼吸法ですよ。傷を塞いで、治癒能力を高める……。さすがに治すことは出来ませんが、死を遠ざけるくらいなら出来ます。それに斬られる瞬間、筋肉もしめたので意外と深くないですよ、傷」
「呼吸法って……、そんなその場しのぎの回復術がここまで効果あるなんて──」
傷の回復を早める呼吸法があり、極小数の名のある武術家であれば使える──という事くらいはアマンダも理解している。
だが、眼前で起きている回復は異常だった。
数分前に出来た傷がもう、塞がっている。
回復用のポーションを使ったならばいざ知らず、呼吸だけで傷の回復をするなど──反則じゃないのか。
「鍛錬の成果ですね。兎に角僕は回復と受け身、それと突きを練習してましたから。まぁ、慣れ、ですよね」
「…………そう、か。まぁ、無事だったなら、問題はない、のか」
死んだ──と、そう直感した。
アマンダはロミアが漆黒の剣でバッサリと斬られたあの瞬間、鮮血が噴き出し身体が糸の切れた人形のように崩れていくあの瞬間に、死んだと感じたのだ。
思ったのではない。
それは冒険者として、持つべき感覚の一つ。
生死を目で見て判断する事だ。
仲間が死んだと判断出来たなら無駄な救助に行かなくて済むし、生きているなら即座に行動出来る。
敵の死んだ振りも見過ごすことはない。
その能力が抜きん出て高いアマンダが、死んだと感じる程の傷。
それを治すロミアはきっと、想像以上に普通じゃない。
だが、ロミアが普通じゃないとして何になるのか。
死んだと思った人間が死んでいなかった。
それで充分だろう。
本当に──死んでしまっているよりか。
「助けて!!」
やっとアマンダが平静を取り戻した中、ドンっという音と共に、背後から叫び声が上がる。
その正体はシルヒだった。
「────ゔ」
本当に後一歩。
後一歩でも踏み込めば即座にアマンダは首を跳ねるつもりだった。
なんせ裏切られたすぐ後だ。信用などおけるわけがない。
例えロミア旧友であろうが殺し、この場から撤退しようと。
そう思っていた。
──だが、その役割は皮肉にも予想外な者に奪われた。
「げ、ご、あ──」
アマンダの頬に鮮血が飛び散る。
突然の事態に、対処が出来ない。
目の前ではシルヒが膝から崩れ落ち、倒れるさまがゆっくりと映っている。
首の中程に漆黒の剣が突き刺さり、喉を抑える間も無く白目になったシルヒが、倒れる瞬間が。
そして──漸く、それを実行した主人をアマンダの視界が捉えた。
シルヒの真後ろ。
突き立てた漆黒の剣を引き抜く
その背後で青白い炎に包まれて消えゆく
事態の把握が出来ない。
背後の馬は何? 先程まであんなものはいなかった。
どっから現れた?
なぜ私の風魔術索敵に反応しない?
様々な疑問が嵐のように脳内で逆巻いて、
今、アマンダがすべき事は全力でロミアを守る事。
パーティーメンバーであるロミアを守る事だ。
そんな偉そうに言える立場などではない。
あの無敵の
そのくらい、勝つ見込みがない相手。
誰もを救える、誠実で清廉な“アマンダ”はもういない。
だからこそ、この過ちは必ず言葉にして謝罪をしなければならない。
この戦いが終わったら、必ず。
直接、ロミアに。
だから今はやはり、全力でロミアを守ることだけを優先して────
「
だが──放心状態のアマンダは失念していた。
アマンダの風魔術索敵に引っかからない
「──ませんよ」
アマンダへの首へと薙いだ漆黒の剣は寸前で止まる。
両手で挟み込み受け止めた、ロミアによって。
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