第四話 思い知る不条理


 魔術の発動に必要な条件は魔力さえ有れば、原則として特にないとされている。

 刻印者マーカーの魔力を消費する事で術式は発動し、脳内に浮かんでいる術式イメージが何の問題もなければ空間世界に形として現れる。

 だがそれを初心者がやろうとするとイメージが上手く空間世界に伝達する事はなく、術式が成功しない。


 それを補っているのが詠唱である。

 詠唱には序節、繋節、本節とあり、序節は長文による術式の説明、集中力を高め空間世界への道を作る役割を果たす。

 繋節は術式が行うべき空間世界への結果への導きであり、序節によってできた道の到着点を示す役割だ。

 本節は、人でいう名前のようなもので、脳内に直接イメージを沸かせる短い言葉。

 繋節によって出来た到着点へと向かう列車の名前だと思えばいい。


 アマンダの使用した魔術で例えるならば、

 序節=駆け抜ける疾風。鍛え上げられし刀の如き鋭さで、

 繋節=敵を斬れ。

 本節=風刃ゾル・ブレイ

 といった具合だ。


 そしてこの術式の手順を最初から最後まで創作する事は至難の技であり、一箇所でも空間世界への道としての要素が欠ければ道はできず、結果に不明な点があれば魔力を消費しても結果は産まれず、名前が術式に認定されなければ結果が現界しても、あるべき威力を発揮出来ない。


 それを補う為、刻印者マーカーは自身の魔術の七つある内の系統が分かり次第、各々の属性の師匠を作るか、市販の本を買うらしい。

 勿論、自身と合う師匠を見つけるのは簡単ではないし、市販の本も安くはない。

 冒険者となり、パーティの足を引っ張らないためには最低でも二年以上はかかると言われている。


 そして構造を理解し、本質を感じる事が出来た人間は、序節、繋節、本節の順に、省略する事が出来るようになる。

 俗に言う詠唱破棄である。

 これに関しては個人差があり、すぐに出来る人間もいれば、一生できない人間もいるらしい。


 それを踏まえても、

 アマンダは、天才・・の類だった。


 敵に視点を合わせ、軽く指をなぞった。

 ただそれだけの行動で、空間世界は彼女の意図を察し、意味ある結果を齎した。


 細い指先から生まれた風の刃は、吹く横風を斬って直進し、無防備な蜥蜴兵士リザルドの首を真っ二つに斬った。

 牙を見せ鼻息を荒くし瞳孔を細めて威嚇していた、これから命を賭けた殺し合いをするのだと、血気盛んだった者らの首を呆気なく。


 三つの首はくるくると宙を回転し、ぼとりと地面に落ちる。

 威嚇した表情で固まって何が起きているのか分からない様子は、無様で滑稽で、それだけの力量差がある事を如実に示している。


 それこそ剣術の達人が抜刀し斬って納刀すると言う三つの動作を、ただ指をなぞるだけで完成させてしまう英雄ブレイブが使う風魔術。


 その脅威の瞬間を垣間見て僕は唖然とし、ズシンっという地響きがなるまで、アマンダの流麗な立ち姿に見惚れていた。


「おいおい。壊れ物扱い注意だ。粗雑に扱って、中にある魔術道具マジックアイテムが壊れたらどうする?」


「あ……あぁ、いやすいません。僕も戦おうかと思ったんですが、あんまりにも一瞬で倒してしまったので……驚いて」


 その彼女の冷静な言葉に慌てて背負い直して向かい合う。

 アマンダは紫の淡い煙になって消えていく蜥蜴兵士リザルド戦利品ドロップアイテムがないかをしゃがんで確認しながら、諭すように言った。


「人はそれぞれ役割がある。お前は荷物持ちだ。戦闘の心配ならしなくていい。お前は、私が守ってやろう」


 それは一見、安心感を生み出す頼り甲斐のある言葉なのだろう。

 実際に魔物を一瞬で屠っているのだから、信頼も出来る。

 だが僕はその時、燃えるような嫉妬と侮辱された悔しさ、そして真実故に何も出来ない歯痒さで、胸が苦しくなった。

 直接心臓を取り出して、掻き散らかしたい程に。


 ──僕には、どうして。


 ああ、そうだ。

 僕はいつだって正論に打ちのめされてきた。

 刻印が無いからという理由で幼馴染には置いていかれ、刻印が無いからという理由でアマンダからは弱い者扱い。

 世の中全てが刻印によって決まってしまっているのかと、錯覚する程に僕の行く先々を邪魔していく憎き刻印。

 お前はいつまで、僕を苦しめるつもりなんだ。


「あら〜、新しいお客様ですの〜」


 そんな僕の気持ちとは場違いな呑気な声が空から聞こえてきた。


 僕とアマンダは同時に見上げるとそこには四角い影が浮いていた。

 よく見るとそれは太陽の刺繍が入った上等な絨毯であり、風魔術を込められた魔術道具マジックアイテム

 空飛ぶ絨毯だった。


 フヨフヨと風に靡く絨毯は干された洗濯物のように、楽しげに揺らめいてゆっくり降りてくる。

 まん丸い黄色の目を二つ浮かせる黒いローブを羽織った何かが乗っていた。


 丸い目を莞爾かんじと笑ってソレは言った。


「私、このᛚᛁᛒᚱᚨライブラで商人をさせてもらってるエニグマーチャンですの。気軽にまーちゃんと呼んでほしいですの〜」


 大きな掌をピタリと合わせて自己紹介をしてくれるエニグマ。

 その様子は子供らしくとても可愛らしい物だったが、僕もアマンダも目を丸くした。

 白い軍手のようなグローブは、腕が無く一人でに浮遊して動いているからだ。


 つまりこの子は、人じゃない。


「君……まさか幽霊族ゴーストか?」


「あら、ご存知ですの? 説明が省けて嬉しいですの〜! 迷宮ダンジョン商人協会の人間ではこの迷宮ダンジョンには入って来れないので、ここは私達、幽霊族ゴーストが担当してますの。魔物に追われてもすぐに逃げる事が出来ますし、身体が無いのは便利ですわ〜」


 確かに、幽霊族ゴーストの優れている点は霊体の為、壁擦り抜けが出来たり物理攻撃が無効となる点だろう。

 彼らは彼らで光属性の魔術に弱かったり、弱点を突かれると大体一撃でやられてしまう耐久力の無さが、欠点ではあるが冒険者ではなく商人をやる分なら適しているのかも知れない。


「でも、幽霊族ゴーストなら宙に受けるんじゃあ?」


 僕の素朴な疑問にエニグマは無い頬に手を当てて嘆息気味に言う。


「浮けるには浮けますけど、疲れるし速度も断然、空飛ぶ絨毯の方が速いですの。文明の利器ですわ〜」


「なるほど……まぁそれもそうか」


 確かに幽霊族ゴーストに足が早いイメージはない。

 愚問だったか。

 憂慮な目付きのエニグマは、すぐ笑顔──商売顔だろうか──に戻した。


「そんな事より、私達は色々な道具を取り揃えてますの! 魔術道具マジックアイテムから食料から日用雑貨までなんでもありますの。ようがございましたら、このベルを鳴らしていただけると、すぐにお迎えにあがりますわ〜」


 商売モードに入ったエニグマは、ローブの懐から色々取り出してその品揃えの良さを見せてくれた。

 明らかにエニグマよりもデカい商品があったので、ローブの中は異次元空間にでもなっているのだろう。


 エニグマに摘まれる金の小鐘は可愛らしくピンクのリボンが付いていた。

 腕のないグローブだけがこちらに迫って来ると、僕の掌に小鐘をちょこんと乗せると手は帰っていった。

 本人は笑顔でニッコニコだが、中々に珍しい体験だ。


「ん? そういえばアマンダさんどこにいっ────」


 エニグマと接触してから一言一句話さず、尚且つ姿すら消したアマンダの行方。

 それは僕が意識を完全にエニグマに持って行かれた事もあってか、気配を消したアマンダはすぐ近くにいた。

 僕の後ろに隠れるようにして。


「えっと……アマンダさん?」


「なんだ」


「どうしてそんな身体を隠してるんですか? 折角、商人が来てくれたんですから色々お話を……」


「私は、その、なんだ。寒いんだ。そいつからの情報入手はお前に任せよう」


 風はそよ風程度でしかも彼女はポンチョを羽織っているのだ。

 寒いなんて事は無いはずだ。

 身体は特に震えてないし、耳がピクピク上下に動いているくらいだ。寒そうには見えない。

 顔もこちらには向けてないし、まるで嫌なものから目を逸らしているかのような……。


「アマンダさん……まさか、幽霊族ゴースト苦手だったりします?」


「……う、うるさいぞ! 私が幽霊族ゴースト嫌いだったからと言って、なんだというんだ!」


「は、はぁ……いえ、初めて子供っぽい姿を見れたなぁと」


「私はこれでも89歳だ!」


 ふんっと顔を真っ赤にして怒ってしまったアマンダは、僕と目を合わせてはくれなかった。

 というか、89歳だったんだ。

 大分お年寄りだった、身体は子供なのに。

 いや、言葉遣いは大人っぽいが声音も性格もどこか子供らしさが顔を出して来ている気がする。


 なんて、一人現実を知りよく分からない感情がぐるぐる頭の中を回っていると、何やら服の裾をギュッと摘まれた。


「…………ぅぁ」


「あらあら、お客様。幽霊族ゴーストが苦手なんですの〜? これを機に仲良くなりますの〜!」


 背後へといつの間にかやってきたエニグマと、アマンダの目がバッチリあってしまう。


 アマンダはあまりのショックに大口を開けて硬直してしまうが、そんな事お構いなしにエニグマは詰め寄って、勝手に手に取り握手を交わす。

 まるで公園に置いてある銅像と戯れる子供の図のよう。


「今度是非お茶会でもしましょうですの。私これでも中々良いお茶を仕入れてますの」


「う、う、うぁぁっ! やめろこっちに来るな! わ、私は! そういう不可思議な輩が苦手だっ!」


 まるでマンドラゴラを引き抜いた時の断末魔の声を上げ交わされた握手を振り解き、震えながら僕の影に隠れる。

 その態度にエニグマは黄色い目を赤くして腕を上げて怒る。


「ぷんぷんですの! お茶会、誘ってあげませんの……」


 どうやらこの子の感情表現は目の色で判断出来るようだ。

 赤い目が今度は落ちていく声のトーンに応じて青く垂れ下がっている。

 これは幽霊族ゴーストがコミュニケーションを取る為の一種の策なのだろうが、単純にエニグマが感情表現豊かなのも理由の一つだろう。


 アマンダはアマンダでガタガタと震えて、ぶつぶつ何か唱え始めた。

 まさか僕越しに魔術をぶっ放そうってわけじゃあるまいな?


「……風の加護よ……! 我が天命を捧げ、原初に至る。世界の果てを穿つ旋風──むぐっ!?」


「や、ややややややめてください! 絶対ソレやばいやつ!」


 アマンダの身体からほわほわと緑色の光が浮き上がって来たのだ、さすがに止めないと僕の身が危ない。

 今後アンデット型のモンスターが出たときはどうするのだろうか……?


「ご、ごめんね。この人も悪い人じゃあ、ない……と思うんだけど」


 僕はなんで会って数時間の人を弁護してるんだ。

 自分自身でも全く説得力が感じられない。


「まぁ……種族間でこういった扱いがあるのは、仕方ない事かとも思ってるの……。我慢ですわ……」


 この多種多様な種族が共存する世界では、こういった扱いをされる種族が出てくるのは珍しくない。

 幽霊族ゴーストなんて、元々迷信で語られていた人の霊、幽霊の正体が彼ら幽霊族ゴーストという種族だったというだけで、別に冥府の使いだとか魂を取るだとかもしないのに、未だにそう言った迷信を信じて種族間で忌避している現状なのだ。

 それが人族の間で一番多いというのも、悲しい事実なのだが、人は理解出来ない物に恐怖を抱く生き物だ。

 それも仕方ない事なのかとも思う。


 と、その言葉に反応するように後ろで何かがビクンッと跳ねる。


「仕方……ない、だと?」


 無論、アマンダである。

 エニグマの悲しげな言葉を耳にしたアマンダは、震える身体を抱きながら、涙目で僕の横へと身体を出す。


「違う。私は……幼少期のトラウマの所為で、お化けの様な物が苦手なだけだ。決して、お前達幽霊族ゴーストに偏見を持っているわけではない……そこは謝罪する」


「…………」


 黄色く丸い瞳は瞬き一つせずにジッと震えるアマンダを見つめる。

 直視を続けるのが難しいのか、アマンダは何度も見ては気まずそうに視線を逸らした。

 その数秒のやり取りが為された後。


「私は、人が嘘をついているのかそうでないか、分かりますの」


 エニグマが口を開いた。


「貴方のその姿を見てると、嘘でない事はわかりますの。だから、もう気にしないで欲しいの。それにいきなり迫った私も悪かったですわ」


「すまない……」


 悲しげにそう言った後、アマンダはまた僕の後ろへと隠れてしまった。

 堕神族ダークエルフなのだ。きっと今まで謂れのない差別を受けてきたに違いない。

 同じ境遇に近いエニグマに共感してしまったのだろう。

 少し切り出しにくい状況ではあったが、僕は話を無理やり進める事にした。


「じゃあエニグマ。早速だが情報が欲しい。ここら辺に冒険者の溜まり場みたいな場所はない? これだけ広い空間で、人が出られない迷宮ダンジョンだ。例えば……そう、集落とかないかな?」


「集落ですの? それくらいなら──」


 にっこりと微笑んだその笑みはてっきり場所を教えてくれるかと思いきや、


「一ギルでいいですの!」


「商魂たくましいね……」


 だがこの閉鎖された世界の中で情報の共有は充分に金に変えられるほどに貴重だ。

 これも仕方ない、必要経費と考えるべきだろう。

 僕がアマンダに訊くより先に、既に手のひらには銅色の硬貨が一枚置かれている。

 素早い仕事だった。


「はい。毎度ですの! 集落なら、ここから見えるおっきな山まで一直線に歩いていけば、森があるんですの。そこに確か最近出来たはずですの」


 グローブによって指差されたソレは見える山の中でも一際大きい山だった。


「山……あれか。歩いたらどれくらいなんだ?」


「大体、ここからなら一日半と言った具合ですの」


 銅貨一枚でしっかり情報を教えてくれるエニグマは、商売上手だ。

 次も利用したいという気持ちに自然となってしまう。


「分かった。ありがとう。僕達はもう行くよ」


「ふふふ、この階層は強い魔物はいないから、気楽に行くといいと思いますの! ご達者で〜」


 そうして僕はビクつくアマンダを連れて、エニグマと別れた。



 さて、今更ながらに疑問に思ったことがあった。

 僕らは塔に入る時、確かに陽が暮れていた筈だが、塔の中では真上でお日様が元気に僕らを照らしていた。


 時間軸がおかしくなっているのだろうか、ならば僕らの腹時計や空腹感などはどうなるのか、と心配していたが塔の中でも時間は進む事が分かった。


 集落へと向かって歩いていった途中。

 僕達は、月が草原を照らす中、野営をしていた。


 くるぶし程しかない草原だが野営するには平地の方が都合がいい。

 近くには岩場もないし、辺り一面どこもかしこもただ草原が広がるだけなので、仕方なく草原の一部をアマンダの魔術で伐採し、火もアマンダさんの持っていた魔術道具マジックアイテムで代用出来た。

 本当なら薪を使いたかったがなにぶん辺りはどこもかしこも原っぱで木が一本も見つからない。

 冒険者の集落が見えるまで──とはいえ後半日歩く程度らしいが──は、アマンダの魔術道具マジックアイテムに頼りきりになる。


 魔力を込める事で作動する永遠に炎がつく焚火玉という手のひらに乗る程度の玉。

 それがアマンダの持ち出した魔術道具マジックアイテムだった。

 便利な事この上ない。


「にしてもお腹減ったなぁ……」


 陽も沈み、夕食に差し掛かっていた僕達だが、アマンダは僕が作った薬草のスープと先に焼いた骨付き肉一つを目の前で少しずつ食していた。


 何でもエルフは肉はあまり好まず、魔力を補給出来る野菜や薬草を好んで食べるらしい。

 今彼女が飲んでいるのもただ魔力を回復させるポーションに使う薬草を煮込んだだけのスープだ。

 あれで美味しいのだろうか?


 おかげで僕は今自分の調理に入っているのだが、フライパンに乗った五つの骨付き肉がやっとジュワジュワ言い始めたところだ。

 その間にアマンダは食事を終えてしまった。

 大きな欠伸をして、彼女は言う。


「ふぁーぁ……私はもう寝るぞ。水が出る魔術道具マジックアイテムを作動させて置いたから、それで食器は洗っておけ」


「あ、はい」


 僕が中腰でずっと調理をしているというのに、何と尽くしがいのない主人なのだろうか。

 食器もそのまま、置いてリュックを漁って寝床の準備をしようとしている。

 そもそもエルフはどうなっているのか知らないが、僕の空腹度合いは限界を越している。

 夜から飛んで昼から始まった冒険ではあるが、この塔の中では外の昼が夜で、外の夜が昼らしい。

 だから元々、鍛錬で腹を空かしていた僕にとってこの骨付き肉五本は他の人で言うパン一個どころか、クッキー一枚に等しい食事だ。

 あまりにひもじい。

 与えられたのは骨付き肉五本だが、後でリュックから少し拝借しよう。

 これでは出る力も出ない。


 ……ん、あれ? なんだあれ。


「えっと……アマンダさん? それは一体」


 僕の目の前にはいつの間にか、凡そ平民では一生寝る事のの出来ないだろう超巨大な白いベッドが置かれていた。

 全方位を洒落たカーテンが隠し、中がほとんど見えないようになっているそれは、まるで城で見るお姫様が寝ているようなベッドであり、とてもじゃないが草原という場に不釣り合いな代物だった。

 いそいそとベッドに潜り込むアマンダはいつの間にか寝間着に着替えており、可愛らしく帽子まで被っていたが、


「朝まで魔物が来ないか見張っとく事、んじゃ」


 とぶっきらぼうに言ってカーテンを閉める。


「な、なんてわがままで」


 可愛げのない人だ。

 顔だけ誰もが認める美人の癖に、性格はそこらの村娘の方がよっぽどマシだ。

 まるで金箔を貼り付けた銅貨のような性格だ。


 これならシナヒの方が、可愛い。


「…………っ。ここでシナヒを思い出すのか……」


 自分の未練がましさに頭が痛くなった。


 シナヒ。シナヒ・バイスタート。

 ロミア・アナスタシスが夢を誓い合った四人の幼馴染のうちの一人。

 緑のおさげが特徴的で大人しい性格だった彼女に、僕は少なからず好意を寄せていたと思う。


 自分の好きな物に直向きで、間違った事が嫌いで、それでいて優しい彼女。


 シナヒ達もこの塔のどこかで戦っているのだろうか……。

 フェイザーも、ミズキも、テルキも。

 今も無事に楽しく冒険をしているのだろうか。


 意味もなく、空を見る。

 月だけが燦々と輝く夜空は偽物で、この偽物の空の下で彼らがいるのならばいつか会いたい、そう願う。

 なんで話せばいいかは分からないけれど、それでも僕も冒険しに来たと胸を張って言いたいのだ。


 と、気付いた時には大量の肉を食べて、お腹は充分に膨れていた。


「あれ……っぷふ……、結構食べたな。心なしかリュックが縮んで見えるや」


 まぁ、アマンダが寝ているベッドも小さくなっていたとはいえリュックに入っていた物だし、それを取り出したから縮んだのだろう。

 僕の傍にある山になった骨を見なかった事にして僕は寝る事にした。


 アマンダから貰ったのは人一人分覆えるくらいの布と下に敷く用の布の計二枚だ。

 どちらもそれなりに上等で肌触りも良く、ともすれば僕の家にあった布団よりも上質な素材を使っているかもしれない。


 普通ならこう言った迷宮ダンジョンに連れて入る無刻印ノン・マーカーは奴隷が多く、荷物持ち兼困った時の肉盾として使われる事も多いらしい。

 普通は食糧や寝床も必要になる戦えない人員としての無刻印ノン・マーカーに、余計な気遣いは無用なのだがアマンダは違うようで、布二枚とはいえ寝床の為の準備を用意してもらった僕は恵まれていると言える。

 それが小人族コボルト用でなければの話だが。


 僕の身体は、小人族コボルト用の布で腹部と腰を隠せてやっとくらいしか面積がなく、時間が経つにつれて風が強くなる夜はさすがに冷えた。


「仕方ない。今日の訓練ノルマをして、身体を温めるが──ん?」


 立ち上がって伸びをして、訓練を始めようとした、その瞬間──上空を凄まじい勢いで黒い何かが飛んで行った。


「な、なんだ────うぁっぷ」


 高速で通り抜けた際の突風が身体を大きな水の塊をぶつけたように打ち付ける。

 両手を顔の前に出して風に対抗するが、灯りは月の光と焚火玉のみ。

 空を飛ぶ何かの正体が掴めない。


「……!! アマンダさん! 何かいます! 起きてください!」


「んぅー? 何だ、もう朝かぁ?」


 雰囲気をぶち壊すのはカーテンから顔を覗かせる寝ぼけたアマンダだ。

 朝かどうかを確認する為月を見上げている。

 そんなことしている場合じゃあない。


「何かが空を飛んでるんです! 何かはわからないですが……危険です、その目立つベッドから離れて────あ」


 僕の声掛けも虚しく、ベッドは上空から飛来した正体不明の何かに鷲掴みにされる。

 屋根付きの馬車程もあるベッドを、さらに大きな爪が挟んでいるのだ。

 相当でかい、鳥か何か。


「なんか不思議な感覚だな? 随分とふわふわ…………って本当に浮いてる!? なんだこれは!」


「だからさっきから言ってるじゃないですか! 敵ですって!!」


 そんなやりとりをしている間に、ベッドはどんどん空へと登っていく。

 ジャンプすれば家が五つ縦に並んだ高さでも跳躍出来る自慢の足ではあるが、羽によって引き起こされる嵐のような突風が足に力を入れさせてくれない。


「アホゲーー!!」


 その時鳥が大きく鳴いた。

 人を小馬鹿にしたような気の抜ける声だったが、それを僕は知っていた。


「この鳴き声……アホゲ鳥だ!! 山の頂上に住む鳥がなぜこんなところに……」


 身体は大きく大人になると五基高メルトルを超える超巨大鳥。

 山の頂上という空気の薄い環境でも生きていけるように、体内に作られた強大な肺が胸部を強調しており、その為身体の四分の一が肺となっている鳥だ。

 その鳥が羽ばたけば、巨体を浮かす相応の風が地上に落とされる事になるから、嵐のような突風が起きるのも道理というもの。


 そうして僕が手を出せずにもたもたしているうちにまたしても、アマンダの指が虚空をなぞった。


「アホゲば────」


 あまりにも呆気ない。

 生命を冒涜するかのような精錬された魔術のキレはまたしてもあっさりと、挨拶をするくらいの気軽な行為一つで鳥の首は真っ二つになる。

 首から溢れ出した大量の鮮血は月に反射して噴水のように命の光を輝かせている。

 それが全く美しいと思えないのは、当たり前だ。

 だがソレを起こした張本人が、ベッドから飛び出して宙を舞いながら起こした、一つの奇跡を羨ましいと、美しいと感じたのはきっと僕の嫉妬からなのかもしれない。


「──って、わわわ! アマンダさん!!」


 何十メートルもある上空から鮮血と共に落ちてくるアマンダを、キャッチすべく僕は両腕を広げて準備万端。

 さぁ、いつでも来い────と、息巻いていれば、彼女は自前の風魔術でふわふわ降り立ち、おまけに降り注ぐ血の雨を風魔術で弾いていた。

 ズゥゥゥンっ、と地響きを鳴らして鳥が落ちる。


「…………僕にも、風の傘欲しかったです」


 ふわふわと軽やかに着地したアマンダの顔は明らかに不機嫌で、頬を膨らませムスッとした態度で言った。


「見張り番もろくにできない奴にやる道理はない」


「ごもっとも……」


 アマンダの怒りの洗礼の様に血の雨が降り注ぐ。

 びしょ濡れになった僕は項垂れるが、僕にだって言い分がある。

 それというのも、空から飛んできた鳥には全くの敵意を感じなかったのだ。

 殺意は兎も角、敵意すら感じないあの鳥は多分興味本位であのベッドを掴んだのだろうが、なぜこんなところにいたのだろうか。


 粉々になったベッドと共に力無く地面に落ちた鳥の死体に近寄って観察する。

 学者でもないから勿論、何も分かりはしないのだが。


「ぁぁぁぁぁぁっっっ!!? わ、わ、わわわ私のベッドが!?」


 と、僕がマジマジと鳥を見る中、アマンダは一人粉々になったベッドを前にして絶叫する。

 寝起きの銀髪をくしゃくしゃにしながら絶望に染める表情は、真に迫っていた。

 一体何をそこまでショックを受けているのだろうか。


「また別の買えばいいじゃないですか……。折角商人もいることですし」


「馬鹿者! これはな五十万ギルもするんだ! 所持金で買える額じゃない!」


「……え、ご、五十万? え? これに?」


 五十万ギルと言えば高級な魔術道具マジックアイテムを余裕で購入出来る金額だ。

 それがあれば冒険ももっと便利になるというのに……、それをベッドにって馬鹿なのか?


「風の精霊の羽衣に……高級植物ワタポンの綿毛の入った枕……超高級金属アルチマイトで作ったバネが入ったベッド…………!! 高かったのに……これ」


「贅沢かっ!? にしたってもう三桁くらい違うのを買うでしょうに!!」


「五億ギル……? そんな高いベッド、王様でも寝ないと思うが……?」


「だぁーっれが高くしろって言ったんですか!!? 下げるんだよ、ゼロを三つ!!」


 ビックリした。

 目玉が一周回って後頭部にぶつかるくらいにはビックリした。

 こりゃ相当なお嬢様だ。

 今後の為にも金のやりくりは僕が管理しないとダメか?

 いや、彼女と旅するのは塔の間だけかもしれないが、その間だけでも面倒を見ないと悪い人に捕まりそうで怖い。


「にしてもなんだこの鳥は……。アホゲ鳥……と言ったか? なんだその名前は、馬鹿にしてるのか」


「あぁ、それはですね。元々ムネブクロという名前の鳥になる予定だったのですが、頭についてるアホ毛が印象的で見つけた博士がアホゲ鳥と名付けてしまったのが初まりでして……」


「そんな雑学はいらん! なんて事だ……鳥如きに私の寝床が……」


 アマンダの目にはみるみる涙が溜まっていき、うぇぇんと本気で泣き出す始末。

 強気なお姉さんという印象が強かったが、中身はどうも幼いようだ。


「まぁ……でも僕は嬉しいですよ。ちょうど良いところに明日の朝飯が落ちてきてくれたんで」


「……? 朝飯だと? お前の飯はまだまだリュックの中に入ってるはずだが…………ん?」


 おや、なぜか知らないが泣いていたアマンダが泣き止んだ。

 その代わりに顔を真っ青にして口をパクパクさせている。


「お、おまっ。お、お前……あの、骨は」


「あぁ、骨付き肉ですか? 五本じゃ足りなかったんでリュックの中の全部いただきました。あれ中身全部合わせて五十羽分くらいですかね? いやぁあれじゃ全然足りなくってあははは」


「なんて事だ……あれは小人族コボルト計算で半年もつ計算なんだぞ!! 人間なら一ヶ月くらいはなんとかなる筈が……、一日で全部平らげるやつがあるかっ!」


「すいません、僕燃費悪いもんで」


「ふざけるな! これから食事をどうするつもりだ、荷物持ち!」


 服の襟を掴まれてブンブン上下に揺さぶられる。

 そんなことは言ってもお腹減っちゃったしなぁ。

 いつもだったら遠くの山に行って熊一匹倒して一日の食事は熊の部位全部食べてもまだお腹空いてたから、かなりの大食漢と自負していたが、想像以上にヤバいらしい。

 金の使い道が極端な女と、食費が異常な男の旅か。

 苦難な道になりそうだ。


「……ロミア?」


 と、二人喧嘩する中に、声がした。

 こんな真夜中に人に声をかけられただけでも驚きだったが、僕にとっては声をかけてきた相手が想像もしない相手だった。


「…………え?」


 アマンダと二人で声のした方を振り向くと、そこに立っていたのは男女二人組。


 二十歳になり大人になった────僕の幼馴染の姿がそこにはあった。

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