第二話 旅立ち


 神の使いとされ、神からの加護として長寿と強力な魔力を得た現世で最強の一角に数えられる種族、小神族エルフ

 清く美しく、いつまでも聡明な心を持ち、凡ゆる生物に慈悲をかけるまさしく神の如し生命体。


 世界的に見ても比類ない小神族エルフの持つ加護は長寿の加護(寿命が伸びる)に超魔の加護(魔力保有量が大幅に増加)と強力であり、それを種族全体で持てるのは正直羨ま────まぁ、反則級な訳だ。


 エルフかれらにもエルフかれらなりのルールがあった。

 一つ利己的な殺傷を禁ず。

 一つ自然を汚す行為を禁ず。

 一つ神を冒涜する行為を禁ず。

 この三つである。


 ありとあらゆる身を守る穢す行為の一切を禁じたそのルール故に、彼らは最強の種として存在しているのかもしれない。

 ルールの中に神の冒涜を禁じる項目もあるのだ。敬虔な信徒を神も裏切りはしないのだろう。


 だがそれを破った者がいた。

 破るだけに飽き足らず、心を悪に染め己の魔力を鏖殺の限りを尽くす為に使用した小神族エルフがいた。


 それは──“アトルム”と言った。

 のちの千年前の全世界を混沌に陥れた邪神である。

 両親を殺し、里の小神族エルフを惨殺したアトルムはその身を血に染めて、肌を黒く変化させていったと言う。

 そして産まれたのが、堕神族ダークエルフ

 褐色の肌に銀髪が特徴の種族である。


 アトルムは勇者との決戦の末に殺されるわけだが、その時勢力を伸ばした堕神族ダークエルフと言う種族は現在でも生き残り、細々と暮らしているらしい。

 元々邪神側だった種族だ。全種族の敵なのだから歓迎のされようもないが、今の堕神族ダークエルフ達に罪はない。

 とある国家では国民となる事を全面的に受け入れていたりもするらしいが、それでも人々のあたりの強さは変わらない。


 その堕神族ダークエルフがおかしなことを言ってきた。


「お前、私の荷物持ちになれ」


 その唐突な勧誘のあまりの衝撃に、僕は一瞬硬直した。

 夜の冷えた風が吹いて、彼女のポンチョと月光を反射させた銀髪が靡いている。


 堕神族ダークエルフに偏見を僕は持っていないけれど、ありえない言動に加えて夢の様な申し出に、僕は自然と今の発言をなかったことにした。


「あ、あぁ。霧餅突き、霧餅突きですね。東の地方で伝わる年の変わり目と月が青くなった特別な日にだけ行われる祭りの話ですね。わかりますよ」


「ほう……楽しいそうだな。私は知らない行事だが。で、荷物持ち。引き受けるのか?」


「…………」


 小首を傾げて訊いてくる彼女の態度はどうやら冗談を言っているとか、そういう類のものではないらしい。

 聞き間違いかと思ったのだが、どうやら現実な様だ。


 彼女は未だ飲み込めていないのか首を傾げ不思議そうに僕を見ている。


「て、いやいや。何考えてるんですか。迷宮ダンジョンに入ろうとしてる冒険者が、そんな行き当たりばったりみたいな感じでどうしてパーティメンバー選出してるんですか」


 諭すように言えば逆に呆れたように溜息を吐かれた。

 小さい女の子に呆れられるのは、何だか癪な気分だった。


「先も言及したが、私以外の冒険者は極力少ない方がいい。他人を守る為に魔力を使う必要がないからだ。寧ろ人が増えれば守る手間が増え、死ぬ確率が増える」


 確かに。

 彼女の言うことも一理あるか。


 冒険者は質が同等で、バランスの良いパーティを組む事が迷宮ダンジョンに挑む際の必須条件と言ってもいい。

 目の前の堕神族ダークエルフと吊り合う冒険者はそうはいない。

 国や地方で名を上げた冒険者で、やっと肩を並べるに値する力を持っていると見做されるくらいの筈だ。


 少なくともこのギースの町に、名高い冒険者がやってきたと言う話は聞かないし、いるとも思っていない。


 とはいえ、だ。


「僕……はその、あの、言いにくいんですけど」


「……どうした? 冒険者は今や人の夢だ。お前もその口だろう? 私は人を見る目があると自負している。お前も、冒険に夢を馳せ、燻っているのを嫌う人種と思ったが。違うか?」


 僕が言い淀んでいる姿を、楽しげに見ながら色々言い当てる堕神族ダークエルフ

 彼女の人を見る目があるというのは、存外間違っていない様だ。

 だがすぐにその目は悲しげに落ちた。


「あぁ……いや、分かるぞ。すまない、配慮が足らなかった。私もこのなりだ、警戒する気持ちもわかる。だから引き受けるかどうかはお前が決めていい。一応、それなりな報酬も約束させて貰う」


 肩を抱いて視線を落とした彼女の言葉は遠回しなものだったが、その意味合いを理解出来ないほど僕は馬鹿ではない。


 すぐに首を全力で振って否定する。


「いやいや、違いますよ。勘違いしないでください。別に貴方が堕神族ダークエルフだから嫌だとか、そう言う話じゃあないんです」


「……?? では、ますます理解出来ないな。なぜ、私の誘いを断る?」


「僕は……その、刻印が無いんですよ」


 刻印が無い事にコンプレックスを持っている僕は、正直誰かに言いたい話ではなかったが、それでもこの言葉を口にしないと引いて貰う事は出来なさそうだったので口にした。


 だが、彼女はきょとんと首を傾けて言った。


「刻印が……ない? いや……そんなはずは」


「え?」


「あぁ、いや。まぁ、そうか……ふむ」


 彼女は首をかしげて唸る。

 それも僕の身体をじろじろ見ながら。


「あの、どうかしました?」


「うん? いや、私以外の人間の強弱は関係ない。あくまで私が欲しいのは、荷物持ちだ。私はエルフの膨大な魔力を持ち、尚且つ類稀なる才能を持っている故に、安心して私に背中を預けるといい」


 彼女の言い分は確かに分かる。

 彼女の力が有れば百人力と呼んでも差し支えない戦力があるだろう。

 エルフ系列の人種にはそれだけの魔力があるのだ。

 伊達に、種族間で最大の魔力保有量と言われていない。


 だが僕が心配しているのはそこではなく、魔術を使えない僕が足を引っ張るのは自明の理。

 例えそれがエルフという最高の仲間がいたとして、果たしてどこまでやって行けるか。


 そんな不明瞭な未来について思案していると、僕の不安が彼女には見て取れたのか不適に笑って言った。


「そうか、言っていなかったな。──私は英雄ブレイブだ」


 そう言って彼女は右手の甲を自慢げに見せ、同時に腕に巻かれた金の腕輪を見せる。

 淡く光る緑の刻印は夜の闇の中で一層輝きを増し、腕輪はそれに応じて光っている。

 刻印の良し悪しは僕には分からない。

 しかし、彼女の持つ言葉の意味くらいは分かった。


「す、凄い……! 世界でも百人といない魔術協会の最高位称号を持ってるんですか! そりゃ……自信も持つわけだ……」


 フェイザー達の刻印となんら変化の無いその刻印に僕は歓喜の声を上げる。


 魔術を扱えるようになった刻印者マーカーには、強さの段階と応じた色の腕輪が与えられる。



 新参スパウン:腕輪・無し


 熟練アドバンス:腕輪・銅


 達人イマーゴ:腕輪・銀


 英雄ブレイブ:腕輪・金



 と、四段階ありそれぞれの段階で使える魔術も魔力量も段違いだ。


 新参スパウンが日常的に暮らしている人達の段階であり、熟練アドバンスになるまで修行を重ねてから冒険者になるのが一般的な基準と言われている。


「さて、そんな私が同行を許すと言っているわけだが、どうする?」


「どうするって……それは」


 そこで僕は、ハッと気付いた。

 待てよ。どうしてさっきから僕は迷宮ダンジョンに同行を求めてられているのに、断ろうとしているんだ、と。


 僕は昔から十年もの思いを重ね続け、目と鼻の先にある迷宮ダンジョンに恋い焦がれていた。

 いつか夢見た四人との約束。

 今はもう叶わなくなってしまった願いではあったが、僕が冒険者になって冒険をしたい気持ちは変わらない。


 この十年身体を鍛え続け刻印が出るのを待った。

 その間、刻印が無ければ通る事が許されていない迷宮ダンジョンの入り口以外からの侵入を何度も試みた。


 地面を掘り進んで塔の下から侵入を試みてあまりに硬い何かに防がれ失敗。

 壁を思い切り殴りつけ続けて、迷宮管理協会にバレて追いかけ回され。

 雲が横に見えるまで塔をよじ登ったところで、足を滑らせて落ちた。


 あの時は焦った。出っ張りを掴もうと手のひらを壁に擦り付けて速度を殺してなければ死んでいた。結局掴めはしなかったものの、指がボロボロになって一週間の休みを取る程度で済んでよかった。



 兎も角。



 それだけ迷宮ダンジョンに入ろうと試みても不可能だった迷宮ダンジョンに、刻印が入っていない僕が入る機会がきてしまったのだ。


 またとないチャンスである。


 これを逃したら、僕は長い時を待って刻印が出るのをまた待ち続けなければならないだろう。


 ならば、少々性格に癖があるが、堕神族ダークエルフと、共に迷宮ダンジョンに潜るのは最早運命としか言いようがない。

 文句などつけられようものか。


「えっと、じゃあこの場合はコンビ……ってことになるんですかね?」


「いや、お前のことは小人族コボルトと同様に雇う形にしよう。報酬はなにがいい?」


「報酬……ですか?」


 特に欲しいものなどないし、僕の望みはただ冒険者となって、迷宮ダンジョンに潜ることだ。

 刻印者マーカーでない僕をパーティにさそう人がいない今、連れていってくれるそれ事態が報酬のようなものだ。


「僕は冒険者に憧れてたんで……、連れていってくれるだけで充分なんですけど」


「うん? そうか? じゃあ報酬はまた考えておくように。私も無報酬で人を雇うような薄情ではない」


「そうですね。考えておきます」


「よし、では行こう。なに心配するな、小人族コボルトが食う予定だった肉がたんまりある。迷宮ダンジョンで食い物に困ることはない」


 毅然と髪を靡かせてズンズン入り口に向かっていく堕神族ダークエルフ

 なぜあんなにも小さいのに態度や言動が随分と大人びているのだろう。

 エルフ系列は長寿で知られ、その姿もゆっくり変わっていくと有名だ。

 とはいえ二十歳を過ぎたら大人姿にはなる筈なので、二十歳にもなってないと思うのだが。

 そこで僕は重要な事を思い出した。


「あの、すいません。お世話になってる人がいるので、一言だけ言ってきても良いですか?」


 と、特に問題もないだろうと軽く了承を取ったつもりだったのだが。


「──許さん。絶対に、だ」


 振り向いた彼女は酷く、気分を悪くして僕にそう言った。


「ど、どうして……」


「お前に良い事を教えてやろう」


 彼女は僕の一歩手前まで来ると、その苛立ちに満ちた紫瞳を大きく開いて言った。


「人生とは選択の連続だ。お前が、迷っている間にも刻一刻と時間は過ぎていく。迷宮ダンジョンという、危険が隣り合わせの世界の中で、お前が迷える時間は少ないし、後戻りする暇さえ与えてはくれない」


 自分より背の低い少女に気圧される。

 挑発する様な声音は酷く大人びた物だと今気付いた。

 彼女は見た目よりも、大人だ。


「選択が迫られた時、即断出来るかどうか。これも冒険者になる為の必須条件。だから聞こう、ここで戻るならばお前を連れて行かず私は先に行く。共に来るなら、戻るな。さぁ、どうする?」


 迫られる選択肢に、唾を飲む。

 ファットにはこれ以上ない恩があり、丁度今さっき約束もした筈だ。

 その約束を破ってでも、僕は彼女についていくのか──それは。


「わかり……ました。行きます」


「ふふふっ。良い判断だ。存外、良い拾い物かもな」


「……? 何か言いました?」


 振り返り様に言った最後の言葉が聞き取れなかったが、僕の言葉を聞いて更に満足気に笑う堕神族ダークエルフ

 性質的に悪い笑みだと分かるのに、持ち前の美人顔のせいで可愛く見える。

 エルフ系列は男女共に美人美男子が多いと聞くがなるほど。

 納得の可愛さだ。


「気にするな。さて、荷物持ち。お前の職務を果たせ」


 僕は訝しげに思いながらも気にする事をやめて、言われた通りにリュックを背負う。


 想像以上に重い。まるで岩を担いでいる様だ。

 僕は鍛えているから多少は平気だが、よく小人族コボルトはあの小さな身体で持てるもんだ。

 本によると加護が働いていると書いてあったが、それだけで力を得られるのは中々に不公平な世の中だと思う。

 エルフ程、理不尽ではないけれど。


「あ、ごめんなさい。先に聞いても良いですか?」


「凄いな……小人族コボルトでさえ、持ち上げる時は嫌な顔したというのに、お前は涼しい顔で持ち上げるんだな……。それで何だ?」


 僕は単純に聞き忘れていた事と、言い忘れていた事を同時に言った。


「僕はロミア。ロミア・アナスタシス。貴方の名前を教えてもらっても良いですか?」


「あぁ……そういえばまだ名乗ってなかったな」


 堕神族ダークエルフは納得したように頷くと、腰に手を置いて言った。


「私はアマンダ。アマンダ・アリストレーヌ。風の英雄刻印者ブレイブ・マーカーだ。よろしく頼むぞ、荷物持ち」


 自己紹介も済ませたところで僕達は迷宮ダンジョンの入り口へと向かう。

 と言っても、町からの階段を登った先で話をしていたので、真横振り向いたらそこが入り口だった。


 空気を濁らせる透明な膜の向こうで、炎を灯した燭台が夜の闇を物ともしない強い明かりで門番を照らしている。


 入り口の両脇に立つ二人は迷宮管理協会の人間だ。

 黒いローブに木の杖をついて立っている。


 迷宮管理協会は無駄な自殺者を出させない為に、迷宮ダンジョンに入る際に条件を付けた独立した協会である。

 会長にあたる人物は、元々有名な冒険者だったらしいが、引退して今では協会の運営をしている。


 お陰で、自殺者や無謀な冒険者が大分減ったらしい。


 入り口に立つ門番は結界によって無理矢理に入ろうとする野蛮な人間(僕も走り回っている不審者として一時期目を付けられてた)から守られており、迷宮ダンジョンに入る際に門番に認められて初めて、結界内へと入る事が許される。


 これから行うのはその証明の義。


 アマンダは、悠然と結界の前まで行き僕はそれに追従する。


 カツカツと革のブーツが音を立てて、炎でパチパチと弾ける燭台の音だけが静かに響いている。


 その空間で、カンっと、音が鳴った。

 門番が杖を地面に突いた音だ。


「ここは七の数字を冠すᛚᛁᛒᚱᚨライブラ。お前達は、この塔を攻略する為に入る冒険者で良いか?」


「我らは貴方達が入ったその後に関して一切責任を問わない。何が起きても自己責任。それを承知で入りますか?」


 門番は形式めいた厳格な態度でそう訊いた。

 アマンダは迷う事なく、


「あぁ。さっさと入れろ」


 と、ぶっきらぼうに言うが門番も大したリアクションはせず、静かに言う。


「では、どうぞお気をつけて」


ᛚᛁᛒᚱᚨライブラ攻略をお祈りしております」


 正面を向いていた門番の二人が身体を横にすると目の前に張っていた透明な膜が少しずつトンネルのように道に変わり、迷宮ダンジョンの入り口へと繋がる。


 アマンダと僕は入り口前まで行くと足を止めた。


 暗闇。ドアもなく、ただの穴となった入り口はどうやら明かりがないから暗くみえるのではなく、魔術的な術式が施されていた。


 アマンダが手を入れると水の中に手を入れるように闇が波紋を広げて、引き抜くとまた同じことが起きた。


「気持ち悪い……。人を逃さないようにする結界か? 空間系の魔術、高度な魔術だ。構造把握も難しい」


「空間系の魔術ではあると思いますけど、これが逃がさないようにする結界ではないと思いますよ。これはきっと噂の……、あ、いや入ってみればわかることか」


「なに?」


 そう、僕はこの十年で知識だけは誰にも負けないと自負できるくらい勉強をした。

 それは迷宮ダンジョンについても言えることだ。

 だからこれは、多分隔離魔術の類いではないと、断言出来た。

 魔術には疎い僕だが、それも知識で補って見せる。

 だが、闇に足を踏み入れるその前にやる事がまだ残っている。


「ファットさーん!!! 行ってきまーす!!!」


 と町に向かって大声で叫ぶ。

 横ではアマンダが耳を塞いで顔を歪ませている。相当な大声だったし、突然だったから耳を塞ぐ前に声を聞いたのだろう。


「お前……」


「戻る、戻らないの選択肢だったので。約束は破ってないですよね?」


 と笑って返すと、アマンダも観念した様に笑った。


 僕は躊躇なく闇に足を踏み入れるとそのまま身体を押し込んで闇の中へと入っていく。

 背後から「荷物持ちが主人を置いて先に行くな」とつっこむ声が聞こえたが、僕は構わず進んでいく。

 この先に待つのは童話で語られるような胸踊らせる冒険の世界。

 もう待ってなんていられない。

 僕も、彼ら《・・》に追い付くために。

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