第一章 一節 邪性怨念騎士 バグラアーマード

第一話 出会い


 ── ギースの近辺、ブロンズリット森林にて。


 岩壁を前に、僕は構えを取っていた。

 肩幅に脚を開き、左手を前に、右手を腰に。


 上半身裸の僕を冷やす風が吹く。

 汗でコーティングされた身体は火照った身体を冷やしていく。

 その心地よい感覚を感じながら、拳を前に勢いよく突き出した。


 辺りにドォンと音が響き渡る。

 拳に感じる僅かな痛みを噛みしめ、通算九回目の失敗に心内で落ち込んだ。


「師匠から教えられた技、完成には至らないな……」


 今日も今日とて、僕は訓練に入り浸る。

 毎日を訓練で過ごし、僕の身体は見違える程変化した。

 身体の筋肉は盛り上がり、余計な脂肪は一切ない。

 身体中に張り付く汗を適当に手で払い、僕は踵を返す。


 木の枝にかけていた服を手に取り、帰途についた。

 背後、僕が突きの練習をしていた崖が崩れる音がした。

 今の僕は、鉄さえ砕ける拳を持った。

 それでも僕は──魔術は使えない。


 ──刻印は二十歳はたち以降には発現しない。

 これがこの世の鉄則であり、変えられないことわりだ。

 僕はもう二十歳を迎えている。

 僕が魔術を使う事は──もう出来ない。


 樹木が立ち並び行き来も不明瞭な森の中、土地勘だけで進み、光が前から射し込む。

 射し込んだ光に誘われて、腕で顔を庇いながら森を出る。


 見える巨大な塔。

 麓で賑わう町並み。

 そして目の前にある、凄惨なまでに汚された僕の家。


「また……増えたかな」


 元々安普請な造りの木の家だ。

 だがここ数年でその様子は更に変わった。

 所々には攻撃された跡があり、酷いところでは壁に穴が開いている。

 落書きされ、態々消えない様に火の魔術で「出て行け!」「無刻印ノン・マーカー!」などと刻まれている。

 様々な作物がぶつけられ、周辺は果物の汁で酷い有様だ。


 こう言った行為は毎回僕が森に訓練として出払っている際に実行される。

 何とも虐めに対し、周到な事である。


 小さく嘆息しとりあえず掃除から始めようと思ったその時だ。


「おお、帰ったかロミア」


 聞き覚えのあるしわがれた老爺の声。

 それが誰かなど、確認せずとも僕にはわかった。


「ファットさん! なんで態々ここに……?」


「毎日町まで会いに来てくれるのは嬉しいが、ワシだって出向きたい。とはいえこの歳だ、この坂は想像以上にキツかったよ。んで久しぶりに来てみれば糞ガキどもが悪さをしているじゃねぇか。ロミアもいない、ならワシが追っ払い、掃除するしかないだろう」


 死角となっている家の反対側から顔を出したのは腰を曲げる老爺だ。

 ボロボロの服、短い白髪に険しい顔が特徴の僕の育て親だ。


 持ち前の水魔術でファットは汚れた家の外壁を綺麗に洗ってくれていた

 軽く指先でなぞるだけで、指から水が噴射し、果物汁の汚れが落ちていく。

 こうしてみると、本当に魔術は便利だ。


「い、良いですよ! 僕、自分でやりますから」


「何言ってやがる。魔術を使えば時間短縮なんだ。時間は無駄にするな! それにまた怪我しおって……血だらけじゃないか。ほら、ワシが包帯を巻いてやるからとりあえず家に入れ」


 ファットが驚くのも無理はない。

 僕は突きの練習の前は森の野獣と組み手をしていた(野獣は絶対組手のつもりじゃないだろうが)。

 お陰で不意を突かれた僕の身体は至る所に噛み傷や引っ掻き傷が出来ている。

 とはいえ、常備していた回復薬ポーションで簡単な治療はしたんだが。


「あ、あぁ……、では、甘えさせて貰います」


 ファットの好意を無碍にすることはできない。

 僕は微笑んで首肯する。


「そうだそうだ甘えとけ。それが子供ってもんだ」


 そうして、無理矢理ファットに連れられて僕は治療を受けた。

 とは言っても家にはもっと効果の高い回復薬ポーションが置いてあるので、適当に身体にかければ軽い傷なら治ってしまう。

 ファットは治療しがいの無い世の中だと文句を言っていた。


 僕の育て親ファットは母親から赤ん坊の僕を受け取った人物だ。


 ファットはずっと僕の面倒を見てくれていた。

 町中の誰からも嫌われたとしても、ファットだけは僕の味方だった。

 彼こそ、僕の本当の家族だ。

 そう呼べる存在だった。


 治療を終え掃除を二人でした後、僕はファットをおんぶってギースの町入り口まで送った。

 冒険者用の、「冒険者、ようこそ!」と描かれた門の下に来た所でファットは僕を止めた。


「ここまでで良い。ありがとうな」


「いえ、僕の方こそ、手伝って貰っちゃって……。本当に助かりました」


「……なぁ、ロミア」


 重々しい表情でファットは僕に訊いた。


「ワシと一緒に……他の町に行くつもりはやはり無いか? 遠い場所らしいが、無刻印ノン・マーカーの国や差別のない国もあるらしい。ワシは……お前がもっと幸せに」


 そこまで言って僕は首を振る。

 ファットは悲しそうに眉を下げる。


「僕は幼馴染を裏切らないんです。必ず、僕はあの塔に……入ってみせます」


「刻印の無いお前がどうやってパーティーに加入すると言うんだ。その夢は、お前が二十歳になってもう……」


「それでも、諦めれないから夢なんです。ごめんなさいファットさん。折角の、提案を……」


 ファットは首を振る。


「いや。若者の夢を奪い取る事を老人がするもんじゃあないな。忘れてくれ」


 踵を返し、ファットは町へと歩いていく。


「そうだ……、言い忘れていたが」


 ファットは振り返り、険しい表情で言った。


「もし本当にお前があの塔に登るとしたら、必ず一言ワシに言ってから行くんだぞ? いいな?」


「……はい。勿論です」


 自分の育て親を見捨てて迷宮ダンジョンに潜るなど僕には出来ない。

 僕は、静かに首肯する。

 それを見るとファットは微笑んで言った。


「はは。お前に限って何も言わずに出ていくとは思ってないが、何故か少し気になってな。それじゃ、また明日」


「はい。また明日」


 ファットは軽く手を振りながら町の中へと消えていく。

 空はもう、オレンジ色に染まり始めていた。


 --


 僕の日課の一つ走り込みは、いつも塔の周りを走ったり、屋根裏を飛び回っている。

 町の中をパトロールついでに走り回るのだ。

 最近では冒険者達もガラが悪いのが増えている。

 迷宮ダンジョンに挑みすらしないのにギースの町に居座っていたりするのだから困ったものだ。


 ────いや、嘘だ。


 パトロール目的で僕は町に走りに行くのじゃない。

 塔の周りを走るだけではなく、町中も走っているのは理由があるからだ。


 一つは悔しい。

 迷宮ダンジョンに意気揚々と挑んでいく冒険者達が。

 その冒険者に刻まれた刻印が。

 見ているだけで、なぜ僕には刻まれないのか悔しくて仕方がない。

 無刻印ノン・マーカーというだけでパーティーに歓迎されないのが、辛い。


 二つ目は確認だ。

 ギースの町の迷宮ダンジョンᛚᛁᛒᚱᚨライブラからフェイザーが、ミズキが、テルキが、シナヒが、帰ってきているのでは無いかと期待している。

 僕はそんな淡い期待を胸に、町を走っている。

 それが例え、絶対に有り得ない《・・・・・・・》事だとしても。


 そんな邪念を抱いて走っている僕は間違っているのだろうか。

 幼馴染に嫉妬して、未練たらしくしがみ付いて、僕は間違ってないだろうか。

 僕は今日も、迷いを忘れる為に走る。



 町を一通り走った僕は、塔の周りを走り始めていた。

 一つの町を包む程大きい塔の周りを走るのは、かなりの時間をかけての鍛錬だ。

 初めた頃は一周に半日以上はかかったが、今なら三周で半日と言ったところだ。


 塔の周りの石畳の上を疾走する。

 タッタッタッという一定のリズムが心地よく身体に、足を伝わって響いて行く。

 流した汗が風で適度に身体を冷やして行く。

 陽が沈み、丸い月が少しずつ昇っていく。


 辺りを囲む殺風景な山達はもう見慣れてしまった。

 何年も過ごした故郷だからこそ、思うのかもしれないが、やはりもっと刺激が欲しい。

 僕は、冒険者になれない一部の人間にはなりたくない。


 三周目も終わりを告げる目印である町の風景が視界に入る。

 夜でも明るい町は冒険者を歓迎する酒場やらお店やらがほとんどなので、町の喧騒は夜でも収まることはない。

 そんな喧騒を聞きながら三周目を達成する。


 身体も充分に血液を巡らして、中々にいい鍛錬となった。

 流れ出る汗を感じながら火照った体を夜風で冷やす。

 時間に余裕が持てるならもう一周増やしてもいいかもしれない、なんて考えを浮かべた時、塔の迷宮ダンジョン入り口で言い争いをしている姿が見えた。



 迷宮ダンジョンには強力な魔物も多く、入る直前で怖気付く冒険者達は少なくない。

 もう何年もこの町を走っている僕や入り口の門番ならば冒険者が、惨めったらしく泣く様や適当な文句をつけて言い争いをする姿を嫌でも目にしていた。

 だから今回もそれほど珍しい光景とも思わなかったのだが、いつもと様子が少しだけ違う。


 まず人数が二人しかいない。

 フェイザーやテルキ達のような初心者冒険者ならば兎も角、普通冒険者達はパーティを組んで迷宮ダンジョンに挑む。

 彼らも僕らの目の前から姿を消しただけであって、どこかで人探しをして、キチンとパーティを作っているのかもしれないが。


 二人のうち一人は小人コボルトだ。

 醜小人ゴブリンに良く似ており揶揄される時、持ち出されるのは決まってゴブリンネタだが、小人コボルトは立派な知性を持った亜人種である。

 人間の腰までしかない矮躯でありながら、大岩を持ち上げる力と知性、そして身軽という特性を持ち、彼らが冒険者として迷宮ダンジョンに入る際は荷物持ち兼荷物番として金で雇われる事がほとんどを占めるという。

 小人コボルト醜小人ゴブリンらと違って、群れる事を極端に嫌うので大体一人というのも特徴だ。

 ボロ布を被り、身体の八倍近いパンパンに詰め込まれたリュックを軽々と背負っているその姿は妙に印象深い。


 そして彼の言い争いをする先、深緑のポンチョを羽織った褐色の少女。

 フードを被っており顔は全く見えないが、胸部の膨らみから女性と伺える。

 履く革のブーツはよく布で磨かれているのか艶めいていて、手に装着している革の手袋もシワがほとんどなく、傷一つ見受けられない。

 上等品なのか、もしくは新品か、それとも両方か。

 どちらにせよ、冒険慣れしていなさそうという印象が強い。


 装備品もそうだが、小人コボルトに持たせている荷物がその証拠だ。

 ダンジョンに入る際は、敵との遭遇に備えて少量の荷物と最適な武具で挑むのが一般的であり、最善手と言われている。

 だというのに人が持っても押し潰されそうな大荷物をダンジョンに持ち込む冒険者など聞いたことがない。

 素人目に見ても十中八九、彼らは初めてダンジョンに潜るのだろう。


「こんな馬鹿な奴だとは流石に思わなんダ! 金はいらねェ、オレはけーらして貰うゼ」


 背負ったリュックを傍らに放り捨てる小人コボルト

 その様子にポンチョの女は鼻をフンっと鳴らして、


「あぁ、まさかこんな度胸無しとは思わなかった。尻尾を巻いて逃げればいい」


「度胸ある無しじゃねェ! こういうのは馬鹿って言うんダ!!」


 手入れされていない鋭く尖った爪が特徴的な細い人差し指で指差す小人コボルト

 彼は踵を返し、塔入り口から町まで続く石段を降りて行った。


「困ったな。すぐにでも迷宮ダンジョンに潜る予定が崩れた。また小人コボルト捜しはさすがに骨が折れる……」


 ポンチョの女は壁のようにせり立つリュックにもたれかかり独りごちた。

 確かに彼女の言う通り小人コボルト達への接触は少し面倒臭いものとなっている。

 それと言うものの、昔、小人コボルト醜小人ゴブリンと称して大量虐殺したと言う事件が問題であり、勇者がそれを解決したとはいえ、小人コボルト達の心に大きな楔を打ったのは間違いないだろう。

 彼らはいつも仲介人を介してでなければ姿を見せることはなく、自力ではどんな大きな町を探しても彼らの姿を見つけることはできない。

 彼らの目撃はダンジョン手前でのものか、ダンジョン内の二つのみだ。

 正規の手段を用いるならば、確実に一週間はかかる。


 とはいえ、僕の訓練及び鍛錬はもう済んだ。

 目の前のいざこざに首を突っ込むのも気がひける。

 気付かれないうちに帰ってしまおう。


 僕は石段から町の屋根に向けて距離を計り、跳躍の体勢を取った瞬間、大きな向かい風が遮った。

 身体を強く押すような強風。

 跳ぶのを躊躇い、風が収まってからにしようと考えたその時。


「きゃっ」


 先程のポンチョの少女から声が上がりそれは、夜風に吹かれフードが剥がれた反応であった。

 月の光に輝く銀色のショート。

 瞳は夜の闇より邪悪さを増した薄い紫色を帯びていた。

 耳は髪から飛び出した尖った耳。

 幼い外見は騙されるべからず、長寿の種族の外見は百年単位でしか変わらない。

 そう、彼女の種族を僕は知っている。

 堕神族ダークエルフ小神族エルフから派生した──闇の一族・・・・


 堕神族ダークエルフは、急いでフードを被り直し辺りを見回した。

 すると、偶々見ていた僕の視線と彼女の視線が交錯する。

 どんどんこちらへ歩いてくる。

 近付いて来る彼女の身長は僕の胸辺りまでしかなく、見上げながら彼女は睨んだ。


「お前、私の顔を見たな?」


「いや、見てないよ。決してダークエルフだびっくりーなんてことは思ったりしてないよ……あ」


 口が滑ってしまった。

 僕は意外と口が軽いのかもしれない。


 彼女はフードの下で険しい表情をしている。

 よっぽど知られたくなかったらしい。

 僕は石段から飛び出すのをやめてその場に立って彼女に向かい合った。


「見てたのは見てたけど、ソレはさっきの喧嘩してるところからだ。小人族コボルトと何かあったの?」


「敬語」


「はい?」


「私と話すときは敬語を使え。敬意を払えない者は私は嫌いだ。約束が守らない場合、一息に首と胴を別れさせることに……」


 首を片手で何度もスライドさせて、脅迫して来る。


 なんて恐ろしい事を言う子供なんだ。

 彼女の紫瞳は冗談を言っているそぶりはなく、真剣なもので怒りの感情が窺えた。

 見た目が子供だからついつい敬語を使わなかったが、相手はエルフ。実は二十歳くらいなのかも知れない。


「そう……ですね。じゃあ敬語で。何があったんですか?」


「パーティーメンバーは私とお前だけだと告げたら、逃げ出したのだ。あれはきっと玉無しだ……」


「いやいやいや。それはさすがに小人族コボルトが正しいと思いますけどね。一人って何ですか。無謀にもほどがあるでしょ」


 妙に年寄めいた言葉遣いの彼女は、呆れ気味に言うとフンと鼻を鳴らした。


「他人と馴れ合う必要はない。私は一人でも迷宮ダンジョンをクリアする自信がある」


「へぇ……まぁ、エルフ系列の種族の方なら魔力は高いでしょうから、自信がつくのもわかりますけど……」


 冒険を純粋に楽しむ為に迷宮ダンジョンに潜ろうとしているわけではないようだ。

 彼女が重きを置いているのはクリア。

 ならばこそ、バランスの良いパーティを組んで万全を期すのが賢い人のやり方だと思うが。

 こういう強情っぱりなところがあるのが堕神族ダークエルフらしい。

 本では知ることの出来ない事を知れた。


「なんだ。文句でもあるのか」


「いや、まぁ。ダンジョンに潜る理由は人それぞれですから……」


 声を荒げた彼女を宥めようと穏やかな声で言えば、なぜか彼女は目を丸くしていた。

 何かを吟味するようにジロジロと僕の身体を見る。


「な、なんです?」


 僕としては早く家に帰りたいのだが。

 まだ夕食も食べてないし。

 汗の匂いも……するかもしれないし。


 とそんな僕の思いを無視して、堕神族ダークエルフは驚いたように、言った。


「存外、良い体つき……だ。鍛えてるのか?」


 そう質問にも聞こえる自己完結した独り言を終え、先程の怒りと恥じらいを捨てた彼女は嬉々とした表情で笑みを浮かべる。


「ふふっ、丁度いい」


 その時僕は、まさか彼女の口から飛び出した言葉が、今後の僕の人生を左右する事になるとは思っても見なかった。


 彼女は嬉しそうに命令する。


「お前、私の荷物持ちになれ」


 そう、ここが僕の、分水嶺だった。

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