第31話 愛のアイについて

 私、梅ヶ谷うめがや あいの朝はいつも軽快なメロディーラインから始まる。同じ部屋、隣のベッド近くに置かれたスピーカーからさーちゃんのお気に入りの曲が流れる。

 私がちょっと朝に弱い自覚はある。浅い海に沈んだような意識の中、遠くから聞こえる束の間のメロディーを楽しんでいる。もちろん、私の生き写しであるさーちゃんの選ぶ曲は私にもピッタリとはまっている。どの曲も外れることなくお気に入り。


 ただ、その曲たちよりもまどろみの海の中からそっと抱え出してくれるさーちゃんのおはようの優しい挨拶が好き。

「あーちゃん、朝だよー。」

 双子のさーちゃんの声はきっと私と同じような声。だけれど、自分自身が思っている声と録音して聞く声の印象が違うようにさーちゃんのと私の声は違う人のように聞こえる。

「はぁい。おはようー。」

 今朝もそんなまどろみへさーちゃんが迎えに来てくれた。

 起きていると言うには意識がはっきりしないけど、寝ていた表現するには少しぼやけた景色。もしも私の頭が見ている光景をそのまま写真にすることができたとしたら、揺らめく水面から覗き込むさーちゃんの優しい顔が映ると思う。水の中から空を見上げたみたいな少しぼやけたそんな景色。



 眠たい眼をこすり、今日が休みだったことを思い出す。

 そう、今日はみーくんとお花見に行く約束した日。

「そっか、今日はお弁当作らないとねー。」

「そうだよー。遅刻しないようにしないとー。」

 さーちゃんも私と同じように眼をこすっている。二人そろって手を当てながら大きく口を開けてあくびをする。

「「はぁーぁ。」」

 カーテンから差し込む光はちょっとだけいつもより控えめ。残念だけれど、今日は快晴とはいかなかったようだ。それでも雨が降りしきっていた一昨日と比べたら良い天気だと思う。きっと昨日で地面も乾いただろうから三人でピクニックシートを広げて寝転がれると思う。きっと楽しいに違いない。



 朝支度を終えて、二人で作業を分担しながらお弁当を作り始める。今しがたちょうどさーちゃんは具材を切り終えてくれた。それをまな板から油を敷いたフライパンへ放り込み炒め始める。

 加熱されて色が変わっていく野菜を見ながら火加減を調整していると、さっき作った卵焼きがちょうどそろそろ冷めただろうことを思い出した。

「さーちゃん、お弁当箱にさっきの卵焼き詰め込んでー。」

 ただ、さーちゃんに言わなくても思い出すタイミングは同じだったようです。

「たった今詰めてるよー。」

「えへへ、さっすがー。ぴったりだね。わかってるー。」

 18年以上ずっと一緒にいる経験は伊達じゃないみたい。



 茹でてあったパスタとトマトソースを入れて野菜と絡めるように炒める。しばらくすると辺りに酸味の効いたいい香りが漂う。香草を香り付けにふりかけてもう少し炒める。そして最後に味見をして問題がなければ完成。


「二人共今日はお出かけするの?」

 そんな香りにつられたのか、リビングの奥からお母さんが顔を出す。

「うんー。みーくんとお花見にいくのー!」

 お母さんの質問にさーちゃんはお弁当が綺麗に見えるよう微調整しながら答えてくれる。

「あら、三崎くんとデートなの?」

「うんー。そうだよー!」

 コンロの火を一度止めて味見のため菜箸で一本だけパスタを掴み上げる。

「あ、あーちゃん味見させてー。」

 それを見たさーちゃんは目ざとく近寄ってくる。

「もー。はい、あーん。」

 さーちゃんがひな鳥のように口を開けてせがんできたからその小さな口にお箸を近づける。

「んー。美味し。」

「塩加減も大丈夫?」

「おっけー!」

 さーちゃんの笑顔を見ながら冷ますために一度お皿によそう。みーくんの口にも合ってくれると嬉しいなー。それで、美味しいって言って欲しい。

「あまり三崎くん困らせちゃだめよ。」

「「はーい!」」

「この子達は本当に分かってるのかしら……。」

 元気よく返事したはずなのにお母さんは首を傾げながら戻っていく。みーくんに嫌われたくないから困らせすぎはしないよ。ちょっとだけ、ほんのすこしだけ甘えているだけ。



 今日はみーくんの好みをより一層探るために二人別々の雰囲気なるような服装へ変えてみることにした。さーちゃんがフリルの付いた白いブラウスにハイウエスト気味のチェック柄のスカート。一言で言えばちょっと少女趣味みたいな感じ。髪も内側にカールするようにして全体的に雰囲気を甘くしている。みーくんの幼馴染の藍沙あいささんみたいな格好かな。


「あーちゃん、準備できたー?」

 着替え終わったさーちゃんが私を呼びに来てくれた。

「うんー。最後荷物の確認してたー。」

 私は髪をヘアアイロンを使いウェーブ状にさせている。明るいベージュの春色らしいロングコートにターコイズブルーのロングスカート。少し大人っぽく見えるようにしてみた。カバンの中にカメラが入っていることと、電池に問題がないか確認する。うん、全部大丈夫。問題なし!


「じゃあ、いこっかー!」

「うん!いこいこ!」

 さあ、みーくんはどっちの私達を気に入ってくれるかな。どっちの方が好きか言ってくれるまで何度も聞いちゃうから覚悟しておいてね。


 ⁂


 電車から降りて行き交う人の流れにのって改札を出る。すっかり慣れたもので遠目にからでもすぐにみーくんの姿を見つけることができる。いつも柱にもたれて外の景色を眺めて考え事をしてる。みーくんのアンニュイな表情も格好いいな。


「みーくんお待たせー。」

「いつもみーくんが早いねー。」

 そんな彼に声をかけると私達に気がついて振り返ってくれる。

「ああ、沙羅、愛。大丈夫、全然待ってないよ。」

 優しく微笑む彼はきっとその言葉と裏腹に結構前からここに居てくれたはずだ。はじめて出会った時からいつも先に待っていてくれる。


「――。」

 私達の顔と格好を見ながら少し戸惑っているようだ。今まで二人揃って似たような服装な事が多かったから、やっぱり物珍しいのかもしれない。

「みーくん、何見てるのー?」

「何か気になるのー?」

 私達はそんな彼に遠回しに尋ねる。まずは直接聞かないでみーくんの反応を楽しむ。

「ああ、いや。二人が同じ服装じゃないのが珍しいなって。」

 彼は私達を交互に見ながらちょっと気恥ずかしそうに答えてくれる。

「「気づいてくれたの、えへへ。」」

 二人で彼を取り囲んで左右を半分こ。手を取るとみーくんは照れながらも握り返してくれる。


「ねえ、どうー?」

「どっちが好き?」

「いや、どっちも好きだよ。」

 そう言ってくれることは織り込み済み。さーちゃんとの事前打ち合わせでもこうなることは分かっていた。

「それじゃあだめー。」

「今日の終わりまでにどっちが好きか答えてね。」

 みーくんの掌を指先で撫でながら彼を困らせる。今朝、お母さんに釘を刺されたけど気にしないー。

「ええ……。答えないとだめ?」

「「だーめ!」」

「それは……困ったなー。」

 みーくんは言葉通り困った様子で苦笑している。もしも片手が空いていたら頭をかいていた気がする。でも残念、両手に花の状態だから出来ないね。



 街の中心から少し外れた郊外。この庭園には池を囲むように由緒ある歴史的な建物が移築されている。建物だけじゃなくて様々な品種の桜の樹が織々の花を咲かせて水面に姿を映している。朝は曇り模様だった空も薄れた雲間から太陽の光が差し込んでそんな水面を輝かせている。

「晴れてよかったねー、気持ちいい。」

 目一杯に爽やかな空気を身体に取り込むように吸い込んで吐き出す。

「寒くもないし、暑くもないし、いい季節だね。」

 みーくんも目を瞑って私達と同じようにこの空気を感じてくれている。一緒に居られるってやっぱりいいな。

「みーくん、どこにシート敷く?」

「ああ、何処がいいだろう。折角だから池の周り一周してみようか。」

「「はーい!」」

 私達は彼の提案通り歩き始める。両側から手を引っ張られる彼はちょっとだけ歩きづらそう。それでも、文句一つ言わずに優しく微笑でくれる彼が愛おしい。



 桜並木の遊歩道沿いに池をちょうど半周したころで桟橋が見えた。

「あ、ボート乗れるんだってー。」

 みーくんの右手をぐっと引っ張って指を差す。

「手漕ぎボートだよ。三人乗れるかなー?」

 さーちゃんもみーくんの左手を引っ張り指を差している。

「二人共、乗りたい?」

「「うん!」」

「あは、じゃあ三人乗れるのか聞いてみようか。」

 桟橋の入り口にある小屋には管理人のおじいちゃんが座っている。そこへ向けて三人で歩いていった。



 ちょうど受付には他のお客さんは誰も待っておらずお金を払うとすぐに案内が始まった。

「君等仲良しだなぁ。三人で乗りたいのかい。」

「ええ、出来ますか?」

 おじいさんは私達を見て笑いながら答えてくれる。

「家族用のちょっと大きいのがあるからそれ貸してあげるよ。でも、お兄ちゃんが漕ぐんだろう頑張りなよ。三人は大変だぞ。」

 朗らかに笑いながら桟橋に止まるボートへと私達を案内してくれる。

「みーくん、大丈夫?」

 さーちゃんが心配したように尋ねる。

「お兄ちゃん、大丈夫だよな。」

 みーくんが答える前におじいさんが相槌を打つ。

「ええ、大丈夫ですよ。頑張ります。」

 みーくんが先にボートに乗り込んで、支えるように手を差し伸べてくれる。

「愛、カバン落とさないようにな。カメラ入ってるだろう?」

「うん。しっかり持っておくね。」

 二人分の重さでボートがゆらりと揺れ動く。私が座り込んだのを確認してみーくんはさーちゃんの手を取る。

「沙羅のカバンは何が入ってるんだ?」

「えへへ。今日のお弁当だよ。こっちもしっかり持っておくね。」

 三人乗り込むとボートがぐっと沈み込む。さーちゃんと私はボートの前方に座り後方に座るみーくんと向き合う形になる。

「それじゃあ気をつけて行っておいで。」

「ありがとうございます。」

「「はーい!ありがとうございます!」」

 みーくんがオールを使いボートを漕ぎ始める。親切にしてくれたおじいさんに手を振り水面をゆっくりと滑るように進み始めた。


 みーくんは懸命に漕いでくれて勢いが付き始める。

「頑張れー!」

「疲れたら交代するよー?」

「そんなにしんどくないよ。大丈夫大丈夫。」

 波打つ水面に指を差し込むと冷たい水を切り進む感触が伝わる。遊歩道から眺める景色も綺麗だったけれど、遮るものがない平面から見る景色は格別だった。遠目に見える塔の周りは桜色に染まっている。ところどころ葉桜が混ざっているのか新緑が眩しい。

 みーくんはちょうど池の真ん中が近づいた辺りで漕ぐのを止める。三人分の慣性の力だけで静かに進む。

「みーくん疲れたー?」

「あはは。後でお弁当、いっぱい食べさせてね。」

「あーんってしてあげる。」

「私達二人でしてあげるね。」

「それ、口の中いっぱいになっちゃうよ。」

 優しい風が私達を包み込んでくれる。うん。良い日だ。


「愛、写真撮らない?」

「あ、そうだね。」

 カバンから落とさないように慎重に取り出す。

「まずは二人撮ってあげる。」

「えへへ。じゃあお願い。」

「あーちゃん。もうちょっとこっちこっち。」

 さーちゃんが私を抱き寄せてくれる。二人で寄り添ってカメラレンズの向こう側にあるみーくんの目を見つめる。

「うん。撮れた。今日は二人共違う服だからわかりやすいね。」

「でしょー。あ、あーちゃん、みーくんの隣座って。」

 恐る恐る立ち上がったあーちゃんはみーくんの隣へと移動する。

「そろそろどっちが好きか決まった?」

 さーちゃんがみーくんに肩に手を置きわざとらしいほど可愛らしく振る舞う。

「ああ、ごめん、まだ決まってないや。」

「えー。今日は私の方が可愛いよね?」

「あー、さーちゃんその言い方ずるいよー。」

 文句を言いながら寄り添う二人と背景の景色をフレームに収めて一枚写真をパシャリと撮る。

「えへへ。まだかなーって。あーちゃん撮れた?」

「うん!交代―!」

 ボートの上で忙しく入れ替わり立ち替わり、彼の隣に座る。

「はい、さーちゃんお願い。」

 カメラをさーちゃんへそっと手渡す。

「みーくん。私の方が大人っぽくていいよねー?」

 さーちゃんに仕返しするように彼の耳に触れるまで5cmくらいの距離で囁くように尋ねる。

「…っ。」

 みーくんは触れた吐息に驚いている。

「あー、あーちゃんその聞き方ずるいよー。」

「愛、近い近い、びっくりしちゃった。」

 後で写真を見返すと、困ったように笑うみーくんと食べちゃうくらいに近づいた私が写っていた。これは、ちょっと印刷出来ないかもしれない。


 ⁂


 その後、池をぐるっと周ってひとしきり景色を楽しんだ私達はボートを返して、眺める景色の中、ひときわ目立っていた大きな桜の樹の下でシートを広げお弁当を食べ始めることにした。さーちゃんも、みーくんも、皆お腹空いたみたい。

「わぁ。美味しそう、すごいね。全部手作り?」

「うん。さーちゃんと作ったよ!」

「二人分の愛情が隠し味だよー?」

「「はい、どうぞ?」」

 みーくんに二人で卵焼きとミートボールを差し出す。

「じゃあ、こっちから。」

 みーくんはさーちゃんの持っていた卵焼きから食べてくれる。

「どー?美味しい?」

 さーちゃんがにっこりと微笑んでいる。

「うん。甘くて美味しい。」

「やったー。嬉しい。」

「みーくん、こっちも食べてー。」

 まだ飲み込めていないみーくんにぐっと箸を近づける。優しい彼はぐっと飲み込んで私の方も食べてくれる。

「ん、こっちも美味しい。冷凍じゃないの?」

「手作りだよ。本当に美味しい?もうちょっと味付け濃い方がいい?」

「いや、ちょうどいいよ。毎日食べたい。」

 彼は私達が喜んでくれる言葉をちゃんと知っている。我慢できずに顔が溢れてしまう。

「「えへへ。やったね。」」

 朝起きてちゃんと準備をした甲斐があった。何よりもみーくんが喜んでくれて嬉しい。もしも一緒の家に住んでいたら毎日作ってあげるのにー。



 二人で握ったおにぎりも交互に差し出し困らせながらもみーくんはいっぱい食べてくれた。

「ごちそうさま。美味しかったよ。沙羅、愛、ありがとう。」

「「お粗末様でした。」」

「また作るねー。」

「次はみーくんの家で作ってあげる。」

「本当?じゃあ、今度来てもらおうかな。その前にちゃんと片付けておくね……。」

「全然気にしないのにー。」

「お掃除もしてあげようか?」

「ダメダメ、ちゃんとしておくから。」

 珍しく必死にみーくんは抵抗してくる。そんな何気ない態度も声音も好きだよ。


 ⁂


「ちょっと、お手洗い行ってくるねー。」

 そう言って、さーちゃんは靴を履いて足早に駆けていった。

「「いってらっしゃいー。」」

 さーちゃんとじゃなくてみーくんと声が揃って少し面白い。木々の合間、駆けていったさーちゃんの後ろ姿がちらちらと見える。


「愛、さっき撮ってた写真みせて。」

 しばらくしたらみーくんがそう言ってきた。

「いいよー。……はい、どうぞ。」

 みーくんの真横に座ってカメラを差し出す。彼は写真を順繰りに眺めていく。

「愛はいい写真撮るね。ほら、これとか水面が綺麗に写ってる。空と水面との比率もいいね。」

「ほんと?えへへ。嬉しい。」

 私のことを彼が褒めてくれる。とっても嬉しくて思わずぐっと寄り添う。

「頭撫でてー?」

「あはは、子供みたいだね。」

 私達よりずっと大きくて温かい手で頭をそっと優しくガラスに触れるように撫でてくれる。頭の奥がボーッっとして幸せな気持ちで溢れる。

「……ぁ。」

 思わず口が半開きになって吐息が漏れる。頭を上げてみーくんを見上げる。

「愛、どうしたの?」

「みーくん……。」

 自分でもどこから出しているのか分からない声。頭の中で考えて出している?それとも心が反応して出している?分からないけれど芯から彼に甘えていることだけはぼんやりと認識できる。

 朝方にまどろむようにユラユラと景色が揺れて見える。

 

 どれくらいの間そうしていたのだろう。気がつくと彼の顔が真っ赤になっている。私の顔もきっと同じくらいに上気して桜色に染まっている気がする。半開きになったままの口から何か言葉が漏れ出しそう。


「あー!二人共いい雰囲気してるー!」

「あ、沙羅、おかえり!」

 さーちゃんが現れてみーくんがぱっと手を離してしまう。ぼやけていた景色はまだすぐには元に戻りきらない。

「あはは、さーちゃんおかえりー。」

 ばつが悪いことはわかるけれど、どこか夢心地のままでさーちゃんを迎える。

「みーくん、私の頭も撫でてよー。」

 ちょっとだけ怒った表情でさーちゃんがみーくんに詰め寄る。

「わかった、わかった。沙羅、怒らないで。」

 さーちゃんと二人でみーくんに抱きついて頭を撫でてもらう。散った桜の花が舞い散って三人に時折降り注ぐ。桜色の幸せの欠片が辺り一面を覆い尽くすようで綺麗。

 この光景は写真にとってもきっと残しきれないから頭の中へしっかりと記憶する。明日も明後日も、その先もずっと三人で今日みたいにいれますように。そう心の中で願った。

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