第30話 沙羅のアイについて

 私、梅ヶ谷うめがや 沙羅さらは最近の平日はいつも午前7時前頃に起床する。枕元に置いた目覚まし時計代わりのスピーカーからは毎朝お気に入りの曲がランダムで流れるように設定してる。曲が流れて心地良いメロディーラインがはっきりと聞こえる頃合いで眠たい身体を持ち上げ、眼をこすり伸びをして起きあがる。


 同じ部屋、隣のベッドで眠るあーちゃんが私よりも先に起きるのは滅多にない。いつも同一人物に間違えられる私達だけれどもこういう微妙な差が探せばある。きっと生まれてくる時に体内時計のリズムがあーちゃんと私で少しずれたのだと思ってる。だって私の方が1分だけお母さんのお腹から出てくるのが早かったから。

「あーちゃん、朝だよー。」

「……んあ。さーちゃん。おはよー。」

 目覚まし代わりの曲が部屋にかかってもあーちゃんは起きないけれど、私が肩を揺すればすぐに起きる。むくりとベッドから起き上がる自分と同じ顔をした私の半身、そしてすごく厳密にいえば私の愛しい妹。お互いとしてはどっちが姉でも妹でもいいのだけれど。


 うつらうつらとしながら今日も二人揃ってあくびをしながらリビングへと向かった。

 私達は中学に上がる頃に一度親から部屋を分ける提案を受けたけれど、二人揃ってずっと一緒の部屋で生活することを選んだ。


 あーちゃんが顔を洗っている間、リビングの椅子に座りボーッとしながら、ふと今朝かかっていた曲の歌詞を思い返した。

 ”一生かけて消えない恋したい”。

 きっと生まれたときからあーちゃんと同じ人に恋することは決まっていたと思う。右手に嵌めた指輪。微かに紅く輝く指輪は大学生になってから滅多に外さないようにしている。見る度にみーくんがそこに居る気がして幸せな気持ちになる。


 えへへ、今日も良い日かなー。


 あ、ちょっとだけ訂正しないと! 指輪は滅多に外さないけれど、みーくんにイタズラするときはあーちゃんと交換する。あとでみーくんに軽く怒られるのも含めて二人入れ替わるのが大好きだから。


「さーちゃんー。洗面所空いたよー。」

「はーい。」

 交代で洗面所に入り顔を洗う。鏡の中にうつる眠たそうな顔を冷たい水で上書きする。その次は寝ているうちに跳ねてしまった髪の毛を整える。

 今日は特別みーくんと会う約束をしているわけではない。だけれど、大学の中でもしも出会ったときにみーくんにはちょっとでも可愛く思われたい。だから念入りに霧吹きとドライヤーを使って跳ねた髪を直して、櫛で何度も梳いていつもどおりさらさらにしていく。


 うん。今日もこれで大丈夫。毛先はさーちゃんと一緒に最後整えよう。


 ⁂


「あーちゃん、今日は私を先にお化粧してー。目の周りー。」

「いいよー。じっとしててねー。」

 あーちゃんが目の前に立ち、私の顔を可愛く着飾ってくれる。こんなときは顔が似てる双子ってすっごいありがたいって思う。意思疎通の取れた私達は鏡とにらめっこしなくても同じ気分で同じ雰囲気に仕立て上げられる。

 そういえば、みーくんの好きなお化粧とか聞いたことないなー。聞いたら教えてくれるかな。

「みーくんって目元赤い方が好きかな?」

 丁度、あーちゃんも同じことを考えていたのかも知れない。

「どうかなー。今度聞いてみよ!」

「みーくんが意識してるかが問題だよねー。」


 彼はあまり自分の好みの女の子のファッションとかは教えてくれない。どんな格好をしていてもいっぱい褒めてくれる。前まで服を買いに行くときはあーちゃんと二人だけだったけれども、付き合いはじめてからは三人で出かける。みーくんが疲れ切ってへとへとになるまでいっぱい色々な店を周る。みーくんがギブアップを出してベンチに座り込んだら二人して挟み込んでまた彼がどこか困ったようで照れた顔をみるまでが一連のセット。


「んー。ふふ、聞いても困らせるだけかもね。みーくんがどんな子が好きそうかこっそり目線見とかないとー。」

「いつもみーくんって女の子と一緒にいるからね!ほんと!」


 湊さんに、藍沙さん、白波先輩。みんな、私達と比べるとみーくんと一緒に過ごした時間が長い。特に藍沙さんがみーくんの後ろ姿を眺めるときとかすっごく愛しい目をしてる。ちゃんと見ておかないとなぁ。でもちょっと、束縛強いかな――。

「でも、最近は紫雨さんが非常にあやしい。」

「あ、そうなんだよー!」

 先週、カウンターで二人してぐっと近づいていたのを思い出した。みーくんが家の近くの駅まで送ってくれたからそのままあーちゃんに言う機会がなかった。


「私達も裏方に入ればみーくんに教えて貰えてたのかなって思うと惜しいよねー。」

「いいよねー。珈琲の入れ方とか教わって、手が触れたりとか!」

「あーちゃん、結構乙女?」

「さーちゃんも好きでしょー。ちゃんと知ってるよー!」

「えへへ。まあ、そうなんだけどね。」

 でも今の関係、みーくんが裏方で私達が表のスタッフの関係だって楽しい。みーくんにオーダ伝えて、彼に作ってもらった商品を運んでいく。なんだか共同作業らしくて嬉しい。


「あ、やばい時間ないよー。さーちゃんメイク代わってー!」

「ホントだ。じゃあ交代!」

 あーちゃんから道具を受け取り椅子から立ち上がる。時刻は午前8時前。一時間目じゃなくて一限っていう言い方にようやく慣れてきた。

 9時過ぎから始まる講義に出席するため今からちょうど30分後の電車には乗らないと間に合わない。目を瞑りながら顔を上げる妹の顔に同じ化粧を少し急ぎながら施していく。


 あーちゃんの表情を見ていると、何故か時間があまりないのに自分がキスするときってこんな顔なのかな?なぁんて想像して恥ずかしくなった。

「さーちゃん、雑にしてない?大丈夫―?」

「大丈夫大丈夫!」

 火照った頬はきっと春の陽気のせい。そう思うことに今はしておいた。


 ⁂


「さーちゃん、さっきの授業の話分かった?」

「うーん。まだわかんないねー。先生がぽつぽつ喋るから眠くなっちゃうよー。」

 真面目にスライドにうつる内容を書き写すけれども、本当の意味で理解するにはまだ時間がかかりそうだ。

「古代における愛の形だって、私の名前だからちょっと恥ずかしいんだけどー!」

「あーちゃんの名前はどんな愛情なの?」

「えへへ。どんな意味なのかなー。お母さんとお父さんに聞かないとー。」

 講義の合間、二人のノートを見せあって部分ごとに見比べる。対して差はないのだけれど、ところどころ欠けた箇所を補完し合って完成させていく。



 そうしていたら聞き慣れた声の先輩に声をかけられる。

沙羅さらちゃんとあいちゃん。こんにちは。お隣いいかしら?」

「あ、みなとさん!どうぞどうぞー。」

 湊さん、いや湊先輩がふらりと現れる。

「湊、この子達双子なの?」

 後ろにいた湊さんの友達の先輩方が興味津々に眺めてくる。こんな視線には慣れっこだけどやっぱりちょっとだけどうしていいか分からなくてくすぐったい。


「「はい。」」

「梅ヶ谷 沙羅と、」「愛です。」

「「湊先輩にはお世話になってます!」」

 名乗りぺこりとお辞儀する。二人意識しなくても挨拶が揃う。

「きゃー。可愛いー!すごいー!」

「私のお気に入りの後輩よ。良くしてあげてね。」

「「よろしくお願いします。」」

 先輩たちがこの自由スペースにある隣のテーブルへ座る。辺りは文芸学部の人たちが多いエリアなのできっと湊先輩達も講義終わりなのかな。



 湊さんとその友達に囲まれた私達は借りてきた猫のように大人しくなってしまう。

「ねね。二人共好きな人いるの?」

「え、えっと……。」

「こーら、邪魔しないであげて。」

 困った私達に湊さんは助け舟を出してくれる。学部が違うからみーくんの話しても分からないかな?

「えー。ふふ、ごめんねー。もしも居なかったら今度一緒に他校との交流会とか来てくれないかな―って。」

「残念、二人共好きな人が居るわよ。だから手を出さないであげて。」

「まーそりゃ居るよね……。」

 私達もよく喋る方だと思っていたけど、この先輩は勢いがすごい。湊さんがいないと押されて倒れてしまいそうだ。


 そうしていると急にスマホの音が鳴り響く。

「あ、ちょっと電話してくるねー。」

 あまり返事もできずに二人でおどおどしていたら先輩の友達は嵐のように去っていた。


「ごめんね。二人共。あの子押しがとても強いことに慣れてしまってうっかり忘れてたわ。」

「ううん、大丈夫です!」

 湊さんは今、眼鏡をかけていて私達を横目に見ながら本を読んでいる。綺麗な黒髪を流すようにかき分ける様は大人の女性みたいでとっても素敵。


「湊さん、髪の毛伸ばしてるんですか?」

 あーちゃんが私も気になっていたことを代わりに聞いてくれる。ずっとショートカットだった湊さんの髪は結構伸びて肩にはかからないけれど、ショートとは言えないくらいには伸びている。

「そうね。高校からずっと同じような髪型だったし変えてみようかなって思ったの。」

「どこまで伸ばします?」

「私達と同じくらい?」

 両手を使ったジェスチャーで胸のあたりまで伸びた髪を表現する。

「あはは、そこまで伸ばすのに何年かかるかな。」

 手の甲を口元に当てて湊さんはくすくすと楽しそうに笑う。涼やかに笑う先輩の目元はすっとしていてとても綺麗。以前は透明でどこか冷たい印象だったけど、最近は髪だけじゃなくて全体的に表情含めて雰囲気が柔らかくなった気がする。例えるなら、透明なガラスに少し藍色の釉薬を垂らしたみたいな感じ。



「今日は御波みなみと一緒にいないのね。」

「大学ではいつも一緒にいるわけじゃないですよー。」

 学部も学年も違うのでそこまで会える訳でもない。ただ、段々とつい会いたく欲求を溢れてしまいそうになることが増えた。

「三人で仲良しならいいのよ。」

「えへへ。大丈夫です。喧嘩なんてしませんからー。」

 喧嘩は一度もしたことがない。みーくんが本気で怒ったところなんて見たことないし想像もできない。どんなときも優しすぎるくらい。

「御波が二人を呆れさせないか心配してるだけよ。」

 湊さんの言葉を少しだけ考えてみたけど、みーくんのことを呆れてしまう未来は見えなかった。

「「んー。大好きなんで。大丈夫です。」」

「あはは。最近は一人づつでしか会ってなかったらそのハーモニーも久しぶりね。」

「狙ってやっているわけじゃないんですけどねー。」

「どうしても、同じこと言いたくなっちゃって。」

 あーちゃんが今何を考えているかは手にとるように分かる。普段の会話はできる限りかぶらないようにタイミングを見計らうようにしているけど、どうしても即答したいときは止めどようがなくて困らせることも多いかも。

 


「そろそろ4限始まるよ。二人は講義あるんじゃないの?」

「あ、はい!ありますー!」

「いってきまーす!」

 私達はいそいそと広げていたルーズリーフとプリントの束を片付けてカバンへと詰め込む。

「またねー。」

「「またです!」」

 湊さんともうちょっと一緒に喋りたかったけれどしかたない。後ろ髪を引かれるような気持ちを振り払ってあーちゃんと二人で同じ教室へと駆け込んでいった。



 ⁂



「それじゃあ、さーちゃんまたね。」

「いってらしゃいー。頑張ってねー。」

 アルバイトに行くあーちゃんを駅で見送る。今日のアルバイトは私がお休み。だから一人で家へと向かっていく。


 大学生になってからあーちゃんといる時間が少し増えたと思う。高校までだと別々のクラスになるけれど、大学では基本的にずっと同じ授業を受けている。わざわざ離れるのも変だし、興味がある講義も同じだったからどうしてもそうなる。

 

 揺れる電車の窓の向こう側、太陽が沈み始めた空を眺めながら、今朝かかっていたお気に入りの曲をまた思い出し聞きなおそうとしてイヤホンを付ける。私はあーちゃんがいない時は音楽を聴いているか本を読むことが多い。


 みーくんと出会ってからキラキラと弾けるような毎日。今日みたいに会えない日がちょっとどこか苦しくて。でも会えた日は幸せだけど帰り道それよりもっと苦しいときがある。


“会いたいなぁー。みーくんもそう思ってくれてるかなー?”


 心の中、自分にだけ聞こえるように声に出す。そうして唇をそっとなぞるように指を這わせる。みーくんともっと親密になりたい。心の中で溢れる気持ちは耳から聞こえる歌詞に合わさっていく。



 ✢



「あ、桐山先輩。こんばんはです。」

 バイト先に向かう道で高校からの先輩に出会う。付けていたイヤホンを外してお辞儀してしまうのは部活の後遺症だ。

「ああ、紫雨しぐれ。こんばんは。今日も今からバイトなの?」

「はい。あの、私、暇なんで。」

 桐山先輩は隣の本屋で働いていた。大学が同じことは認識していたけれど、バイト先がそんな形で一緒になるとは思っていなかった。部活でも一線で活躍していた憧れの先輩。今でも少し緊張してしまう。

「なに、もう紫雨もバレーやらないの?」

「高校でも2年の終わる前に辞めちゃいましたし、髪の毛も染めちゃいましたしねー。」

 一生のうちに髪を染められるのも今のうちかと思い切って卒業直後に染めた。大学生らしいありきたりな茶髪にするのもどうかと思って、いっそのこと白に近くなるくらい色を抜いて明るい金髪に染めた。


「紫雨に似合ってるよ。いい髪ね。」

「あ……ありがとうございます――。」

 まさか褒めてくれるとは思ってなかった。髪を染めるとか、そういうのは嫌いな先輩かと思っていたのでイメージを改める必要がありそうだ。部活も途中で辞めたのでなんとなく気まずい気持ちを持っていたけれど、やっぱり人間が出来ている人はそんなこと気にしないらしい。


 二人で大学から駅前へ続く道を並んで歩いてく。この辺りはまだ駅前の雑踏のように煩くはない。

「御波……三崎はちゃんと仕事教えてくれる?」

「三崎先輩ですか……?はい、仕事はちゃんと教えてくれます。」

 御波……確か三崎先輩の下の名前だ。そんな呼び方をするなんて仲よさげ。もしかして、桐山先輩と三崎先輩って友達で私と同じ高校出身なのだろうか。


「ふうん。思ったよりもしっかりしてるんだ。」

 そう言って、桐山先輩はどこか遠い目をしている。夕日が差し込み横顔しか見えないけれどもその表情はただの友達を気にするような目じゃない。

「三崎先輩は優しいですよ。でも、優しいだけかも知れないです。」

 ちょっといい過ぎた。思っていることをあまり考えずそのまま言ってしまった。

「……紫雨ってよく人のこと見てるね。」

「え、そうですか?そう……かも知れないです。」

 褒められたのか釘を刺されたのか分からない微妙な反応をされて応対に困ってしまう。


「優しいね、確かにそうね。アホなくらい。」

「え……、言い過ぎじゃないですか?」

 自分の発言を棚に置いてしまったけれど、ズバリ言う先輩に驚いてしまった。

「ああ、ごめんね。確かに。今のは御波には秘密ね。」

 先輩がしーっと指を口に当てて内緒話のようにしてくる。わぁ、すっごいセクシー。やっぱりその表情はどこか儚げで透明に見える。


 ああ――桐山先輩も三崎先輩のこと好きなのかな。誰が誰を想っているのかはその人の眼を見れば大抵分かってしまう。昔から人の顔をよく見てたからその弊害だと思う。


 しかしこれは三崎先輩モテすぎでは?実は優しそうに見えるのは猫の皮を被っている狼のようなやり手なのだろうか?まったくそうは見えないのだけど。

 余計なことに首を突っ込まないでおこうと思う。だけど、三崎先輩反応が良くてからかうと楽しいからいい暇潰しになるんだけどな。

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